24話
先に仕掛けたのは、開戦の号砲と同時に駆け出した佐刀。
摺り足で時間をかけた間合いの取り合いなど不要、全速力で駆け抜けて一瞬で決着を図る。
元より人三人が並べるかどうかの路地裏では、刀を無遠慮に振り回すのも不安が残る。最悪の場合、刀の切先が壁面に引っかかり多大な隙を晒しかねない。付け加えるならば佐刀自身も廊下での戦いならともかく、路地裏での戦いは初体験。
だからこその、前傾姿勢による速攻戦術。
「ふぅ……」
一方、ソウジは殊更ゆっくりと息を吐き出して待ち構える。
佐刀の方から向かって来るのだから、無理な攻め手に転じるよりも迎撃に徹すればいい。
敵の動きを読み、静止点に刃を置けばそれで終い。晴眼を以って見据えれば、何ら問題なく実行できる。
地を這う蛇が如き軌道で迫る佐刀に、ソウジは切先と視線を離さない。
しかして距離だけは加速度的に縮まり、やがては刀の間合いにまで詰まる。
「そらぁッ」
佐刀、前傾姿勢を崩さぬままに横薙ぎの一閃。
ソウジの間に散る火花は甲高い音を路地裏に響かせた。押し込めぬのは、刃を潰した刀身で受け止められた証左。
「鈍使いが、一端に剣士を気取るのかッ……?」
「殺人鬼が、それを言いますかッ!」
互いの感情を乗せ、二振りの刀が鍔競り合う。
均衡を崩すは、やはり佐刀。
手首を捻って小太刀の角度を変え、ソウジの刃と垂直に合わせる。
するとどうなるか、答えは単純。
潰れた刃の上を滑走する刀が、ソウジの首元へと迫る。万が一は鍔が妨げるものの、そこから更なる追撃が来ないとも限らない。
故に、ソウジは支えるために峰へ添えていた左手で刀身を押し、更に右手を跳ねさせて刃を振るう。
「なッ……!」
結果、佐刀は不意に跳ね上がった刀に引っ張られる形で体勢を崩して莫大な隙を晒す。
驚愕の視線の先には、改めて片腕で刀を引き絞るソウジ。
刺突、と気づくことができても反応できる部位には限りがある。
「──ふッ!」
短く息を吐き、ソウジの握る刀が音の壁を突き穿つ。
漆黒の着物は防刃加工されていれば厄介、四肢も同様、なれば狙うは首筋。
乾いた破裂音を置き去りに放たれた一刀が、肉を貫く生々しい感触を手にまで届けた。
「貴方、なに、をッ……!」
「心配御無用……」
ソウジの刀は佐刀が咄嗟に突き出した左手を貫くも、根元まで押し込まれたせいで鍔を掴まれ引き抜くことが出来ない。肝心の首筋には、掌で邪魔した甲斐もあり切先が一寸届かない。
顔を蒼白で染め上げるソウジとは裏腹に、左手から血を滴らせて佐刀は口元に狂気を宿らせた。
相手は得物の自由を失い、表情も平常とは言い難い。刀身を通じて伝わる震えは、傷口を僅かに広げるがそれ以上に彼が抱える負の感情の深刻さを理解させる。
「どうせあんまり痛がらない
「クッ……!」
乱暴に振り下ろした袈裟掛けの一撃こそ、慌てたソウジの足捌きで隊服を掠める程度。しかして、代償として奴は刀を手放している。
「フーッ……フーッ……ッんぐ!」
「どうしたよ。そんなに気持ち悪いか、これ」
掌に食い込んだ刀を引き抜き、佐刀は口を覆う手の隙間から吐瀉物を滲ませるソウジへ問いかけた。
別に回答を期待している訳ではない。ただ目尻にうっすらと涙を浮かべる彼の姿が奇妙に思えたから聞いてみただけの話。
自らの血が滴る刀を後方へ投げると、佐刀は小太刀を再度構える。
「まぁ、どうでもいいか」
短く斬り捨て、再び路地裏を疾走。
今にも吐き出しそうな少年の姿はまさしく隙だらけ。一瞥しても予備の得物は見当たらず、精々は先程手放した刀を納めていた鞘で迎撃を図る程度か。
なれば、ソウジの現状に於いて恐れるものなどどこにもあらず。
まずは刀の間合いで一閃。
取り回しの関係で刀身の短い小太刀の特徴が、路地裏という左右に狭い戦場に噛み合っている。だからこそ、道の中心であらば、横薙ぎに振るっても壁面をなぞる心配はない。
