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 大学の有名人、喜多村きたむら綾乃あやの先輩との奇妙な出会いから一週間。

 二限の講義を終えた私は、駅前の喫茶店で一人コーヒーを飲んでいた。


 通りに面した全面ガラス張りの壁から入ってくる日光が、寒いくらいの冷房を丁度いい具合に中和している。控えめに流れるジャズ音楽も相まって、店内には心地よい空間が作り出されていた。

 そんな雰囲気に身体を預け、カウンター席からぼんやりと外を眺める。


 ……復讐ふくしゅうって、どうするんだろう。


 同意したものの、喜多村先輩は「私に任せて」と言うだけで、具体的に何をするのかは話してくれなかった。

 考えてみても、方法は全く思い浮かばない。そもそも、そんなこと可能なのか。私が教えた元カレの情報なんて、ツイッターのアカウントくらいだ。


 ま、教えようにも他に何もないんだけどね。

 LINEもメールアドレスも電話番号も、もう消してしまっていた。唯一ツイッターのアカウントだけ、フォローを外しただけだったので検索をかけて教えることができた。


 そして一週間。単に私をからかっていたんだろうかと思い始めた昨晩、ここに来るようにLINEが飛んできた。復讐に向けた作戦会議でもするんだろうか。


 ストローでアイスコーヒーを吸いながら、スマホの画面をける。指定してきた時刻は十四時。今はその五分前。けれど店内にも、ガラスの向こうの駅前広場にも、先輩の姿はない。

 果たして、現れるんだろうか。馬鹿正直にやって来た私をどこかで見て笑っている可能性もまだ否定できない。それをわかっていながら、ここにいる私も私だけど。


 いずれにせよ、手持ち無沙汰ぶさたなことには変わりなかった。行き場をなくした人差し指がツイッターのアプリに触れる。一瞬の逡巡しゅんじゅんを経た後、検索履歴から元カレのアカウントに飛ぶ。


 こうしてまじまじと彼のアカウントを見るのは久しぶりだった。直近のツイートには「講義のあとはデート!」だの「幸せだ~」だの、新しい彼女との惚気のろけが満載である。

 するするとスクロールして過去をさかのぼる。けれど、かつて見た私のことが書かれたツイートはなかった。まるで私と付き合っていたことがなかったみたいに。


 別にいいけどね。


 指でピンと画面をはじく。と、表示が更新された。誰かのつぶやきをリツイートしたみたいだ。


 画像つきのツイート――そこには、元カレと女性のツーショット写真。そして「水族館楽しかった!」という内容。どうやらこの人が新しい……いや、今の彼女らしい。

 濃い目の化粧に、セミロングの茶髪はまさにイマドキの大学生で、大人っぽい。キラキラのマニキュアが塗られた指でピースサインをつくって笑っている。


 私と正反対じゃん……。


 自分が童顔な部類の人間であることは自覚している。背もそれほど高くないし、スタイルだって微妙。性格も……たぶんよくない。


 頬杖ほおづえをつきながら、傍らのアイスコーヒーを手に取る。水滴が手を伝い、冷たさが皮膚ひふから染み込んでくる。残りを飲み干すと、身体の内側からも冷えていく。


 と、スマホに示す時刻が十四時になった。しかし先輩の姿はない。

 もしかして、本当に来ないのかな。ダメ元だけど、連絡してみようか。

 そう思いながら顔を上げると、


「えっ」


 私は自分の目が丸くなるのを感じる。

 ガラス越しに見えた人が、手元のスマホに映っているのと同じ人だったからだ。

 染めたての茶髪に、あか抜けた顔。間違いない。


 思わず顔を隠すようにうつむく。だけど直後、相手は私なんか知るはずないということに気づいた。


 なんでここに、なんてことは考えるまでもない。


 先輩が、全部わかったうえで呼び出したんだ。

 ツイッターのつぶやきから今日、この時間にデートすることを知って。それを目の前で見せるために、ここに来るよう連絡してきた。失恋で落ち込んでいる私を、嘲笑あざわらうために。

 腹立たしさが湧き上がってくる。だけどそれは、私に対してもだった。復讐、なんて甘い言葉に乗せられた自分に対して。


 ……帰ろ。


 空になったグラスを返却口に置いて、店を出る。ここにいたって仕方ない。彼女がいるということは、ほどなくもこの場に現れる。

 自動ドアをくぐった私を迎えてくるのは、夏特有の粘りつくような熱気。冷房とアイスコーヒーで涼んだはずなのに、その過去は一瞬にしてかき消される。


 帰る――駅の改札に向かうには、彼女の前を通り過ぎないといけない。

 だからといって気にすることは何もない。私たちは見知らぬ関係。赤の他人として、街中で通行人とすれ違うように、通り過ぎればいいだけ。

 それを意識して、私は通り過ぎる。


 直後、


「ねえ君、かわいいじゃん。ひとり?」


 そんな声で、私の歩みは止まった。驚きとともに。


 理由は明快。

 聞こえてきたのが、喜多村先輩の声だったから。


 私に向けたものでないことは、声の距離感でわかる。なら一体、誰に?

 疑問を浮かべながら振り返った私は、二つのことに驚かされる。


 ひとつは、先輩が声をかけていたのが、元カレの彼女だったこと。


 もうひとつは。


 その姿は、まるっきり男性だった。

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