第280話 イタズラなレシピ


 家に帰って解毒草の温室へ向かったルーリアは、胡散くさい笑みのマーレから花の妖精メリボイアのレシピを人に見せても良いと許可をもらう。


「おっ、さっすがルーリア。もう標的ターゲットを見つけてきたのか。どんな結果になったか、あとでオイラにも教えてよ」

「……え? 標的?……分、かりました?」


 ニシシッと何かを企んでいる顔のマーレに見送られ、次の日、ルーリアは昨日と同じようにクレイドルたちと研究室へ向かった。


 研究室は研究が終わるまで使用したいと伝えておけば、そのままの状態で残しておいてくれる。

 研究台の上には昨日の分とアルヴェパルフのお香用の追加素材、それに花の妖精のレシピ用の素材と道具が加わり、すごいことになっていた。

 セルギウスが呆然とした顔で「……これだけの素材を自由に使えるのか」と、こぼす姿が目の端に映る。


「クレイドル、具合はもう大丈夫なんですか?」

「ああ。ひと晩寝たら落ち着いた」


 今朝、学園に来る前に試したら、昨日習った補助魔法は全部使えるようになっていたらしい。

 記憶酔いを起こさないようにするため、昨日の夜の内に出来るところまでは術式を詰め込んできた、と話すクレイドルにルーリアはムッと眉を寄せる。


「それって、あんまり眠っていないってことじゃないですか! 体調を崩したんですから、ちゃんと身体を休めないとダメですよ!」


 無理をしていることを当たり前のように口にするクレイドルに注意しても「大丈夫だ、心配いらない」としか返ってこない。何が大丈夫なのか。


「そう言ってまた無茶をするつもりなら、海の家の時のように風で縛りつけて無理やり眠らせますよ?」


 今度は泣かないで、ちゃんと叱りますからね、と付け加えると、クレイドルは「……うっ」と言葉に詰まった後、無理はしないと約束してくれた。

 薬の調合をしようとしていたセルギウスが「……ルーリアを泣かせたのか?」と、ちょっとだけ剣呑な目付きになったけど、自分がクレイドルの説得に失敗して、勝手に感情的になって泣いてしまっただけだと説明しておいた。


「あぁ、そうだ、クレイドル」


 呼びかけると同時にセルギウスはクレイドルに小さな何かを放り投げた。キラッと光る金属のような物をクレイドルは難なく片手でキャッチする。


「……? 何だ、これ?」

「記憶酔いを抑える魔術具だ」


 それはイヤーカフ型の魔術具で、クレイドルの身体に負担をかけないようにするため、作ってきてくれたらしい。

 クレイドルはセルギウスに使い方を教えてもらい、手早くそれを左耳に着けた。


「それを着けていれば少しは楽になるはずだ」

「わざわざ済まない」

「じゃあ、始めますか。今日は一つ終わる度に様子を見ていきますね」

「ああ、よろしく頼む」



 ルーリアがクレイドルに魔法を教える間、セルギウスは花の妖精のレシピに目を通していく。

 補助魔法を五つ教え終えたところで、ルーリアはクレイドルの顔をじっと覗き込んだ。

 昨日、具合が悪くなったのはこの辺りだ。


「身体の調子はどうですか?」

「今のところは大丈夫だ。魔術具のお蔭で混乱することもない」


 顔色も悪くないし、クレイドルが嘘をついていないと分かるから、ルーリアはホッと息をつく。


 ……人を疑うような目で見るのは嫌だけど、こういう時はスキルがあって助かるかも。


「じゃあ、次が終わったら一旦休憩にしますね」

「分かった。次は広範囲魔法だが、どうするんだ?」


 研究室は10×7メートルくらいで高さが3メートルほどと、そんなに広くない。これから教える魔法は100立方メートルくらいの広さが必要となる。


「ふふっ。そこで便利なのが、これなんです」


 研究室の入り口近くの壁にあるツマミをルーリアが回すと、一瞬で室内の広さが変わった。

 白い壁も天井もうんと遠くにあるから、外にいるような感覚になる。


「うわっ!……これはすごいな」

「ふふふ」


 イタズラが成功した顔で笑っているルーリアだが、研究室に初めて入った日、うっかり壁に手をついてツマミを回してしまい、声も出ないほど驚いたことは内緒だ。


「…………!?」


 レシピのノートを睨むように見ていたセルギウスはルーリアの笑い声に顔を上げ、すぐに視線を戻そうとしたが違和感を感じたのか、すごい勢いで振り返り、自分の背後に広がる空間を唖然とした顔で見つめていた。

