師匠M/二重の説得
昼夜を問わず喧噪に包まれ、一部では帝都一の繁栄を遂げているとも冗談交じりに語られる場所、帝都地下街。
天井に備えつけられた水銀灯が沈まぬ太陽の役目を果たし、地下街各所に設置された空気清浄機の循環が、生活に適した心地よい涼風を客人に持て成す。帝都の一角を成す出鱈目かつ広大な面積の地下に満ち満ちた活気は、復興の道を歩む都市部にも劣らない。
地下街の活気は、ある種の倫理を代償にしたものであるが。
とはいえ、全ての地域が万遍なく最上級の熱量を得ているとは限らない。
地下街の中でも首位を争う店が隣接している地区や、あるいは出入の利便性に優れた地区には必然的に客足も集中する。
半面、出入口から遠く離れた地区は、当然の流れとして活気も数段と劣るのだ。
ミコガミと名乗った男が佐刀達を引き連れて訪れた地区も、そうして寂れた地区の一つである。
「ここらは利便性が悪くてな、どうしても客足が遠退くってもんよ」
「それでも充分に多いけどな……」
客足が多いといっても、地下街。
闇市と異なり、警備隊の目を免れる手間が省けるという絶対的優位性はより色濃い闇を地区に残す。
佐刀が薄目で辺りを見回せば、怪しい注射器や刀剣の売買、更には泣き叫ぶ女性の姿まで垣間見える。元々肉体を商品としている地下街だが、どうも人間そのものに関しても売買していたようであった。
……どうでもいい、と被りを振ると佐刀は視線を正面の男へと移す。
「お前が帝都一の剣士、ねぇ……?」
「なんだ、疑ってるのか?」
「当然」
改めて観察してみれば佐刀の頭一つ分は大きく、肉体の端々が引き締まった屈強な体躯も確かに元軍属という説得力を補強する。
だが肉体だけで戦争を行えるわけではない。
やがてミコガミの足が止まり、二人も彼に倣う。
「よぅし、到着だ。
「なんで子供向けが? 地下街は師匠探しくらいでしか子供は来ないんじゃ」
「……掘り下げんな、色々あんだよ」
どこか諦観にも似た表情を浮かべ、ミコガミが暖簾を潜る。続く佐刀の腕が一瞬、止まったのは先の経験からであろうか。
やがて握り拳を作ると、意を決して暖簾を潜った。
「お、ミコガミの知り合いか。珍しいね」
暖簾の先に広がる光景は、帝都地下街にあって異質であった。
店内で微かに鼻腔をくすぐる心地よい芳香は、日本において最高級木材として名高い
店内には空席がいくつかあり、そこにはぬいぐるみや市松人形が設置されていた。更には子供向けの絵本。
「成り行きだよ、成り行き」
「お邪魔しまーす。あ、今度は見れる」
「ハッハッハ、それは住民として恥ずかしいばかりだよ」
ミコガミの後に追従して窓口の一角に揃って腰を下す。
眼前に並んでいたのは、初老の男性の格を示すかのように並べられた多数の酒類。威厳すら伺える光景は、男性自体にも一定の気を纏わせる。
「で、俺に何のようだ?」
「正確には帝都一の剣士にだがな……弟子入りだよ、とりあえず一月で力が欲しい」
「これまた急だな……期限の理由は?」
「そこら辺の時期に帝都オズ組がある病院を襲うんだよ。俺もそこに恩があるし、隣のフタバも同様」
「それに佐刀は用心棒を条件に治療費免除って話をつけてるからねー」
可能なら隠したままで通しておきたかった情報まで無遠慮に話され、文無しの佐刀は額に手を当てた。
大言壮語を逆説で以って成立させるために利用する、など可能な限り伏せたいに決まっている。白日の元に晒されてしまえば、相手の印象が急降下するのも無理ない故に。
そうでなくとも金のために剣士の印象は、決して優れたものではなかろう。
佐刀はそう思案していたのだが、ミコガミは何に対してかも分からず喉を鳴らしていた。
「クックックッ……治療費と来たか。そりゃ大変だな、人探し」
「うっせーよ。それで誰か知らないか、当て?」
「だーかーら、俺が帝都一の剣士だって言ってんだろ。ついでに言えば、弟子を取る気もねぇ」
