異邦

「刀が出来たら語り烏経由で連絡するから、それまで貸出刀に問題があれば、また直接来てくれ」

「分かったよ、タロウさん。ありがとう!」


 玄関前までやってきたタロウに手を振り、佐刀とフタバはオズ工房を後にした。

 太陽は未だ地上を照らし、空の色もまだ青い。朝方からスメラギ病院を後にしていたが、刀の相談が終わってなお日が暮れていないのは想定外。

 二人が墨田区を散策する方向に舵を取るのは自然な話であった。


「号外、号外だよッ。帝都オズ組に討ち入りだぁッ。死傷者多数にして、下手人は貴族様って噂だ!」


 通信総合商社の人間が声を張り上げ、道行く人々の注目を集める。手に持つ新聞は薄く、耳目に飛び込んできた情報を慌てて纏めたであろうことは想像に難くない。

 帝都オズ組に討ち入り。元より人々の生活を支えるスメラギ病院に手を出した極道連中、自業自得と斬り捨てるに易い。


「ちょっと買ってくるね」

「財布はそっちが握ってるからいいけど、わざわざいるか?」

「当然!」


 駆け出したフタバが、新聞を掴んで帰ってくるまでに五分とかからなかった。


「えぇっと、何々……昨晩未明、帝都オズ組に襲撃があった。襲撃者は不明ながら、鋭利な刃物とは異なる。ような切り口から、犯人は鎌鼬の使い手と推察される……

 それで貴族の噂でしょ……下手人の予想がつくなぁ……」


 呆れた眼差しで新聞を眺め、フタバが溜息を吐く。

 恨み辛みなら腐るほど買っているだろう極道だが、帝都オズ組に関しては闇市という形で帝都の治安を守っている側面がある。少なくとも貴族や国の運営に関わっている者ならば、無策でただ捻り潰していい手合いでもないと理解しているはず。

 事実として、下手人も組長の肩を貫く程度で留めて、命に関わる重症を加えてはいないと記されている。


「負傷者も少なくないが、病院側は受け入れを拒否していると……ハッ、ご愁傷様」


 新聞に対して冷笑を向け、左腕に刻まれた傷が疼く。

 薬物を売り捌いて中毒者を量産し、病院そのものを焼こうとした連中だ。受け入れたとして次はどんな逆恨みが飛び出してくれるかも分からない、病院としては当然の対応であろう。


「またセーデキム家当主、マドカ・タ・セーデキムは事実上黙認状態であったスメラギ病院の認可を進めていく、と……あそこまだ未認可だったのか。そこをもっと押しとけばよかったな」

