第287話 家族と過ごす時間


 自分が次期神官長!?


 何かの聞き間違いかと思ったが、エルシアから真剣な眼差しを向けられ、ルーリアは言葉が出てこない。何も言えずに固まるルーリアより先に、眉間にシワを寄せたガインが口を開いた。


「ルーリアが次期神官長とは、どういうことだ?」

「ガインは神官長に選ばれる者の条件を知っていますか?」

「いや、詳しくは知らん。ミンシェッド本家の直系から選ばれると思っていたが、分家のクインハートを次の神官長にすると言っていたから違うのだろう?」

「ええ。本家の直系から選ばれるのは当主で、神官長はまた別です」


 エルシアは当主と神官長の違いについて、簡潔に説明した。神官長には条件さえ当てはまれば分家の者でも就くことは可能だが、当主の座には本家筋の者しか就けない。


「神官長となる条件とは何だ?」

「神官特有のスキル、神の眼を持っていることです」

「えっ! 神の眼、ですか!?」


 嘘を見抜くスキルなら持っているかも知れないが、それだって確証がある訳ではない。

 ましてや神の眼なんて神官の上位スキルを持った覚えなど、ルーリアにはない。

 そう思ってエルシアを見つめると、ルーリアの瞳の中を覗くように、エルシアもじっと視線を合わせた。


「ルーリアは今、ミンシェッド家の中で私しか持っていないスキル、神の眼を持っているのです」


 はっきりと告げるエルシアの言葉にガインは愕然となった。信じられないといった表情で、ルーリアの若葉色の瞳を見つめる。


「少し前に、目の前が急に眩しくなりませんでしたか?」

「な、なりました。あれは何ですか?」

「あれは神の眼の習得が間近だと知らせる合図のようなものです」


 目の前がキラキラしている間にスキルを止めれば、神の眼を習得しなくて済んだという。


「しかし、どうしてルーリアがその神の眼を持っているんだ? 習得するためには厳しい制約があったはずだろう?」

「ルーリア本人も気付かない内に、それを成し遂げてしまったのでしょう。恐らく偶然でしょうが、ルーリアは制約にある条件を満たしてしまったのだと思います」


 二人から息を呑むとも、ため息ともつかない音が漏れた。

 人の心と記憶を覗くという、神官だけが持つスキル。それが自分にあると言われても、ルーリアには何の自覚もない。


「お母さん、そのスキルを習得するための制約って何ですか? わたしは特に何もしていませんが……」

「先に習得したスキル、まことの眼を三十日間、休みなく使い続けることです。神官のスキルは他のスキルと違い、魔力を大量に消費します。例えエルフであっても、それを維持し続けることは並大抵のことではないのですよ」


 嘘を見抜くスキルをずっと使い続けること、それが条件だと言われ、なるほどと納得する。

 自分が神殿に呼ばれたあの日から、すでにひと月以上が経っている。スキルの使い方なんて知らないから、どうやったら止められるのか分からないまま放置していた。


「そのスキルを連続で使うのは、夜寝ている間も、ということだろう? ただでさえ寝ている間は魔力が減るのに、よくルーリアは魔力が枯渇しなかったな」


 カウンターにいるフェルドラルにチラリと視線を送り、ガインは苦い顔をする。

 何かあれば連絡するように言っておいたのだが、問題ないと判断されたのだろう。


「私もそのことを心配しましたが、今のルーリアの魔力量であれば、特に負担にはならなかったはずです」


 疲れも感じなかったのではないですか? とエルシアに問われ、ルーリアはこくりと頷く。


「ガインの魔力をルーリアの身体から神様が移されたと聞きましたが、どうにも私には分からないのです。なぜルーリアの魔力はここまで増えたのでしょう?」


 片親のみが魔力持ちだった場合、その子供の魔力量は親の半分ほどとなる。

 両親ともに魔力持ちの場合は、二人の魔力量を足して2で割ったくらいとなる。

 それなのにルーリアにはセルギウスの魔力の半量が足され、エルシアの約2倍ほどとなっているのだから、エルシアが腑に落ちない顔となるのも仕方がなかった。

 当然のことだが、この場にいる誰もその真実を知らずにいる。


「もしかしたら、これも邪竜の呪いの影響かも知れないな」

「……そうですね」


 ルーリアの魔力が以前と変わらず魔属性寄りだったため、エルシアもそう思ってしまった。


「とにかく今は神官の質が落ちていて、真の眼を持っているだけで神殿では重宝されます。神官長となるためには、神の眼を持つことは必須なのですが、現状では私とルーリアしか持っていないのです」

「……それでルーリアが次期神官長、という訳か」


 苦々しい顔をしながら、ガインはクシャッと髪を掻き上げた。


「もちろんスキルを持っているからと言って、すぐに神官として働けるようになる訳ではありません」


 神官となるためには、学ばなければいけないことがたくさんあるとルーリアも聞いたことがある。


「でも、お母さん。わたしはハーフエルフですよ?……その、わたしがミンシェッドと名乗ることも良く思われないんですよね?」

「神殿に限らず、ルーリアがハーフエルフであることを悩まなくてもいいように、私もガインも力を尽くすつもりでいます。……私が心配しているのは、神官となることがルーリアの望みではないということです」