「クッ、うぅ……!」
高速で振るわれる殺意に、ソウジはしゃがむことで対応。頭上数寸の地点を刃が通過し、逃げ遅れた髪が数本宙を舞う。
滑り込むことで佐刀の側面をすり抜けると、ソウジは腕を伸ばして地に転がる刀を求めた。
己が武器もなしに濃密な殺意に応じることなど叶うまい。
「逃がすかよッ!」
「つッ……!」
しかして地を薙ぐ一閃に遮られ、ソウジは慌てて右手を引き戻す。
佐刀としても、敵の武器なしという圧倒的優位を逃す手はない。多少の無理を押してでも状況の維持に努めるのが正しい戦術というもの。
「いっそ我慢せずにさぁ、口と一緒に腹からもぶちまけようぜッ!」
「……下郎が」
体重を乗せて斜め下方へ振るわれる刃を、腰から引き抜いた鞘でソウジは応じる。
正面から受け止めれば簡単に鞘が両断され、彼自身の血で路地裏を穢すことになるだろう。それを回避するため、鞘と刀身が触れ合う刹那に角度を細かく制動し、籠められる力を受け流す。
一月の修行と幾らかの実戦では大まかな挙動や剣術、勝負勘を磨けるだろうが、微に入り細を穿つ技術までは体得できない。
「こ、の、ぉッ」
「まだ、か……!」
小太刀と鞘の異色の剣戟が、鈍い音と共に奏でられる。
折に触れて上下運動や瞬間的な足捌きで死角から刃を振るうも、ソウジはそれすらも紙一重で対応し鞘や最小限の掠り傷に抑えた。
単に死角を取るだけではなくもう一押し、決定打が必要なのだが周囲の面積が足捌きを妨げる。小太刀を担うからこそ致命的な不利には陥らないが、このままでは削り合いの持久戦。
「しつこいんだ、よ……?」
唐突に、言葉が詰まる。
身体に鉛にも等しい重力が加わり、取り込む空気に重鈍なものが混ざる。
視界が不規則に明滅し、口の端から蟹の如く泡が零れ出すに至り、佐刀は渋々ソウジから距離を取った。しかして足の制動が電気信号を拒否し、たたらを踏んだ挙げ句に片膝をつく。
「なん、だ……これッ……!」
足を止めれば明滅は収まるどころか加速の一途を辿り、小太刀を床に突きつけて漸く姿勢を安定させる。
間にソウジは脇をすり抜け、落ちていた刀を拾い上げるも佐刀は振り返ることすら困難。
何せどれだけ呼吸を荒くしても、四肢の末端が徐々に薄い紫へ変色するのを止められないのだ。
「ニューディ家は元来、薬学の方面で成果を上げていた家でして」
場違い気味に始まる話は、ソウジが抱いた嘔吐感を誤魔化す意味も含めて。
「たとえば、末端血管を拡張することで血液の循環を改善する漢方薬。
本来極めて高い毒性を有した原料の毒素を落とすため、特殊な機材を使用した加圧処理を行います。が、これには湿度や時間の微細な調整が必須であり、高度かつ専門的な知識を必要とします。
そしてその知識を応用することで、毒としての性能を調整することもまた、可能」
粉粒一つにも満たぬ僅かな摂取量で数秒後の死が確定する猛毒を、捕縛や拷問などの用途に応じた効能へと変換することは容易い。技術が体系化された現在では、少なくとも意欲さえあらば誰でも習い修めることが可能な程度には。
「僕の刀の切先には、そうして加工した毒が常に付着しています。
掌を、あそこまで貫通した上で出血まで加われば、本来の適量よりも巡りは悪いでしょうが。それでも立ち上がるのも億劫なのではないでしょうか」
「なる、ほど……鈍じゃ、なくて毒使いって訳か……!」
佐刀は刀を杖代わりにして立ち上がろうとするも、呼吸の乱れた状態では身体の節々にまで力が行き渡らない。
立ち上がれない、立ち上がらない。流れる汗だけが無為に量を増やし、口から零れる泡も増加の一途を辿る。如何に目を見開こうとも結末は不変。
「もう止めましょう、これ以上の抵抗は無意味です」
「はぁ……勝手に決めんな、よ……!」
左手を硬く握り締めるも、出血が多少加速する程度で効果はなし。
有効な抵抗はないと判断したのか、ソウジは距離を詰める。
