2021:ライアーズ

「それではこちらでお待ち下さい。我道様の用事が済み次第、付き添いの方もご案内しますので」

「はーい!」


 広間で受付に案内され、フタバとタカナシが辿り着いた先は小綺麗に纏められた応接間であった。

 内装は白を基調とし、硝子製の机に人工皮革の寝椅子が向かい合う。共に汚れの類は伺えず、奥に鎮座する生花入りの花瓶も合わせて清潔感を醸し出した。

 フタバが興味深々といった眼差しで室内を散策する中、タカナシは眼鏡を逆光で目線を隠す。

 扉が閉じ、空間が二人の世界となる。


「すっごい綺麗……流石大企業、手入れが行き届いてる……」


 雑に見回しても埃の一つも見当たらない。ただでさえ白は汚れが目立つ色合いだというのに、余程いい腕の清掃員を雇用しているのだろう。

 セーデキム家にも足を運んでくれないかと思案を回す中、タカナシが不意に口を開く。


「フタバさん、とある噂を聞いたことがありませんか?」

「ん、噂?」

「そう、あまりよろしくない側のね」


 含みを持たせた口振りは、まるでフタバに探って欲しいかのように。

 露骨な釣り餌であるが、彼女が気づく様子はない。


「何それ、ちょっと気になる」

「いいでしょう、僕はそのことで吉原支部に足を運んだ訳ですし」


 手招きするタカナシの視線はフタバの奥、部屋の角に設置された盗聴器へ注がれる。

 盗聴器の性能は専門外であるが、声を絞るに越したことはない。

 そうとも知らず、フタバは耳を近づけて彼の言葉を待ち望む。彼女としては単に、大っぴらに噂を話すことを良しとしなかった程度の認識である。

 そして浅慮故に、彼女は声を荒げた。


「えぇッ。ここが薬物の出所ッ?!」

「声が大きいですよ、フタバさん!」


 自らの口元に人差し指を当てるものの、時既に遅し。

 左右に首を振るタカナシの額には汗がうっすらと浮かび、眼鏡の奥に宿る瞳が俄かに絞られる。心臓が際限なく高鳴り、焦燥から喉が水分を渇望する。

 いったいどれだけの時間的猶予が残されているのか。いつ足音の大群が迫るのか分かったものではない。


「すみませんがちょっと急用が出来ましたので、僕は出ますねッ」

「いやいやいや、私も手伝いますよッ?!」

「そうも言ってられませんので!」


 急遽扉へ手を伸ばし、取っ手を捻ると、後は全速力。

 急に駆け出した客人二人に多くの社員が面食らうものの、内幾人かの眼光には研ぎ澄ました殺意の念が込められている。


「チィッ、もう何人かは感づいたか」

「あっ、受付に大剣預けてるんだったッ。これじゃ大した手助けもできないよ!」


 走りながら頭を抱えるフタバに目も向けず、タカナシは背後から迫る足音へと神経を研ぎ澄ます。

 一つ、二つ、三つ……

 迎撃できないこともないが、衆目監視の元で少女一人抱えた状態となると、些か面倒。

 故に、奥に待ち受ける十字路はタカナシには好都合であった。


「ひとまず右にッ」

「は、はい!」

「奴らを逃がすなッ!」


 二人は躊躇なく右折し、二人を追う警備員も続く。

 先頭を走る警備員が腰の刀へ手を伸ばす。鯉口を切り、逃走を続ける相手の背中へ斬りつける準備を整えた。

 しかして角を曲がれば、待ち構えるは長大な柄から繰り出される金槌の一混。


「は?」


 視界を占有する黒が意識を刈り取り、背後に続く警備員の顔を赤く汚す。


「うわっ、なんだこ……!」

「肉ぅ、今口に入っ……」


 連鎖するは二閃。

 それぞれが警備員の頭蓋を粉砕し、清潔に保たれた廊下へ真紅をばら撒く。

 即座に三人の身元を曖昧にしたのは着流しの男。首に手を当て、気怠げに音を鳴らすと金槌を振って付着した血痕を払う。

 振り返れば、呆然と屍を眺めているフタバの姿。


「じゃ、ひとまず落ち着いた場所にでも逃げますか」

「え……あぁ、はい」

「心配しないで下さい。吉原支部の構造なら頭に叩き込んでありますから」


 フタバが動揺しているのは吉原支部の構造への不安ではなく、熟れた果実のようにひしゃげた死体であるとタカナシには気づけない。

 首は刎ねたし胴体も切り裂いた。手足も切り裂き、断末魔の叫びは鼓膜にこびりついている。

 フタバの双腕は引き換えしがつかない程に赤が沁みついている。だが、彼女の手を汚すのは戦いの果ての流血。物言わぬ屍も、全てを覚悟した上での結末である。

 しかし、タカナシのやり口はどうだ。

 死角から不意をつき、一撃で肉体を破壊する。

 極めて合理的かつ殺人にのみ先鋭化された戦術は、しかして代償として身元の把握すら困難な骸を晒す。それを実行したのが、仮にも見知っていたはずのタカナシというのもフタバには飲み込み難い事態。

