第8話

 朝陽にとって大事なことはそれだけでなかった。もし逆の立場所謂本来の形で育っていたとしたらどんな感じだっただろうか? 日向と同じ人生を歩めていたなら大学の先輩後輩として先に出会えていたのに……朝陽は向かい席に座る男にちょっとした嫉妬心が沸き起こる。

「影山さん」

「はい」

「こちらへはいつから?」

「大学進学を期に、ですので十年前です」

「以来就職もこっちでなさったんですね?」

「えぇ」

日向は正直に受け答えしながらも、話がずれてきていることに違和を感じていた。

「美空とは大学時代に出逢われた、んでしたっけ?」

「そうですけど」

「こっちで就職を決められたのは彼女のためですか?」

「は?」

 その話要らんよな? 日向はそう言いたげな視線を朝陽に向ける。しかし朝陽はそれを無視して今でも愛していらっしゃるんですか? と話を続け、仕方無くいいえとだけ答えた。

「交流は?」

「ありません」

「未練は?」

「今その話どうでもいいでしょう?」

 親子揃って何やねん? 日向は夏彦と似たような話の展開をさせる朝陽に辟易とする。

「僕にとってはどうでもよくないんですよ。では何故あの時美空はあんなにうろたえていたでしょうか?」

「俺に聞かれても分かりません」

 日向は目を吊り上げ、冷たくそう答えて話を打ち切ろうとした。しかし夏彦以上に図太い性分なのか、朝陽はそうですかと作り笑いを見せただけだ。

「あなたに伺えば何かは分かると思ったんですけどね」

「有明さんご本人に伺うた方が分かる思いますよ」

 そのひと言で二人の間の空気が一気に険悪なものとなった。憎らしい……朝陽は作り笑いの裏で黒い感情を芽生えさせていた。抗えなかった側面はあるにせよ、自身よりも先に美空の心と体を奪い、本来自身が受け取るはずであった実母の愛情を余すところなく搾取したことさえも気に入らなくなってくる。

 一方の日向も苦い過去に探りを入れてきた朝陽に警戒心を抱き始めていた。美空とは大学時代から五年近く交際していたが、不本意な形で破局してしまったために小さな未練を燻らせたままであった。そこを不用意に突っつかれたことで防衛本能が働き、腹立たしい感情が沸き起こってくる。

「あなたは何気に恐ろしい方ですね」

 朝陽はそう言って白い歯を見せて笑いかけた。

「あなたほどやありません」

 日向は黒のバッグを持って席を立ち、伝票を指で摘んでからその場を後にする。朝陽は日向の背中に一切目もくれず、置き去られた紙袋を無表情のままぼんやりと眺めていた。

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