足か腕。いずれでもいいから四肢をもう一突きすれば、先の下手人同様に毒が全身に行き渡り肉体が駆動を停止する。そうすれば事実上の勝利、晴れて佐刀鞘は独房行きである。
抵抗を諦めたのか、佐刀も刀を地面から引き抜き、ふらつく刃先を首筋へと当てた。
「自害など逃げです。素直に罪を償い、そして更生の道を──」
「うっせぇん、だよ……毒使いがぁッ!」
「止めッ……!」
ソウジの静止を振り切り、着物の上半身をはだけさせると間髪入れずに胴体を袈裟斬り。骨には至らぬように浅く斬り込んだつもりだが、それでも視界を埋め尽くす鮮血にはさしもの佐刀も動揺を隠せない。
強引な毒抜きは全身に回る血液自体の不足を招くが、それでも思考は鮮明さを取り戻す。
覚束ない足取りで立ち上がり、背に立つソウジへと向き直る。
「う、う゛ぉぁ……!」
「おいおい、斬られた方よりビビるのは違うんじゃないかぁ。なぁ……?」
上半身を穢す滝の如き大出血と生々しい切り傷はソウジの口から吐瀉物を誘発する。だが佐刀も身体を仰け反らせて半ば無理矢理立ち上がっている状態。
自主的か否かの差こそあれども、両者共に深刻な無理をしているのは明白。
切先を向ける佐刀の仕草も亡霊の仕草に程近く、刀紋にも自身の血が少なからず滴る。
「そぉら、さっさと決着つけようぜ……ハハ」
「化外が……うッ」
かたや自らの出血、かたや自身の内面。
互いに与えた傷よりも深刻な傷を自主的に帯び、並び立つ剣士は刃を向ける。
駆け出すは同時。辛うじて教えを遵守した歩法は成立したものの、そんなもの本来は無意識に行って然るべき。意識的に実行しなければならない時点で両者の疲弊が窺い知れた。
剣戟の音が鳴る。火花が舞い散り、軌跡が光源に欠けた路地裏を照らす。
正面から打ち合い、力任せに斬撃を見舞う佐刀。
正面から応じ、精彩に欠けた刀捌きで切先を突き出すソウジ。
「貴方のような、悪鬼に……負けるかぁッ」
「刀握って何抜かしてんだよ、あぁッ?!」
歯を食い縛り、延々と込み上げ続ける嘔吐感を噛み殺す。
目が据わり、ただソウジと彼が振るう刃の軌跡のみを睨む。
技術の介在する余地のない、極短距離の連打戦に至れば最早勝敗を分けるは互いの感情。
「こちとら我道の部下に殺されかけたんだッ。逃げる途中に何人ぶっ殺そうが関係ねぇだろうがッ!
それとも俺もフタバもあそこで死ねば良かったとでも抜かすか、えぇ、おいッ?!」
「貴方は……人を殺す口実が欲しいだけだろッ!!!」
浅葱の隊服に刻まれる擦過傷。防刃加工だろうとも何度も斬られれば繊維が痛み、やがてはほつれを覗かせる。
しかして、漆黒の着物に刻まれる傷は僅か。
感情の赴くままに刃の奔流を浴びせ続ける佐刀に対して、ソウジは刀身の大部分の刃を潰しているせいで有効打を打ち難いのだ。距離を詰められた状態で刺突を挟めば、その隙に佐刀は乱舞でソウジの肉体を粉微塵とするだろう。
「む、こうなると不味いな」
現場で唯一正気を保っていたミツバは、黒槍の上から現状に不服な顔を浮かべる。
贔屓目を抜きにすれば、趨勢は佐刀へ大きく傾いている。
足元に血溜まりを形成する程の出血をしているが、精神の変調を表面で保つことすらできないソウジと比べれば遥かに上等。振るう剣戟の軌跡だけを摘出しても、差は歴然。
本音を言えば、決闘に介入して中断なり何なりしたい所であるが、現状では切欠に欠ける。
如何に知り合いと言えども、負けそうだから相手の許可も取らずに乱入しましたでは道理が通らない。だが脳内物質が垂れ流しで極度の興奮状態に陥っている佐刀が応じるかなど言うに及ばず。
「さて、何か切欠はないものか」
どこか緊張感に欠ける声色で、だが内心では苦虫を数匹噛み潰してミツバは、二人の決闘を見下ろした。
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