 彼の戦術は効率的ではあっても誉れはない。

 フタバがそう脳内で結論づける間に、タカナシと共に赴いたのは全域を照らすには不足気味に明かりを絞られた倉庫。

 無数の棚とそこに限界まで設置された荷物は、下手人の姿を隠すには好都合であった。事態を公にしたくないのか、侵入者を告げる緊急放送の類は沈黙を貫いているのも二人に味方する。


「さて、ここならもう少し落ち着いて話せますね」

「そうね……いったいどういうことなの、薬物の生産元が吉原支部なの?」

「そうですね。詳細は僕も把握していませんから、大本が通信総合商社本社なのか、それとも支社の誰かが暴走しているのかまでは検討もつきませんが……

 いずれにせよ、ここが薬物の生産拠点を兼ねているというのは確定と見ていいかと」

「そんなこと……どうやって知ったの?」


 たかが噂の一つに確信を得るための活動にしては大がかりに過ぎる。かといって確信に近い情報筋ならば、刀鍛冶ではなくマドカのような一定の組織を運用できる人間の耳にも何らかの形で飛び込むべき。

 タカナシ・オウの抱える出自が、薬物汚染の大本という噂から行動に移すにはかけ離れている。

 質問の意味を理解したのか、タカナシは溜息混じりに口を開く。


「そう、ですね……実は幕府直轄預所特務諜報隊の所属でして。刀鍛冶の傍ら、そういう副業にも手を出していたのですよ。

 これ、コトリにも内緒ですよ。アイツが知ったら『私は片手間の仕事に負けたのかー!』っていよいよ学校も休んで鍛冶に没頭しそうなので……」


 口元に人差し指を当てる仕草も添える辺り、余程秘匿したかったことなのだろう。

 

「あぁ、確かに彼女ならやりかねないねー。昔から負けず嫌いだったし」

「貴女の大剣の時だって、『私ならタカナシよりも上手く作れる』と躍起でしたし……お陰様で生まれてこの方、義兄とすら呼ばれたことがない」

「なるほどー。じゃあ確かに隠してた方がいいね」


 嘆くタカナシの声色は、心底からコトリの身を案じたが故のもの。

 彼女の敵愾心は相当なものであり、隙あらばタカナシよりも優れた刀鍛冶なのだと誇示したがるきらいがある。有限実行のためか、学校に通っている時間以外は殆んど職場で鉄を叩き、刃を研ぎ澄ましている。

 今は亡き養父も、ただ刀を叩くだけの機械に育て上げるためにコトリへ刀鍛冶を教えた訳ではないというのに。

 義兄としても、友達の一人でも作ってもっと広い世界を知見して欲しいのだが、義兄の心義妹知らずといったところか。


「ま、そういう訳でして耳の良さはちょっとどころの話ではなくてですね。だから確証を得られれば行動にも移す」

「なるほ、どー……? そういうものかー」


 どこか引っ掛かりを覚えるが、幕府直轄とあらば情報秘匿も最高級。マドカの心配性も合わさればまずフタバの耳にまでは届かない。否、そもそもマドカでさえ管轄違いで把握していない可能性も存在する。


「それで、吉原支部へ向かう機会を伺っていたと」

「そうですね。佐刀君には悪いですけど、丁度便乗できて好都合でしたよ」


 それでは、私は調査の続きをしますので、とタカナシは踵を返すもフタバが後を追う。

 至近故に鼓膜を揺らした足音に振り返るも、彼女の眼差しもまた一つを見据えている。


「……その行動の意味が理解できていますか?」

「薬物の蔓延を食い止めるための行動、でしょ」

「私も守り切る確証が持てませんよ?」

「得物が二振りあれば、私も戦えるよ」

「どう調達するおつもりで?」

「こうッ、かな?」


 荷物の中へ腕を突っ込めば、掌に伝わるのは慣れない鮫皮の感触。

 引き抜いたのは、鞘もない剥き出しの刀身を晒す四尺はあろう長大な野太刀。鈍い輝きを発する刃は只人であらば満足に振り回すのも一苦労な大業物だが、フタバに言わせれば軽過ぎて感覚が狂う。

