第5話
婚約パーティーを終え、朝陽と美空の周囲はにわかにざわつきを見せ始めていた。企業経営者の息子とはいえ一般人である彼は、なぜ自分たちの結婚話に色めき立てるのか? と不思議でならなかった。それに巻き込まれてあれやこれやと詮索される美空はこのところ精神的な不調が見られ、それに対しても申し訳ない気持ちが湧き上がる。
『ちょっと気晴らしに二人で出掛けない?』
金曜日の夜を狙って高層ビルのレストランで夜景を眺めながら食事をしようと計画を立て、二人きりで過ごせる時間を楽しみにしていた。ところが当日の昼過ぎに美空が職場で倒れて早退したと出先で聞かされた。
婚約者の容態が気になる朝陽は上司に直帰退社の許可を得て、営業先からそのまま美空の自宅に向かう。何か食べた方がいいのかな? お坊ちゃま育ちで料理などほとんどできない朝陽は、取り敢えず水とレトルトのお粥を買って見舞いとして渡すことにした。
「どう? 調子は」
「ごめんなさい、こんなことになって……」
美空は弱々しい口調でそう言った。
「そんなの気にしなくていいよ。それより何か、食べる?」
それに対しては首を横に振る美空。
「気が向いたら食べて、レトルトなんだけど」
「えぇ、ありがとう」
彼女は何とか頭を起こして朝陽に礼を述べる。
「ご実家に連絡、しておいた方がいいかもね」
「後でメールしておくつもり。続くようなら病院に行ってくる」
「それがいいよ、必要なら付き添うから」
朝陽はそう言ったが、彼女は自分のことは自分でする性分なのできっと頼ってこないだろうと考えていた。
「今は休んだ方がいい、話すだけでも疲れるだろうから」
朝陽は顔色の悪い美空をベッドに寝かせ、また来るねと言って帰宅することにしたのだった。
帰宅後普段通り自宅で家政婦お手製の夕飯で腹を満たし、急に無くなった予定に虚無感を覚える。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でございます」
やっぱり容態が気になるな……朝陽はさっと席を立って部屋に戻ろうとすると一枚の紙切れが落ちているのを見つけた。
「んっ?」
それを手に取ると紙切れというには分厚く写真だと感触で気付く。なぜこんな所に? そう思って拾い上げ、裏返っているので何の気無しにひっくり返すと先日婚約パーティーで出会った取引先社員の男性が写っていた。
どうして家に影山さんの写真があるの? その疑問が真っ先に浮かぶ。見た感じスーツではなくブレザー姿で、恐らく高校生くらいの頃のものであろうと推察はできたが、なぜ日向が写っている写真がここにあるのか全く理解できなかった。
そもそも誰のだろう? そう思ったが今は美空のことが気になる朝陽は、部屋に戻ってケータイを掴む。一度メールを送っても反応が無く、履歴を残すだけのつもりで通話発信してみたが、体調不良にも関わらず何度かけ直しても話し中であった。
婚約者への通話発信を一旦諦めた朝陽は、気分を変えようと風呂に入る。そうしたことで写真の疑惑が再浮上し、美空のことよりもそちらが気になって仕方がなくなった。彼女の場合ご実家からの連絡で長話しているかも知れないと割り切ることにし、名刺アプリで日向の連絡先を探し当てて仕事以外で初めて通話発信を試みる。
「次の休みにお会いできませんか?」
『実は俺もあなたに用ができたんです』
日向もそう言って誘いに応じた。それから数日後の土曜日に午前中だけ仕事だという日向の都合に合わせ、取引先の最寄り駅にある喫茶店で待ち合わせをする。朝陽は先日拾った写真を持参しており、事実確認がてらこの県に関する情報をどれだけ持っているのかを探るつもりでいた。
「お待たせしてすみません」
日向はスーツ姿でやって来た、違和を感じる重たげな紙袋を手にしている状態で。
「いえ、突然お呼び立てしたのは僕の方なので」
朝陽は向かいの席を勧めて近くで待機しているウェイトレスに声を掛ける。
「コーヒーで宜しいですか?」
「アイスをお願いします」
「僕はホットコーヒーを」
「かしこまりました」
