阻止
「何、お前、余計なことしてくれちゃってんの」
早翔が、向井からもらった会社概要が書かれた書類を草壁に見せると、あからさまに顔をゆがめ不機嫌な声を上げた。
「俺、卒業したら京極ちゃんにレギュラーで入るって言ってあるけど」
「それは俺が断った。お前は大学卒業と同時にここも辞めてくれ。受験勉強と両立できる、残業が少ない会社の経理部だから、勉強の役にも立つだろう」
草壁が渡された書類を乱暴に突き返す。
「人の人生、勝手に決めんな! いくら友達でもそこまでやられると鬱陶しいわ」
クソッと怒りを露わに早翔に背を向けると、ホールに向かう。
その背中を、早翔がため息交じりに眺めていた。
草壁が、大学卒業後は早翔と同じ立場に身を置き、共に資格を目指そうとしている思いは理解していた。それも草壁が、早翔のためにできることの一つとして考えたことなのだろう。
思わず甘えて心地良い時間を一緒に過ごしたいという気持ちも湧いたが、ここで流され、この業界に草壁を留めておくわけにはいかない。
早翔は、草壁を本来の道に戻すのが、自分の責任だと思っていた。
「大丈夫? もうこれがきっかけで絶交なんてならない?」
傍で様子をチラチラ伺っていた京極が、心配そうに声を掛ける。
「大丈夫ですよ。直だって冷静になれば考え直してくれますから」
「それならいいけど…」
「あいつのこと、よろしくお願いします」
「わかってるって。本店のことよろしくね」
京極の優しい笑顔に見送られ、早翔は2号店を後にした。
それから1時間もしないうちに、京極が青ざめた顔で本店に現れた。
「早翔、ちょっと来て」
営業中は誰も入らない事務所に早翔を招き入れ、鍵を掛ける。
部屋の一角に事務机が1つと小ぶりのソファセット、中央あたりに小さな丸テーブルと数個のスタッキングスツールがある殺風景な部屋である。
京極はスツールの一つに早翔を座らせ、テーブルを挟んで自分も座る。
落ち着かない様子で目を動かし、唇が微かに震えていた。
「驚かないで聞いて欲しい… 光輝が死んだ」
「えっ…」と声を漏らしたまま、絶句する。「死んだ」という言葉がにわかには理解できなかった。
「殺されたんだって。今、勤めてるクラブジェントルキングのオーナーが確認に行ったらしい」
京極の口から断続的に深い息が漏れる。
早翔の脳裏に、怒りに任せてスツールを蹴り上げ、本店を後にした光輝の後ろ姿がよみがえる。
そして、すぐに麗華の顔が浮かんだ。
「まさか…」と口の中で呟き、そんなはずないと否定するように小さく頭を振る。
「原型をとどめないくらいに顔が腫れあがってたって… 複数の男になぶり殺しにされたらしい」
京極がぎゅっと目を閉じて、口を手で覆い声を詰まらせる。
「…もう… それ聞いてショックで…」
覆った口から、ようやくかすれた声を漏らす。
丸顔の童顔で全体的に可愛い顔かたちだったが、ギラギラと鋭い目つきが印象的で、写真を見せると新規の客はまず光輝に目が行った。
あの顔が原型をとどめないほど腫れあがる…
早翔は背筋にゾクッと寒気が走り、ゴクリと唾を飲み込んで奥歯を噛みしめた。
「複数の男って? どういう関係の?」
「詳しいことはわからないけど、多分、暴力団絡みじゃないかって」
改めて、麗華が関わっていないことを確信してほっと胸を撫で下ろす。
「あんなに暴力団とは手を切るように言ったのに、切れなかったのかね。よっぽどのことがないと殺されたりしないよ。ああ、もう、俺、おかしくなりそう…」
早翔がゆっくりと深呼吸を繰り返して、京極に視線を送る。
「もうニュースになってるんですか」
京極は首を横に振った。
「さっきオーナーから連絡を受けたばかりだから、多分まだ。明日の朝にはニュースで流れるね」
「皆には伝えますか?」
京極が眉根を寄せてしばらく沈黙する。
「冷たいようだけど、光輝はとっくにここを辞めた人だから、うちとは無関係だよ。どうせ明日の朝になったら皆、知ることになるし… どうかな?」
早翔は自分でも確認するように、ゆっくりと頷く。
「それでいいと思います。あえて、今日伝える必要はないと思う…」
