提案
「なんなんです、あの無礼な連中は」
スメラギ病院の一角、本来なら医師が使用する休憩室にスメラギと佐刀、そしてフタバが腰を下していた。
沈鬱とした初老の男に疑問を投げかけた佐刀は、既に三度は頭を掻き毟っている。
帝都オズ組とやらがスメラギ病院によからぬ干渉を起こしているのは明白で、経営難にも一枚噛んでいるのは明らか。更に述べれば、柄も悪ければ患者に刃を振るうことに抵抗もない。
スメラギが、重鈍な口を開く。
「帝都オズ組。
一九年前、物資難が原因の放火騒ぎで空地となったここを所有していた極道もんだよ。当時の私は、そこら辺の詳細を知らぬまま、丁度空地だからと小さな診察所を開いた」
スメラギの目が遠くを、過ぎ去った過去を見つめた。
吟遊詩人の語る物語とは違い、主役も悪役も端役も役目を終えた後でも、世界は滞りなく運用される。そこに詠歌はなく、
激動の時代、戦禍の後に残されたものを調律し、人が生きられる時代に戻す。物語足り得なくなった世界を、再び物語を紡げる状態にまで戻す。
それが、今の人々に求められた役割。
「程なく、オズ組の使者が来訪したよ。土地の所有者として
とはいえ時代が時代、当時の組長はむしろ診療所を全面的に支援してくれたよ。帝都の僻地にこそ、光ありなんて売り文句まで考えてくれてな。土地の使用料も最低限で、ただで使わせては面子が立たないといった雰囲気だったよ。
そんな良好な関係が、事情が変わったのは八年前……」
「帝都大放火事件」
スメラギの言葉に続くように、フタバが呟く。
「そう、アレに巻き込まれて当時の組長も死亡。後釜に収まった若頭が前任の契約など反故と言わんばかりに、取り立てに現れてな。
その上、患者や所属する医師への嫌がらせをしやがって……!」
『経営、上手くいってないんだろ。私たちも丁度求めていたのさ、
脳裏に甦る、唾棄すべき侮辱の言葉。
人を治す神聖なる病院で、人を壊す薬を売れなどという暴挙。
適切な病気に対してではなく、ただ刹那の快楽のために施される薬。繊細に扱わねば、如何なる薬も毒に代わりて処方された者を蝕む。
そして薬物とは、毒として運用された薬を指し示す。
スメラギが硬く、硬く手を握った。
「挙句、薬物を売れなどと宣いやがったッ」
「で、それを断ったら嫌がらせが加速して、経営が成り立たなくなったと」
「そして毎月の支払いは加速度的に値段を上げ、やがて払えなくなったら待ってましたと言わんばかりに土地を引き払えと言い出す始末……」
「なにそれひっどい! 私が何か言ってあげようかッ?」
「確かに、日本四六貴族のセーデキム家の一言ならオズ組も話を聞かざるを得ないでしょうが……貴族が徒に強権を使うものではありません」
それに貴女様は、当主ではないでしょう。と続くスメラギ。
貴族、などと称されたフタバへ顔を向け、二度見する佐刀。
説得力皆無。貴族要素など、普段から着用している結婚礼装程度ではないか。それとも、あの二振りの大剣が背筋も凍る値段なのだろうか。
「貴族? フタバが? 可愛い村娘とかじゃなくて?」
「それ、褒めてるの、貶してるの。どっち?」
「……可愛いなぁとは思うけど、貴族はどっちかっていうと綺麗って感じじゃん」
「酷い偏見」
閉話休題。
ともかく、このままではスメラギ病院は取り潰しになるか薬物の密売拠点と成り下がる。纏め役であるスメラギがそれを忌避している以上は、佐刀も手を貸すのに不満はない。
佐刀としては、治療を中断されるくらいなら薬物密売を肯定できるのだが。
「じゃあ、オズ組とやらの妨害は今後も続く訳だよな。
だったら──」
名案とばかりに指を鳴らし、佐刀は口を開く。
「ソイツらを追い払う代わりに治療費免除ってのはどうです?」
「やだ、弱いでしょ。君」
「即答かよ……」
とはいえ、スメラギの言葉もご尤もか。
地を割る程の剣戟を振るう用心棒。
帝都オズ組と事を交えるということは、あの男とも矛を交わねばならない。だがフタバが辛うじて用心棒の凶刃からスメラギを守っていた間、佐刀は付き添いの悪漢二人の注目を稼いで意識を逸らすのが精一杯。
そんな少年に手を借りるのは、信頼が足りないのだろう。
「治療費免除を名目に無茶されて、死なれでもしたら目覚めが悪い。こっちも死なせるために治療している訳じゃないんだ」
「そりゃ医師としてはそうだろうが……あぁ、だったら実績を示せれればいいってことか」
「どうやって示すのさ。言っとくけど、私と決闘するってなら手加減しないよ」
「ひとまず……この前、百刀一閃流とやらの剣士をぶっ倒したじゃダメか」
「通用してないじゃん」
「それは……うん……アレよ、アレ。武器がなかったから遅れを取っちゃったの。ちゃんと得物があれば、負けないよ。あんなチンピラ如き」
