時華舞い落ちる

 通信総合商社吉原支部技術局地上六階。

 既に佐刀は我道の私室を脱出し、二階分の階段を下っている。

 尤も一度階段を発見した後は下り続ける、という訳にもいかず。大挙して待ち受ける警備員を切り伏せ、連の妨害を躱しながら次の階に逃げ込むという工程を繰り返している。


「あぁムカつく、一張羅が台無しだ……!」


 廊下を駆ける漆黒の着物は各所が破れ、内から血に滲む肌色を白日に晒す。

 折角ミコガミから譲り受けた貰い物だというのに、これでは町中も碌に出歩けないではないか。


「ここから先は通さんッ!」


 眼前に立ちはだかるは指の間に四本ものナイフを挟んだ警備員。余程腕に覚えがあるのか、左腕は筒状の籠手で覆い隠し、得物の間合いを補っている。

 背後へ目を向ければ、汗の一つも流さずに淡々と佐刀の背を追う連の姿。

 射殺さんばかりの鋭利な眼光は鷹の目を連想させ、腰に構えた戦斧は爪と呼ぶには凶悪に過ぎる。

 眼前の相手に裂ける時間など、絶無。


「チッ……面倒なんだよッ!」


 地を蹴る足の裏に力を込め、同時に腰を落として体勢を低く。

 連想する生物は蛇。地を這いずり回り、隙を伺い毒牙にかける獰猛な生物。なれば体勢は床を舐められるまでに前傾姿勢、右手に持つ小太刀を逆手に持ち替えれば擦れ違い様に切り裂く準備が整う。

 向かい合うは廊下、直線であるが故に逃げ場もなく搦め手にも限度がある。

 足を回せ、足を回せ、回せ回せ回せ。

 加速度的に間合いを詰め、互いに得物を振り被る。


ねッ」


 先手を打つは警備員。

 神の鉄槌めいて振り下ろされる四刀が蛇へと迫り、切先が肉体に振れる。


「取ったッ」

「いや」


 否定の言葉を投げかけたのは、後方から追いかける連。

 事実、警備員が捉えたはずの肉体は喪失し、刃は廊下に刺し傷を残すに留まる。

 一部始終を一歩引いた視点から目撃していた連は、全てを把握していた。

 ナイフの切先が背に迫る中、佐刀は踏み込む力を一段と強め、更なる加速を発揮することで刃の射程より外れることに成功したのだと。

 捉え切れなかったことに動揺を示すも、背後から迫る殺気に首を振る余裕もない。


「ラァッ!」


 かけ声と共に振るう逆手の刃で首を斬り落とし、力任せに左腕を押し込んで連の進路を妨害。

 相手の視界から外れ、死角より致命を与える。

 師匠であるミコガミから耳に胼胝タコができるまで繰り返し教えられたことを忠実に実践し、佐刀は心中で形だけの感謝を述べた。

 罅から伝播する不快さに顔を顰めた時には、死体は戦斧で斬り払われていたが。


「躊躇の一つもなしかよ……!」

「死ねばただの肉の塊。躊躇う理由がどこにある」

「おおいに納得できるがよぉ、その考えはッ。チクショウがッ!」

「ならばそこに立ち止ま……蓮?」


 不意に連の足が遅くなり、意識が佐刀とは異なる方角へと注がれる。

 事情は全く分からないが、佐刀にとっては好都合。意識が別に傾いている内に距離を取るのみ。


『失敗、しました……ごめんなさい。現在は左腕を損傷し、ハルバートも喪失しながら逃走中』

「了解。付近の警備員と合流、保護してもらいながら上層階を目指せ。

 俺と合流できれば五感共有で敵を殲滅可能だ」

『了解したわ』


 生まれ出でる以前、母体の内より対として存在していた二人は自他の境界が曖昧であり、互いの五感を共有する異能を有している。

 蓮が捉えた視界を連が認識し、連に命令すれば一切の誤差なく蓮にも伝わる。

 故に両者が同じ戦線に並び立てば常人の二倍、否、完全に同調した思考は二乗に当たる戦闘能力を発揮する。戦場に於いて一糸乱れぬ連携と脳内に注がれる膨大な情報は、それほどまでに脅威を発揮するのだ。

