第二章──吉原支部技術局編
兄・上・襲・来
ジュンコ・イノウエは退屈を持て余していた。
彼女は勤務先であるスメラギ病院から、やや性急ながらも円満に退社したはずだった。だが、その翌日になって語り烏を通じて『もしも予定が空いていれば明日以降も来て欲しい。特別手当ても出す』と連絡が入ったのだ。
別に予定が入っていた訳でもなく、また特別手当てという言葉の魔力を振り払える程に怠惰を求めていた訳でもない彼女は連絡を快諾。いざ病院へ赴けば、彼女以外にも多数の医師がいるではないか。
困惑と期待がない交ぜとなった空間にも就業時間が訪れ、スメラギ自身が姿を見せると事情を交い摘まんで話し始めた。
曰く、病院の土地を狙って帝都オズ組が営業妨害を図っていたこと。
曰く、昨日の深夜には放火も辞さない過激な手段に出たこと。
曰く、それをとある恩人に助けて貰ったはいいが人手が足りないということ。
『これは私の我が儘だ、我欲による行動だ。だから君達には拒否する権利もある。
それでも……それでも、私と共にこれからもこの病院で働いて欲しい……!』
絞り出される嘆願を、拒絶する者はいなかった。
元より、大半はスメラギの人柄に触れて集まったようなもの。そんな彼が頭を下げるのならば、いくらでも業務に就くのが医師の務め。
「……って、納得はしたけどさぁ」
溜息を一つ。
ジュンコが請け負った業務は受付。
だが、来客の類は皆無。ただの一人たりとも診療を受けに来ないのだ。
病院の恩人達も少女は綿紗や包帯で済む段階、少年は左腕を石膏で固定した上で胴体にも包帯を巻いて細菌の混入を妨げている。
これらの処置はジュンコ達が出勤した段階で完了しており、今は安静にしている段階へ移行している。即ち、彼女の出る幕はない。そして他の医師は物資の準備や整頓、少なからず被害の出た敷地の掃除に勤しむ。
結論として、ジュンコは退屈を持て余していた。
「医者が暇なのはいいことかもしれないけどさぁ……」
「済まない、お見舞いに来たのだが」
独り言を遮るように、一人の男性が受付を訪れる。
だらけ切った顔を一瞬で仕事用へと切り替え、そしてジュンコは言葉を失った。
整った顔立ちに切れ長の瞳。耳を隠すように伸ばされた髪は金糸のように輝きを放ち、入念な手入れの末に得た艶ときめ細かさを際立たせる。西洋制服の上から鮮やかな青の陣羽織を纏った姿は、高貴なる者のみが有する気品を備えていた。
ジュンコの目には、彼の周囲が煌めいて見える。
「はぁ……」
「聞こえているだろうか。どの部屋にいるのかを知りたいのだが……」
「ハッ……! すすすすみません、いったい何の御用でしょうか?!」
見惚れていた状態から一転、ジュンコは上擦った声色で男性の用事を改めて伺った。
「……フタバ・タ・セーデキムという少女が入院していると聞いた。彼女の見舞いに来たのだが」
男性の声色には呆れが多分に含まれていたが、まさか美貌に見惚れていたとも言えず、ジュンコは慌てて名簿を調べる。
とはいえ入院している患者など二人きり。すぐに回答は用意できた。
「フタバ様ならささささ三〇五ごごご室にいますッ!」
「そうか、ありがとう」
緊張を隠し切れないジュンコを他所に、入院先を突き止めた男性は軽い感謝だけを残して足早に病室へ向かう。
去り行く背中を眺め、ジュンコは恍惚の表情を浮かべた。彼女は気づかないが、受付周りで作業していた医師の全てが男性の美貌に酔い痴れていた。
彼がフタバのことを呼び捨てにしていたことも気づかないほどに。
「つまりは、だ。お前は家を出て修行に出かけた所、森の中でハバキと遭遇。決闘を挑むも負けかけた所で俺に救われた。なおここまでもこれからも誰にも連絡していない、と」
「……」
フタバからの返事は首肯。その事実に佐刀は頭に手を当て天を仰ぎ見る。
二人は今、佐刀の病室で相談を重ねていた。尤も、原因はフタバの奔放様であるが。
「知らねぇよ、兄に頭でも下げてろよ。てかちゃんと連絡取ろうな?」
「やだ! 兄さんやたら心配してくるんだもんッ。兄さんを安心させてたら私、買い物にも行けないよッ!」
「病院内では静かに」
手紙しか連絡手段がない世界というならともかく、語り烏などという便利な連絡手段があるのだから、素直にそれを頼ればいいではないか。
だが十数年の間、共に同じ屋根の下で過ごしていたフタバにとって、事はそう単純な話でもない。
「仕方ないじゃんッ。家の流派も肌に合わなかったし、もう独学で学ぶしかないの! それなのに兄さんはそこのところを全く分かってくれないんだよッ?」