早翔の言葉を聞くと、京極は「よしっ」と自分を鼓舞するように声を出し、立ち上がった。
早翔も立ち上がって京極を真っすぐ見た。
「今は、何も考えないで仕事しましょう」
「うん、早翔、ありがとう」
京極は無理に笑顔を作って見せた。
「京極さん、仕事終わったら直に、こっちに来るよう伝えてくれませんか」
京極は、すべてを理解したように早翔の肩を叩いた。
「任せとけ。至上命令を下してやる」
早翔が思わずフッと笑いを漏らすと、京極も落ち着きを取り戻したように笑った。
早翔が本店の外で待っていると、草壁が不貞腐れた面持ちで向かってくる。
ことさら自然に微笑んで、お疲れと声をかけた。
「何の用だよ。京極が怖い顔して絶対行けって。何なんだよ… ったく」
「酔ってるか?」
「酔いたくても全然酔えねーよ」
草壁は不機嫌なまま、目も合わせない。
構わず早翔が草壁の肩に手をかける。
「じゃあ、コーヒーでも飲むか」
半ば強引に誘い、深夜喫茶に入ると一番奥まった席に座った。
「すげえ荷物だな」
早翔が隣の席に置いたリュックサックを見て、草壁が口を開く。
「うん。少しでも時間があれば勉強できるように、何でもかんでも詰め込んでる」
「来年、受けられそうか」
「通信大学の単位が取れればいいけど、なかなかね。その次に照準を合わせる。直は来年?」
「今年…」
「え? 今年… 受けるの?」
コーヒーを一口すすって、草壁がようやく早翔の目を見てニヤリと笑った。
「無謀だって顔に出てるぞ… ったく失礼なヤツだ」
「だって無理だろう。掛けるか? 俺は落ちるほうに掛ける」
「俺も落ちるほうに掛ける」
早翔が思わず吹き出す。
「まあ、よく言う記念受験だ。万が一にも間違って受かるかも知れないし…」
「落ちるわ」と間髪入れずに早翔が返すと、二人で笑い合う。
「俺、直には感謝してる」
早翔がおもむろに口にする。
「いきなり、どうした」
「直が予備校勧めてくれなかったら、俺、ずっと大学にこだわってた。直が予備校と通信の大学を選択する道を教えてくれた」
「お前が大学にこだわるのは当然だよ。俺より成績良かったんだから」
複雑な表情の草壁を、早翔が笑いながら見つめる。
「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」
「何だよ、突然…」
「良寛さんの言葉。宗教学に出て来た」
「宗教学ねえ。一般教養は単位の取りやすさばかり優先してたから、頭になんも残ってねえわ」
フンと自嘲するように鼻で笑うと、どういう意味と訊く。
「まあ… 避けられないことはあるがままを受け入れ、そこから始めろってことかな。直のお蔭でたどり着けた境地。今の俺はそんな感じ」
ふうんと気のない返事が返ってくる。
早翔の顔から笑みが消え、真顔で草壁を真っすぐ見据える。
「光輝さんが殺されたらしい」
唐突な言葉に草壁は、何を言っているのか飲み込めない様子でしばらく固まった後、「殺された?」と唇を震わせた。
「明日にはニュースになるから、今夜は誰にも伝えなかった。多分、暴力団絡みで殺されたらしい」
草壁がうつむき押し黙る。
早翔はリュックから、数時間前に草壁から突き返された書類を取り出し、テーブルの上に置いた。
「直は俺がいなかったら、ホストなんかバイトに選ばなかった。俺のせいで、もし直が危険な目にあったらと思うと落ち着かない… 前歯を無くしたのだって俺のせいだ」
草壁の口からフッと笑いが漏れる。
「お前のせいじゃない。俺はお前に感謝してる。効率よく金は稼げるし、酒は飲めるし、お姉ちゃんとデートできるし…… お前にも会えるし、本当に楽しいバイトだったよ」
そう言うと、テーブルの上の書類を手に取り目を通す。
「就職活動もしてねぇし、資格浪人できるほど金の当てはねぇし、世話になるか…」
「ありがとう… 直」
草壁がフンと鼻を鳴らす。
「ばぁか、俺のセリフだろうが。ありがとう… 七瀬」
早翔と草壁は顔を見合わせ笑い合った。
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