抜去

「光輝… 確かそんな源氏名げんじなだったかな」

 早翔が龍崎大蔵に会いに行くと、彼はあっさり認めた。

「まあ、持ちつ持たれつの関係だから言えた義理じゃないが、最近は目に余るという話を聞いてる… 幹部の愛人に手を出してヤクを手に入れ出したらしいとか…」


 蘭子の指名ホストだった本店ではNо.1だったが、蘭子が店に来なくなった頃からジリジリと順位を下げ、それでも上位クラスには位置していた。

 2号店に移ってからは、一気にNо.1に上り詰め不動の地位を築いていた。

「あの人、危ねえな。俺、嫌われてるから近寄らないけど、時々絡んでくるから面倒臭くて」

 草壁がそう愚痴っていたことがあった。

 草壁の嗅覚が危ないと判断し、近寄らないのに絡んでくるとしたら、それは自分をNо.1から引きずりおろした早翔の友人だからだろう。

 その時は、なるべく避けてうまく立ち回ってくれと言ったが、暴力団と関わっているとしたら話は別である。


「アンタのダチなら、早く手を打ったほうがいい」

 大蔵がうつむき加減の早翔を気遣うように覗き見る。

「まあ、少し脅しを掛けて釘さしておくように言うか… 守れるかどうかわからんが」

 早翔が顔を上げ、真っ直ぐ大蔵を見つめた。

「2号店はようやく軌道に乗り出したばかりです。今、そこで何か事を起こされるとまずい」

 その言葉で光輝との関係を理解した大蔵が、フッと笑みを漏らす。

「この間とは打って変わって経営者の顔だな。若いのに大したもんだ」

 早翔は唇に笑みを浮かべ、首を横に振った。

「オーナーに相談して、多分、光輝には辞めてもらうことになると思います。すみません、色々お世話になってばかりで…」


「まあ、何かあったら連絡してくれ。悪いようにはしないから…」

 早翔が引きつり気味の笑顔を向けると、大蔵の口角がニヤリと上がる。

「別に恩を売って、アンタを何とかしようなんて思わんよ。ま、そうだな… この間の恩を感じてるとしたら、玲子を1回ホストクラブに招待してやってくれ。会いたがってたから」

「いつでもどうぞ。お待ちしております… 今日は玲子さんは…」

 早翔が辺りを見回す。

「海外物の化粧品を全国に売り歩いてる。ああ見えて、けっこう有能なバイヤーだし営業ウーマンなんだ。頭も良いし、育ちも良いから… 俺に出会うまではな」

 大蔵が大口を開けて豪快に笑った。



 京極は、自身と2号店店長の龍登が立ち会うことにして、光輝を本店に呼び出した。

 早翔は、この情報をもたらした責任があるから、自分も立ち会うと申し出たが、ただでさえ光輝に恨まれているのに、これ以上関わって逆恨みされても危険だと、京極は認めなかった。

「光輝さんに、これ以上暴力団と関わらないよう伝えてください。お願いします」

 頭を下げる早翔に、京極がお人好しだねと笑う。

「わかった。しっかり忠告しておくよ。全く、君はいいヤツだなあ」

「あの… 裏で待機してていいですか」

「いいけど、何があっても絶対出て来ないで。これは命令だから」

 京極がいつになく真剣な表情で言った。


 光輝は不貞腐れた態度を隠さずに、京極と龍登の前に現れた。

「何の用っすか」と吐き捨てる。

 何を言われるかわかっているような、ギラギラとした反抗的な目で京極を睨み付けていた。

「色々と情報が入っててね。暴力団とつながりを持ってるという… その他にも色々とね。俺はそういうの一番嫌いなんだ… 辞めてもらうしかない」

 京極が落ち着いた口調で切り出すと、光輝はフンと鼻で笑う。

「キレイごと抜かしやがって… アンタにも金が入るんだろうが!」

 すでに、怒りをはらんだ声でキレている。


 京極は変わらず静かな口調で続ける。

「俺だって経営者だ。金は儲けたい。だから、ある程度のことには目をつぶるよ。ただ、発覚してしまった以上、何も手を打たないわけにはいかない。他の従業員のことも守らなければならないしね… 君には辞めてもらう」