「そりゃご愁傷様というか……嫁入り前の娘が無茶するんじゃないというか……」
「佐刀までそういうこと言うのッ?!」
「いや、これは一般論というか……その……」
可愛いな、綺麗だなと思った人間に傷ついて欲しくないのは多少思考が常人離れしていても同じだが、それを言われた当人が理解できるかは別問題。
烈火の如く顔を赤くするフタバは見事なまでに不理解を表現していた。
「大体女だったら辻切りに合わないとでもッ? 昨日もあったらしいじゃん、そういう事件!」
「そうだな、昨日は墨田区で刀鍛冶が被害にあったらしい」
フタバとの会話に割り込んできたのは、一人の美丈夫。
金糸で紡がれた髪に鋭利な瞳。西洋制服の上から羽織った陣羽織には鮮やかな青が映える。
気品に溢れた出で立ちは、経営難に陥った病院には圧倒的なまでに不釣り合いなもの。
見慣れない姿に佐刀は怪訝な顔で寝台の横に置かれた小太刀へ手を伸ばす。他方、フタバは露骨なまでに顔を引きつらせて動揺を指し示した。
「え、もう、来ちゃったの……?」
「あぁ、病室に向かっても姿が見当たらなかったから、受付で彼の病室を聞いたからな。
そこの君は、お初にお目にかかる。私はマドカ・タ・セーデキム。フタバの兄だ。
「……丁寧にどうも。佐刀鞘です」
挨拶の態度から警戒の度合を数段階下げ、小太刀へ伸ばした手も引っ込める。だが心まで許した訳ではない。不審な動きを見せれば、いつでも刃は病室を赤く染め上げる。
そのような突き刺さる警戒心を理解したのか、マドカと名乗った男性は目元を緩めた。
「私は怪しい者じゃない。ただ、妹を心配する一人の兄としてここを訪れた」
そう口にして、足を進める。
最大四人が同室できる面積といえども、病室は決して広くない。数歩も歩めば、マドカはフタバの前へと辿り着く。
フタバが子供のように舌を突き出した直後、室内に乾いた破裂音が響いた。
「な……に、するのよー! 人のことを嫁入り前とかなんとか言っといて、すぐに手を出すのねッ。酷くないッ?」
「当然だろう。これで連絡無しの家出も何度目だ……それにこんな怪我もして。墓前に娘の死を伝えさせるつもりか?」
「死ぬ訳ないじゃん私がッ!」
「死ぬ日を予期しながら生きれる訳がないだろう……」
平手打ちされたフタバに同情しないでもないが、マドカの言も尤も。
というよりもフタバが連絡を伝えるだけで問題の大部分が解決するのでは、と考えずにはいられない。
何せ仮に心配された所で、現場にいなければ連れて帰ることも不可能なのだから。
とはいえ、フタバと離れたいかと問われれば佐刀としても答えは否。故に、彼女へ助け舟を出すこととした。
「マドカ、お兄さん……? 今後は俺が連絡を取るように言い聞かせますんで、ここは穏便にお願いしますよ。ここは病院ですし」
「……私的な用事だからいいが、公の場では兄ではなく様とつけるように。後、今日出会ったばかりの君をそこまで信用する理由がない」
「フタバさんと共に、この病院を帝都オズ組から守り通したとしても?」
「そうだ」
命を賭して一つの病院を守護したとしても、それが個人的な信用の理由とはなり得ない。大層な役職についているが、別に病院と所縁ある地位ではないのだから。
だが、佐刀としては他に信頼の証として提示できる要素は絶無。ならば、たとえ説得力に欠けていようともそれを押していくしかないのだ。
「兄として妹が心配という気持ちも分かりますが、フタバさんも一人前の淑女なんですし、信頼して上げるのも年長者としての務めだと思いますよ。個人的には」
「淑女と宣うのなら、せめて自宅で大物二振りを振り回さない程度の落着きを備えてからにしてくれ」
「え゛……マジで……?」
「……」
フタバの方を向いた佐刀への回答は沈黙。それは事実上の肯定を指し示す。
自身の身の丈もの大物二振りを、猫のように柔軟な四肢を駆使して駒のように回転させ、遠心力で加速させるのが我流たる彼女が辿り着いた回答。
邪魔する者を根こそぎ斬り払い、障害物があれば纏めて薙ぎ払う。
そんな嵐の如き剣戟が室内で振る舞われれば如何なる惨劇が部屋を襲うかなど、想像に難くない。
「いや、無理じゃん……そんな暴れ馬の説得とか無理じゃん」
「そんなこと言わずになんとかしてよッー!」
フタバの懇願は、部屋を飛び越えて病院中にまで響き渡った。
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