 我道をして始めて目撃した異能は彼女の研究意欲を強く刺激し、二人を拾い上げて以来、直属の部下として長年に渡って重宝するに至っている。


「なんだか知らねぇが好都合ッ」


 階を下る佐刀の思惑としては、最低でも三階まで降りられれば窓を蹴破って飛び降りることが選択肢に加えられる。一度地上に立てれば、再侵入してフタバ達の救出に赴くなり、警備隊に連絡して強制捜査に持ち込ませるなり、やりようは幾らでもある。

 廊下の端から風が吹き抜け、階段に待ち構える警備員が散見された。

 先の男も本来は階段で待機していた所を待ち切れなくなり、一足先に先行したのだろうか。だとすれば自信家を通り越して自惚れと言わざるを得ない。


「何せ身を滅ぼしてやがる」


 右手で小太刀を器用に回し、佐刀は小太刀を投合。

 走行分も相まって加速した刃が風を切り、光源が絞られているが故に薄暗い闇に紛れて視認性は最悪。

 なれば飛来する刃の切先に気づく頃には全てが手遅れ。


「ぐぁッ!」

「もしや敵か?!」

「ご名答!」

「ぎゃぁッ……!」


 投合した小太刀を深々と突き立て、飛来した方角へ振り向いた警備員には全体重を乗せて蹴り込む。

 動きが鈍った所で腹部の刃を引き抜けば、堰を切った鮮血が佐刀の着物を穢す。


「素直に降りる時間もねぇ!」


 勢いを殺さず、手すりを掴むと佐刀はそのまま身を乗り出し、直下の階段へと飛び降りる。


「逃がすとでも」

「はぁ?!」


 弾丸の跳ね回る衝撃が轟き、連の眼光が佐刀を捉える。

 絶大な加速力を以って放たれる戦斧を反射で小太刀を構えて対処するも、地に足を着かぬ状態では限度がある。


「あぐぁッ……がばっ!」


 弾かれた衝撃を維持して壁に衝突し、背に伝わる衝撃と共に佐刀は肺に溜まった空気を吐き出す。傷口からは収まっていた血が一斉に噴き出し、意識しなければ柄から手を放しかねない不快感が右手に走った。

