はじめに、刀匠の少女あり
熱く熱せられ、赤熱化した玉鋼を金槌が叩く。
幾度も幾度も、繰り返し。折り返しと呼ばれる技術が確立されて以降、幾度となく繰り返されてきた所業が、今日も行われる。
より薄く、より鋭利に研ぎ澄まし。しかして人体を両断して有り余る強度も兼ね備えさせる。如何に鋭利な刃先をしていようとも、紙の刃では薄皮一枚裂けぬ鈍ら。
切れ味と強度。決して相容れぬ両者の共生、あるいは調和。
ニ〇〇〇と少々の時を経て、なおも技術の発展が目覚ましい刀の製法。
帝都が墨田区こそ、日本帝国史上最も卓越した刀鍛冶が群雄割拠する聖地である。
「カンカンうるせぇな」
「言うもんじゃないよ、佐刀」
黒の羽織と白の結婚礼装を着用し、佐刀鞘とフタバ・タ・セーデキムは聖地の一角を訪れていた。
スメラギから外出許可は降りたとはいえ、佐刀の左腕は掌まで石膏と包帯で固定され関節の先を僅かに動かす程度が精一杯。それでも、彼でなければ未だにふとした拍子に苦痛が苛み、とてもではないが外に出るのに耐えられる状態ではなかろう。
罅が接合した訳でもないのに許可を取ってまで外出したのには、全うな理由がある。
「ここに刀鍛冶の知り合いがいるのか、フタバ」
「うん! 私の剣もそこで打ってもらったんだ!」
「アレも打ったのか、そりゃ腕前も確かだな」
昨日のスメラギ病院での一件で、佐刀は一月の突貫作業で御子派全刀流を携えた上で帝都オズ組と相まみえ、最終的に用心棒を含む多数を撃破して部隊を退けている。
生粋の剣士ではない故に入院直後は意識を傾ける余裕もなかったが、激闘を象徴するのは、何も肉体に蓄積した重症だけではない。
修行開始前にミコガミから貰い受けた小太刀もまた、その刃に深刻な摩耗を受けていた。
刃先は凹凸が目立ち、刃が潰れている個所も珍しくない。注視すれば刀身の歪みや腹の亀裂にすら気づけるだろう。
近場で購入できる包丁に劣る切れ味は、最早実戦に耐えうる得物足り得ぬことが一目瞭然。
故にフタバの紹介の元、刀鍛冶に刀を打って貰うために足を運んだのだ。
「で、その工房はどこにあるんで?」
「それは、そろそろ……あ、あった!」
左右に首を回したフタバが指差した先には、オズ工房の看板を掲げた家屋。
周囲には二桁台の高層建築も珍しくない中、僅かニ階程度の木造建築は謙虚なのかそれとも高度な経営戦略なのかの判断に困る。少なくとも、目を引くという観点では、勝利を納めているか。
元気一杯に扉に手をかけ、フタバは声をあげた。
「頼もー!!!」
扉の向こうで二人を待ち構えていたのは、こじんまりとした受付。展示品かもしくは自衛か、奥にはいくつかの刀が展示されている。
「あ、フタバのお嬢さんですか。お久しぶりです」
「タロウさんもお久しぶり! タカナシさんはいる?」
「へぇ、すっげぇ色々あんじゃん」
受付とフタバが挨拶を交わす中、佐刀は展示されている刀の数々を見物していた。
刀身が漆黒に染まったもの。
峰がなく、両刃のもの。
柄の双方から刀身を生やした双刃のもの。
工匠の多芸を宣伝する多彩な刀剣は、剣の道の開幕にも立てていない佐刀の目すらも輝かせる。
特に佐刀の注目を集めたのは、やや黒ずんだ一振りの日本刀。
竜の顎を彷彿とさせる微細な刃を大量に取りつけた一振りは、斬るというよりもこそぎ落とすことを目的としたものか。たとえ一閃で仕留め切れなかろうとも、乱雑に抉られた傷口では治療もままならず、肉を抉られた相手の激痛も想像するに余りある。
刀身に刻まれた銘──製作者による情報には。
「
銘には試し切りで得られた情報を刻むこともある、とは聞いたことがある。しかし数字だけでは指し示すものの予想もつかない。
「どうしたの?」
「あ?」
不意に横から鈴の音が響き、佐刀は首を回す。
声の主は小柄で、佐刀と比較して頭一つは小さい。身に纏う着物は藤の花をあしらった花柄で、肩口まで伸ばした髪の色もまた紫。どことなく鋭利な眼差しには、ある種の余裕のなさが滲んでいた。
