第5話
綾乃が母親を呼んだら,すぐに来てくれた。
「やっぱり…!体を濡らしてあげないと!綾乃,助けて。」
綾乃が母親と一緒に海斗の体を波の中へ移動させた。
「ここでは,だめだ。誰かに見られてしまったら,大変だ。
綾乃,あなたも一緒に来て。」
綾乃は,躊躇った。
綾乃は,最近海に入るのを嫌がるようになり,綾乃の母親は,どうしたか少し気になっていた。服も,長ズボンと長袖しか着なくなり,海に入っても,脱ごうとしない。綾乃の母親には,わかる,娘が体を隠しているということ。ただ,それが思春期に突入し恥ずかしいから,隠しているのか,体が人魚に変わり始め,それを知られたくないから,隠しているのか,いまいちわからない。
「綾乃,海斗のそばにいてあげて欲しい。」
綾乃の母親が娘を試すように言った。
綾乃は,また少し躊躇ってから頷いて,母親について行った。
「服を脱いだ方がいいよ。あの格好では,泳ぎにくいよ。」
「これでいい。」
綾乃は,やっぱり服を少しでも脱ぐのが嫌みたいだ。
綾乃の母親は,海斗を抱きかかえながら,海の底へ泳ぎ,綾乃は,必死でついて行った。
「速くなったね,前より。服を着ているのに。」
綾乃の母親が怪しそうに綾乃を見たが,すぐに海斗に注目を戻した。
「海斗,服を脱がせるね。もう,大丈夫だから。水の中だから,もう痛くないよ,きっと。」
綾乃の母親が慌てて海斗の服を脱がせた。海斗は,暴れていたから、やりにくそうだったが,何とか出来た。
綾乃は,少し離れたところから兄の様子を見守った。
海斗は,服を脱がされて,水の中だからか,体がすぐにすごい勢いで,変わり始めた。もう痛くないはずなのに,海斗は叫んでいた。
「本当に,もう痛くないの?」
綾乃が母親に訊いた。
「痛くはないと思うけど,何も感じないわけではないから…。」
綾乃の母親が説明しにくそうに言った。
海斗は,背中から生え始めた鰭がどんどん伸びた。足は,足指がくっついて,扇子のように広がり,伸び始めた。手も,同じように,指はくっついた。腕にも,脚にも鱗がどんどん増えて,下半身と上半身の一部は,完全に鱗で埋まった。耳は,形が変わり少し尖って来たと思ったら,足と同じように扇子状に広がった。最後に脚がくっついて,一つに固まった。
海斗は,終始苦しそうに暴れ回り,叫びまくっていた。
綾乃は,兄の姿を見て,涙を堪えて,体が恐怖で震え始めた。目を逸らしたくても,逸らすことも出来ずに,体がその場に凍りついてしまっていた。兄の新しい体が出来上がり,叫んだりしなくなっても,兄の涙が止まらないのを見て,ゾッとした。
綾乃の母親は,ずっと海斗のそばについて,体を摩ったりして,宥めようとしたが,ほとんど何も出来なかった。
「もう大丈夫だから。もう終わったから。もう体は変わらないから。」
綾乃の母親が必死で息子を慰めようとしたが,海斗は,一向に泣き止まない。
しかし,しばらくすると,力が尽きたか,海斗はピタッと泣き止み,眠り始めた。
これを見て,綾乃の母親が綾乃に注目を向けた。
「綾乃,大丈夫?」
母親の顔を見て,綾乃は,びっくりした。母の顔には,涙の跡があり,顔が真っ赤になって腫れていた。
母は,人魚なのに,人が人魚に変わるのを見ても,怖くないはずなのに,どうして泣いたのだろう?
綾乃は,体の震えが止まらなくて,口を開けて何かを言おうとしても,言葉が出ない。
これを見て,綾乃の母親が眠っている海斗のそばを離れて,綾乃のそばに駆けつけ,肩に手をかけようとした。
「触らないで!」
綾乃が叫んだ。
綾乃の母親は,娘の反応にびっくりしたようで,すぐに後退りした。また泣きそうだったが,堪えて,落ち着いた声で綾乃に話しかけた。
「怖かったね。でも,もう苦しくないからね…もう二度とあんな苦しい思いはしなくていいからね。もう終わったから…。」
綾乃の母親がまた娘に近づいて,肩に手をかけようとした。
綾乃は,また母親に触られるのを嫌がり,手を振り払った。
「終わったって!?もう大丈夫だって!?海斗は,これからずっとあの体で生きて行かないといけないでしょう!?それも,苦しいと思わない!?終わってなんかいない!始まったばかり!」
「…そうだね。」
綾乃の母親は,うなだれて呟いた。
「お母さんは,なんで泣いていた?」
綾乃がぶっきらぼうに訊いた。
「…子供の苦しい姿は,親にとって辛いものよ。ここまで苦しまないといけないのは,私のせいだし…それに,私だって,初めて見たから…人が変わるのを。」
綾乃は,頷いた。
「あなたは?」
「え?」
「なんで怖い?震えているよ。」
「…あの海斗を見たことがないから…見たくないから…。」
綾乃の母親は,頷いた。
「…本当に,それだけ?」
「え?」
「どうして最近体を隠すようになったの?」
「…隠していないよ,別に。」
「なら,脱いで。」
綾乃の母親が綾乃のパーカーの袖を引っ張り,脱がせようとした。綾乃は,すぐに嫌がり,母親の手が届かないように退いた。
「隠している…。」
「私は,もう帰る!」
「え!?もう帰る必要ないのに…最初から,陸にいる必要ないのに…体は見せてくれないから、どうなっているかわからないけど,海の中でも息したり話したり出来てる時点で,人間じゃないし…海斗は,変わったから…あなたも…その覚悟でいた方がいいよ。」
「嫌だ!もう帰る!」
「ごめん…言いすぎた。脱がなくていい。でも,ここにいて。陸にいると,私は守れないから,不安になる。
そして,綾乃は,今一人にならない方がいいと思う。まだ震えているし…。」
「帰る!」
綾乃は,そう言い捨てて,岸へ向かって泳ぎ出して行った。
「本当に,泳ぐのが速くなった。」と綾乃の母親がまた感心した。引き止めるのは,無理だと諦め,娘を追いかけなかった。気持ちの整理ができたら,戻って来る。そう思った。
まもなく,海斗は,目を覚ました。
「大丈夫?」
海斗は,何も言わなかった。
「起き上がってみる?」
海斗の母親が息子を起き上がらせようと背中を支えた。
「痛い…。」
「そうだね…たくさん暴れたからしばらく痛いかもしれない…ごめんね。本当にごめんね。」
海斗の母親が涙ぐんで呟いた。
「綾乃は?」
「帰った。」
「一人で?」
「うん,一人になりたいみたい。」
「綾乃と一緒に,海岸まで運んでくれた子は?」
「え?」
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