 カツ、カツ……と、わざとらしく音を立てて階段を降りる連。

 連はそのまま戦斧の切先を伸ばし、壁際に項垂れている佐刀を指し示す。何度か手首を上下させて刃を振る様を、挑発だと彼は受け取った。


「手間を取らせるな。我らは忙しい」

「それは、大変ご迷惑をおかけします……ねぇ」


 息を整え、佐刀は気を伺う。

 無理に動いた所で、戦斧に自らの血を啜らせる結果を生むだけ。なれば、相手が様子見をしている間はそれに付き合うこともまた肝要。

 だからこそ佐刀は、ただゆっくりと息を整える。

 連が一歩一歩、距離を詰める。

 数秒前までの喧騒が嘘のように鎮まり返り、革靴が床を叩く音だけが廊下に反響。距離を詰める間も、隙なく戦斧の重厚なる刃が濡れ烏の着物を捉える。

 やがて、二人の間合いが長柄を振るうのに最適なものとなり、切先が連の元へ帰還。

 最大の威力を以って外敵の肢体を両断せんがために振り被られ、腰が俄かに捻られる。軸足も半身となった右足へ切り替えられ、全体重を乗せる準備が整った。

 その刹那、刃が黒の羽織から離れた瞬間を見定め、佐刀は目を見開き──


「待ってたぜ……!」

「自分で手首をッ……!」


 右に握る小太刀を振るい、頑強に巻かれた包帯ごとを切り裂いた。

 動脈が裂かれ、根元より主の生命を啜りて真紅の華が咲き誇る。

 自刃として自らの腹を斬るのではなく、何故手首を。困惑する連は思考ばかりが先行し、戦斧を振り抜き華を満開にする選択肢を選べない。

 故に、佐刀が左腕を振るった時にも反応が遅れる。


「目潰しッ!」


 咄嗟に左手で飛沫を避けるも、既に視界を奪われた後では無意味。顔を赤く染める血液を袖で拭いながら、連は聴覚を総動員して事態を知覚する。

 自身から遠退くのは妙に静かな足音が一つ。派手に血飛沫を上げながらも、去り行く動きに淀みがない。足音の付近には床を穢す水音。これは滴る血だろうか。

 隙を作りながらも逃走に固執するのは、あくまで目的を脱出に定めているためか。

 上等。元より我道様より下されし命令は抹殺。


「逃がす理由こそが絶むッ──!」


 突然頭部に飛来するは、鈍器で殴り抜かれたかの如き鈍痛。それも一発や二発でなく、幾度も幾度も執拗に。

 激痛に耐え切れず蹲り、頭を抑え込むも一向に痛みは衰えない。


「ガッ、グァ……! 蓮ッ。何やっている、蓮ッ!!!」


 表情を歪め、怒声を飛ばす連だが来たるべき返事が訪れない。

 現状にそぐわない急な感覚の原因など一つ。蓮が五感共感を誤使用し、それが連にも伝播した時に他ならない。

 幼少期であらば使用の自覚すらないことも多かったのだが、我道の下で既に能力の解析も完了した今となっては不自然極まりない。


「蓮ッ。今すぐ触覚の感覚を──」

『痛い、痛い痛い痛いッ。止めろ止めろ止めて止めて下さいお願いしますッッッ!!!』


 鈍器が頭部だけではなく、他の部位への打撃を開始。

 右腕の骨を砕き、肋骨を念入りに破砕し、腹部を経由して内臓を破裂させる。

 鈍器の扱いに並外れた経験があるのか、体内で炸裂する衝撃は落雷めいた尋常ならざる破滅を齎し、一撃一撃が必殺の火力となりて肉体を蹂躙する。

 皮を破って筋線維が顔を出し、ひしゃげた骨が哀れにも外気へ触れた。


『誰か、誰か助けてッ。お兄ッ……!』


 連を呼ぶ嘆願を遮り、半身の感覚が途絶える。

 絶えず繋がっていた蓮の様子が実体を失ったかのように、微塵も掴めない。一人で一人分の肉体を知覚するのは、連にとっては違和感すら覚える。


「蓮ッ?! おい、返事をしろ。蓮ッ!!!」


 妹の身を案じて叫ぶ連の目元からは、血涙が流れていた。



「ハハハッ……保健の授業をしっかり聞いといてよかったぜ……!」


 重心移動と足の半分を用いた歩法を維持しながら、佐刀は感情の赴くままに大笑を浮かべていた。

 風に流され、無造作に舞う左腕からは血が滴り、飛沫が移動先を暗に示す。だが、手首を切った直後程の勢いはなく、床を彩る赤の間隔も徐々に大きくなっていく。

 手首の動脈を切った所で、動脈自身が防衛策として縮むことで出血を抑える作用を持つ。

 自殺防止のために行われた授業の一環として、リストカットと自殺の関係性を習っていた際に知った話であるが、まさか危機的状況でこのような形で役に立つとは。


「人生何が起こるか、分かりませんなぁ……! とはいえ」


 緊急回避にも似た荒業であったが、代償として体内から多量の血液が流出している。動悸が激しくなり、若干ながら視界も霞がかっていた。

 まだ疾走する分には問題ないものの、このままではいつ足元が覚束なくなってもおかしくない。


「ひとまず、着物の端を切って傷口を結んで、と……」


 目潰しが効いたのか。連からの追撃は収まり、他の追手も姿を見せない。

 ならば、と佐刀は付近の部屋へ飛び込み、扉の施錠を行う。

 通常ならば足を止めることなく階を下り続けて脱出を図るのだが、消耗が蓄積しつつある現段階で強行しようものなら、いずれ体力が尽き果てるのが目に見えている。

 故に大した時間を稼げなくとも、佐刀は一度足を止めることを選択した。


「はぁ……」


 一息つき、佐刀はその場に腰を下す。

 スメラギ病院での一件はとにかく敵を斬りまくれば全てが終わったが、今回は迫る敵を殲滅した所で話が終わらないのが厄介。むしろ本来ならば会敵を避けることこそが正道なのだろう。

