やがて龍となる産声

 スメラギ病院。

 放火未遂事件の後、マドカ・タ・セーデキムの尽力も重なって無事幕府から正式に認可された病院は、今日も一定の来客を捌いていた。

 病院の来客とは即ち、怪我か病気か。いずれにせよ何らかの苦痛を抱えた人物である。本質的には客足が遠退くことこそが望ましいという矛盾を抱えながら、彼ら彼女らは日々の業務を努めているのだ。


「ハァ……」


 スメラギ病院の主にして病院と同一の名を掲げる医師が嘆息を一つ。

 仕事の多さを嘆いた訳でも、老い先短い命を儚んだ訳でもない。

 もっと単純にして、医師として頭を悩ます問題である。


「佐刀君……左腕の罅、悪化してるんだけど」

「ハハハ、色々ありましてな」


 診察室の丸椅子に腰を下して乾いた笑みを浮かべる少年は、佐刀鞘。

 数日前に確認した時には繋がりかけていた罅が、本日確認すれば亀裂が深くなっているではないか。ふざけたことを抜かすな、安静という言葉を完治とはき違えているのか。

 包帯を何重にも巻き、石膏で固定された左腕は手首の辺りまでを覆い活動を大きく阻害する。

 当然、連日新聞の一面を賑わすような無茶など行える訳もなし。


「笑うな笑うな。医師の言葉を無視するのは大問題だよ君」

「それは分かってますが、ねぇ……」


 わざとらしく佐刀が視線を逸らす。

 逸らした先には、無造作に置かれた新聞が一部。

 通信総合商社が発行している一面には、数日前から帝都を震撼させている重大不祥事の続報が報じられている。

 即ち、通信総合商社薬物生産事件。

 帝都の一部で流行しつつあった薬物の出所が、よりによって通信総合商社であり、更に幕府未認可の武装不正所持も雪だるま式に判明した事件である。

 眼前で笑みを浮かべる馬鹿とそれに付随した阿呆のが大企業の支部に侵入して判明した事実であり、人によっては大金星とも評している。だが、医師に言わせれば怪我を押した無茶など言語道断。


「功績を上げて無理を通すつもりなら、もう私は君の面倒を見んよ」

「おいおいおい、それは流石に勘弁ですよ。そも、あそこに向かったこと自体が偶然で、俺はむしろ脱出するのに躍起だっただけ」

「薬物の生産拠点を発見したのは日本四六貴族のフタバ様、だったな」

「……あぁ、そうだ。そういうことになってる」


 含みのある言い方であったが、スメラギが意識することはない。

 事件当日に二人と共に行動していた侵入者の一人、タカナシ・オウの名は新聞のどこにも記載されていない。

 佐刀とはすぐに離れたが、フタバの方はそれなりに長く施設内を共にしていたはずなのだ。ところが事情説明の際に名前を上げなかったのか、もしくは余程嘘だと断言できる言だったのか。タカナシは始めから商社を訪れていなかったことになっている。

