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「かわいいね。ひとり?」


 振り返った先。五メートルほど離れたその場所で、男の人の姿をした喜多村きたむら先輩が、あろうことか元カレの彼女に声をかけている。

 わけのわからない状況。それでも私は、なんとかして目の前の情報をひとつずつ処理していく。


 服装は、黒いライダースジャケットにデニム。少し大きめのサイズなのか、女性らしい身体のラインは一切見えない。初めて会った時よりも身長が高いように思う……のは、底の厚いブーツのせいだろう。

 髪はワックスで立てた男性的なヘアースタイルに。私の知る先輩の姿と唯一重なるのは、目を細めたくなるほどの金色の髪だけだった。


 かろうじて、私はそれが男装だと理解できる。だけど先輩のことを知らない人間は、彼女の性別を正しく判別することはまずできないだろう。

 そしてその整った顔立ちは、男性アイドルも顔負けなくらいにイケメンだ。


「よかったらオレと遊ぼうよ」


 テンプレのような口上こうじょうで、ナンパを続ける先輩。


「えー、私カレシと待ち合わせしてるんですけどー」

「いーじゃん、そんなの放っといてさ。どうせ冴えないカレシなんでしょ。君、カワイイんだからもったいないよ」


 そんなこと言って、怒りだしたらどうするのよ。


「えー。どーしよっかなー」


 けれど彼女は、怒るどころかうれしそうにしていた。まんざらでもない様子。イケメンにかわいいと言われて鼻が高いみたいだけど……彼氏持ちの人間としてその反応はどうなんだろう。


「美味しい店もいっぱい知ってるよ? オレがおごるからさ、ちょっとだけいいじゃん?」

「……うーん」


 そして、


「じゃあちょっとだけ、ね」


 えっ、行くの?

 彼氏待ってたんじゃないの?


 私が驚きを表情に出すよりも早く、状況はとんとん拍子で進んでいく。喜多村先輩は、早速とばかりに彼女の手を引いた。


「じゃー決まり。行こうぜ――」

「おいっ!」


 聞き覚えのある声が、先輩の動きと言葉を遮る。

 ――いや、何度も聞いたことがある。聞き間違えることなんてなくなるほどたくさん。


 そこにいたのは、元カレだった。


「おいお前、人の彼女に何ちょっかいかけてんだよ!」

「あーカレシ来ちゃったかー。残念」


 激昂げきこうし二人の……先輩へと走り寄る。だけど先輩は、槍の穂先をかわすようにするりと避けて、彼女から距離をとった。

 一先ひとまず、自分の彼女へのナンパは未遂で阻止した。だからといって、それで彼の怒りは収まるわけもなく、


「お前も、なんでついて行こうとしてたんだよ!」


 その矛先は、すぐ隣の彼女へと向けられた。


「わっ、私は別に」


 自分にも非があることを自覚していのだろう、口ごもる……も、すぐに反旗をひるがえす。


「そ、そっちこそ遅刻してんじゃん! 来るの遅いっての!」

「はあ? 俺が悪いってのかよ!」


 始まる口論。

 二人を中心に生まれるピリピリとした空気。通りかかる人は「痴話喧嘩か?」と横目に通り過ぎていく。そんな人たちに溶け込むようにして、私も行く末を見守る。


 だけどそんな空気は、予想外の方向からの声――喜多村先輩によってかき消された。


「なーんだ、こっちの子の方がかわいいじゃん」


 まるで初対面であるみたいに、先輩は私に近づいてきてナンパのセリフを口にする。さらには、肩に腕をぐるんとまわしてきた。


「よかったらオレと遊ぼうよ」

「えっ、えっ?」


 当然、さっきまで口論をしていた二人の視線もこちらを向く。そしてそれは、私にとっての元カレが、元カノわたしを視認することに他ならない。


「たっ、棚町たなまち!?」

「あれ、もしかして知り合い? それとも元カノとか?」

「あ、いや」


 すると、彼氏の反応にすぐさま眉を動かした人がいた。隣にいた彼女だ。


「ねえ、どういうこと? 私が初めての彼女って言ってなかったっけの?」

「いや、あれはだな」

「ちょっと! 説明してよ!」


 形勢逆転、とばかりに彼女が詰め寄る。どうやら、元カノわたしという存在は隠していたみたいだ。


「ほら、今のうち」


 そんな言葉が聞こえたと同時、先輩が私の手を引いた。


「え、あの」

「さっさと退散するよ。あとは若い二人に任せて、みたいな?」


 半ば引きずられるように、走る。あっという間に、口論を続ける二人から離れていく。


「ちょっと先輩」

「ほら、走った走った」


 軽やかな足どりを追う。やがて私たちは隣に並ぶ。

 先輩の表情は、とても満足げで。

 私は、すべてを悟った。

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