 息を整える中、手持無沙汰なのも手伝い室内へと意識が傾く。

 適度に光源が絞られた室内は奥が見渡せない程に広大で、等間隔に設置された鳥籠の並ぶ様はいっそ荘厳さすら覚える。

 上へ視線を向ければ、本来なら上層階とを分かつ天井が必要以上に高く、そこにも等間隔の鳥籠。いくつか置かれた梯子は、上層の鳥籠へ餌を与えるための措置か。


「二階分の面積を使ってるのか。随分と豪勢な……

 ん、鳥籠ってことはもしやアレか?」

『語り烏。なんだ、知らねぇのか。

 通信総合商社が躾けた、遠方への連絡用動物だ』


 想起するのは、修行の最中で飛来した際にミコガミから教えられた知識。

 語り烏を売り出しているのは通信総合商社らしいが、どうやら吉原支部にも飼育・教育の環境が整っていたらしい。

 そこまで考え、佐刀は指を鳴らす。


「そうだ、いい手があるじゃないか!」


 歯を見せ笑う様は、見る者に底なしの悪意を感じさせた。



「侵入者を探せッ。連様が不調を訴えている以上、我らの尽力こそが吉原支部の安全に直結すると思え!」


 廊下を駆けるは警備員の群体。

 上層階と地下の二か所に同時発生した侵入者の報告に対して、警備担当は戦力を分散した上で対処を図った。幸い、両方面にヒヒガミ兄妹が分散していたため、後は彼らが消耗ないし撃退した侵入者へ鉄槌を下せば全てが終わる。

 その算段が崩れたのは、地下八階の第八研究室に於けるヒヒガミ・蓮の敗走。そして連鎖するヒヒガミ・連の不調。

 兄妹を主力に据えた戦略は早々に破綻し、現在は代替として残存戦力を投入しての迎撃戦に突入している。

 故にこそ、彼らは自らを鼓舞し、奮い立てる。

 自ら達の影響力を自覚し、誇張し、精神を活性化させる。


「ん?」


 警備員の内一人が廊下の端にちらつく何かを認めた。

 小柄な、その気になれば掌に乗る何かの影が羽ばたく。一匹二匹などという謙虚な数ではなく、徐々に徐々に、羽音と影で廊下を埋め尽くすまでに。


「パライソッ、パライソッ。吉原支部二パライソ有リッ!」

「この声、語り烏ッ!」

「パライソ? なんだそ、グアァ!」


 警備員と正面衝突する語り烏の群れが、彼らの自由を大幅に阻害する。

 狂ったように声を上げる烏の集団は暴走状態であり、自由なる外界を目指して廊下に無数の羽を落とす。だが、如何に制御下になくとも無闇に商品を傷つける訳にもいかず、警備員は右往左往する他にない。

 混乱状態に陥った警備員を他所に、すり抜ける人影が一人。


「カハハハッ。いやぁ、物は使い様だなぁ!」

『蓮は第八研究室に侵入した相手と交戦中……既に研究者への被害と共にぱらいその試作品への被害も出ている模様』


 連の語った言葉を適当に覚えさせた語り烏を手当たり次第に鳥籠から開放し、廊下に待機している警備員を攪乱させる。そうすれば佐刀に意識を裂く余裕もなくなり、指揮系統が滅茶苦茶になり逃走にも有利に働く。

 その上、警備員は『ぱらいそ』とやらの情報も把握しておらず、混乱を助長する要因ともなっている。

 逃げる側としては嬉しい誤算。

 しかし皆が皆、常に混乱状態に陥り続ける程の無能集団でもなく、中には個別に指示を下す者も現れる。


「クッ……仕方あるまい、俺の名で許すッ。語り烏の駆除を許可する!

 何としても侵入者を排除せよ!」


 唇を噛み、一筋の血を流す警備員もその一人。

 彼は警備員の中でも古株でこそあるが、何か権限を有している訳ではない。だが、侵入者が逃げるかどうかの瀬戸際に於いて、混乱した指揮系統の回復に必要なのは誰が責任を取るかという一点に絞られる。

 故に、佐刀の凶刃は警備員の胸元に突きつけられた。


「うッ……!」

「困るんですよねぇ……勝手に混乱から回復されるとさぁ!」

「貴さッ……!」


 肋骨を避け、小太刀を横薙ぎに切り裂く。

 心臓を貫かれ、警備員の目から光が途絶える。膝から崩れ落ちる屍の横を駆け、佐刀は逃走を再開。

 混乱状態から立て直そうとする手合い、もしくは眼前の敵だけでも排除せんと迫る手合いのみを切り裂けば、残りは無視して構わない有象無象。連からの妨害もなく、足取りの身軽さはこれまでを遥かに上回る。