高校生とは思えぬ、背丈で言えば中学生が相応であろうか。
「おぉっと。子供だったか、悪い悪い」
「……別に。それより何の用で来たの?」
「ちょっと刀にガタがきたから、せっかくだし腕利きに新しいのを打って貰おう、とね」
「腕利きに……じゃあ、話だけなら聞いてあげる」
ついて来て、と言わんばかりに突き出された右手が手招きする。
まるで一介の刀鍛冶だと称する所作に佐刀は怪訝な表情を浮かべながら、フタバの方へ視線を向けた。
「えぇ、今タカナシさんいないの?」
「なんでも、大きな取引があるらしくて……今日一杯は帰らないみたいですよ」
子供の遊びに付き合うのも大人の余裕か。
無駄足になるよりはずっといいと考え、佐刀は少女の後を追う。
扉を一つ隔てた先は、炎熱の世界。
玉鋼の加工から折り返し、冷却の瞬間に至るまで常時高温に晒され続ける刀の製造過程は、熱との戦いでもある。
高温の窯を幾つも抱えた室内を熱気と水蒸気が支配する。加えて佐刀に汗を掻かせるのは、職人の熱気。
より良き刃を研ぎ澄まし、有史以来続く刀鍛冶の歴史に新たな一節を刻む。オズ工房には少なからずそのような野心が蔓延していた。赤熱化した玉鋼を凝視する眼には狂気すら宿り、最適な熱加減を見計らう。
少女の背に倣って仕事場を抜ける短い間だけでも、佐刀には肌に突き刺さる感覚が如実に伝わった。
「ほら、座って」
仕事場を抜け、人肌に適した気温と共にひりつく感覚から開放される。
応接室の奥に設置された椅子へ着席した少女が、佐刀にも着席を促す。
自然、二人は机を挟んで向かい合う形となった。子供のごっこ遊びにしては嫌に凝った状況であり、佐刀も釣られて真剣味を帯びる。
「中々いい座り心地だ」
「それじゃ、要望を聞こうか」
「要望なぁ……実の所、俺は刀に関してはからっきしでな。ひとまず、元はこれになる」
腰に差した小太刀を引き抜き、少女へと手渡した。
受け取った少女が丁寧な手つきで、繊細な硝子細工を扱うかの如く鞘から引き抜く。彼女自身も剣士ではないために居合の類とは構えが異なるものの、丸腰になった佐刀としてはどうしても不穏なものを覚えずにはいられない。
刀身に穴が空くほど凝視し、少女は一つの推測を口にする。
「刀は鈍器じゃなければ、孫の手でもない」
「分かるのか?」
「それに防刃加工の繊維を斬ってるし……かなり硬いか、もしくは相応の速さを持った物質にもぶつけてる。
証拠に、刃はグラついているし不自然に丸まっている部分もある。そしてこの柄の歪み……走りながらか、もしくは滑る勢いで斬った時の軋みだ」
少女が刀を軽く振ってみれば、人を斬る得物として不安視するには充分な揺れが確認できた。下手を打てば、鍔競り合う途中で刃が外れてしまうことすら幻視可能。
なるほど確かに、刀匠が文句を言うのも分かる有様である。
「……名前を聞いていいです? 真面目な話をするなら、互いに名前を知るべきでしょう。
俺は佐刀鞘」
「コトリ・オウ」
佐刀が手を差し出せば、コトリも応じて手を差し出す。
握手すれば自然と分かることもある。
少女だと思い、事実として掌の大きさとしては華奢そのもの。だが、コトリの手は急ごしらえの修行を終えた佐刀と比較してなおも強固。
一体どれだけの間、金槌を握っていればこれだけ角質層が硬くなるのか。
自身と比較して若干の情けなさを覚えつつ、佐刀は空いた手で頬を掻く。
「で。君もかなりの腕前ってことでいいですよね」
「ちゃんと見直してくれるみたいだし、不真面目な話だったのは大目に見てあげる。
……刀鍛冶としてはタカナシよりも上、のつもりだよ」
「あ、あぁ……それはそうです。すみません」
簡単な謝罪を口にして、話を戻す。
「それで、さっき展示されてたのを見て、一つ要望が出来たのですが?」
「いいよ、タカナシに出来たことならアタシにも出来るし」
露骨な対抗心。