 異質なことではあるものの、佐刀としてはそこま拘泥する内容ではない。

 大方、顔馴染みであるフタバが彼にあらぬ嫌疑がかからぬように配慮した結果であろう。


「佐刀ー、話終わったー?」

「あぁ、今やってる途ちゅ……何その顔?」


 診察室の扉が開き、佐刀に話しかけた少女の頬は、熟れた林檎を連想させるほどに赤く腫れていた。

 彼女はつい数分前まで、兄にしてセーデキム家当主であるマドカ・タ・セーデキムと対面していたのだが。

 そこまで思考し、何故顔を腫らしているのかに察しがついた佐刀は額に手を当てる。


「ねぇ、聞いてよ。

 兄さんがさー、酷いんだよッ!」

『またか、また無茶をしたのか』


 ペチン。


『これで何度目だ、私の心臓に毛を生やす訓練でもしてるのか』


 ペチンペチン。


『今回は通信総合商社か。ふざけるのも大概にしてくれ、たった二人で何を探れるつもりだった』


 ペチンペチンペチン。


『偶然警備隊に語り烏経由の情報が入ったとはいえ、後五分も遅れていれば二人共粗挽き肉だぞ、分かっているのか』


 ペチンペチンペチンペチン。


『ちょっと止めてよッ。いい加減痛いよ!』

『知らん。命の危機に瀕しておいてこれで済んでいるだけ上等だろう』


 ペチンペチンペチンペチンペチン。


「分かるッ? すっごい数の平手打ちだよッ。もうすっごいんだよ!?」

「は、はぁ……自業自得では」

「ハァッ?! 普段から嫁入り前だのなんだの言っておいて、それを遠慮なく打ちまくってッ。兄さんってば乙女の顔を太鼓か何かと勘違いしてるんだよッ?!」


 以前からフタバの放蕩振りを耳目に収めていた佐刀だが、口にしてしまえば待っているのは憤激を露わにした彼女の表情。

 乙女は大企業に招かれた少年を置いて支部を探索しないし、そこで薬物生産の証拠を発見する訳もないし、更に述べれば得物もなしに地下八階から地上一階まで逃げ切れる訳がない。

 追加すれば、乙女と呼ぶには血染めのお色直しが似合い過ぎる。


「あ、そういえば一つ」

「あぁッ、何?」


 手招きしてみれば、不良みたいな声色を出しながらもフタバは応じた。

 フタバの耳に顔を近づけ、佐刀は小声で問い質す。


「結局、タカナシはどうなったんです?」

「そ、それは……」


 咄嗟に言葉は出なかった。

 タカナシ・オウ。

 二人と共に通信総合商社へ足を運んだ彼は、終ぞ姿を見せなかったばかりか新聞にも一切の記述が存在しなかった。

 侵入者が二人扱いとなれば、痕跡も微塵と語られず、挙句誰一人としてタカナシの去来に言及しない。

 さながら一人の人間が存在した事実そのものを抹消したような扱いは、佐刀には酷く違和感を覚えた。

 そして、フタバは何故彼の存在にあらゆる情報媒体で言及されないのか。その推測を立てられるだけの資料を得ている。


『そう、ですね……実は幕府直轄預所特務諜報隊の所属でして。刀鍛冶の傍ら、そういう副業にも手を出していたのですよ』


 他言無用だという前提の下、フタバに語った部署。

 幕府高官であるマドカにも詳細を掴めない、病的なまでの秘密主義を徹底した部署が介入すれば、人一人が現場にいたという事実自体を掻き消すなど造作もあるまい。

 ましてその娘というならば、部署の存在を掴むだけで精一杯。

 そして、仮にも潜入任務の一環であらば、フタバが安易に口を開いていい物事でもない。


「ど、どうなったんだろうねぇ……私にも分からないや」

「フタバにも分からないか。ま、どうせオウ工房へ足を運ぶ機会はある訳だし、そこで聞いてみればいいですか」



「放火未遂に薬物生産……ここに来て問題が噴出しているな」


 塵一つなく清掃され尽くした廊下を、青の陣羽織を羽織った金髪の青年が歩く。

 青年の表情は沈鬱としており、腕組みして先を進むだけで一部の女性を虜とする肉体とは反比例していた。

 フタバとの面談を終えたマドカは帰り際、最近の事件発生量に憂慮していた。

 大きな事件が先の二つだというだけで、そこに至るまでの小規模な案件──たとえば乱用者による辻斬り事件──まで含めれば、毎日警備隊が限界寸前まで稼働しているのが実情である。

 ただでさえ、いずれは規制すべき闇市や帝都オズ組を筆頭とした極道など、将来的な問題は山積みなのだ。対する警備隊は治安維持を前提とした戦力であり、それ以上の大規模な積極的防衛には著しく不足している。

 終戦から時代も進み二〇年。


「人員補充が無理だとしても、せめて精鋭部隊……それも全人員が一角の剣士である精鋭部隊を」


 量が増やせないならば質を。

 百の鈍らを用意する資金しか確保できないならば、同じ予算で十の真剣を。

 一度に斬りかかれる人数などたかが知れている。ならば、斬りかかれる上限を精鋭で固めればその他は不要だ。


「終戦記念の式典まで日も近い……時を無駄には出来んな」


 マドカの呟きは誰の鼓膜を揺さぶることもなく、患者を呼ぶ声に掻き消された。

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