「おい、ぱらいその情報が上層階担当に漏れてるぞ!」

「語り烏が仕切りに騒いでるだって?! どういうことだッ?」

「クソッ、侵入者は二人だろッ。相方はどこ行った?!」

「混乱してる……? なんだか知らないけど、好都合ッ!」


 上層の混乱が地下にも伝播し、俄かに警備員の動きが鈍くなる。

 特にぱらいそ──薬物製造の情報が外部に伝わるのは如何ともし難いのだろうが、地下は地下で戦力を希求しているために応援へ向かうこともできない。

 実際の所、戦力を二分している理由の幾つかは警備員の中にも薬物のことを周知されている者と一切知らせれていない者が別れているがため。情報の齟齬がなければ、始めから出入口周辺階に戦力を集中させている。

 いずれにせよ、吉原支部脱出を目論むフタバにとっては実に都合がよかった。

 状況把握のため、声を荒げて周囲へ視線を送る警備員へ二閃。身を捻り暴雨と化したフタバの刃が警備員の胸元に二つの擦過傷を残し、意識を明滅させる。


「ッ……手加減はしないよ」


 フタバは苦々しい顔色で唇を噛む。

 普段の訓練や決闘の時とは胸中に宿る感覚が違う。スメラギ病院で起きた放火未遂事件に対処した時とも異なる。

 心中の大部分を占めるのは、黒く沈殿した鉛の如き感情。

 吉原支部が薬物製造という大罪を犯しているのは事実。警備員がその事実を周知していながら黙認しているのもほぼ間違いない。だが、その事実を暴くのに用いた手段は不法侵入にも等しい。

 正しき手順を踏み、警備隊を用兵する兄とは比べるのも烏滸がましい。


「駄目、駄目よ、フタバ……無駄なことを考えている余裕はないよ」


 頭を振り、フタバは沈殿する思考を眼前へと絞る。

 手段に悩むのは全てが終わった後で構わない。今はただ生き残ることだけに尽力すべき。無駄なことに思考を割いた者から死んでいくのは自然の節理なのだから。

 既に階段を五階は踏破している。

 ここに来て警備員が混乱を見せ、フタバにも一層御しやすくなった。それこそ、致命傷を避けつつ戦闘活動を不可能な程度の手傷を与えられる程度には。


「自己満足だけど、さぁ!」

「こ、の……!」


 心臓を穿つ極端に削ぎ落された刃を砕き、フタバの二振りが男に十字傷を刻み込む。

 警備員がこの後、救助されるという確証はない。

 侵入者による混乱の中、放置されたまま失血死するかもしれない。

 治療されなかった傷が膿み、黴菌の手で死に絶える可能性もある。

 あるいは、死に損ないとタカナシが引導を下す確率も零ではない。

 誰かに指摘されるまでもない。これまでの行為こそが正常であり、わざわざ敵の生存を祈って手加減をすることこそが異常である。


「それでもォッ!」


 迷走する必殺よりも、迷いなく振るえる不殺の方が現状では役に立つのだから。

 フタバは無駄な思考ごと吐き出すように、腹の底より雄叫びを上げる。

 そうこうしている間にも階段を昇り、やがては一階へと到着。


「ここが正念場だッ。絶対に侵入者を外には出すなッ!」

「脱出させた日には、一同纏めて露頭に迷うと思えッ!」


 後がないと、警備員の密度が高まる。もしくは、外や上層階に散見していた戦力も挙って集結しているのかもしれない。


「それがどうしたァッ!」

「このォッ! 逃がしてなる、ものかァッ!」


 身の丈ものある大剣が覇を薙ぎ、轟音と共にフタバの双剣と鍔競り合う。

 柄を通じて伝わる衝撃は、得物の質量に違わぬ圧倒的な密度を以って骨身に染み渡った。少しでも気を抜こうものなら、大剣は障子紙よりも容易くフタバの肉体を両断するであろう。