「駄目じゃねぇか」
仮にミコガミの弁が事実だとしても、弟子を取らないのであらば本末転倒。
であるならば、根本的に彼の言葉を信用する意味もなし。
「
新聞でも、戦時中を振り返る内容なら必ず名を乗せるほどにな」
「御子派全刀流……それにミコガミ……どこかで聞いたような、聞かないような?」
「知るか、こちとら記憶喪失なんだよ」
額に指を当て思案するフタバを他所に、佐刀は対面していれば足の裏を突き立てていたと確信する態度を示す。
厳密には誤りであるものの、いきなり別の世界から来ましたなどと述べられるよりは説得力があろう。次いでに語るならば、現状ミコガミに対して好意的に接する利点が見当たらない。
彼の言葉通り、前大戦とやらで勇名を馳せたのであらば地下街の路地裏で死体同然の状態で生活するなど不可解極まる。
佐刀の疑問を察したのか、初老の男性が横合いから口を開いた。
「ミコガミ、実力も経歴も述べないで信じてもらおうなんて虫が良過ぎるだろう。ミコガミ・テンゼンの名が有名ならば、それを騙る者が現れても不思議じゃないからね」
「つってもなー……人名と流派以外で何を述べれば信じてもらえるよ」
頭を掻くミコガミだったが、そうだ、と指を鳴らすと人差し指で佐刀を指差した。
「だったら、あの話をしてやろう。
あれは中華大陸の元植民地での出来事だ」
「老人の昔話は長いんだよ」
「まぁまぁ、ゆっくりしていけよ若人。
当時、俺は中華方面軍の中隊指揮官だったんだよ。で、当然俺が率いている以上は連戦連勝で勝利の女神と幾度寝たことか。ただまぁ、どうしても味方の損失は〇にできないし、敵や民間人の屍でも士気は下がっちまう。
次は自分もこうなるんじゃないと、頭のどこかで考えちまってな」
敵の屍でやる気が落ちるのものなのか。疑問に抱く佐刀であるが、わざわざ話の腰を折る必要もあるまい。
適当に首を縦に振ると、ミコガミは話を続ける。
「そして大都市南京での侵攻戦!
我がミコガミ中隊は、市街地への侵攻部隊として敵兵を刺身みたいに切り刻みまくったさ。他の部隊も相応に好調で、やがて敵さんの陣形が崩れたのを合図に撤退を開始。
よし、ならば掃討戦だッ。と意気込んだ俺であったが、待っていたのは小隊長四人による直訴だった」
『もうこれ以上、貴方の元では戦えません』
炎上し、崩落する兵站を背景に、各所で響く悲鳴と断末魔が羽虫の羽ばたきに思えるようなはっきりした声量で反逆を告げられた。
一人は市街地戦で左腕を切断され、一人は部下が奇襲で全滅。一人は立っているのがやっとといった風貌で背から無数の刀を生やし、残る一人は顔の半分を包帯で覆っていた。
「掃討戦ってのは、一方的に敵を斬りまくれるからいいんだ。そこに損失が、まして、組織運営に支障が生まれるような事態は以っての他。
残念ながら俺がそれに気づくのは、南京攻略戦と呼ばれる戦いが終局して部下の直訴で飛ばされる時であった、とさ。
……どうだ、これで少しは信じてもらえたか?」
「……」
無言。
佐刀もフタバも、一言も発さない。
時が止まった静寂の中、店内に彩りを加える
静止した人の流れを進めたのは、初老の男性。
「それを聞いて何を信じろと」
「え、駄目か。有名な事柄の裏事情って当事者しか知らないいい証拠だろ、と思ったんだが」
「お前しか知らないことじゃ、捏造し放題だろ……」
男性の指摘で漸く気づきを得たミコガミは、合点がいったと手を叩き、直後に慌てて否定する。
「い、いやいやこういうのが一番いいんじゃねぇのか?!
南京攻略戦が駄目なら、他に何を話せばいいんだッ?」
「色々あるだろ、どこどこの戦線で何人斬った、とか」
「覚えている程度の戦果なんて、大したもんじゃないでしょ」
「南京攻略戦……あぁーッ!」
戦線の名を受け、いよいよ得心がいったとフタバが声を上げた。
「お、やっと気づいてもらえたか」
「南京攻略戦に参加した御子派全刀流ッ!
