第6話

 中学の同窓会のため故郷の奈良に帰省していた影山日向は、今は叔母夫妻が暮している実家に身を寄せている。婚約パーティーで月島夏彦に連絡を寄越せと言われていたが、スケジュール的にその余裕は無いだろうと反故にしていた。ところが相手の方からコンタクトを取ってきて、わざわざ会社に電話をして帰省を知ったと言ってきた。

『奈良に戻るのなら連絡がほしいと言ったはずだが』

『そんな余裕ありませんので遠慮させて頂きました』

 まさか会社にかけるとは……日向は携帯電話番号を二つ表記してある意味が無いやんとため息を漏らす。

『今からそちらに向かう、四時間もあれば到着できるだろう』

『いえこっちにも都合ってもんが……』

 そう言い切らないうちに通話は切れ、上流階級者ならではの“何でも思い通りになって当たり前”的思考回路を見せてくる夏彦に苛立ちを感じていた。

『勝手なおっさんやな』

 日向はそう毒吐きながらも、そういう展開になってしまった以上仕方無く客人を迎える支度を始める。そう言えばあの人おかんと一緒に働いてたって……考えたくはなかったが、もしかすると深い関係だったのではないかともやもやした気持ちを抱えていた。昔の話やからええねんけど……そう思う直してみても、日向は夏彦という男がどうにも鼻持ちならなかった。

『あんな男の何がよかってんやろ?』

 彼には母の男の好みがどうにも理解できなかったが、そんなことをぐだぐだと考えているうちに月島夏彦この上なく厄介なおっさんが訪ねてくる。

『しばらく振りだね』

 パッと見だけ品性溢れる企業経営者は、どうぞと言わぬうちにさっさと玄関を上がっていく。夏彦は日向の案内も必要とせず仏間に入り、それで過去の関係性を悟った。

『家に来たこと、あるんですか?』

『もちろん、私たちは結婚を約束していたからね。それに際しここでご挨拶をさせて頂いたんだ』

 聞くんじゃなかった……日向の胸に後悔めいたものが渦巻いており、取り敢えず準備しておいたお茶だけ出して夏彦の動きを見つめている。一方の夏彦は日向の意に反してゆったりと寛いでおり、母の遺影を愛おしそうに眺めていた。

『あの、お仕事の方は宜しいんですか?』

 早よ帰れおっさんと念じながらそう訊ねたが、夏彦はにこやかな表情を浮かべて今日は全ての予定をキャンセルしたと答えた。何要らんことしてんねん……一刻も早く夏彦を追い出したい日向は心の中で舌打ちをする。

『俺この後予定があるので』

『そうか、せっかくだから一緒に食事でもと思っていたんだが……話しておきたいこともあってね』

『まだあるんですか?』

 念じるだけでは通用しそうにないと感じた彼は、失礼を承知で率直な思いを口に出した。しかし夏彦には全く通用していなかったと見え、何故か優しい視線を向けている。

『単刀直入に言おう、君は私の息子なんだ』

『は?』

 日向は影も形も似ていない夏彦から飛び出た言葉に眉をひそめた。

『一体何の冗談なんです?』

『冗談なんかじゃない、私とつばきは愛し合っていた。平成〇〇年十二月二十一日午前零時ちょうど、彼女は私との間にできた子を出産したんだ』

 夏彦は日向を愛しそうに見つめている。そのような視線を向けられたところで、これまでただの一度も顔すら合わせなかった自称父親が突如現れても迷惑でしかなかった。

『当時のことはよく憶えているよ、つばきに似た赤髪で口元にホクロがある男の子だった』

『それこそ冗談にしか聞こえません、誰の話してるんです?』

 日向は感慨深く話す目の前の男の言葉に違和を感じる。つばきは子供の頃から染髪を疑われるほどの赤髪だったという話は聞いたことがあった。しかし彼自身は赤髪ではないし口元にホクロも無い。