 噛み砕かんばかりに歯を食い縛って耐え忍ぶフタバだが、それで漸く互角を僅か下回る程度。


「薬物製造の件ッ、アナタは把握しているの?!」

「薬物? ふざけたことを抜かすなッ。そのような戯言で意識を逸らそうなどとッ!」


 叫ぶフタバであるが、確固たる証拠を提示できないが故に警備員には油を注ぐばかり。血走った眼は、自らの守護すべき会社に汚泥を塗りたくる侵入者への怨嗟に染まる。

 大剣を握る両腕に血管が浮かび、額を垂れる汗が熱気に蒸発。


「クッ……が、あぁ……!」

「笑止、千万ッ!!!」


 力任せに押し込まれる大剣がフタバとの距離を詰め、切先が赤毛を掠る。

 後数寸もあれば、彼女の額からは鮮やかな血の華が咲き誇るだろう頃合いに。


「うっせぇんだよ」

「後、ろから……だとッ……?」


 第三者の声と共に不自然な痙攣を起こし、大剣から伝わる圧力が大幅に低下する。それでもなおフタバに突きつける刃は衰えないものの、次はあり得ない方角へと首を飛ばし、完全に沈黙。

 大剣を手放し、倒れ伏した男の背後に立つのは、漆黒の着物を鮮血に染めた少年。

 数時間前にも確認できた、見慣れた顔であるはずなのに、フタバにはまるで数週間は経過したような懐かしさが胸中に過る。


「ッ……佐刀ッ!」

「……大丈夫か、フタバ。お色直しの途中みたいだぞ」


 フタバにしても花嫁衣裳を彷彿とさせる純白の服を鮮血に染め上げ、白磁の皮膚にも無数の擦過傷を刻んでいる。

 それそのものは極めて綺麗。佐刀も意識して表情を締めなければ、自他の流した血の区別もつかない容姿に表情を赤らませてしまう程に。

 だが沈鬱とした表情は、折角の化粧を台無しにして有り余る。


「冗談言ってる場合、じゃないでしょ。それにその……左手」

「あぁ、これか。ちょっと問題がありまして。

 それよりも、確かもう一人いたよな。そっちの姿は?」


 佐刀が周囲を見渡してみても、灰の着流しを纏った眼鏡を確認することが叶わない。

 まさか既に討ち取られたのでないか、という懸念を払うようにフタバが口を開く。


「タカナシなら、今は二手に別れて離脱中。だから私には分からない」

「おいおい、今は逃げるのが最優先だ。これ以上時間をかけて、出入口を塞がれたって落ちは勘弁だぞ?」

「それは分かっているけど、でも……」

「逃げる途中で見つけるならまだしも、今から捜索は無しですぜ。フタバ」


 問答は終わりとばかりに踵を返すと、佐刀は駆け出す。

 一時の葛藤こそあれども、フタバの足音も続くのを確認して彼は頬を綻ばせた。

 逃走を再開した二人の眼前に立ち塞がるは、お誂え向きに二人組の警備員。臨戦態勢で待機しながら、腰を落とした構えからも相応以上の技量を伺える。


「俺は右だ、フタバは左を!」

「わ、分かったッ!」


 互いに狙う獲物を指定し、二人も一層に加速。

 待ち構える警備員も下手に動くよりも都合がいいと判断したのか、柄を握る手を二本に増やして迎撃姿勢を整える。

 彼我の距離が急速に縮まり、佐刀は一層姿勢を落とす。

 そして一閃。

 互い違いに全く同時に振るわれた刃を、佐刀は身を捻じって螺旋回転。横合いから放たれた一撃に警備員の刃が折れ、振り返り際の一振りで頸動脈を撫でる。


「がッ……!」

「一丁上がり、と」


 敵の肢体から急速に力が抜けて崩れ落ちる中、佐刀は視線を左──フタバの方へと向けた。

 彼女の側も刀を掴む腕を斬り落とし、警備員を無力化している。だが、フタバは追撃をかけることもなく、そのまま足を出入口へと進めた。


「どうしたのさ。気分転換?」

「別に何も……」

「ま、何でもいいけどな」


 頭部のひしゃげた屍を横目に角を幾つか曲がり、二人は受付にまで到達する。

 警備員が大挙する、剣気ひしめく戦場へと。


「なん、だ。こりゃ……」

「嘘、でしょ……」


 人が一度に対処できる人数を遥かに超過している。

