第8話

綾乃は,全速で走り続けた。父の新しい住所は聞いていたし,何かがあれば,いつでも来てもいいと言われている。父のところに行けばいい。そこに行けば,海から離れれば,体は,これ以上変わらないだろう。元に戻ることだって,あるかもしれない。


走っている姿を裕太が見て,気になって,追いかけた。

「どうした?」


「私は,父のところに行く!」


「出て行った父親のところ?何で?」


「人魚になるのは,やっぱり嫌だから…。」


「どこにいても,同じだろう?」


「…海から離れれば,止められるかもしれない。父は,出て行く時にそう言っていた。」


裕太は,綾乃のそばを走り続けた。三十分以上走り続けた。


すると,綾乃は,急に足が崩れて,倒れた。


「大丈夫!?」

裕太がすぐに綾乃のそばまで駆け寄って,訊いた。


「わからないけど,動けない!」

綾乃が泣き出して,嘆いた。


「走りすぎて,疲れたんじゃない?」

裕太が言った。


「…違う。なんか,気分が悪い…父のところは,この通りにあるはずだ。急いで,呼んできて!お願い!」


裕太は,頷いた。

「わかった。」


裕太がいなくなると,綾乃の母親がうずくまる娘の後ろに現れた。


「お母さん…どうやって!?」


「綾乃!ダメだと言ったでしょう!早く,海へ行かないと!」

母親が娘の体に手をかけて,言った。


「私は,行かない!」

綾乃は,怒鳴った。


「行かないと,死んじゃうよ!」

母親が必死で娘を説得しようとした。


すると,裕太が中年の男性と一緒に綾乃たちの方へ走って来た。


裕太は,綾乃の母親の顔を見て,すぐに,前,綾乃の家の近くで,海に飛び込むのを見た人魚,綾乃の母親であることがわかった。


綾乃の母親は,綾乃の父親の姿を見て,驚いた。二人の目が合うと,気まずい沈黙がしばらく続いた。


「もう人間にならないって言ったのに…。」

綾乃の父親が呟いた。


「私の言うことを聞かないから,仕方なく追いかけて来たの。」

綾乃の母親が説明した。


「人魚になるのが嫌だと言っているなら,無理やり連れ戻したりするな。」


「もう手遅れだよ,そんな!」

綾乃の母親は,怒鳴った。


「早く海へ連れて行かないと,痛みに耐えられなくなって,死んでしまう!」

綾乃の母親が綾乃を抱き上げようとしたが,娘の体は重すぎた。


「車を出して!お願い!そうしてくれたら,もう二度と,何も頼まないから!」

綾乃の母親が必死な顔で,元旦那に懇願した。


「わかった。」

綾乃の父親は,綾乃の苦しそうな姿を見て,すぐに家の方へと急いで駆け出して行った。


「綾乃,大丈夫?」

裕太が訊いた。


綾乃は,答えられないくらい苦しいようだった。


「大丈夫じゃない!早く海へ行かないと…!」

綾乃の母親が裕太にも訴えた。


綾乃の父親がすぐに車に乗って,近くまで来てくれた。綾乃の母親は,すぐに綾乃を抱き上げて車に乗せ,一緒に乗った。裕太も,一緒に車に乗った。


「早く海へ!どこでもいいから!一番近いところで!」

綾乃の母親が指図した。


綾乃の父親は,頷いて,海へ向かって車を走らせた。


海に近づいてくると,綾乃は急に暴れ出し,叫び始めた。体が変わり始めたからだった。

「海の近くでないと,変われないから…前のところだったら,変われずに,痛みに耐えられなくなって、死んでしまっていた。変われる方がまだいい。」

綾乃の母親が心配そうに見る綾乃の父親と裕太に説明した。


綾乃は,母親の体にしがみついて,泣きじゃくっていた。

「大丈夫。海に入れば,楽になるから。」

綾乃の母親が娘の背中を撫でて,宥めようとしたが,綾乃は,暴れまくり,全然落ち着かない。


「綾乃,暴れない!聞いている?暴れない!怪我するよ!」

綾乃の母親が注意した。


「本当に,大丈夫?」

綾乃の父親が訊いた。


「海に行けば,大丈夫!だから,急いで!」

綾乃の母親が急かした。


綾乃の母親は,綾乃の服の袖を捲り上げたり,ズボンを下げたりして,綾乃を楽にさせてあげようとした。綾乃は,母親に注意されてから,暴れなくなっていたが,苦しそうに歯を食いしばり,「痛い。痛い。」と呟き続けた。

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