空の向こう側

 ミツバの望んだ切欠は、上空から。


「なんだ?」

「あぁ?」

「……?」


 三者がそれぞれに、視線をソウジの後方から鳴る音へと向ける。

 音の地点に転がっていたのは長年の間、使い古されてきた金槌。持ち手部分をも不銹鋼ふしゅうこうで加工された、刀鍛冶の得物。

 続いて鳴るは、幽鬼の如き浮遊感を漂わせて壁を蹴る一つの着流し服。


「あぁ、失敬。どうやら取り込み中のようで」

「タカナ、シ……なんだよ、いいところだったん、だぞ……」

「……えぇ、タカナシです」


 着地した幽鬼は足元に転がった商売道具を手に取り、謝罪を示した。

 熱狂に染まった刃を一度止めてしまえば、思考は急速に冷静さを取り戻す。

 佐刀は大きく深呼吸をすると、背を丸めて睨みつけるソウジから距離を取った。尤も、彼自身も背後に下がる足取りがほつれて壁に寄りかかるが。

 そして剣戟の乱舞が幕を閉じれば、第三者が介入する余地がある。


「ここらで決闘は中断してもらおうか。もしくは、ミツバを交えて二対一だ」


 佐刀の背後に着地したミツバは、黒槍の穂先を彼に注ぐ。

 小指一つ動かそうものなら、穂先の描く軌跡に新たな華が咲き誇る。血を栄養として満開の色付きを見せる、血染華が。


「青龍隊ってのは、矜持ってのがないのか……?」

「生憎と、ミツバは平民の出でな。勝ちの目には貪欲なのだ」

「ミツバ……下がって下さい。まだ、僕は……!」

「そんな斬られても血が出るか怪しい顔色じゃ、説得力も何もないぞ」


 掌を貫くことで一つ。

 佐刀が自傷したことでもう一つ。

 既にソウジの心的外傷に触れることが二度も起きた。その上、一度は彼自身が肉体を貫く形で。

 彼の精神が限界に近づいていることは明白であり、仮にミツバでなくとも理解しうる。故に佐刀も勝機と断じたのだろう。

 だからこそ、ミツバが出張る。

 狂乱の剣戟に、幕を引くために。


「チッ……分かりましたよ。

 ここは引き分け。俺は無罪で、大金をせしめることもなくなった、と……」

「勝手に、決めないで下さ……」

「それでいい。特に金を取らない所がいい」


 渋々、といった声色で納刀し、佐刀は壁に寄り添って座り込む。

 その仕草に安心したのか、ミツバも警戒を緩めて槍の穂先を地面へと向けた。

 一人納得がいっていないソウジであったが、対立する佐刀が刀を収めてはどうしようもない。荒い呼吸を繰り返して刀を鞘へと戻す。


「で、そうなると出歯亀してた……タカナシはいったい、何の用だったんです……?」

「酷い言い方ですね。僕は佐刀に用が合ったんですよ」

「俺に……と、なるとまさか、出来たのか?」


 自身に用があると聞き、佐刀は一つの当てが脳裏を過った。

 そしてそれが正解だと示すように、タカナシは人差し指を立てる。


「ご名答。コトリが打った、君のための名刀です」

「そら、歩けるか、ソウジ」

「え、えぇ……」


 ミツバが肩を貸し、応じたソウジが寄りかかる。

 情けない姿だな、と嘲笑の色を見せる佐刀を睥睨するも、ソウジ自身も脳内物質が沈静化している今、これ以上の無理は行えない。

 相方からの無念の気配を感じ取ったのか、代わりに視線を向けたのはミツバ。


「可哀そうな奴だな。困った時にも独りぼっちとは」


 舌を出す彼女に間の抜けた顔を向けるも、一瞬にして佐刀は鋭利な眼光を注ぐ。だが、相手は意に介する余地も見せずに視線を正面へと戻した。


「下手人、は……」

「語り烏がもうじき誰かを連れて来てくれるさ」


 どうせ毒で動けぬしな、と付け加えると、ミツバはソウジを支えた状態で現場を後にした。



 晴天に翳りを見せる曇天は、輝かしき未来を閉ざす不幸の前触れを彷彿とさせた。鼠色に変色した空を見上げ、後数分遅れていれば折角の門出が不吉で終わっていたなとマドカは内心で安堵の息を吐き出す。


「報告します。墨田区で発生した辻斬り事件の下手人は、ソウジ名誉大尉とミツバ中尉両名の手で捕縛しました。現在、警備隊墨田区支部に連行し事情聴取を執り行っている模様」

「ありがとう」


 青龍隊お披露目の式典も終わり、会場の清掃が行われる中でマドカは部下からの報告に礼を述べる。

 既に今月だけで先月の倍以上の辻斬り事件が引き起こされている。終戦記念の式典を前に治安の悪化は憂慮すべき案件であるが、同時に奇妙でもあった。


「例の薬物については確認できたか」

「はい。なんでも、憂国軍拡同盟とやらに辻斬りの報酬としてもらったと」

「またその組織か……」


 頻発している辻斬り事件の裏で尻尾を覗かせる組織、薬物を下手人達にばら撒き警備隊を煙に巻く存在こそが、憂国軍拡同盟。

 彼らの目的こそ現段階では不明だが、活発化している時期から考慮して式典に合わせて何かを起こそうとしているのは明白。

 だがその何かとは何か。

 マドカには絵図を完成させる最後の一欠片の予想こそつけども、確信が持てない。


「現状の動きが本命のための攪乱として、本命とは……」


 帝都中に警備隊を配置させることで手薄になる首都部への攻撃。

 逆に警備隊の疲弊そのものを目的とした消耗戦。

 もしくは式典に集まる客人の一掃。

 選択肢が多く、かといって予想を絞るには外れた時の被害が甚大。いずれにせよ、判断材料とすべき要素が現状では少な過ぎる。

 あるいは、そも市井の不安を煽ること自体が目的の愉快犯。自らを演劇の主人公という深刻な思い違いをしている線すらもあり得ない話ではない。

 ならば、その名を市民に知れ渡らせる訳にはいかない。


「憂国軍拡同盟の名は出さないよう、新聞各社には連絡しといてくれ。私はシラキヤ氏と会談して、奴らがばら撒いている薬物の出自を追及する」

「分かりました」


 同盟が流通させている薬物は舌から摂取する紙面状の代物。何度か未使用の薬物を確保した機会に成分を調査した所、成分構造さえも吉原支部のものと同一であると判明している。

 一月前に吉原支部で起こった薬物流通問題との関連を疑ってしまうのは、人として自然な発想であろう。

 シラキヤの言を信じようにも薬物の流通量が異常で共通点も漁る程現れるとくれば、疑わざるを得ない。


「青龍隊の運営資金や語り烏を提供する企業が、わざわざ同盟に手を貸すとも思えんが」


 そう、幕府の治安維持組織という安定した取引相手を持った企業が、わざわざ真逆の治安を脅かす存在に手を貸すとは思えない。

 得はあるのかもしれない。単純に複数の組織と取引を行うというのは、別の特定組織が取引不可能に陥っても別の組織と取引すればいい分、一組織と強引かつ下に見られる心配もないのだから。

 だが、ともすれば上層部一掃の大不祥事に繋がりかねない組織となど、損が大き過ぎるであろう。

 少なくとも、マドカには理解できない概念である。


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