「関心しないなぁ、色々と……」


 軽蔑の眼差しを向けるフタバに気づかず、佐刀は散々な言葉を吐き捨てる。


「てか、フタバはどうも院長と知り合いだったみたいだし、認可に対してかけ合ってもよかったんじゃねぇの」

「それは私もやったよ。

 兄さんも話はよく聞いてくれたけど、どうも担当が違うとかでうまく話が進まなかったみたい」


 お役所仕事というものは、どこの世界も非効率な割り振りを行っているらしい。

 マドカの担当は警備隊であったか。確かに医療分野に精通している訳ではなかろうが、お世話になる頻度は他の分野と比較しても別格。

 そこが数を増やせというのだから、大人しく増やせばいいのに。

 零から増やせというなら確かに面倒も多いだろうが、既に機能している非公認を認めるだけの単純作業への弊害など、門外漢の佐刀には理解が及ばない。


「どっちも日本だから、大差ねぇか」

「どっちも? 何の話?」

「こっちの話」


 呟きへの反応を適当に誤魔化した直後、佐刀は喧騒の中に違和感を覚えた。

 視線の先、人波の奥に異物が入り込む。

 規則正しく一定方向に進む人々が、途中で遮られる。遮る存在もまた、人によって建設された肉壁。

 往来の真ん中では邪魔なことこの上ないが、彼らがそこへ意識を傾ける余裕はない。あるいは背後からの視線如きに惑わされない存在感が、眼光の先にはある。


「ちょっと行ってみねぇか?」

「賛成!」


 顔を横に向ければ考えは同じだったのか、フタバも同意の意を示す。

 人波を切り抜け、二人は容易に最前列へと足を進める。

 そこに広がっていた光景は、異質であった。


「すみません、誰かお助け願いたいのですがぁ……」


 情けなく周囲へ視線を泳がせるのは円陣の中央、灰の流し着を着用した黒縁眼鏡の青年。体躯は年相応なのだろうが、垂れ目を筆頭に気の弱そうな印象を受ける。

 御子派全刀流のような陰刀であらば大した油断の誘いようであるが、少なくとも佐刀をして戦える者の態度とは思えない。

 ならば対峙するは誰か。


「ふぅ……ふぅ……!」


 荒い呼吸を繰り返し、焦点の定まらない眼光で青年を視界に捉えるは、両腕を脱力させて刀の切先で地面をなぞる剣豪。

 だらしなく開けられた口元からは涎が遠慮なく垂れ流され、締りのない犬の如き舌の上には紙片が一枚付着している。青年でなかろうとも、視界の端に収めただけで距離を置きたくなる姿。

 正気を手放しているのは、一目瞭然。


「あの眼鏡、タカナシさんじゃんッ……どうしてこんなことになってるのッ?」

「さぁな。なんでも、見るからに正気じゃねぇ奴があの青年に喧嘩売ったらしいぞ。睨むな、殺すぞってな」

「つうことは、一方的な喧嘩で決闘の流れは汲んでないと。これ乱入してもいいよな?」

「多分な、むしろ助けを求めてるくらいだし。

 ただ、相手はあの有様だ。心臓を貫かれても止まるか怪しい奴に挑もうなんて物好きはいない」


 横合いの見物人の言葉を受け、佐刀は喜々として群衆から足を踏み出す。

 彼の動きに気づいたのはフタバ。次に助けを求めたタカナシであった。


「あぁ、誰かは知りませんが正に渡りに船……助けて下さい!」

「いいぜ、タカナシ、だったか。丁度アンタの所に依頼した帰りなんだ。

 せっかくだから恩を売ってやる」

「ふぅ……ふぅぅぅう……」


 視線のみであるが、佐刀には如実に伝わっていた。

 誰でもいい、早くやらせろ。斬り合わせろ。

 殺させろ。

 狂犬病の特効薬は、流血と惨劇か。それを献上するまでは譲歩してやろう。

 だが──


「噴き出すのは、お前の方だがなッ!」


 腰の貸出刀を抜刀、そして接敵。

 足の裏、前半分のみで地面を蹴り上げ、接地面積を少なくした上で重心を傾ける。産出される結果は、一〇尺以上もの間合いを急速に埋める速度域。

 迎え撃つ剣豪もまた、焦点の合わない眼光を佐刀に定め、両腕を背後に伸ばす。

 弩弓を連想させる構えは、形無しというよりも何らかの流派のものだと推測。なれば正気を手放した相手といえども、油断は禁物。

 佐刀はより力強く一歩を踏み出し、地に小さな亀裂を刻む。

 やがて前屈みの突撃姿勢は剣豪の間合いへと入り──


「フンッッッ!!!」


 剣豪の目が研ぎ澄まされ、弩弓の一矢が放たれる。

 風を斬る音は視覚を置き去りにし、残像が遅れて空を斬る。


「見誤ったッ?」

「いえ、アレは緩急をッ!」


 佐刀は刃を振るわれる直前、力を反対方向へと最大開放。絶大な負荷と引き換えに得た背後への跳躍は僅か数寸のものであったが、微細な感覚が欠かせない居合を相手にする分には致命的な差。