隠すつもりもない剥き出しの敵意は構わないが、客の前でまでその態度でいられては困るというもの。もしや、どこか余裕のない印象もタカナシへの対抗心からなるものか。
とはいえ、何もフタバと同じ刀匠に固執している訳ではない。
腕前さえ相応であれば、愛刀を打つ相手など誰でも構わない、というのが本音である。
故に佐刀は展示されて刃の一つを回顧して、言葉を紡ぐ。
「では一つ。展示されていた中で刀身がちょっと黒いのがありましたよね、あの刃がギザギザしてるヤツ。
あぁいう感じに出来ますか?」
「……タカナシの一品じゃん」
「で、出来ますか」
「楽勝」
間髪入れずに即答。
同時に、鋭利に研ぎ澄まされた黒目が佐刀を通じて別の誰かを睨みつけた。
少なくとも佐刀には末恐ろしさと共に、それが自身に向けられたものではないという確信が抱けた。
タカナシの一品に挑む、否。タカナシを超えた傑作を打ってみせるという敵愾心。コトリが剥き出しにしているのは、そういう感情なのだろう。
「で、予算はどうなってるの。一点物なら相応の値段になるけど」
「予算、ですかぁ……」
視線を逸らし、佐刀は再度頬を掻く。
予算はフタバと相談、が事前の話であった。
だが、まさかコトリが本当に刀鍛冶、それもかなり優秀な部類とは思っていなかったが故に予算の相談が碌に行えていないのだ。
かといって、それをコトリへ素直に伝えるのも気が引ける。女の子に懐を握られている、と素直に語るのが嫌なのだ。見栄を張らせろ、という話だ。
「まさか無賃とか抜かさないよね」
「それは、そうですけど……ちょっと、なぁ」
「それとも言い値? そっちは歓迎だけど」
くすねる気はないよ、と念を押された所で別側面──具体的にはフタバからの突っ込みが待っている。一度決定した議題を覆すのは、誰でもいい顔をしないだろう。
素直に予算担当がいない、と口にすれば終わる話だろうに、佐刀は意図してそうしない道を模索する。
結果、膠着状態を打開したのは、扉を開けたフタバであった。
「あぁッ。やっと見つけた佐刀! どっか行くなら先に言ってよ、もぉ!」
「フタバか、悪い悪い。子供の遊びに付き合うつもりだったんだよ」
扉の向こうに立った赤毛の少女に、コトリは怪訝な顔色を向ける。
フタバの大剣はオウ工房で拵えたと語っていたが、どうもこの様子ではタカナシが手掛けたのだろう。
極短い間に会話を重ねただけであるが、たったそれだけでも推察できるほどにタカナシという人物への敵視は克明。隣り合う工房の商売敵、と言われても納得できる。
「……フタバね。佐刀の知り合い?」
「コトリちゃんッ、お久し振り! そうそう、佐刀が刀を駄目にしたから新しいのを打って貰おうと思ってさッ。
でも佐刀は記憶喪失だから、お金がなくて……」
「お金がない……あぁ、それでセーデキムの……」
「はぁ……」
嘆息。そして額に手を当てる。
コトリから向けられる軽蔑の目線が容易に想像できるからこそ、佐刀は言いたくなかったのだ。
尤も、コトリからすれば予算の相談を行える人物が現れた安堵の方が大きいが。
「ひとまず、佐刀の刀と要望に対して、現実的な素材調達と製造工程から……費用はこの辺りかな」
「なるほどなるほど。このくらいだったら大丈夫、一括で払うよ」
「……びっくりするほどすぐ終わったな」
予算の相談など、貴族からすればはした金の確認事項に過ぎない。コトリはくすねることはないといったが、フタバからすれば多少ぼったくり価格であろうとも一括払いできたであろう。
とはいえ、佐刀にとっては刀の要望を伝えた後にやることなど何もない。
手持無沙汰になれば、視線を遊べるのみ。
「それじゃあ、依頼は請け負ったから。その間、刀がなかったら不便だろうし、タロウに言って適当な刀の貸出をしてもらって」
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