再会

「これじゃ、どっちが本店かわからないよね。ホント、早翔には感謝だよ。これからもよろしくね」

 開店を控えた内覧の日、京極はセブンジョー2号店で、満面の笑顔で早翔を迎えた。


 新店舗のエントランスは、本店のような電飾に彩られた煌びやかな派手さはないが、劇場を思わせる優美な雰囲気で、客の入りやすさを重視した造りになっていた。

 中に入ると一転、ゴールドの床面が眩しく視界に入る。照明に照らされ幾何学模様がキラキラと輝くシルバーの壁には、十分なスペースを空けてホスト達のパネルが掲げられ、客の気分を徐々に高揚させる。

 ホールは京極が言った通り、本店よりもゴージャスな空間が広がり、蘭子がこだわった、客席ごとに吊り下げられたアンティーク調のシャンデリアが、派手さを抑えた優雅で上品な印象を与えていた。


 施工中、何度か様子を見に足を運んでいたが、すべての照明が開店さながら点灯されているのを見るのは初めてだった。

 その豪華な内装だけで、当初、早翔が蘭子に話した2、3千万を優に超えている。

「どうせ作るなら誰が来ても恥ずかしくないほどハイレベルな店にしたい」

 そんな蘭子の鶴の一声で、ホールの広さも内装も、本店をはるかにしのぐ高級感溢れる店になっていた。


「京極さん、浮かれてるのは今日だけですよ。これだけ金をかけたら、儲けがでるまでキツいから」

 早翔が半笑いで返すと、京極が顔をくしゃくしゃにする。

「蘭子さんがいれば最強でしょ。早翔には、もっと早くこういう展開にしてもらいたかったくらいだよ」

「調子いいなあ、もう」

 京極は苦笑する早翔の肩に手を回し、上機嫌で笑い声をあげる。


「ババア、気安く触るな!」

 ホストの顔合わせをしている奥の席から、突然、怒声が上がった。

 京極の顔から笑みが消え、早翔と顔を見合わせると同時に、二人の足は声の聞こえたほうへ向かっていた。

 この店で働く予定のホストが、ソファに並んで座っている中に、蘭子がいた。

「あんた、誰に向かって言ってる!」

 蘭子が隣に座る男の襟首をつかむと、男はその手を乱暴に払いのけた。

「触るなっつってるだろうが。聞こえねーのか、ババア」


なお!」

 その怒声の主を見て、早翔が声を上げた。

 そこに高校の同級生だった草壁くさかべ直也なおやが、平然と腰掛けている。

 目線を早翔に合わせると、表情も変えず「よぉ」と片手を上げた。

「よぉじゃない! こんなとこで何やってる!」

「何やってるって、スカウトされたから来てやったんだろうが」


 蘭子は横目で早翔を睨みつける。

「何よ、早翔の知り合い?」

 早翔は軽く息を吐いて頷いた。

「この男、すぐにつまみ出して!」

「上等じゃねえか。てめえが、いきなりでけえケツで割り込んできて、ベタベタ触ってきんだろうが。誰がこんなとこで働いてやるかよ」

 草壁が立ち上がり出口に向かう。その後を早翔が追った。


「直、大学は行ってるのか? 会計士の勉強してるんじゃなかったのかよ」

「うるせーわ。てめえは母親か」

 早翔がホールを出たところで、草壁の腕を掴んで歩を止めた。

 振り向いた草壁は仏頂面のままだった。

 早翔が顔をほころばせる。


「久しぶりだな。元気だったか」

「見ての通りだ」

 口元を薄っすら緩ませると、勢いよく早翔を抱き寄せた。

「七瀬ぇ… 会いたかったよぉ… お前はつれないヤツだ… たまには連絡しろよぉ…」

 それまでの不機嫌な声とは打って変わって嬉しさが溢れている。

「直こそ、音信不通で寂しかったよ」

 互いに回した手で背中や肩を叩き合って笑う。

 改めて顔を見合わせ、満面の笑顔で笑い合った。


「で、なんでここにいるの?」

「手っ取り早く金を儲けたいからホストになるってお前に言われて、俺も軽い気持ちでバイト始めた。ちょうど前の店を辞めようと思ってたところに、ここの話が来たから」

「ホストなんかやる必要ないだろう。バイトなら家庭教師とか他にもあるじゃないか。会計士の試験は甘くない。しっかり勉強しないと…」

「だから、お前は俺の母親か!」


 草壁がふざけた口ぶりで、口をへの字に曲げて笑った。

 高校の卒業式以来、会ってはいなかったが、草壁の全く変わらない表情や態度が嬉しかった。高校時代は服装に気を遣うような性格ではなかったが、今は頭の上から足の先まで、気取ったオシャレで身を固めているのが少し滑稽でもあった。