戦役参加流派名簿の一覧で見たよ、その名前ッ。すっごい有名人じゃん!!!」
貴族に連なる者であるフタバが把握しているということは、ミコガミの発言──少なくとも先の大戦に参加した──は事実。その上、有名と付け足している辺り、実際に新聞の一面を飾ってもいるのだろう。
ならば残る必要情報は、彼が本当に帝都一の剣士であるかどうか。
首を鳴らし、佐刀は脳内でミコガミへの評価を上昇修正。
「有名なのは本当なのか、だったら実力を示して欲しいもんだな。本当に帝都一を名乗るのに相応しいかどうか」
「お、そういうこと聞いちゃうか。それなら丁度いい」
見せてやるよ、帝都一の剣士の姿を。
そう口にすると、ミコガミは席を立つ。
店内を汚すことはできない、そして外に出なければ実力を証明することができない。そうである故に。
肩に羽織った軍服をはためかせ、旭日を象った紋章を刻んだ軍帽で濁った茶の瞳を覆う。腰に帯刀した日本刀を握り締め、肺に溜まった熱を吐き出す。
三〇尺はあろう先に立つは、偶然地下街を訪れていた名無しの剣士。
二人を囲う衆人環視は円を形成し、簡易的な闘技場を形作る。相対する剣士の内、生きて出れるはただ一人。彼ら彼女らの視線は暗にそう主張していた。
固唾を飲んで見守る人々の中に、佐刀とフタバは混ざっている。
「存外、早く見つかったな。相手」
「まさか、『帝都一の剣士と望むなら俺と決闘を!』なんて看板を掲げて。しかもすぐに現れるなんてね……」
字面だけでも冗談みたいな内容だというのに、それにつられる剣士が即座に顔を見せるのも驚愕。
既に互いの鞘へ刀を差し入れし、流儀は整えている。残るは実際に刃を交え、どちらが帝都一の剣士であるかを証明するのみ。
「クイバミ・ドグゥ。担う流派は
「ミコガミ・テンゼン。御子派全刀流師範だ」
クイバミと名乗った男は抜刀と共に両腕を右肩に引き寄せ、耳の付近に刀を備える。
龍尾の型。
七つある型の内から彼は、龍が振るう尾の如き刃で敵を袈裟斬りにする攻撃的なものを選択した。相手の技量が如何であろうとも切り伏せる、強烈な自負を抱いて。
対峙するミコガミは刀を引き抜くと、ただ自然体で右腕をぶら下げた。
そこに構えの類は伺えず、ゆっくりと吐き出す呼気がなければ戦の直前だと連想できぬほど。
「アレ、本当に強いのか?」
剣の道など露知らぬ佐刀には、ミコガミの姿はやる気の欠如した隙だらけの姿勢としか映らない。
素人である自身ですら、あのミコガミを殺すのなど造作ない。
そう、錯覚する。
「うん。私なんかじゃ間合いに入った瞬間斬られそう……」
殺気。剣気。闘気に気迫。
佐刀に応対するフタバはミコガミの発する何かの切れ端を感じ取り、震える声を出すばかり。
彼女の他にも気配を感じ取った者がいるのか。大衆の中にも微かに足を震えさせ、呼気と共に両断される映像が脳にこびりついた者が数名。彼らは皆一様に外界の気温と関連性のない汗を瀑布と流す。
もしくは、息を際限なく重くする濃密な死の気配を前にして抜刀しないだけの胆力を持った証左であろうか。
「じゃあ、そろそろ──」
最初に動いたのはミコガミ。
重心を前方へと傾け、前傾姿勢に移行しつつ踵を地から離し。
「始めますかッ!」
「ッ……!」
大気を揺らして地を蹴った。
後方に砂塵をぶちまけて得た加速力は、彼我の距離を雷牙の速度を以って数瞬で縮める。
しかして対するもまた剣士。
大衆の多くが驚愕に目を見開き、佐刀に至っては肌に伝わる感覚に困惑するばかりの中にあって、ただ一人正確にミコガミの容姿を捉える。
腰程度の高さにまで体勢を崩した極端なまでの前傾姿勢。最早特攻にも等しい姿に空気抵抗を避けるために置き去りとされた両腕。右に握った刀の切先が僅かに揺らぐ。
即ち、一閃の前動作!
「ハッ!」
ならばと、クイバミは右斜めに開いていた身体を捻り、ミコガミに突貫。
極端な前傾姿勢故に突出している頭部へ身体をぶつけ、体勢が崩れた所を袈裟掛けに切り伏せる。
即座に組み立てた戦術方針の下、重心を移し──
「おぉっと、今のを即応するか」
「ッ?!」
不意にミコガミの姿が消えた。
目を離したつもりなどなく、瞬きの隙すら生じなかったはずなのに。
なのに、嗚呼、なのに。
「ただまぁ、そうじゃないんだよなぁ」
ミコガミの声が斜め後方より聞こえるのか。
身を翻したばかりの不安定な姿勢から放たれた横一文字の刃がクイバミの首を断ち切り、頭の代わりと血の花を咲かせる。
勢いを殺し切れなかったのか。もしくは佐刀達に顔を見せるためか。
首が落着した頃には屍に背を向けて通り過ぎていたが、右足を地面に突き立ててその場で数回転することで漸く静止。
地面を転がる頭部は、元より蹴鞠のために形を整えられた鞠とは異なり完全なる球状ではない。故に弧を描く軌道を経て、クイバミの頭と目線があったとて呪術の類など微塵も籠められていない。
「憎いって感情が籠っている可能性は、否定しないがね」
「……」
呆気ない。もしくは大言壮語に収まらない順当な結末を目撃し、佐刀は言葉を失った。
目撃、といった所で目の当たりにできたのは止め絵染みた瞬間瞬間のみ。
気づけばミコガミはクイバミの正面に立ち、気づけば互いの姿勢が変化し、気づけば二人の位置関係が逆転し、そして気づけばミコガミの刃が決闘相手の首を刎ねていた。
僅かに付着し学ランを穢す鮮血の不快な暖かさだけが、今見ているのは現実の光景なのだと佐刀へ訴える。
アレが本当に強いか?