 中隊規模、否、迫力だけで語るのであらば大隊規模にまで錯覚する。たとえその全てが全くの素人であろうとも突破は困難な有様であるが、当然そのような仮説の意味は皆無。

 現に、手を出しあぐねる二人よりも早く警備員の一人が佐刀達の姿を視認した。


「侵入者だッ。ここまでの狼藉ッ、我らが手で裁いてくれようぞ!」

「チッ、気づかれたかッ。

 こうなりゃヤケだ。全員ぶっ殺してやらァ!」


 群体が蠢き、白刃が電灯に煌めく。佐刀の自棄とも鼓舞とも取れる言葉を微動だにせず。

 同士討ちの不安すら拭い捨て、群体は一斉に距離を詰める。誰かが二人を討ち取ればいい、悲壮にも思える決意を固めた者も少なくない。

 互いに張り詰めた空気が張り裂け、剣戟の音が鳴り渡る寸前──


「総員、その場を動くなッ!」

「ッ?!」


 突如施設全体にまで伝わる鶴の一声に、群体と二人の動きが一斉に止まる。

 視線が一斉に注がれた出入口には、鮮やかな青の陣羽織を肩に乗せた美丈夫と、彼に突き従う警備隊の制服。

 その数、吉原支部の外で待機している人員を含めれば一八九名にも及ぶ。その全てが、たかが一警備員程度であらば赤子の手を捻る程度の労力で撃退しうる逸材揃い。

 陣羽織の男が室内の様子を一瞥し、手に握った刃で一人一人を数える。


「語り烏経由で薬物の出所という情報を確保した。これより緊急の査察を開始したい」

「黙れェッ!」


 陣羽織の男に反抗し、警備員の内一人が駆け出す。

 手に握るは大袈裟に仰け反らせた曲刀。三日月を連想させる刃は、人一人を切断するに不足なし。

 故にか、陣羽織の男との間に少年が割って入った。


「ソウジ君」

「ここは任せて下さい。マドカ様」

「なんだ、アイツ」


 佐刀が興味を示したのは、ソウジと呼ばれた少年のあり方。

 色素の薄い顔色や色抜きをしたかの如き髪は死人を連想させ、癖のついた白髪が乱雑に荒れる。髪の奥より覗ける眼光は日本人らしからぬ藍色。警備隊指定の制服に袖を通しながらも前面を止めずにはためかせて、痩躯には長大に過ぎる真剣を顔の辺りで寝かせる。半身で構える様は一目で突き主体の剣術であると推測させた。

 そして少年の握る真剣は、刀身の大部分に於いて

 素人でも分かる。あの鈍ら刀では野菜の一つも斬れはしないと。ならばあの少年は、己が得物の状態すら満足に把握できない痴愚か。

 答えは否、断じて否。


「邪魔をするなッ!」


 大振りに振るわれる曲刀の切先がソウジへと肉薄する中、彼は更に一歩踏み出す。

 恐らく。


「ぁ……?」


 曲刀の刃は空を斬り、両断すべき少年を背後に置いている。

 直観で理解した男は身を捻り、素早く二刃を放つ。たとえその間に致命傷を負ったとしても、事切れるまでに相手も切り裂けば十分だと暗に証明するように。

 だが。


「もう決着は着いています」

「な……ぎ……!」

「無駄な抵抗は止めて投降して下さい。僕も人殺しがしたい訳ではありません」


 男の手から曲刀が離れ、剣士の魂が床に反響する。

 掴む物を失った右手が忙しなく動き、やがて男自身の首元へと添えられた。口から蟹を彷彿とさせる泡を噴き出しながら。


「何をやったんだ、今……!」


 佐刀としても驚愕。

 肉眼で追えなかった。厳密にはソウジが足捌きで男の背後を取ろうとしたことまでは認識できた。だがその後、実際にどのような足捌きで曲刀を躱し、男の背後に立ったのかが認識できない。

 陳腐な表現を用いれば、ソウジと呼ばれた少年は瞬間移動したのだ。

 少なくとも佐刀の視点ではそれ以外の説明がつかない。


「これ以上の流血は止めましょう。無意味です」


 ソウジの言葉には自然、脅迫にも似た圧が籠っていた。

 別に彼自身が悪意で圧を発した訳ではないものの、圧倒的技量差は時として全うな言葉にも威圧感を織り込み混ぜる。

 一本、二本、そして三本。

 警備員が降伏の証として得物を手放していく。それが、騒乱に満ちた一日の終焉を暗示していた。

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