彼女はオーダーを取ると丁寧な一礼をして厨房に入った。朝陽はウェイトレスの背中をひとしきり視線で追ってから向かいの席に座っている日向に顔を向ける。
「先日は私事の催しにわざわざお立ち寄り頂きありがとうございました」
「いえ、こちらこそ途中退席失礼致しました」
二人は腹を探るような視線を向け合いながら雑談を始めた。朝陽はポケットに入れている写真を、日向は不自然に重苦しい紙袋を触りながら本題に入る機会を伺っている。
「影山さん」
「はい」
「こうして時を稼ぐのも何だか洒落臭いですね」
朝陽は自宅で拾った写真をテーブルに置いた。
「似たようなことを考えてたみたいですね、お互いに」
日向は関西弁訛りでそう言ってから、先程からしきりに触っていた紙袋をテーブルの上に移動させる。彼も何かに気付いているみたいだ……朝陽はそれを受け取って中を覗き込むと、一冊のアルバムと手紙の束が入っていた。日向もまたひっそりと置かれている写真を手に取ってじっと見つめている。
「それ、あなたですよね?」
「えぇ、高校の修学旅行時のものやと思います」
なぜあなたがそれを持っているのか? 日向は朝陽に向けそう訊ねることは無かった。きっとこの紙袋の中にその答えの一端があるのだろ……朝陽はアルバムを抜き取って見開きページを開く。
【平成〇〇年十二月二十一日(▼)午前零時零分 晴れ 体重二千八百六十六グラム 身長五十一センチ 胸囲三十二.四センチ 頭囲三十三センチ】
自身の出生記録をこのような形で目にすると、まるで別の人間のものを見ているような感覚に陥っていた。その感覚に浸ったまま次のページをめくると、左の首筋にアザのある赤子と赤髪で口元にホクロのある赤子だった自身が並んで写っている写真が貼り付けられている。こんなの初めて見る……朝陽は写真を見つめている日向に視線を移すと、これまで気付かなかった首筋のアザを見つけて知らなかった接点の記録を知った。
「お待たせ致しました」
先ほどと同じウェイトレスがホットコーヒーとアイスコーヒーを持ってきて、やや日向寄りの空きスペースにグラスとカップを置く。アルバムに夢中になっている朝陽に代わって日向がどうもと応じ、彼女はごゆっくりと一礼してすっと移動していった。日向はコーヒーカップを朝陽のそばまで寄せると、自身がオーダーしたアイスコーヒーにストローを突っ込んで、ブラックのまま早速一口飲む。
朝陽は別の場所で刻まれてきた自身の成長記録に目が離せなくなっていた。そこに写っている彼は上等な服を着て、どう見ても恵まれた環境で育った裕福な少年にしか見えなかった。これを見た人たちは間違いなく順風満帆な人生を送っていると思っているんだろうな……しかし実際は両親の愛情が慢性的に枯渇している状態で、特に父夏彦は家庭というものに全く興味が無いといった感じであった。
朝陽には父と何かをしたという記憶がほとんど無く、学校行事関連も仕事を理由に一度も来てもらえず、父親参観も雪乃か男性のお手伝いが代役で参観していた。勉強の一つも教えてもらえなかった、玩具で遊んだことも無い、入学、卒業、合格発表といった節目行事でさえも同行したことが無い……それが朝陽にとっての“家庭”であった。
家族旅行も雪乃とお手伝いと一緒であるのが常で、ごくたまに母方の祖父母が同行することがあった程度だったと記憶している。目の前にいる男性は少なからずこれを見ているはずだ、それが気になって顔を上げると、偶然なのか日向も朝陽の方に視線を向けていた。
「影山さん」
「はい」
僕はどう映っていましたか? そう訊ねてみたい気持ちはあれど、掘り下げてほしくもないのでどこにあったのか? と無難な問いに留めておく。
「実家です」
「どちらなんです?」
「奈良です」
それで関西弁なのかと朝陽は密かに納得した。
「いつ見つけられたんです?」
「先週末です」
日向は中学の同窓会で一時帰省していたと答えたが、正直理由などどうでもよかったのでそれに対する返事はしない。
「それまでこのことはご存知でしたか?」
「いえ」
日向は少し間を置いてからすっと目を伏せた。
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