邂逅
雲一つない晴天は、さながら今日より正式に新設となる隊を祝福するかのように。
帝都の中央区には現在、多数の人々でごった返していた。
祝日には歩行者天国として開放されている車道にて待ち受ける大衆の注目が集まる先には、数週間前から着々と準備が進められていた大舞台。最奥からでも覗けるようにと設けられた舞台は、準備の甲斐もあり今や人々の視線を一身に浴びている。
壇上に立つは浅葱の隊服を纏った総勢六四と三名。
横断幕に掲げられた墨字は、『青龍隊発足記念式典』
「今日はこの記念すべき日を青空で迎えられて誠に感謝しています」
規律よく並ぶ部隊員より一歩前に立つは、青の陣羽織を羽織った青年。四九代目当主兼幕府直轄奉所警備隊局長にして、その分隊である青龍隊の指揮も仰せつかっているマドカ・タ・セーデキムは、予め用意していた文章を淀みなき読み進める。
尤も、原稿は彼の脳内に押し込められているが。
「眠い……」
「コラ、佐刀」
「っと、ごめんごめん」
大衆の一角、貴族が腰を下して並ぶ場に眠り眼を擦る佐刀鞘。そしてともすれば夢の世界へ旅立とうとする彼を小声で叱責するフタバ・タ・セーデキムがいた。
警備隊から人員を都合させた分隊、という扱いで設立した青龍隊の演説を任せられたマドカ。その親族としてフタバには式典に専用の客席を用意され、折角だからと佐刀も便乗したため椅子が連なっている。
貴族が腰を下す椅子、というのは実に尻の心地がいい。背もたれに用いる座布団もまた、適度に身体を埋めさせる。
それらが相乗し、佐刀の目蓋に再び鉛が籠る。
「起きてよ」
「痛ッ」
「全く……何のために来たのさ」
脇を軽く殴り怒気を声に混ぜるフタバであるが、佐刀として彼女が行くならと便乗したに過ぎない。
青龍隊自体や演説内容などどうでもよく、式典に到着した時点で目的の八割は達成しているといっても過言ではない。
だが、あまり粗相をしてはわざわざ席を用意してくれたフタバにも悪いか。
頭を一振りすると、佐刀も意識を演説へと向ける。
「この頃多発する辻斬り事件、市井への薬物汚染は一重に、我ら統治機構である警備隊や幕府への信頼が失墜している証左だと慚愧の思いを抱えております。
我々が人々の信頼を裏切ることさえなければ、安易な人斬りに走る者や薬物に逃げる者も皆無であったというのに……」
言葉に詰まり、目尻から常ならぬ水を流すマドカの姿は、大衆の胸を打ちフタバの心に沈鬱なものを抱えさせる。
ただ冷めた眼差しを向ける佐刀だけが、彼の流した涙を演技だと看破した。
顔色の一つも変化を見せていない。如何に紡ぐ言葉の調子を変えようとも、顔から血の気が引かなければ、逆に高揚で頬が赤くもならない。汗の一つもかかなければ、震える身体も嫌に調子が整っている。
演説とは衆目監視の中で執り行われる一人芝居である、とは誰の弁であったか。
移転前に小耳に挟んだ程度の言葉ではあるが、どうも人が世界を形作る以上は異世界だろうとも不変の要素がいくつかあるらしい。
「ただ警備隊の人員を徒に増加させるのではなく、彼らから高度な作戦が行える人員を幾人か選抜し、少数故に多数では行い難い作戦行動を展開する。
それこそが、青龍隊の基本理念であります」
佐刀としては退屈な言葉の羅列だが、しかして視界の端に収まる要素に面白味が見出せる。
舞台の後方で鎮座している高官の一人に近づく役人。
何かを小耳に挟んでいるようだが、当然の話として内容は佐刀の鼓膜を揺さぶらない。やがて高官も言葉を幾つか紡ぐと、役人は足早に浅葱の隊服へと接近。
後ろ端、大衆からは視界に入れ辛い位置の人材。何か仕事であろうか。
「少し、面白くなりそうだな」
「何、佐刀?」
「ちょっと厠に行ってきますわ」