「なんだよ。あっちの店に比べたらえらいショボい感じだな」

 早翔が、無人のセブンジョー本店ホールの照明を点けると、その店内を見回して草壁が呟いた。

「当然だろ。あっちは新規オープンなんだから。それに本店に煌びやかな新しさは必要ない。少し歴史を感じさせるレトロ感が風格を醸し出して、客にステータスを感じさせることもある」


 早翔が草壁を席に座らせると、タンブラーグラスに入ったカクテルを前に置いた。

「直は甘口、辛口どっち」

「辛口。甘口の酒なんて水としか思えん」

 早翔が、ふっと笑って「イメージ通りだな」と呟く。

 草壁がミントとライムが入った涼しげな透明のカクテルを持ち上げる。

「女の飲み物だな」

 一口、口に含んで「旨いわ」と言う。

「普通はそこにシュガーを入れるんだけど、直には必要ないと思って入れなかった」

 穏やかな視線を送ると、草壁が真顔で見返した。


「お前、よくやってるよ。酒も飲めないのに」

 早翔が驚き顔で草壁を凝視したまま固まる。

「なんで俺が酒、弱いこと知ってるの? 俺たち成人して一緒に酒を飲むのはこれが初めてだろ」

「寮でこっそり缶酎ハイ買ってきて飲んだの忘れたのかよ…」

 草壁が呆れたように頬をゆがめる。

「まあ、お前、一口飲んでそのまま朝まで寝ちまったから、覚えてなくても仕方ないか」

 そう言って無邪気に笑う。


 早翔は上を向いて大きく息を吐いた。

「直にはかなわないな。俺、ここでぶっ倒れるまで、酒がダメなこと知らなかったのに」

「ぶっ倒れたのかよ…」

 草壁の顔から笑みが消え、浅く眉根を寄せて早翔を見つめる。

「すまん…」

「なんで直が謝るの!」

 草壁の目が潤んでいる。


「すまん」の真意もわからない上に、草壁の目に浮かぶ涙が、頭の中に軽いパニックを引き起こす。慌てて立ち上がり草壁の隣に座り直した。

 草壁は下を向いて片手で目を覆った。

「俺、七瀬の苦境に何もしてやれなくて… 親友なのに何もできなくて…」

 息が止まり、思わず草壁の肩を抱き寄せた。

「バカか。なんで直が… やめてくれよ」

 無意識に声を張っていた。


 高校3年の春、早翔が大学進学を諦めた時、周囲には同情し哀れみながら、ライバルが一人減ったと横目でほくそ笑む顔ばかりだった。中には、高卒なら付き合っても無駄とばかりに、あからさまに遠のいていく同級生もいた。

 教師も生徒も、受験一色になる教室で味わう疎外感に居たたまれず、中退することを何度も考えた。


 そんな中、草壁はいつもと変わらない態度で笑って話しかけてくる。

「わからんとこあるから、おせーて(教えて)」と、部屋に押しかけてきて、それまでと変わらず一緒に勉強する。

「俺の受験に付き合えよ。親友だろ」

 そんな言葉で、すっかり勉強へのモチベーションを失った早翔に、もう一度、机に向かうきっかけを与えてくれた。

 変わらずバカ話で笑い合い、側にいてくれる草壁に感謝しながら、時には鬱陶しくなって、気を遣われるくらいなら、いっそのこと離れて行ってくれたほうが気が楽だと思ったこともあった。そんな気持ちが、訳もなく草壁に背を向けさせる。それでも、「何、シカトしてんだよぉ」と笑いながら声をかけてきた。