「俺が辞めたら、俺の客、みんな俺についてくるぞ。2号店、ようやく回り出したのに潰れてもいいのかよ」

 怒りの表情に、不敵な笑みを乗せて食い下がる。

「構わない。また一からやり直す。この業界、長いんでね。修羅場は何度も潜り抜けて来た。心配には及ばん」


 龍登が前日までの売上金を差し出す。

「光輝、もう暴力団とは手を切れよ」

「うるせえ! お前みたいな底辺に言われる筋合いねーわ!」

 言うが早いか、龍登から金を引ったくる。

「光輝!」

 京極が声を荒げた。

「龍登は君を心配して言ってるんだ。一緒に働いた仲間なんだから、心配して当然だろ。もう少し素直に聞いたらどうだ」

「うるせーッ! クビにしたヤツの心配より、店が潰れる心配でもしとけ! ボケが!」

 光輝は足元にあったスツールを蹴り上げ、店から出て行った。


 裏で様子をうかがっていた早翔が顔を出す。

「光輝さん、大丈夫かなあ」

「どっちの心配してるんだよ。お前が出て来やしないか冷や冷やしたよ」

 龍登が呆れ顔で眉をひそめる。

「君の、その真っすぐなところが一番心配だ」

 京極が真剣な眼差しで早翔を見た。

「いいか、光輝はもう、うちには関係ない。早翔もそのつもりで。光輝が近寄ってきても構わないよう、他の従業員にも徹底して言っておいて」

 龍登と早翔が静かに頷いた。



 店を訪れた蘭子に、光輝のクビを知らせると「へえ… そう」と気のない返事が戻って来た。

「大丈夫?」

「大丈夫って何が?」

「だって、一度は付き合った男だから…」

 心配そうに顔を覗く早翔を、呆れ顔で見つめ返す。

「ホント、アンタはガキね。光輝とはホストと客以上の関係はないわよ。あいつはしつこく誘ってきたけど、一度だって寝たことはないわ」

 半開きの目で早翔に視線を送ると、フンと鼻で笑う。

「京極は知ってたんじゃない? あの男もタヌキね。きっと噂の広がり具合を図ってたのね。早翔の口から聞いて、これは黙ってられないと思ったんじゃないの」


 早翔にしなだれかかると、耳元に唇を寄せる。

「私が部屋に上げたホストは、後にも先にもあなた一人よ…」

 囁くと同時に軽い息が早翔の耳をくすぐる。

「ちゃんと勉強してる?」

 いきなり違ったベクトルの言葉を耳にして、早翔がのけぞった。

「何だよ、急に…」

「勉強してないなら、私の部屋に連れて行こうと思って…」

 うふふと妖艶な笑みを浮かべている。

「してるよ。してる、ちゃんとしてる」

「何、その嫌がりようは」

 蘭子がおどけたようにくりくりと目を見開いて、早翔を睨み付ける。


 実際、早翔は寝る間も惜しんで勉強していた。それでも苦にならないことが不思議だった。

 それは当たり前に思っていた大学進学を、いきなり絶たれたからだろうか。その無念を、昼間の座学が少しばかり晴らして、早翔を新鮮な気持ちにさせていた。

『勉強するとは贅沢なことである』

 高校の担任教師、小島が言っていた言葉を思い出す。その時はわからなかった意味を、今、早翔は心から理解し実感していた。


「さっさと受かってよ。あんまり私に気を遣わせるんじゃない」

 蘭子が唇に笑みを浮かべながら、しかめっ面を作る。

「了解。ご協力感謝いたします」

 神妙な顔を作って返すと、蘭子がニヤリと笑う。

「早翔の選択肢は、勉強してるかここで働いてるか私に腰振ってるか、その3つしかないんだからね」

「うわぁ…」と、げんなりしたような顔を作ると、蘭子がキャハハと甲高い声で笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る