「えぇ……それはいいけど、あんまり目立たないように動いてよ」
へいへい、と簡単に返答し、佐刀は会釈をしながら椅子を後にする。
幸いにして、貴族の椅子は会場の右端。少し意識すれば役人と会話している連中を視界に収めたままで移動できる。
「終戦記念の式典も一週間に控えた現在、警備隊、青龍隊、そして市民の方々が一体となった姿勢を示すことこそが何よりの警備体制であると私は確信しております」
晴天を切り裂き、鳩が空を切る。
口を開き鳴く声は、人の言葉を模したもの。
『式典は好調、式典は好調ッ。マドカ・タ・セーデキムが終戦記念の式典を意識した演説を行った模様、模様!』
薬物流通問題発覚当日、多くの語り烏が外壁に開いた穴から吉原支部を脱出し、幾らかを警備隊が確保した。烏の告げた証言を根拠とし、マドカは緊急で確保できる部隊を率いて吉原支部へ足を運んだののだ。
だが確保し切れなかった内の何割かは自然へと下り、残りは商社に溝を開けられていた通信会社が確保。
彼らは即座に烏の解析、解剖を行い、喉から手が出る程に欲していた鳥に人語を介させる技術を確保。常から対抗意識を燃やしていた別会社の内一つは、烏ではなく鳩に勝算を見出した。
語り鳩、として販売された鳥は語り烏よりも平和を連想しやすい外見から一躍脚光を浴び、別会社も二匹目の
鳩の鳴き声を他所に、狭い路地裏を抜けて先行する烏に導かれて駆けるは二人の浅葱。
ソウジ・ス・ニューディ。ミツバ・フジワラ。
彼らは記念式典の最中、大衆から気づかれ難い最後尾に位置していたことが災いし、役人から報告を受けたのだ。
墨田区にて辻斬り事件が発生。現在警備隊が応戦しているが苦戦中、至急応援に向かわれたし。と。
「つけられてますね」
「……」
先に口を開いたのはソウジ。だがミツバにしても気づいてはいた。
気配を隠す努力もせず、安易に距離を取ればいいと追跡を軽視している手合いなど眼中にないと無視していただけで。
「邪魔なら仕留める」
「野次馬の可能性もありますし、駄目ですよ」
不快気な声色と共に背負った黒槍へ手を伸ばすミツバを制し、ソウジは思考を回す。
実力行使は論外でこそあるが、かといって警備隊と辻斬り犯が凌ぎを削る場へ野次馬を誘導することもまた問題。
「単純な加速……それとも二手に別れる……違う、いったいどうすれば」
語り烏は着実に目的地へと誘導している。悩む時間は十全に程遠く、即座に決めなくてはならない。
進行先に現れるは廃材を詰め込んだ
葛藤の時間などない。
すみません、お手数をかけます。
ソウジは心中で清掃業者へ謝罪すると、交差する瞬間に刀を一振り。
刃を潰しているといっても鉄棒で叩けば、紙を素材とした物質を破くのには十分。
正三角形を形成していた山は荒々しい逆袈裟の切り傷を晒し、一つ一つの梱包箱として崩壊。内に詰め込んだ硝子片や廃材を通路へぶちまける。
「これで少しは時間を稼げます。急ぎましょう!」
「了解」
「クッソ、気づかれてたかッ」
吐き捨てる佐刀の前には、道路一帯を占拠する梱包箱と硝子片と廃材の混沌領域。
廃材の中には釘や割れた刀身もあるため、靴を履いているからと無視出来る代物でもない。
多少の跳躍程度で被害を抑えられるとは思えず、かといって一歩一歩慎重に歩めば完全に見失う。
青龍隊の発足式典を抜け出して活動を開始した二人を追跡したまではいいものの、不意に加速したからこちらも足を早めればこれである。
「尾行の仕方なんぞ習ってねぇんだよ、こっちは!」
癇癪のままに壁面を蹴り、感触を確かめる。
返ってきたのは、硬い反発力を持った良質な赤煉瓦。経年劣化か、幾らかの亀裂や欠損も目立つが、満遍なく拡散している硝子片に比べれば容易極まる。