『口元のホクロは成長と共に消えたのかもしれない、髪の毛は黒く染めているんだろ?』

『染めてません』

『ならば左足中指にホクロがあるはずだ』

 無いものを無いと正直に答える日向に、夏彦は思い出せとばかり必死になって別の人物の特徴を挙げ始めた。

『ありません』

『体重は二千八百六十六グラムで……』

『二千五百二十九グラムです。もういいいい加減にしてもらえません?』

 日向はすっと立ち上がり、お引き取りくださいと続ける。しかし夏彦は現実を見ろと食い下がった。

『例え今更だと感じてもそれが真実なんだ日向』

『気安う名前で呼ばれる筋合いなんか無いわ!』

 これ以上話を聞きたくないと声を荒げて自称父親を名乗る企業経営者を睨みつける。

『本当は私に何かを感じてるはずなんだ! それこそが親子の繋がり、認めたくなくても目を背けてはならないんだ!』

『あるとしたら嫌悪感しか無い、さっさと出てってくれ』

 日向は怒りをぐっと堪えて静かな口調で言った。感情任せの熱いものから冷ややかなものに変わり、冷酷とも言える視線を夏彦に向ける。

『お前まさか……!』

 何かに気づいた夏彦の表情から余裕が消え、怯えとも憎悪とも取れる視線を投げ掛けると、逃げるようにして影山家を出て行った。その姿を見送った日向に疲労が襲い、その場にへたり込んで大きく息を吐く。何か疲れた……出掛ける気力を失った彼は夜の予定をキャンセルしてぼんやりと母の遺影を見つめていた。

『おかん……ホンマにあんな男愛しとったんか?』

 子供の頃から母に似なかったことに対する疑問は少なからずあった。しかし自身を愛してくれる家族に恵まれていたため、これまで父親を捜そうと考えたことは一度も無い。

『日向はお祖父ちゃんに似たんよ』

 しっかりとした黒髪と左利きは祖父と同じだったので、家族の言葉を信じ切っていた。しかし母が亡くなって十年も経ってから、上場企業の経営者が父親だと名乗ってきたことに動揺を隠しきれない日向は、もしかしたら何かが見つかるような気がして生前母が使っていた部屋へと移動する。

 つばきの部屋は時々叔母が掃除に入っていたが、基本的な配置は十年間そのままにしてあった。七回忌以降は大掛かりな整理等をしていなかったなと、早速押入れとクローゼットを開けて遺品の物色を始める。この作業は過去に何度か行っているため、ほとんどの物に見覚えがあって目新しさは感じなかった。

『んっ?』

 日向は押入れ上段の天井の板が一枚だけ、不自然に新しいものであることに気付く。いつからやろか? それが気になって押入れによじ登り、その板に手をかけると簡単にずれが生じたのでゆっくりとスライドさせた。

『こんなんなってたんやな』

 彼は興味の向くまま弾みでできた四角い穴に首を入れるが、屋根裏といえる場となるので視界は真っ暗で何も見えない。そこでポケットに入れていたスマートフォンのライト機能を使って点灯させると、さほど大きくない段ボール箱が一つひっそりと置かれていた。

『何やこれ?』

 日向は両腕を入れてそれを取り出し、埃と蜘蛛の巣にまみれた箱を近くにあるハンディモップで拭く。それなりに重みのあるそれを小さなテーブルの上に置き、やや緊張感を持って開梱すると分厚い冊子の入った紙袋が収まっていた。

 アルバム? 重厚感のある表紙を開くと自身のものとは違う赤子の成長記録のようで、体重二千八百六十六グラムに視線が止まる。日向の母子手帳は生後間もない時期の記録が修正まみれで、つばきは看護師が隣の子の記録を書き移していたと話していたことを思い出した。

『多分違う……』

 日向は一旦アルバムを閉じて散らかしていた母の遺品を元に戻すと、天井裏で見つけた段ボール箱を持って自身の部屋に移動する。子供の頃に使っていた学習机の引き出しから母子手帳を引っ張り出して修正まみれのページと照合すると、修正前の記帳とアルバムに記された記録が全く同じだったことで疑問が確証に変わってしまった。

 それはどこかで覚悟していたのか、想像していたほどの動揺は無かった。ただこれは誰の成長記録なんや? それが気になって次のページをめくると、夏彦が言っていた赤髪と口元にホクロのある赤子と生後間もない自身が並んで写っている写真が貼り付けられている。

 赤髪、口元にホクロ……その特徴を持った赤子には見覚えがあった。もしかしてと思いながら次へ次へとページをめくっていくと、確実に知っている男性の姿に行き当たる。その成長記録は高校の卒業式で止まっていたが、母がその時期に亡くなっているので、自然とやり取りが止まったのであろうと容易に想像できた。

『これはどないしたらええんや?』

 日向は若かりし日の月島朝陽の写真を前にどうしたらよいのか分からなくなる。ひょっとしたら知ってる可能性もある……そう思い直すには多少残酷な気もしたが、それでも知る権利はあるように感じられて、叔母夫婦には取り敢えず内緒にして持ち出すことだけは決定した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る