殺すのが造作もない?
馬鹿も休み休み言え。自分が百、否、千人いても殺すことは叶うまい。
それだけの隔絶した技量の差のみが、唯一佐刀にも実感できた確かな感覚であった。
「さて、と。これで俺が帝都一の剣士であると信頼してもらえたかな。
さっきも言った通り俺は弟子を取る気もないから、帝都二の剣士でも探すのを手伝ってやろうか?」
「信用するさ、だから今度こそ俺を弟子にしてくれよ」
「話聞いてたか?」
決闘の終わりを合図に大衆が散り散りとなる中、佐刀に歩みを進めるミコガミへ、改めて師事を乞う。
掌返しと言われようが関係ない。ミコガミが帝都一の実力だという根拠を、実態が異なろうとも彼自身がミコガミの言を信奉出来る程度の技量を見出した以上、頭を地面に擦りつけるのも辞さない。
目の内に決意を秘めた佐刀を前に、嘆息を一つ。幸運がまた逃げたミコガミが額に手を当てる。
「そもそもなんで弟子を取らないのさッ。佐刀が文無しなのが不満なら私が出すよッ」
「だーかーら、女性に奢られる野郎ってのは勘弁なんだが?」
「金の問題じゃねぇよ。なんつうか、こう……色々あんだよ」
「たとえば、今まで弟子を取ったことがないから正しい指導が出来るか不安だとかね」
「なッ?!」
横合いから割り込んできた初老の男性が告げた言葉に、ミコガミは声を荒げる。
「おい、爺ッ。それは言わない約束だろ!」
「……ミコガミ、そろそろもう一枚皮を剥く頃合いだろう。
流派を修めるなら、弟子を取ってこそ一人前であろうよ」
御子派全刀流師範を諭す男性の弁は、佐刀に味方するようで。
人生経験の差か、もしくは男性自身もミコガミに負けず劣らずの荒場を超えてきたのか。
やや掠れた声色に、言い様のない説得力を感じさせた。
「指導の不手際で文句を言うつもりはないですよ。そんなみみっちい男じゃないつもりだし」
「相手に応じて対応を変えるような奴の言葉を信じろ、と。冗談きついぜ」
「あぁ、やっぱりそう見えるのね……」
佐刀が態度を変えているのはフタバの目から見ても明白であったが、初対面に等しい人物にも分かる程に顕著であったか。
遂に指摘された佐刀も表情には出さないものの、額を通じて頬を一筋の水滴が滴る。
転移前の世界では人付き合いに精を出していた訳ではないとはいえ、冗談混じりに指摘された程度で本気で態度の豹変を突っ込まれた経験など皆無。
故に、頬を掻くばかりで佐刀は紡ぐ言葉に悩んでいた。
「性格のねじ曲がった人物を矯正するのも、師匠の役目であろう」
「なんだよ爺。もう弟子を取れって言ってるようなもんじゃねぇか」
「折角だから取ってあげてよ。ここで一発、指南の腕を磨いて後世に活かすものいいと思うけど」
「チッ。お嬢さんもそういうことを言うのか……」
「それで気が晴れるってんなら、好きなだけ土下座するが?」
佐刀の言葉と、膝を地面につけた姿勢が最後の一押しとなった。
腹立たしげに頭を掻き、帽子からはみ出た灰の髪を痛める。それから、やけくそにも等しい絶叫。
「あぁあぁあぁあぁッ、分かりましたよッ。
やればいいんだろ。弟子を取って御子派全刀流を後世に残せばいいんだろッ。上等じゃねぇか、人格矯正でも訓練でもやってやるよッ!」
「一月で、というおまけつきでな」
曲げた膝を上げつつ、佐刀は指を立てて指摘。
経緯はともかく、師匠を得たのだ。ならば次は師事を受け、一月という短い時間を使って剣の腕を磨くのみ。
即ちどこまで歩もうとも果ての見えぬ、修行の日々である。
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