 更に近場の荷物に手を突っ込み、次は一尺近い小太刀を抜刀。

 彼女の戦術を把握しているタカナシからすれば、慣れない刀の二刀流など不安この上ないが、指摘したところでフタバが自重する訳もなし。

 なればいっそのこと、積極的に手伝ってもらうのが合理的というもの。


「これで戦える」

「いいでしょう。どうせ言った所で聞く性分でもないでしょうし」


 諦観混じりの発現であったが、フタバはそれにも気づかず表情を明るくする。

 一度足を進めれば後は単純。

 タカナシが構造を記憶しているが故に足取りにも迷いはなく、警備員が光らせる監視の目も早々問題が起きないためか、経験不足が祟って隙が多い。

 通気口を頼るまでもなく、音を殺して進めば苦もなく突破可能。

 フタバとして拍子抜けすらあったものの、階段を下る度にどこか重苦しい空気が廊下にも漏れ出している。


「また階段……地下何階なの……?」


 語り烏が特に有名ではあるものの、通信総合商社は情報系だけではなく近年はある種技術全般に精通した一大企業である。当然研究内容の中に社外秘が多数存在することも事実なのだから、一目しただけでは目的地を絞られない距離を取った上で専用の施設を建設している。

 社員であらば昇降機を使用することで移動も楽なのだろうが、侵入者である二人が乗り込めば、最悪電源を落とされて棺桶状態。

 結果、フタバは幾度となく階段を下る。


「そろそろですよ、警戒を怠らないで」


 穏やかに諭すように、タカナシが口を開く。

 視界はこれまで以上に光源が絞られ、最早真夜中との差異が僅か。

 足元も覚束ない中、視界の先の光源だけが異物として存在感を発揮する。刻まれている文字は『第八研究室』。

 フタバは直観で、タカナシは記憶を以って確信する。

 目的の品はここにあると。ここが、薬物生産の拠点であると。

 駆ける勢いのままに扉を蹴破り、二人は研究室へと乗り込む。

 ──そして、言葉を失った。


「……?」

「何……これ……?」


 乱暴に開けられた扉へ殺到する視線は、研究者達のそれ。無遠慮かつ室内への配慮に欠けた態度に注目を集めるのは、当然の話。

 彼らが背にしている壁の内一つには、壁面を覆う程の水槽。淡い緑に輝く培養液に浸されている紙媒体には妙な戯画が描かれ、子供の興味をも引く算段が伺える。

 鼻をつんざく刺激臭の発端も培養液か、もしくは培養液に溶かすための薬剤に違いない。

 もしも佐刀が水槽を目撃していれば、これが舌から摂取する類の薬物であると瞬時に理解できた。高校の薬物防止の授業で紹介される中に酷似した薬物が存在したのだから。

 自然、タカナシの手が金槌の柄を強く握った。

 そして床を蹴り、虚を突かれた研究者との距離を詰める。


「クヒッ」


 短く、嗤いを零して腕を振りぬく。

 戦いはおろか運動にすら不慣れな研究者が、音を置き去りにした一振りを回避できる道理がない。容易く頭部が吹き飛び、砕けた頭蓋骨の欠片が勢いよく水槽の一角へ食い込む。


「お、お前が何故ここにいるッ?! タカナ……!」

「おっと、静粛に」


 自らの名を叫ばれる手前、金槌が頭部ごと口を潰す。

 即座に二人が死亡し、漸く下手人が自身を狙っていると理解したのか、研究者たちは我先にと逃走を開始する。

 対抗するタカナシは研究者の背から迫り、頭を潰し、着流しに赤の差し色を加える。


「え、ちょっ……タカナシさんッ」


 眼前で繰り広げられる凄惨な現場を前に、思わずフタバが声を荒げた。

 薬物根絶という理念には賛同できた。だが、そのために逃げる研究者を一人一人──否、屠殺場の様相を呈しているのだから一匹とでも数えるべきか──殺害していくというのは、彼女には過剰で悍ましい発想と認識してしまう。

 逃走を阻止するための不可抗力で結果的にではない。タカナシのやり口は積極的な殺害を目的としている。

 故にフタバは声を荒げ──


「侵入者は、殺す」

「ッ!」


 背後から迫る戦斧への対応が遅れた。

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