 エルシアの視線を受け、ガインも軽く頷く。


「神官になる気がないのであれば、俺もエルシアもお前のスキルのことは誰にも話さず黙っておくつもりだ。それとは別に、もしお前が望むなら、神殿で一緒に暮らせるようにしようと考えているんだが……」


 ルーリアは緩く首を振る。


「……わたしは神殿のことを何も知りません。神官になりたいと思ったこともありません。そんなわたしが神殿に行っても、他の人たちには迷惑にしかならないと思います」


 スキルだけでなく、神官のことも、ミンシェッド家のことも、知らないことだらけだ。

 そんな自分が神殿へ行き、もしスキルを持っていることで次期神官長だなんてことになったら、ミンシェッド家の人たちにどう思われるだろう。


「ルーリアは学園を卒園した後、どのようにしたいと考えているのですか?」

「わたしは……」


 そう言いかけてルーリアは立ち上がり、エルシアとガインの間に入り込むように座り直した。

 コタツならではの距離の近さが嬉しくて、ルーリアはつい緩んだ笑みを浮かべてしまう。

 ギュウッと二人に抱きつけば、久しぶりの温もりと匂いに胸が満たされていく。


 ……あぁ。安心する……。


 満足するまで二人に甘え、それからルーリアは伏し目がちに口を開いた。


「……こうしてお父さんとお母さんの側にずっといられたら、とは思います。でも、わたしの居場所は神殿にはありません。それなら少しでも人の役に立つ魔虫の蜂蜜を作りながら、この隠し森で二人がたまに帰ってくるのを待つ方がいいんじゃないかって、お父さんたちが神殿に行っている間、ずっと考えていました」

「……それがルーリアの望みか?」

「はい」


 まっすぐに向けられたルーリアの返事を聞き、ガインはやり切れないような顔で「そうか」と、声を落とした。


「お母さんはわたしがスキルを持っていると知った時、すごく落ち込んでいましたけど、あれはどうしてですか?」


 絶望したように言葉を失くすほど、何にショックを受けたのか尋ねると、少し視線を彷徨わせた後、エルシアはルーリアの髪を撫でながら静かな声で話し出した。


「……あれは、私が神の眼を得た時のことを思い出して、ルーリアにも同じようなことが起こってしまうのではないかと、つい取り乱してしまったのです」


 神の眼を持ったことで次期神官長として育てられることになり、自分の周りにいた者たちがまとめて入れ替えられ、婚姻相手を勝手に決められてしまったこと。

 望まぬ婚姻から逃げ出すためにガインを巻き込み、自分が父親であることに罪悪感を持たせてしまうような辛い思いを長い間させてしまったこと。

 ミンシェッド家の目を恐れて隠れ住むことで、ルーリアとガインから自由を奪ってしまったこと。

 そして今回、自分が神殿から逃げ出したせいで多くの者たちが犠牲となり、それを深く後悔したこと。


 そんな思いを娘には絶対にさせまいと、もし仮にルーリアが真の眼を持ったとしても、使わせないようにすればいいとエルシアは決意していた。何としても神の眼の習得は阻止する、と。


 それなのにエルシアの目の届かない場所で、安全だと思っていたこの家で、ルーリアはスキルを習得してしまっていた。

 エルシアは神の眼を宿したルーリアの瞳に気付いた瞬間、目の前が真っ暗になったそうだ。

 そして、さらなる後悔が押し寄せたという。


 ルーリアが神殿に呼ばれた、あの日。

 ひと目でもいいから、ルーリアの様子を自分で見に行っていれば。スキルを覚えたとしても使わないように、早くからルーリアに言っておけば。


 過ぎたことへの後悔が尽きない。

 止めどなく悔やむ言葉が口を衝くエルシアを、ガインは自分の胸に引き寄せた。


「どれもエルシアのせいではない。気に病むな」

「スキルのことは、お母さんのせいではありません。元はと言えば、神様がなされたことですから。お母さんが自分を責める必要は全くないと思います」

「ですが……」

「それを言うなら、俺の魔力を抜いたことが全ての原因だろ。まぁ、それもやったのは神だが」


 神のせいだから仕方ないと、親子そろって似たようなこと繰り返して言うガインとルーリアに、エルシアは思わず目を瞬く。

 一生懸命に自分を慰めようとしてくれる夫と娘の姿に、エルシアの口元はかすかに緩んだ。


「せっかく久しぶりの家族団らんなんですから、終わったことで落ち込むより、わたしはこれからのことを楽しく話したいです。セフェルのお手伝いが増えることとか、シュークリーム屋の名前を考えたりとか。相談に乗って欲しいことはいっぱいあるんです。次に会う時まで、わたしはお母さんの悲しむ顔より笑っている顔を覚えていたいです」


 にっこり微笑むルーリアに釣られ、エルシアも目を細めて微笑む。


「……ルーリア。あなたは本当に、私には勿体ないくらい良い子に育ってくれました。しっかりしていて、心が優しくて、どんな時でも一生懸命で。……私の、私たちの自慢の娘です」


 優しく抱きしめてくれるエルシアと、大きな手で頭を撫でてくれるガイン。

 のんびり家族で過ごすというには、とても短い時間だけど、ルーリアはとても幸せな気持ちに包まれた。


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