第15話

綾乃の母親と祐介が部屋の中へ入ると,急に電気がつき,明るくなった。部屋の真ん中に,綾乃の父親が椅子に座っていた。

「来たか。来ると思った。」

綾乃の父親がにやにやと笑いながら,言った。


綾乃の母親は,驚いているはずだったのに,驚きを全く顔に出さずに,綾乃の父親に近づいて行った。

「綾乃は,どこ?」


「あそこ。寝ている。」

綾乃の父親が部屋の隅っこの大きめの檻を指差した。


綾乃の父親が指差した檻を見ると,確かに綾乃が中で眠っていた。一応眠っているように見えたのだが,いきなり電気がついても,人の声がしても、反応はないから,単に寝ているとは,考えにくかった。


綾乃の母親がすぐに檻の方へ駆け寄り,娘の額に手を当ててみた。

「高熱だ。どんな薬を飲ませた?」


綾乃の父親は,人魚の質問に答えずに,言った。

「やっぱり,綾乃を助けに来ただけか…。」


これを聞くと,綾乃の母親が,急に態度を変えて,綾乃の父親に近づいた。

「違うよ。もちろん,綾乃を助けたいけど,それだけじゃない。あなたとよりを戻したいの。ずっとあなたのことを忘れられずにいる。」


「嘘だろう?」


「嘘じゃないわ。」

綾乃の母親が,急に綾乃の父親の首に手を当て,頭を撫で始めた。


「あなたにまた触れたいし,あなたにも触れて欲しい。

でも,私は,人間にはなれない。綾乃も,なれない。どの薬を使っても。あなたが生まれつき人間であると同じように,私たちは,人魚だ。それでも,よければ…。」

綾乃の母親が色気を存分に出しながら,言った。


「本当にどの薬を使っても,効かない。体が弱るだけだ。」

綾乃の父親が嘆いた。


綾乃の母親は,頷いた。

「だから,私が逃げた。あなたから離れたかったからじゃないよ。信じて。死にたくなかったの。」


綾乃の父親は,頷いた。


「まず,綾乃は,今危ない状態から,連れて帰らせて。

彼女の具合が良くなれば,また彼女と海斗を連れて,あなたの元に戻るから。みんなで,家族らしく暮らそう。子供を檻に閉じ込めたりせずに…。」

綾乃の母親が綾乃の父親の頭や首を撫で続けて言った。


祐介には,よくわからなかった。綾乃の母親が綾乃を檻から出してもらうために芝居をしているのか,本気で言っているのか。本気ではないことを密かに祈っていたが…。


「確かに,危ないと思う。どんなに呼びかけても,反応しないし…。」

綾乃の父親が心配そうに言った。


「私は,経験済みだから,綾乃を助けられる。連れて帰らせて。」

綾乃の母親が念を押した。


綾乃の父親は,頷いて,檻を開け,綾乃を出して,綾乃の母親に渡した。


「ありがとう。では,行ってくるね。待っていてね。一週間ぐらいあれば,綾乃は,回復するはずだから。」

綾乃の母親が愛しそうな表情で,綾乃の父親を見た。


綾乃の父親は,目に涙を浮かべ,頷いた。


こうして,綾乃を救い出すことに成功した。

外に出ると,綾乃の母親は綾乃を抱きかかえたまま,走り始めた。


皮肉なことに,人魚は,祐介がついていくのが難しいくらい足が速かった。


海岸に着くと,祐介は,息が切れて,うずくまった。


「大丈夫?」

人魚が訊いてくれた。


「だ,大丈夫。」


「もう遅いし,帰った方がいいんじゃない?助けてくれてありがとう。お陰様で,綾乃は,もう大丈夫だから。」


「本当に大丈夫ですか?」

祐介は,意識が戻らない綾乃を心配そうに見て,尋ねた。


「…薬が切れてきたら,意識は戻りはずだ。そこから道のりは長いけど,ギリギリ間に合ったと思う。ありがとう。」


祐介は,ホッとした表情で頷いた。

「あの…もう一つ訊いていいですか?」


「ん?」


「さっきの綾乃のお父さんに言ったことは,本当ですか?また一緒に暮らすつもりですか?」


「有り得ない!」

綾乃の母親が吹き出して言った。


「子供を檻に閉じ込めたりするような人とは,暮らしたりしないよ!

綾乃を救うために必要なことをしたまでだ。」


「芝居だった?」


「はい。こっちのことを動物と言いながら,少しでも性欲をそそるようなことをすれば,こっちの言いなりになる…そっちが動物だ。


別に,あなたのことは,言っていないからね。動物なのは,あの人はね。」


祐介は,頷いた。


「あなたは,もう帰ってね。お母さんは,心配して待っているでしょう?

…しばらくここにいるから,もしよかったら,明日も見舞いに来てあげてください。」

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