パラレルワールド2021
歩道と車道を隔てる防護柵が高速で流れる。
追随して移ろい行くは、街並み。
着物を羽織った男が、緩んだ帯を結び直す女が、歩道にも関わらず走り回る子供が、一秒にも満たぬ合間に遥か後方へと置き去りになる。
時折尻を蹴り上げる衝撃は、如何に上等な座布団を用意しようとも相殺し切れるものではない。これも速度の代償と思えば致し方ないが、佐刀からすればこれを上回る速度で快適な座り心地を知っているが故に複雑な表情をしてしまう。
「うわぁ、はっやーい!」
「フィールド運送……四人乗せて、なおこの速度を出せますか」
後部座席に腰を下すフタバとタカナシが、それぞれに抱いた感想を漏らす。
佐刀の付き添いとしてフタバも女性の提案に乗り、タカナシもせっかくだからと追随すると申告。女性も多少の条件つきで二人の同行を許可したのだ。故に女性は四人乗りの人力車を捕まえて、車夫の足を走らせている。
一方、前部座席に着席している佐刀は、隣が謎の女性ということもあり無言を貫いていた。理由としては緊張もあるが、それ以上に彼女を信用し切れていないがため。
「あそこの会社は自社で人力車の開発、改造を行っている分、高単価の代償として品質も値段に倣ってるのよ。
私に言わせれば、まだベアリングを中心に無駄が多いのだけれど」
「ベアリング? それも大陸言葉ですか?」
「えぇ。軸受、といえば理解が及ぶかしら」
「……」
会話の内容は先程から似たり寄ったり。
女性が何か大陸言葉を発し、それにフタバかタカナシが反応を示す。そうすれば次は女性が意味を説明。
白衣に袖を通している辺り、学者か相応の頭脳を有しているのだろうが、ならば頭の出来で劣る人々にも理解できる言葉を用いて欲しい。と佐刀は内心で毒づく。
知識のひけらかし。
自然と脳裏を過った言葉であるが、横から覗ける彼女の上機嫌な表情を見れば、そう的を外した推測でもなかろう。
「で、目的地はまだですか」
無意識に語気が強くなってしまったが、佐刀に訂正のつもりはない。八つ当たりであろうとも、車夫には付き合って貰う。
彼の言葉へ答えるために振り返った際、刃物で射抜かれるような鋭利な眼光を感じた。
「……もうそろそろですよ、吉原支部技術局は」
視線を交わすつもりはないのか。佐刀の返事を待たず、車夫は正面を向き直る。
「何も焦る必要はないわ、時間はたっぷりありますから。
タイムイズマネーといっても、貴方達の一日くらい無駄にしても問題ないでしょう」
「タイムイズマネー? それも……」
「時は金なり。時間は金と同じくらい大事だからできるだけ有意義に使いましょう、ってアレだよ」
「へぇ、佐刀くんも大陸言葉を理解しているんですね」
「齧った程度だよ……多分だけどな」
いい加減、知識自慢に付き合うつもりもない。
女性の言葉を遮って佐刀が解説を行う。
肩を竦めて見せる横で、歯軋りする音が聞こえたのは神経質なだけであろうか。尤も、既に佐刀は彼女に好かれる努力を行う気を無くしている。
嫌われた所で二度会う機会があるかも不明な手合い、どうでもいい。
やがて、流れる景観にも変化が生じる。
刀鍛冶が工房として最適化した家屋の集団から、首を見上げるばかりの高層建造物が立ち並ぶ。材質も木造を中心とし、時折赤煉瓦が混じる程度から
一行を乗せた人力車は刀鍛冶の聖地として名を馳せる墨田区を抜け、台東区へと差し当る。
「ここまで来ればすぐよ。何せ、吉原支部は区の境目に位置するのですから」
「へぇ、そいつは丁寧にどうも」
窓縁を肘掛代わりにして顎をつき、窓から風景を眺める。
いったい人力車がどれだけの速度を出しているのかは分からないが、少なくとも気怠げに眺める程度では看板の文字を読み切ることはできない。
だが、断片情報だけでもやはり克明化しつつある違和感を掴み取れる。
片仮名の固有名詞に漢字の普通名詞を組み合わせた看板が極端に多いのだ。
片仮名は大方、こちらの世界の日本において人名へ用いるのが一般的な文字。漢字は、由来の多くを元の世界と共有していると考えていいか。
