奇跡と真実

 彼女は息を殺していた。 腕の中にいる存在に「しー」っと声をかけて、じっと瓦礫がれきの隙間に身を隠す。ドキドキと心臓の音が耳の奥で響く。呼吸一つが命をうばう物であることを感じざるを得ない沈黙。それが彼女の心臓を押しつぶす。

 すべて恐ろしくて、どうか、どうか見つかるなと願う。 


「うあぁ」


 さっと彼女は青ざめた。

 とっさに腕の中の小さな命をぎゅっと抱きしめた。


「いい子だから、いい子だからしずかにして」


 母の不安を感じ取ったように、小さな小さな命もまた不安そうに目をせわしなく動かす。


 ──ああ、泣いてしまう。


 そう思った時だった。目の前に現れたのは隣の家の若い旦那さん。

 いつも穏やかな表情で笑って挨拶をくれる人。彼が呆然と目の前に立っている。

 頭から流血し、目は虚ろ。彼の影の中に飲み込まれて、彼女は声をあげることも息をすることも忘れた。

 瞬間。彼の頭が吹き飛んだ。


「ひぃ!」


 彼女は叫び、あわてて口を閉じたが遅かった。

 手の中の温もりが「うあああ」っと声を上げ、同時に目の前に巨大な影が現れた。

 どろりとした見た目。腐った生ゴミのような異臭。そしてぎょろりと覗く一つ目。形すらなんと形容してよいのかわからない異様な姿のそれ。

 あちこちから、人の腕が生えていた。

 それは、飲み込まれた人たちの……。


 ──ああ……だめ。


 せめてこの腕に抱いた子供だけは。この子だけは。そんな思いで子供を抱きしめた。その時。

 キラリと視界で何かが光った。


「え?」


 視界が、一瞬でひらけた。


 目を見開く彼女の視線の先で、そのどろどろの魔物がぐちゃりと音を立てて倒れる。

 それだけではない。あちこちにいた魔物がどれもこれも地面に倒れてピクリとも動かなくなっている。

 ふらふらと瓦礫の隙間から歩み出た彼女はその光景に目を見開いた。

 ひらひらと空から舞い散る幾億もの花びら、否、光の刃が天上から降り注ぎ、魔物を次々に切りさいていく。

 次々と、次々と。

 気づけば、同じように隠れていたのだろう人々が現れ、空を見上げている。

 そして誰かがその言葉を呟いた。


「ああ、神よ」


「神よ……感謝します」


 人々はこの奇跡に目を輝かせ、膝を次々と折る。そして両手を握り合わせる。祈りを捧げた。 

 

 その日、その街では、悪夢と共に神の奇跡が起きた。

 後々まで語られることになる、神の御技である。   

   

 

 ◇ ◇ ◇



   

 実際に奇跡を引き起こした彼は、感知していた全ての魔物の気配が消えたことを確認し、ふう、と息をはいた。

 流石のロイスでも都市と呼ばれるほどの規模の街で行われた虐殺ぎゃくさつを一斉に止めるのは簡単ではなかった。

 どっとおとずれた疲れと眠気に、ロイスはふらふらとよろける。


「ロイス!」

「心配ない。ただの魔力不足と疲れだ」


 軽く手を降って、ロイスは自分の無事をカレンに伝えると、ホッとした様子で彼女は胸をなでおろした。

 無茶を言った自覚はあったのだろう。

 さて、このままここにいても意味はない。おそらく魔物という問題が解決した今、教会は人々の保護とロイスたちの確保を天秤にかけ、そして信仰を守るため、人々の救助にまわるだろう。その間に、この街から出て行く。今の騒動の中なら簡単なはず。とロイスは思って、きびすをかえし、ふらつく脚を抑えて階段を降りる。

 その途中で、ロイスはさっと振り返った。


「どうした」


 階段の上で、ひとり俯く少女。


「こないのか?」


 無意識にそう尋ねる。

 互いにすでにお尋ね者だ。今回のことをどう言い逃れしようとしても、教会は聞く耳を持たないだろう。おそらく全ての責任はロイスたちに被せられる。

 遣る瀬無いし、正直言ってこれからどうなるのか全くわからない状態だ。そんな状態になったもの同士である。

 もうこれで離れられないね。なんて言われるのでは、とすら思っていたのに、彼女はじっと黙り込んでいた。今までのようについてこない彼女を不振に思って見つめていると、ポツポツと彼女は言葉を紡ぎ始めた。


「はじめてじゃないの」


 無言で続きを促す。


「私、ああなったのはじめてじゃない。前にも、何度も、暴走するの。力、コントロールできないから。だから……」


 だから、ずっと父親から遺跡に押し込められていた、とカレンは言う。

 ロイスは小さく頷いた。


「ずっと、あの遺跡の中しか知らなかった。ずっと、外に興味があったの。でもどこにも行けなくて。だけど、だけどロイスがきた」


 そう言って、カレンはロイスの目を見た。じっと不安そうに見下ろしてくる。初めて、彼女に見下ろされたな。とそんなことを思いながら、ロイスはため息を吐き出した。


「知ってる」


「え?」


「うすうす気づいてたって言ったんだ。ずっと、気になっていた。あの時おかしいと思ったんだ」


 あの時。遺跡を探していたあのとき。遺跡の方角から感じた視線。あれをカレンは魔物を寄せ付けないためのものだと言った。

 しかしならば、あのような強い気配を出すべきではないのだ。むしろ、ロイスからすれば、逆におびき寄せる効果があった。

 ずっとそれが疑問だった。そして、そうであるならばそれをするのは誰か、と。


「あんな風に気配を撒き散らしたのなら、より強い敵をおびき寄せるだけだ。俺を、おびき寄せたかったんだろう?」

「……ごめんなさい」


 神妙にカレンが頭を下げた。

 泣き出しそうな顔に、ロイスは苦笑する。

 感情豊かな彼女に引きずられているのだろうか。そんなことを思う。

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