 あの頃、苦悩しているのは自分だけだと思っていた。

 早翔のために目を潤ませている草壁を前にすると、もしかしたら草壁だけでなく、他にも心配してくれていた同級生がいたかもしれないという思いが湧き起こる。

 自己憐憫に終始して心を閉ざし、周囲に背を向けて何も見えなくなっていたあの頃の自分が悔やまれる。

 同時に、他人のことに思い悩み、涙してくれる友の存在に、改めて気付かされ胸の奥底が熱くなった。


「直に心配かけて… ごめん。俺が卒業できたのは直が側にいてくれたからだ。本当にありがとう」

 絞り出すように言う早翔の声が震えていた。


 草壁がゆっくり顔を上げると、潤んだ赤い目がニヤリと笑みを浮かべている。

「俺に惚れ直した?」

 早翔が吹き出して笑う。おもむろに目線を外して正面を見据える。

「もうずっと惚れてるよ」

「悪いな、ゲイになれなくて」

「親友のままでいてくれた。それだけで十分なのに…」

 下を向いてはにかむように微笑む。

「恋人になれないと、俺は親友まで失わないといけないのか… 直にそう言われたあの時ほど、心が震える瞬間にまだ出会えてないよ」

 草壁が「キザだな」と笑って早翔を見つめる。


「俺、また七瀬と机を並べて勉強したい。お前が一緒でないと俺、勉強する気になれないんだ」

「何、甘えたこと言ってるんだよ」

 草壁が早翔の両肩を掴んだ。

「頼む。俺と一緒に会計士の予備校に通ってくれ。そのための金は貯めた。俺のやる気のために一緒に行ってくれ」

「何を言ってる…」

 思いも寄らない唐突な提案に、早翔が声を詰まらせる。


「やっぱ、お前の言う通りホスト最強だよな。あっという間に目標額貯まったわ」

 そんな簡単な話ではないことは早翔が一番知っていた。

 おどけた口調で、顔をクシャッとさせて笑い、早翔に気を遣わせまいとしてるのが痛いほどわかる。

 早翔の苦境を救うために自分ができることを必死で考えたのだろう、一切連絡もせず、同じホストに身を置いて働いていた草壁の、この2年の月日を思うと、胸が張り裂けるような思いがして涙が溢れた。

 早翔は片手で涙を拭って、何度か目を瞬かせた。


「君は… どこまで俺を苦しめたいんだよ…… こんなの親友以上だ」

「最高の褒め言葉だな。こんだけ喜ばれると遣り甲斐あるわぁ」と、相変わらずの口調だ。

「こんなことされたら期待するだろうが…… 押し倒すぞ…」

「その時はまたあの時みたいに容赦なく蹴り入れる。んで、俺たちは親友だろうがぁって叫んでやる」

 それは、寮の早翔の部屋でふざけ合ってた時のことだった。何かの拍子で下になった草壁に、早翔の顔が近づいた瞬間、腹に草壁の蹴りが入った。

「あれは酷かった。何もしてないのに蹴られた」

「いや、あれはキスしようとしてただろうが」

 早翔が「してないよ」と、懐かしそうな笑顔を見せると、草壁は「でも毎日、楽しかったよなぁ」と声を出して笑う。


 しばらく二人で笑い合った後、草壁がため息を漏らした。

「次のバイト探さないと。タダで酒が飲めるバイト」

「酒飲むためにバイトするのかよ」

「金は入るし酒は飲めるし、お姉ちゃんとデートできるし、ホストは一石何鳥にもなるんだ」

「はぁ?」と顔をゆがめる早翔の隣で、草壁がニカッと歯を見せて笑う。


 早翔は呆れ顔でふうと息を一つ吐いた。

「直の本業は大学生だろ。それを忘れるなよ。まあ、週2でバイトに入れておいてやる」

「俺、あの女からクビにされたんじゃないの?」

「彼女はオーナーだけど、ホストの採用には俺も関わってるから。ホストは各種取り揃えたいから、オラオラ系のホストも必要だしね。レギュラーで入れるより希少価値持たせたほうが客も付くだろ」

「週4で入れて」

「ダメだ。勉強しろ、勉強」

「お前は俺の母親かよ」

「…じゃあ、間を取って週3。それで十分だ」

 草壁が「それで我慢するよ… ママ」と返し、二人は、また声を出して笑い合う。


「早翔って源氏名なんだな。さっき、ババアが言ってた」

「ババアじゃない。蘭子さんだよ。黒田蘭子。俺たちよりちょうど十歳上」

「30歳! 50近い風格がある」

 殺されるぞと早翔が苦笑する。

「直の源氏名は? まんま直也?」

「なおざえもん」

「は?」

「直左衛門だ。この名前に興味持たれて何人指名が入ったか… 何かおかしいか」

「ふざけてるだろ、それ」

 早翔が鼻で笑いながら顔をゆがめる。

「ふざけてやってていいんだろ? 本業は大学生なんだから。ね、ママ」

 ホールに二人の笑い声が響いた。

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