視界を揺らす振動が徐々に収まり、やがて完全に静止する。
「目的地、通信総合商社吉原支部技術局に到着です」
「お代はこっちで出しておくわ。三人は降りてて構わないわよ」
「はーい、じゃあお言葉に甘えて」
「それじゃあ、僕も右に倣いますか」
「……あんがと」
三者三様に言葉を交え、側面に備えつけられた扉から降車。
支払いを終え、一足遅れて女性も続く。
「さぁ、ここが私の職場よ」
「ほぇ、ここが技術局……」
感嘆の声を漏らすフタバ。
通信総合商社が有する技術の多くは、この八階建ての建造物で誕生の産声を上げている。
全面を窓張りにしながらも、特殊な加工によって外から内部の様子を伺うことは不可能。現に佐刀も正面玄関から入社した男の姿を、自動扉が閉じると同時に見失った。
ついて来なさい、と暗に顔を向けて女性が足を進める。
事ここに至り、女性の言葉を疑う必要もあるまい。
佐刀も残る二人も女性の背中に続き、技術局の扉を叩く。
技術局、という名前が持つ印象に反し、自動扉の先は一般的な会社と大差を感じない。
具体的には建造物の規模相応に広大な受付を兼任した広場に、行き来する多数の局員。彼らの移動を手助けする階段は二階だけでなく、三階や四階に直結したものもある。
「それじゃあ最初に言った通り、二人は受付に申告して広間で待機してもらっていいかしら」
「はいッ。無理を言っているのは私達ですから、それで大丈夫です!」
「……僕もそれで問題ないです」
「そして佐刀くんは、私の私室で秘密の会話、ね」
「熟女趣味はねぇけどが、話自体には興味があるからな。こっちも」
女性側に用事があり、佐刀としても不信感以外に断る理由はない。
ついて来て、と手で指示を出す女性に追随し、佐刀は二人と分かれた。
向かう先は頭上に各階を表示した移動補助装置、昇降機。
何階に向かうのかは判断できないが、便利な移動手段はあって困るものでもない。むしろ利便性ならば好きなだけ向上してもらって構わない。
問題があるとすればたった一つ、一時的とはいえ女性と同じ部屋で二人きりとなってしまうことか。
「このまま七階に向かう訳ですが……もう隠す必要はないわよね。
私は
身体を貫くような衝撃はない。
元よりこちらでは大陸言葉などという表現を用いる英語を多様する様は、同類かどうかを探っているようでもあった。
体よく自己顕示欲を満たすのとどちらが優先度が高かったのかは、一考の余地があるが。
「へぇ、どうも俺は無学でしてね。んな名前は聞いたこともねぇ」
「……餓鬼が」
そして別に同一世界出身で仲良くする必要性を感じない佐刀は、素直な答えを告げる。
一応無学故という擁護を入れたものの、名前からも漏れ出す自己顕示欲の塊が満足するはずもない。
互いに剥き出しの敵意が溢れる。
あり得ない仮定であるが、もしも間に第三者が挟まれば気を失ってしまってもおかしくない程に。
張り詰めた空気が時間間隔を鈍化させ、一秒を数千と切り刻む。
だが昇降機が音を以って目的地への到来を告げ、二人は一端敵意を収めた。
剥き出しの敵意を廊下でばら撒く程、二人は血に飢えてなどいない。ただ二人が降りた直後、緊張の糸が解けるが如くに昇降機内の硝子に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
「どうやら、貴方は義務教育も修了できない劣悪な環境であったようね。同情するわ」
「心にもないことを」
廊下を歩く間、視線を交差させることもなく言葉と感情を交える。
七階ともなれば頻繁な人の往来が想定されていないのか。廊下の明かりは絞られ、意識しなければ足を掬われてもおかしくない。
やがて我道の足が止まり、佐刀も続く。
「着いたわ、ここが私の私室。
といっても、普段は研究室に籠り切りだけど」
白衣の内に仕込んでいた鍵を手にし、我道が開錠。
扉付近で電灯に電気を通して、室内に光を灯しても面積を正確に把握することは困難。