 結果、剣豪の刃は逃げ損ねた佐刀の着物を撫でるだけで彼の姿を捉え切れない。

 なれば追撃するだけだと、剣豪は足を踏み出すが──


「ッ?!」

「おせぇんだ──!」


 右足を貫く違和感に意識を足元へと傾ける。

 そこにあったのは、地面ごと足を縫いつける刀。投合されたことは明白。無論、誰が投げつけたのかも。

 視線を持ち上げる寸前、地を這う蛇を連想させる動きが混じる。

 それが佐刀の姿だと理解する前に、掬い上げる衝撃が脳天ごと顎を貫いた。


「よッ!」

「ッ?!!」


 右の掌打によって、剣豪の肉体は天高く持ち上がる。意識を手放した証拠に、両手に握った刀が離れ、主よりも一足早く地面に転がる。

 続く剣豪は二度に渡って地面を跳ね、やがて活動を停止した。

 直後に湧き上がるは歓声と喝采の嵐。

 気を違えた異常者をにべもなく一蹴した姿は、大衆の期待から多少外れども声を上げるには充分な絵力を有していた。


「これがホントの血も涙もない、なんてな」

「いやあの……右足が凄いことになってますけど」

「……誤差だ」


 背後から投げかけられたタカナシの突っ込みを軽く流し、佐刀は地面に直立した刀を引き抜く。

 同時に多少顔をしかめた。

 無理をしたつもりはなかったが、予想以上に左腕の罅は遅々として修復が進んでいないらしい。不快な感触に今度は佐刀が、力なく腕をぶら下げる番であった。


「もしや怪我を……?」

「別に、この程度でしたら心配無用」


 心配の声音を上げるタカナシへ、努めて涼しい顔で返答する佐刀。

 そのまま円陣から抜け出そうと振り返った直後、歓声に混じった拍手の内一つの出自が判明する。

 白衣をはためかせるは、初老の女性。白髪が存在を主張する肩口まで伸ばされた茶髪は、彼女自身の苦労を眉間の皺と共に訴える。首筋や手の甲、あるいは太腿まで覆う黒の靴下と短い筒状衣服スカートの間に垣間見える肌などから、どこか食に頓着しない不健康な印象を抱かせた。

 女性は大袈裟に右手を動かして乾燥した音を鳴らす。


「見事な腕前ね。見惚れちゃうわ」

「……そりゃどうも、握手でもします?」


 不審。

 佐刀が女性を一目した時、最初に心中を占めたのは警戒の感情であった。

 努めて笑顔の仮面を張りつけているものの、目の奥はただ冷静に品定めをしている。自身にとって有益か、今回の目的に合致しているか。

 なれば、次に問い質すのは佐刀を値踏みするための言葉。


「遠慮しとくわ、異邦者ストレンジャー

「は?」

「スト……なんですって? あだ名ですか、それ?」

「えッ……?」


 一度目の困惑は、単に自身を指し示す未知の単語に。

 二度目の困惑は、その言葉をタカナシが完全なる未知の認識を示したことに。

 そして単語を口にした張本人は佐刀の困惑の意味を感じ取ったのか、僅かに頬を吊り上げる。


「貴方に興味があるのよ、佐刀鞘。もしお暇でしたら、少しお話しません?」


 女性からの誘いに、困惑に加えて心中を占めるのは逡巡。

 はっきり言って不審でしかない。

 何故女性が佐刀のことを知っているのかも分からなければ、彼女が話を伺う理由も不明。更にいえば英語──こちらでは一纏めに大陸言葉と呼ぶらしい──を口から零せるのかも闇に包まれている。

 考えられる可能性は単に国外の情勢に関心を抱いているのか、もしくは佐刀と

同類なのか。


「少し連れがいますので、彼らの許可が降りれば考えてみます」


 ひとまず即決は回避し、佐刀は白衣の横をすり抜けてフタバの下へと帰還した。

 女性が持ち出した話題を相談するために。

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