卒業

 早翔はやとの父が急逝し、大学進学をあきらめざるを得なくなった時、担任教師の小島こじまが就職先として地方銀行を紹介してきた。

「君の成績や人柄を話したら、ぜひ会いたいと言われてね。先生の学生時代の同級生も皆、偉くなってて結構コネがあるんだよ。高卒で銀行なんて、なかなか入れないぞ」


 小島は頼んでもいないのに、高校の授業料免除の手続きを取ったり、いくつか奨学金を探して申請したりと、すでに高校中退を考えていた早翔には、余計な動きばかりしていた。

 特に奨学金は返済が必要で、「これが通ったら毎月の寮費に当てたらいい」と満面の笑みで言う類のものではなく、ただ借金が増えるだけで、早翔には迷惑以外の何物でもなかった。


 その上、就職先である。

 自慢げに言う小島に、すかさず「年収はいくらもらえるんですか」と訊く。

「ああ、まあ、今度会ったら聞いておくよ」

 多分、彼は自分に感謝の言葉を並べ、歓喜する教え子の姿を期待していたのだろう。

 明らかに気分を害したような小島の素振りの中に、かすかに漂う侮蔑を、早翔は敏感に感じ取った。


「身の程知らずなことを言ってすみません。その銀行だと、僕の地元からは離れているから一人暮らしになります。家に仕送りする額が減るんじゃないかと思って…」

「ああ、そうか。そうだね」

 小島はようやく笑顔になった。

「まあ、君も色々大変だろうけど、頑張りなさい。大学はいつでも行ける。社会人になって、お金に余裕ができてからでも遅くないから」

 その実感のない上滑りな言葉が、小島の平穏な人生を物語っているようだった。

 肩をポンポンと叩かれ、早翔は高校生活の終わりを感じていた。



「涼しげないい顔をしているね。年齢は?」

 ホストクラブ「SEVEN JOE/セブンジョー」のオーナー、京極きょうごくは、早翔を上から下までなめるように見る。

「18歳になりました。とりあえずお試しで、8月いっぱいまで働けますか」

「8月いっぱいって、まるで夏休みのバイトだね。君、もしかして高校生?」

「いえ…」と、一瞬の焦りを見せるもすぐに「はい… この間まで。中退しました」と持ち直す。

「ふうん…… まあいいか。源氏名は自分で考えてね」

「もう決めてます」

 早翔が小さな紙を差し出す。

「早翔… まあ普通の名前だから誰にもかぶってはいないね。じゃあ、早翔、よろしく頼むよ」

 京極は、早翔の肩をポンポンと叩いた。



「お試しでホストやって、その後どうするの?」

 店の寮として京極が借りている、3LDKのマンションのリビングで、先輩ホストの龍登が話しかけてきた。

「わかりません。だけど、俺、金が無いから、手っ取り早く稼ぐのに思いつくのは、これしかなくて… 甘いですか」

「18で金が無いって?」

 龍登は、半笑いで早翔を見る。


「春に親父が死んだんです」

 少し間を置いて答えると、龍登の顔から笑いが消える。

「そんな顔しないで下さい」

 今度は早翔が半笑いになる。

「社長が急死したら会社がつぶれて、借金が残ったっていうよくある話です。親父一人で、もってたような会社だから」


「借金いくらあるの?」

「まだ家が売れてないから… 売れたら多分残り5、6千万くらい… やっぱり甘いですか」

 龍登がニヤリと笑う。

「いや、悪くない。そのくらいなら数年で返せる。Nо.1になれればな。まあ、この一か月やってみて、自分はトップになれるか底辺のままか、見極めればいい。底辺ホストになるくらいなら、大型免許取ってトラック乗ったほうが効率いいぞ」

