そのラブレターが、私の所に届くまで

優衣羽

ある映画の始まり


街中を意味もなく歩いていた。ポケットの中には五千円札だけが入っている。最低限の荷物を持って飛び出したけれど、飛び出した理由も大したものではない。ただ出かけたかっただけ。広い世界を見たかっただけ。それだけで外に出てみたけれど、広い世界を見るには広い視野を持たなければならなかった事を今痛感している。


変わらない街中は自分には灰色に見える。目的もない旅に何かを見出す事も出来ない。五千円札も使う先が無かった。


ふと、スクランブル交差点にて顔を上げる。そこには一人の女の子が映っていた。自分と同い年くらいだろうか。雪の降る夜の中、赤い布を被り笑い泣きしているその人の写真は随分と古く思えた。信号が青に変わり導かれるようにそちらに近づいていく。よく見れば映画の広告だったようだ。


主演の名前は自分でも知っているような若手実力派女優、けれどこのポスターの人は彼女ではない。一体どういう事だろうか。よく分からないけれど、何故かそのポスターが気になって向かう先は映画館だった。平日だというのに人で溢れ返っている館内に驚いてしまう。こんなにも混みあっている映画館を見るのなんて初めてだった。


とりあえず券売機に向かってみる。先程見たポスターに書かれていた題名を探した。あとニ十分後に始まるその映画のチケットは残り一枚だった。思わずチケットを買ってしまった。五千円札は千円札四枚になった。最後の一枚と知った時の人間はつい買ってしまう物だと思う。



『このラブレターが、君の所に届くまで』


監督の名前は詳しくない自分でも知っていた。確か、数ヶ月前にこの世を去った人だ。生涯を撮る事に費やした、世界的に有名な映画監督だ。チケットをもてあそびながら売店に行ってみた。そこにも人が溢れ返っていて、皆同じパンフレットを手にしていた。それは間違いなく、先程見たポスターと同じだった。


思わず自分もパンフレットに手を伸ばす。最後の一つだったそれを取って、何だか謎の縁があるなと思ってしまった。後ろでは買えなかったと嘆く人たちが殺到していて、思わずパンフレットを腕の中に収めた。値段は二千円。残りは二千円になった。



案内が始まってあれほど沢山いた人が皆同じ様に動いていくのを見て、ここでやっと映画館に来た人たちの目当てがこの映画だという事に気付いた。たまたま通りかかった自分だったが、ここまで人気の作品だとは思わなかった。ポスターに惹かれてから何だか不思議な事ばかりだ。


席に着きパンフレットを開く。真っ白な背景にたった一言、


『8.6光年先の君に捧ぐ』


とだけ書いてあった。意味が分からなくて首を傾げる。次のページを開けばおびただしい数の文字がページに余白すら残さず書かれていた。それが何ページも続いている。驚きながらも一文一文を指でなぞってみれば、それは作品名である事に気付いた。タイトルの横には時間が書かれている。恐らく作品の分数だろう。コマーシャルの横には15秒と書かれていた。


そして、文字の羅列が終わった最後に全ての時間を足した数字が書かれていた。その桁数は想像を超えるほどの時間で、数えるのに気が遠くなりそうだった。流し読みで時間の意味を探す。すると、=で8.6光年と書かれていた。なるほど、これは換算すると8.6光年と同じ単位になるそうだ。


しかし、何故8.6光年なのか。8.6光年先に何があるのか。気になってスマートフォンで調べてみれば、地球とシリウスの距離は8.6光年あるらしい。


「何でシリウス?」


「シリウスに愛しい人がいるからなんですよ」


不意にかけられた声に思わず肩が震えた。隣を見ればポスターに映っている人と似たような恰好をした女の子が微笑んでいる。どことなく似ている気がする。彼女は話を続けた。


「映画監督赤星宵の、全ての始まりであり終わりの物語ですから」


「始まりの終わり?」


「そう、そして生きた意味」


ますます訳が分からない。しかし、彼女は微笑むだけだ。


「これは、ラブレターだよ」


どういう意味と口から声が出る前に辺りが暗くなった。




そして、物語は始まる。たった一人を想い続け地球からラブレターを送り続けた青年と、全てに忘れ去られる事を恐れ星になった少女の物語だ。

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