勢いを着けるために反転して幾らか距離を置くこと、一〇尺。
ゆっくりと駆け出すと、徐々に加速。
『足で動くというよりは重心、このままじゃ倒れちまうって危機感で動かす感じだ。足元なんざ不安定な方が都合もいいくらいだから踵なんざ浮かべるって寸法だ。
とはいえ、それで上手くいかない時もある』
回顧すべきは一月に渡る修行の日々。
山ごもり故に実践こそないものの、ミコガミが語ったことの一つに壁走りの極意があった。
『たとえば壁を足場として駆け抜ける時。こういう時は重力に任せてたら地面と接吻しちまうから、足の裏をこう、しっかりつける。
そして助走もそこそこに乗せた後は──』
「成功を確信してッ」
全力を以って駆け抜ける。
師の言葉を反芻し、佐刀は空中で身を捻ってしかと右足で壁に触れる。
そこから素早く左足で一歩先を蹴り上げ、更に右足で蹴り抜く。一歩を繰り返し、繰り返し、繰り返す。
頬を通過する風の心地よさに意識を傾けることもなく、佐刀はただ両足の裏から伝わる触感を信奉して全速力で走る。それでも視界の左側に道路の端が映る、という感覚は脳内での血の偏りと合わせて奇妙な味わいを秘めていた。
「もう、少しッ……!」
やがて加速は重力との均衡を保てず、佐刀の肉体は徐々に通路へと接近。
しかし、まだ安全地帯は数尺先。今落着すれば、顔面には夥しい硝子片が食い込むこととなる。
故に佐刀は叫び、自らを鼓舞した。
「おぉ……らッ!」
欠片の一片が額を掠った直後、佐刀は壁面を蹴打。反転した重力を利用してその身を回転させる。
真っ新な通路を踏み抜くは両の足。
初体験ながら成功したことは驚嘆。だが、青龍隊の二人を追尾している最中である以上、成功体験に浸っている時間も惜しい。
既に一定の距離を取られている。更に彼我の差が広がれば、いよいよ見失いかねない。
「逃がすかよォッ!」
佐刀の目に肉食獣めいた
追跡中、幾度目かも分からぬ指の骨が再び鳴る。
鼓膜を揺さぶる剣戟の音が鼓動を早める。刃の切先で通路を舐める音が血液に熱を籠める。軽やかな足捌きとそれを支える息遣いが漏れ出る呼気を白くする。
戦場への距離が確実に近づいているという実感が、佐刀の士気を無際限に向上させた。
そして角を曲がり──
「あぁ、なんとか野次馬到着までには決着をつけられましたね」
酩酊したかのように地面を転がる男と、男を下した浅葱の隊士を目撃した。
足元には欠片ばかりの流血と男が今も垂れ流している唾液。そして主の手を離れた一振りの真剣。
「残念ですが、この後に事後処理も控えてますのでお引き取りを」
癖の着いた白髪を揺らして浅葱の隊士──ソウジ・ス・ニューディは丁寧に帰宅を促す。
しかして、佐刀としても唯々諾々と彼の言葉に従う道理はない。
というよりも、仕方なしとはいえ、別の興味が生まれたのだ。
「その顔、もしかして吉原支部でマドカに同行してた剣士……?」
脳裏を過るは一月前。
我道の自室から一階まで下り、フタバと合流した後。大挙して待ち構えていた警備員と激突する寸前に割って入ってきた警備隊の内一人に、彼と似た容姿の人物がいたはずである。
佐刀の問いかけに、ソウジも当時の記憶を思い出す。
そう、血と臓物に溢れた惨劇を形成した張本人の姿を。
「……そういう貴方はあの時、吉原支部に侵入していた片割れですか」
「大正解。どうです、ここであったも何かの縁……
ここは一つ、刃を交えるというのは」
「そうやって、あの時も無益な殺戮を重ねたのですか」
「あ?」
情を籠めず、努めて平坦に。
怜悧な声色でソウジは、佐刀に無形の刃を突き立てる。
「薬物流通が発覚した日。一体どれだけの人命が吉原支部で失われたのか、知っていますか?」
「さぁ?