 そう言うと、早翔の髪をクシャッと軽くつかんで立ち上がった。

「ここはあとホスト二人が、それぞれ5畳の部屋を使ってる。俺の部屋は7畳あるから、そこに布団敷いて寝ろ」


 通された部屋には、女性雑誌にファッション誌、小説、新聞と足の踏み場もない。

「床にあるやつ全部捨てていいから」

 龍登が散らかった部屋を片付け始める。


 ホストは誰もがトップを目指すと思っていたが、龍登は違っていた。4位から6位を行ったり来たり。その理由が、この寮を出て行かなくていいことだと言う。

「寝に帰るだけに何十万も払えるか。追い出されるまでいる。それに嫌だろ。入口にあんなどデカい顔のアップ貼られて。適当なところを行ったり来たりが居心地いいの」

 そう言って、屈託のない笑顔を見せる。


 部屋で龍登は、暇さえあれば客に電話をしていた。

「今月はいいよ。無理するな。その代わり来月は派手に遊ぼうぜ。楽しみだな」

 そんな調子で売り上げの調整をしたり、

「おはよう。龍登だよ。起きて~」と、自分は2、3時間ほどしか寝ていないのに、モーニングコールを掛ける。さらに2、3時間の仮眠の後に再び電話を掛けまくり、同伴出勤の予定を立てる。

 同居する他の二人が、ほぼ何もせずだらだらと過ごしているのとは対照的だった。


 店でも金魚のフンのごとく龍登の後に付いて回り、緩急織り交ぜた会話に客が心地良く和んでいったり、客の気分の高揚を読み取って、さらに盛り上げていく技術を学んでいった。

 時には強引に酒を飲まされそうになったが、龍登がすかさず間に入る。

「こいつ、未成年なの。飲ませたら俺がクビになるから代わりに飲むね」

 そう言って、客のメンツも潰さず穏やかに切り抜ける。


 早翔がそれまで経験したことのない、凄まじい早さで1か月が過ぎていき、寮を出て行く日になった。

「ホストの入門講座終了だな。お前のせいで俺、張り切り過ぎて来月はデカい写真にされて、ここ追い出されるかもな」

 龍登の軽口に早翔が「すみません」と頭を下げる。

「お前はお坊ちゃんだから心配だけど、まあホストクラブなんて、どこ行っても似たようなもんだから頑張れよ」

 龍登は、少し寂しさを滲ませた笑顔で早翔を見送った。



 9月に入り、始業式を無断欠席して学校に行くと、小島に誰もいない理科準備室に呼び出された。

 その顔には、やり場のない怒りを滲ませている。

「お前、無断で休むわ髪染めるわ、優等生がここにきて問題起こしてどうする」

 早翔は冷めた目で小島を睨みつける。


「俺、高校中退するから。もう、毎日、学校通ってる時間がかったるくて。進学しないならこの学校に居る意味もないし」

 言い終わる前に、小島の拳が早翔めがけて飛んできた。なおも両手で早翔の襟首をつかんで締め上げる。


「私は君に何もできない。教師として偉そうなことを毎日言ってきたが、君の苦境を助けることもできない。ただただ無力だ。だから、私が最後にしてやれることは、君をこの高校から卒業させることだけだ。絶対に、ここを卒業させるから」

 小島の血走った目が潤み、涙がこぼれる。それを隠すように早翔から手を離すと、背を向けて顔を拭った。小島が荒い息を整え「ここに座れ」と椅子を指す。


 早翔が素直に座ると、バリカンを手にしている。

「先生、坊主はカンベンしてよ」

「1センチ残すか」

「せめて3センチ」

「間を取って2センチだな」

「トップは3センチから5センチがいい」

「私は美容師ではない。無茶言うな」

 小島が笑い、早翔もつられて笑う。


「先生、俺、ホストになる。何とかやっていけそうな気がするんだ」

「そうか。どんな世界も、そんなに甘いもんじゃないぞ。頑張れるだけ頑張れ」

 しばらく沈黙した後、小島が早翔の肩をつかんだ。

 小島の指頭が、痛いほど早翔の肩に食い込んでいる。

「だけど、無理はするな。どうしても辛かったら、何もかも投げ出して逃げるんだ。逃げるのは悪じゃない。少し間を置いて、また頑張ればいい。だから、辛い時は迷わず逃げろ」

 早翔の唇が震え、ようやく「はい… 頑張ります」と絞り出す。

 小島が早翔の肩をぽんぽんと叩くと、理科準備室にバリカンの音を響かせた。

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