下戸
早翔はホストクラブ、セブンジョーに戻ってきた。
「なんだよ、戻って来たのかよ」
龍登は、その残念そうな口調と裏腹に、満面に笑みをたたえて早翔を出迎えた。
「龍登さんの大きな顔が眩しすぎる」
早翔が、Nо.2に掲げられた龍登の巨大パネルから、わざとらしく眩しげに顔を背けて茶化す。
「バカヤロウ、お前のせいだ。今、必死に4位以下を目指して頑張ってる」
「だから、それ間違ってるって」
エントランスホールに、二人の弾けた笑い声が響いた。
早翔は龍登のマンションに転がり込んだ。
寮にはすでに新人が入り、6人が生活していた。早翔は、リビングに布団を敷いて寝ているのに、家賃が2万は高すぎると、その悲哀に満ちた状況を龍登にぼやくと「俺のところに来いよ」とあっさり誘われた。
「家賃は2万…と言いたいところだけど、タダでいいよ。その代わり、掃除洗濯全部やってくれ」
「うわ… なんて俺ラッキーなんだ」
早翔は喜んで快諾した。
店では、たった一か月ほどの経験だったが、他の新人とは一線を画し、ホールスタッフ兼ヘルプとして重宝がられた。
未成年で酒が飲めず、常にクリアな状態なので、客やホストの売上管理も難なくこなした。
「お前、大学考えてただけあって頭いいな。京極さんが、ホールスタッフとして鍛えようかとか言ってたぞ」
閉店後も残って内勤業務を済ませてきた早翔に、龍登が羨望の色を含んだ視線で言う。
「勘弁してくださいよ。裏方の仕事でホストくらい稼げればいいけど、ここで固定給で働くならトラック乗りますよ」
「忘れてたわ」
龍登の顔がゆがみ、白い歯を見せる。
「お前の目的は金だった。京極さんの右腕になれば、将来は経営者も夢じゃないと、普通は考えるところだけど」
「そんな将来とか、悠長なこと言ってらんない。とにかく借金返さないと未来が見えない。今日案内した上から下までブランドで決めた客。指名したのは、この間入ったばかりの新人ですよ。俺、もう焦るわ」
ソファに突っ伏して、情けない声を出す早翔を見て、龍登が声を出して笑った。
「お前、酒まだ飲めねえだろ。京極さんだって、高校出立てのガキに無理強いはできないし、あと少し我慢して京極さんの下で働けよ。勉強になるぞ」
「あの新人、19歳だよ。俺と同じ未成年」
「アイツはもう1か月もたたずに20歳、お前はまだ18歳」
早翔がソファから起き上がると、すがるような目で龍登を見た。
「俺だってあと少しで19だよ。たった1歳なのに。龍登さん、俺、早くホストとして一人前になりたいの。とにかく指名が欲しい。欲しい欲しい欲しいよぉ…」
「わかったわかった。じゃあ、京極さんに頼んでみるよ。飲めないなら俺がヘルプに付いて飲んでやる」
「あざーっす。最強だーッ! Nо.2がヘルプって、ありえねーッ!」
はしゃぐ早翔を、龍登が呆れた笑顔で見る。
「お前、シラフでそのテンションできるんなら大丈夫だな」
二人だけで盛り上がってみても、すぐに状況が変わるわけもなく、早翔は相変わらず客を席まで案内し、店内を見回してはグラスや灰皿を取り替え、酒の注文が入れば売上業務と発注業務もこなし、たまにヘルプで座る。
そんなある日、客にホストの写真を見せ、指名ホストを選んでもらうと「あなたでいいわ」と返ってきた。
「俺ですか…」
内心の動揺を悟られまいと、焦って不自然な笑顔になる。
客は30半ば、ナチュラルメイクの地味な服装で、値の張る物は身に着けていない。売上重視のホストが最も敬遠するタイプだろう。
しかし、早翔は初めての指名客で舞い上がった。
酒を飲むためのヘルプが付いてくれたが、構わず客の注文したシャンパンをあおった。
そして、3杯目のグラスに口を付けたところで、記憶が無くなった。
気が付くと、龍登のマンションにいた。
「お前、未成年だから酒が飲めないんじゃなくて、お前自身が酒ダメなんて致命的だな。ほれ、請求書」
手渡された伝票は、早翔自身が書いた注文伝票に、合計金額が書き足されていた。
「いきなりホストが客の上に倒れたら、金取れないでしょ。お前からしか」
「俺、大型の免許取りに行こうかな」
早翔が肩を落として項垂れ、ボソッとつぶやく。
龍登がニヤリと唇をゆがめ、小さな紙を差し出した。
「これも覚えとけ」
見ると高級酒の隣に、ソフトドリンクの名前が記されている。
「なるべく色が似てるドリンクの一覧。酒が弱いホストもいれば、飲み過ぎてヤバいホストもいる。そのためのバイブルな」
「俺、クビじゃないの」
「お前の伝票管理、完璧だって京極さんが褒めてた。簿記の勉強もしてて頭いい。売上、発注、在庫管理に備品管理、俺がベロンベロンになっても任せられるって。辞めるなんて言ったら即、内勤専従にされるぞ」
早翔はドリンク一覧を握りしめ、目を輝かせた。
「俺、頑張る」
数日後、再びあの客が姿を見せた。
「この間は、大変失礼致しました」
「大丈夫だった? 私の名前、憶えてる?」
「もちろん。
「じゃ、今日もよろしくね。今日は、あなたの分のソフトドリンクも注文するわ」
この間は暗い印象だった麗華が、別人のように明るくにっこり笑った。
使っても3万止まりで、業界では繊維と呼ばれる金にならない客だが、早翔の接客が気に入ったのか麗華は週に1度、必ず顔を出すようになった。
「あなた不思議ね」
麗華が、早翔に微笑みかける。
「何でも話を聞いてくれる。こっちが喋ろうと思ってないことまで喋っちゃう」
「それ、ホストの仕事だから」
「何でもよく知ってるし」
「一応、色々読んでる。女性誌から経済誌まで」
「私、風俗で働いてるの」
唐突に麗華が切り出した。
一瞬絶句して、ようやく「ふうん」とだけ返す。
「普通にOLしてたけど、ホストに入れあげて借金作って、紹介されるまま風俗で働いて、借金返したのにまたこうして通ってる… バカでしょ」
微笑んだ瞳に寂しさが滲んでいた。
「辞めればいいよ」
早翔が、軽い口調で返す。
「金のために風俗やってて、その必要がなくなったんなら辞めればいい。またOLしたらいい。たまにホストと飲んで、少し金使ってさ」
麗華の目が丸く固まって早翔を見ている。
「何、俺なんか変なこと言った?」
「風俗やめろなんて… そんなこと言ったホスト初めて。ホストは客に金を使わせるのが仕事なのに…」
「俺も借金返してるから。ホストはその手段… 今のところ、あまり手段になってないけど」
自嘲する早翔を見て、麗華がゆったりと微笑んだ。
「ドンペリピンク… いただくわ」
「え…」
「風俗ってね、理由や目的があると、結構坦々と楽にできたりするのよね」
麗華は片方の口角を少し上げてニヤッと笑った。
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