何故ならば壁を埋め尽くす本棚と移動式黒板、足元に理知整然と並べられた資料の数々が本来の容姿を覆い隠すのだから。透視能力に目覚めでもしなければ、一級の不動産業でも結果は同じであろう。
近場の椅子を引き、我道は腰を下す。
「適当に座って構わないわよ」
促され、佐刀は辺りを見渡す。
平面だけでなく、資料を積み重ねて立体的にも面積を有効活用した室内は、二人も腰を下すことを考慮されていない。
「でしたら、ここにでも」
佐刀は寝台の上に積まれた本を足元に置き、そこへ腰を下した。
「で、どうも同じ境遇の人を探しているようだが、何が目的なんですか?」
「まずは、互いにどのような経緯でこの狂った世界に足を踏み入れたのかを話し合いましょう」
「人ぶん殴ってたらなんか森に飛んでた。以上」
二度も会うつもりがない我道に嫌われた所で、何の影響があるとも思えない。まして異世界から転移して来た、などという荒唐無稽な前提を話さなければ彼女の言葉が真実を帯びることもないだろう。
嘆息する我道だが、首を振ると次は自分の番だと口を開く。
「……じゃあ次は私の番ね。
私がこの世界に迷い込んだのは一八年前。こっちでは第二次世界大戦が終戦した二年後ね。
当時私は提出した論文の尽くが世間的に評価され、特許も一生を遊んで暮らせるだけの量を獲得したわ……今思えば、それだけの功績を出した分、疲労も蓄積していたようね」
幸福の絶頂かと思えば、急速に表情を暗くする。変わり身の速さは、さながら万華鏡の如く。
己の不注意を恥じる、というよりは自身の人生を狂わせた下手人に対する強烈な殺意を滲ませて我道は続きを話す。
「ある日、横断歩道で待っていると、トラックが私に向かって突っ込んできたのよ……!
理由なんて当然不明ッ。この私の偉大な頭脳を永遠に失わせるという暴挙だけで死罪間違いなしの愚行ッ。
でも私の身体にニトンの衝撃はなかった」
「当たる直前に、転移したと」
「そうよッ、私の肉体と精神はあろうことか世界の壁を飛び越えてこっちへやってきたのよ!」
我道の口振りに九死に一生を得た感慨はなく、積み立てた功績を台無しにされた憤慨が顔を赤く染め上げる。
「そうして私はこの世界で暮らすことを余儀なくされたけど、この世界の技術レベルの稚拙さには愕然としたわ。
たった二〇年前の大戦に刀を常用し、海を渡るに蒸気機関……仕込めば言葉を覚える烏までいる癖に、車夫が徒歩で車を引く……
あまりの非現実さに五回は目眩がしたわ」
「……」
我道ほどの激情を抱いた訳ではないものの、技術水準のおかしさは佐刀も感じていた。
人によっては忌々しい茸雲精製爆弾を筆頭に、地上の覇者として戦況を左右するようになった戦車、大艦巨砲主義に終止符を打った戦闘機など、憎悪こそが人類の革新に最も有効という証左の如く軍事技術とその転用としての工業技術が加速度的に発展した。
その第二次世界大戦の主武器が刀など、言語道断。現に死傷者も桁外れの誤差が生まれている。
「そんなイカれた、しかも決闘だの正当防衛だのが肯定されて何かと人を斬殺することが容認された世界で私は伸し上がってきたわ……
それこそ血に滲む努力の上で……なのにッ、なおも向こうでの地位には遠く及ばない!
当然の話よッ、何せこっちの世界ではアルフレッド・ノーベルもダイナマイトを発明していないのだからッ!!!」
「……で、嘆き倒した所で聞きますけど、俺に何の用です?」
心底興味ないといった風に、そして実際に微塵も興味が湧かないままに問いかける。
我道の慟哭が堂に入っていることは認めるものの、根本的に佐刀は元の世界に未練がない。
これははみ出し者の自覚がある自身と、人格はともかくとして成功者であった我道の差なのかもしれないが。
「……素敵な提案があるのよ。
貴方、こんな狂った世界から一早く脱して、元の世界に戻りたいと思ったことはない?」
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