こちらが正当防衛なのは、そちらの上司であるマドカが証明して下さりましたが」
佐刀鞘は技術局局長である我道天才主導の襲撃に対する正当防衛として。
フタバ・タ・セーデキムは薬物製造の決定的証拠を掴まれたことによる口封じに対する正当防衛として。
それぞれがマドカの尽力によって立証されている。
実際の所、タカナシの言葉に誘われて自主的に最深部へ潜り込んだフタバに防衛権が発生するのかは不明だ。だが、そこは貴族としての名と功績でなんとかしたのかもしれない。
家族のためならば多少の無理は押し通すであろうという信頼が、マドカ・タ・セーデキムには抱けた。
「……マドカさんは家族にだけは判断が鈍るお方だ。
貴方を罪に問うとフタバさんが連鎖的に巻き込まれるから、正当防衛と断じた可能性もある。ならば別の形で断罪するのも一つの手段」
「ハッ、それは決闘を受けるという合図ですか?」
「ソウジ、今なら公務執行妨害で取れるぞ」
浅葱を纏ったもう一人──ミツバが黒槍を掴み、冷や水の如き提言。
彼らは幕府の公的機関の一つ、青龍隊。元より佐刀の挑発に乗る必要などなく、問題行動をしたならば問答無用で逮捕する権限を有しているのだ。
しかし、ソウジは殊更ゆっくりと首を横に振り、彼女の提案を取り下げる。
「いいえ、彼には僕が直々に刃を突きつけます。
貴方が敗北した時には、大人しく縄についてもらいます。よろしいですね」
「俺が勝った時の得がないですねぇ……
いや、だったら俺が勝てば少しお金を分けて頂けないでしょうか。貴族様?」
条件を提示して小太刀を引き抜き、鞘をソウジへ投げ渡す。
転移直後から慌ただしいか病院のお世話になっているかの二択なため忘れてしまいそうになるが、佐刀は未だに定職もなければ住居を構えてもいない。
いい加減フタバにしろ病院にしろ、他人に寄らない活動拠点が欲しいというのが本音。
宙を回る鞘を掴み、ソウジは空いた手で刀を引き抜き、殊更強調するように正面で納刀。小太刀用の鞘では刀身の大部分が剥き出しだが、元より礼節としての仕草故に無問題。
「いいでしょう。僕が敗北したならば、ニューディ家の資産で援助すると約束しましょう」
役目を果たせていない鞘を引き抜き、ソウジは歩む。
行き先は佐刀の正面。目的は作法の終局、鞘を投げ出した側による納刀。
「反故にすんのは無しですよ?」
ソウジが突き出した鞘に、佐刀は小太刀を差し込む。相手側の手が離れたのを確認すると、勢いよく引き込み手元で数回転。
「ソウジはそんな不義をしないぞ。ミツバが断言しよう」
ソウジの後方で待機していた浅葱の少女はミツバと名乗り、軽業師を連想する身軽さで壁を登る。
赤煉瓦は隙間なく敷き詰められているとはいえ、煉瓦と煉瓦の間には互いを接合する石膏を主成分とした接着剤が存在している。故に隙間へ指なり爪先を差し込めば登るのも楽という理屈は──実践出来るかを度外視すれば──分かる。
重力を感じさせない手並みで人間三人分はあろう距離を稼ぐと、手に持つ黒槍を接着部へと差し込み、更に腕力で身体を持ち上げて臨時の足場とした。
「それはどうも」
「尤も、お前如きに負けること自体があり得んがな」
「……ケッ」
一言多い、とは口に出さず。
代わりに舌を突き出した少女に向かって、視線を鋭利に研ぎ澄ます。
「幕府直轄奉所警備隊が新設、独立治安維持部隊青龍隊が隊士。晴眼心理流奥伝、ソウジ・ス・ニューディ」
名乗り、ソウジは半身の姿勢で刀を目線の高さにまで持っていき、切先を佐刀へ伸ばす。
無明の型。
七つ持つ型の内、選択されたのは彼が最も得意とし、光届かぬ闇の一片、狭い路地裏で最大の効果を発揮する型。穿ち、貫き、一点を突く刺突の剣こそ、無明に煌めく刃の本懐。
「無所属。御子派全刀流が初手許し、佐刀鞘」
応じて名乗る佐刀はあくまで自然体。
踵を地から離し、僅かばかり身長を持ち上げ姿勢を前のめりにするものの、目線だけはソウジから片時たりとも離さない。結果、睨みつける構図となるものの、今から合法的に殺し合うという間柄で態度の悪さを気にかける者もおるまい。
刀の切先を一端ソウジへ突きつけ、中空を切り裂くと意識は既に戦の只中。
「いざ尋常に」
「……勝負ッ!」
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