顔を逸らし、俄かに冷や汗を掻く。
金、払いたくない。代わりの労働力の提供、苦ではない。むしろこの世界で生きるための力を集める口実にもなる。
なので、過去の功績に全力で縋る。
どうせ逆順で事実にしてしまえば成立するのだ。請け負った当時は不可能でも、実行の段階までに成立させてしまえば人は拘泥しない。
「……そもそも君も、フタバ様もこの件には関係ない。関わるべきじゃないんだ、極道との揉め事なんて」
「いやぁ、人は助け合いでしょ。スメラギさん。困った時はお互い様よ。俺は先生の腕に助けられた、だから俺も先生を腕で助ける。何もおかしくないだろ? な?」
妙な饒舌になった佐刀がスメラギの肩を叩き、必死に説得を行っている。
ここで説得に失敗しまえば、彼の治療費を誰が払う。
きっと頼れば、フタバは快く払ってくれるであろう。快活な笑みにしょうがないなぁ、とでも付け足して。
だがしかし、彼女にあまり貸しを作りたくはない。
それは佐刀鞘の偽らざる本音である。
「という訳でさぁ、スメラギ病院のためにも俺は一肌でも二肌も脱ぎますよ。旦那ぁ」
「……はぁ」
嘆息が一つ。
説得は不可能と諦めたか。視線を向ければ、フタバも目を爛々と輝かせている。彼女も自らを治療してくれた老人のために手を貸すことに抵抗はないようだ。
「オズ組は月に一度の周期で病院に訪れる。集金のつもりなのだろうな。
だから、次は……」
スメラギが立ち上がると七曜表を一枚捲り、手に持つ
丸をつけられたのは今日から数えて丁度三〇日後。
「ここで来るだろうな」
「分かった。その日にはセーデキム家じゃなくて、ただのフタバととして手を貸すよ!」
「よしッ。だったら、その時には俺の真の力を見せましょうか」
快活に笑うフタバに、右手を握り締めて万感の感情を表現する佐刀。
ひとまず、どこに合わせて手段を講じればいいのかが把握できれば、手の打ちようはあるのだから。
視線を落とすスメラギの手が、七曜表から離れる。
そこに描かれていた末日は、三一日であった。
「あぁ……!」
恍惚の表情を浮かべ、用心棒が首筋に注射器を突き立てる。
同時に全身を迸る快楽。
脳内で快楽物質が過剰分泌され、神経という神経が歓喜に震える。
性欲と獣欲と食欲が一気に顔を出し、同時に満たされるような慮外の快感。人の肉を持ったまま天国を垣間見た感覚は、まさしく法外のそれ。
口元に浮かぶ歪な三日月も、だらしなく舌を垂れ流す。
「あぁ、気持ちいぃ……!」
「あぁあ、ダセェったらあらしねぇ。小娘一人討ち取れねぇしさぁ」
「チッ……今月こそなんとかしろって組長には言われてたのに……余所者の介入なんざ聞いてねぇぞ」
夜も深く、帝都は豊島区の空に青白い輝きを発する月が浮かぶ。その一角、未だ遅遅として大火からの復興が進まない空地を流用した闇市の内、帝都オズ組が直接取り仕切っている地域、東帝都闇市に三人は屯していた。
尤も、一人はオズ組で取り扱っている薬物を乱用直後で使い物にならないが。
ワジマと呼ばれた長身痩躯の男が、上司ともいえる男に声をかける。議題は単純、先の一件に関する事象。
「んで、どうしますよ。実際。先生が予定以上にダセェ有様だし、頭でも下げて援軍を頼ります? 先輩が」
「なんでてめぇは下げねぇんだよ、糞が」
「いやいや、誰かに頭下げるとかダサすぎて趣味じゃねぇんで」
「ダサいと思ってることを先輩に押しつけるな、カス」
罵るも、実際問題として男も対処法に頭を悩ませていた。
用心棒が薬物の効果が切れるまで限定の戦力という前提条件の中、抵抗戦力がいる状況は好ましくない。それも赤毛の少女は防戦一方ながら用心棒を足止めでき、もう片割れの少年には砂を吹っ掛けられた上に殴られる始末。
特に少年のことなど、頬に灼熱が走る度に思い返して腸が煮えくり返る。だが、実際に現段階の人数で処理出来るかどうかは別問題。それに、先生が抑えられるとあっては、如何に他が無抵抗の人物の切断に長けた医者連中であろうとも、数で押し切られかねない。
一陣の風が吹き抜け、肌に寒気が突き刺さる。如何に夏であろうとも風が吹けば寒いものである。
「実際、頭数が欲しいのは確かなんだよなぁ。先生はどんどん薬がキマってる時間が短くなってるし……でもこえぇんだよな、組長」
「いっそ戦力を騙すのはどうよ。スメラギの背後に貴族が控えているとかそんなので」
「名案だな、それ。最悪、シとかナとかそこら辺の没落貴族の末梢とかって言えば実情はどうとでもなるし」
悪事の根も張り巡らされる。
徐々に、染み渡るように。
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