期待と失望

 

 ──お前はどっちだ?


「面白いな、さっきのは呪文なしか? クライスは使ったのか? それもなしならどうやって魔術をつかった?」


 ロイスは疑問、否、好奇心からくる質問をたたみかける。


「くっそ」


 四つ這いの男は首を左右に振って立ち上がろうとするが、うまくいかないらしい。頭でも打ったのだろう。せめてもの抵抗とでもいうように、男がロイスを睨みつけ、そして吐き捨てる。


「そんな、クライスもなしに魔術が使えるわけないだろう! 何を言っている!」


 その言葉を聞いた瞬間、ロイスの顔から表情が消えた。


 ──なんだ、こいつも、まだまだその域まで至っていない。俺とは違う。

 

 ロイスは明らかな落胆と共に溜息を吐き出す。


「くそっ、くそぉ! 【鉄壁のロイス】二つ名は伊達じゃないってことなのか」

「……それやめてくれるか。ダサくてきらなんだ」

 

 ロイスは顔をしかめた。

 二つ名がつけられたのはずいぶん前のことだ。

 有名な魔術師にはそれがつけられることがあり、ロイスは結界術のスペシャリストとして名が知れていた。

 名の知れた魔術師はあちこちから厄介ごとが持ち込まれる。金になる仕事ならまだしも、はた迷惑な、名をあげたい連中も……。人間関係を面倒に思っているロイスとしては、面倒この上ない。しかもつけられた二つ名がダサい。それもたまらない。

 ロイスは無様に這いつくばる敵を眺めて、ため息を吐き出した。

 

「大方、二つ名持ちを倒して名をあげようとしたんだろうが。こんな人気のないところで襲ってどうなるものでもないだろう。観客もいないのに」

 

 肩をすくめて言って見せる。

  

 すると、男はくくくと低く笑った。

 ロイスは不快に眉をひそめる。


「お前、指名手配されていたからな。保安局に連れて行けば、相当の懸賞金も得られるし、倒した名声も手に入る。指名手配されてくれてありがとうよ」

 

 その言葉にロイスは渋い顔をする。


 指名手配。やはりいろいろと面倒なことになっている。

 街にはいられないし、こういう輩からも逃げないといけない。魔王から逃げていると言うのに。

 この街において、騎士団が兼ねている街の風紀を管理する部署、保安局。そこに突き出されれば、間違いなく捕縛、投獄されることになるだろう。

 大嫌いな騎士団に捕まると考えると、まったく嬉しくないどころか、最悪な事態だ。

 

「勘弁してくれよ」

 

 ロイスは嘆きに似た声で情けなく言葉を吐き出した。

 男がひひひと引きつった笑い声をあげる。

 

「勇者を敵に回したからだ。馬鹿め」

「ああ、お前に言ったんじゃないから。黙れ」

 

 間髪入れずにかえして、ロイスは周囲に張っていた六メートルに及ぶ結界を解除した。

 割れていく。ばらばらと破片になり、重力に従って落ちていく。

 

「馬鹿か!」


 男、魔術師は突然叫ぶと、膝立ちになり、勢い良く両手を広げた。

 見れば、男の右手の人差し指にはめられた指輪が光っている。

 何か魔術を発動しようとしている。だが。


「発動するために指輪が必要か? その程度なら、残念だが止めるのは簡単なんだよな」


 あからさまに嘲笑うように見下して言うと、ロイスは自らの指先をくいっと曲げた。

 それは突然のことだった。

 つい先ほどまで余裕そうに笑っていた魔術師が、顔を盛大に歪めて叫んだ。

 

「あああああああ!」

 

 魔術師は悲鳴を挙げる。

 指先から溢れ出る赤い鮮血。どばどばと勢い良く噴出するそれは地面を赤く濡らしていく。

 さきまで張っていた結界の破片。それがロイスの指先の動き一つで、相手の人差し指を切断したのだ。


「ぐうううう!」


 苦しげに男が唸り、指をおさえてうずくまる。

 それを黙殺して、ロイスは魔術師に近づいた。足元にころころと転がってきた指輪を拾いあげる。


 ──あ? なんか最近も同じようなことあったような。……ああ、あのゴーレムも指輪が核だったか……。まあどうでもいいが。


 すでにどこか懐かしい気持ちすらあるその記憶を適当に、まさに適当に切り捨てて、ロイスは魔術師を見下ろした。

 

「どうした。魔術を発動してみせろ」

 

 男が何事かを口にしようとする。


「ああ。それはなしだ」


 言って、ロイスは相手の口元を鷲掴みにした。口止めを物理的にしたことになる。


「むぐぅ」


 男は苦しげにその手から逃れようとする。ロイスの目はというとどんどん冷え切って、もはや虫けらを見るようなものになっていた。

 そのくらい、もうどうでもよくなっていた。相手の術が風の術で、その威力がどのくらいで、そしてその発動方法が何で。それがわかった時点で、相手への興味は失われている。

 そして窮地に置いて、安易に指輪を使うという、あるいみ【青の書】に書かれたセオリー通りに行動した魔術師に対して、尊厳を尊重してやる気持ちも失せていた。

 ひやりと気持ちが冷めていくのがわかる。

 必死にロイスの腕から逃れようとする相手を見ればみるほどに、感情が失われていくようだった。


 ──ああ。懐かしいな、こういう感覚。ちょっとは骨のある奴かと思ったのに……。残念だなぁ。

 

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