 その様子にルーリアとクレイドルは顔を見合わせ、思わず笑ってしまう。


 広範囲魔法を教え終わったところでセルギウスにも声をかけ、休憩を取ることにした。



「借りた魔術具のお蔭で、今日は記憶酔いが起こらなかった。セルギウス、ありがとう」

「いや、礼には及ばない。ただでさえ学園に通う日にちは残り少ないのだ。時間は有意義に使った方が良い」

「そういえば、セルギウスは難しい顔でレシピを見てましたけど、何かあったんですか?」


 まだノートの中身を見たことがなかったルーリアは、どれほど難しいレシピが載っているのだろうと身構えながら尋ねる。

 セルギウスは研究台の上で二つに分けてある素材群の内、片方を指差した。


「こちらはレシピには必要な素材として名が載っている物なのだが、過程を見ていくと全く必要ないようだ」

「……え?」


 どういうことだろう? と思ってレシピの一つを見せてもらう。すると、最初の方で細かく刻むと書いてある素材が最後まで使われていなかった。


「……んん?」


 他にも、使わない素材を布に包んで温めて放置とか、力いっぱい遠くに放り投げるとか、頭の上に乗せてくるくる回るとか、調合に関係なさそうな手順があちこちにある。


 これって、妖精のイタズラ……?


 ノートに書かれている順に作っていこうと考えていたセルギウスがレシピの確認を先にすることにした理由は、調合中の材料に逃げられたからだそうだ。


「……え、逃げ……?」


 調合の途中で出来た木の根っこのような物に突然足が生え、セルギウスが呆気に取られている隙に素早く逃げてしまったらしい。

 すぐに捕まえたけど、うねうねとした動きが気持ち悪かったから、つい魔法で消し去ってしまったのだとか。


 ……その場面はぜひとも見たかった!


 そんな面白いことになっているなんて、魔法を教えることに夢中になっていて全然気付かなかった。


「……さ、さすが妖精のレシピですね」

「何が起こるか分からないから、慎重に進めていくしかないようだ」


 ため息混じりにそう話すセルギウスに、心の底から謝っておく。


 ……安全かどうか確かめもしないで持ってきてごめんなさい!


「今日はレシピを確認するだけにした方がいいんじゃないか?」

「残念だが、そうしよう」


 そこまで危険なものではないと思うけど、念のため家に帰ってからマーレに確認することにした。

 休憩後、クレイドルは順調に補助魔法を覚え、その日は九つ習得することが出来た。



 家に帰り、花の妖精メリボイアのレシピについて聞きたいことがあるとマーレに手紙を送る。

 今日は三人とも山小屋にいると返事が来たので、お菓子の差し入れを持って訪ねることにした。


「ルーリアには疑う心ってものが皆無なの。そんなんじゃ、すぐに妖精のオモチャにされちゃうの」


 開口一番、呆れた顔のラメールから注意が飛んでくる。なぜか真面目に相談に乗ってくれたのはラメールだけで、バハルとマーレには大笑いされてしまった。


「もしかして、マーレの言ってたレシピの買い取りって、イタズラ用のアイテムとしてって意味だったんですか?」

「そだよ~。面白いだろ?」


 なんてこった! と叫びたくなる。

 あんなに真剣にレシピの確認をしてくれていたセルギウスに『あのレシピはイタズラ用のアイテムでした、全部デタラメです』だなんて言いたくない。


「ど、どうしよう」

「ルーリア、ちょっとそのノートを貸してみるの」

「は、はい」


 ラメールに見てもらったところ、このレシピは半分が正解で半分はデタラメらしい。

 所々にイタズラがあっても、何かしらの魔術具や薬にはなるそうだ。「とにかくイタズラを叩き潰して完成させればいいの」と、ラメールから助言をもらう。妖精のレシピは意外と過激なようだ。


「ルーリアは調合をする時、材料をどこから手に入れているの?」

「家にいる時は、だいたい人に頼んでそろえてもらっています」

「それなら中には噛みつくような物もあるから、知らない材料を頼む時は先に調べるクセをつけた方がいいの」

「わ、分かりました」


 素材の危険性なんて考えてもいなかった。

 火蜥蜴サラマンダーのレシピの材料をそろえてもらった時は、ろくに調べもしないで頼んでしまったから、ひょっとしたらかなり迷惑をかけていたのかも知れない。


 ……知らずに頼んで、ユヒムさんの屋敷の一室を丸ごと呪いの儀式部屋にしちゃいましたからね。


 あれはあとから反省した。


「いろいろ教えてくれてありがとうございます、ラメール」

「こちらこそ、美味しいお菓子をありがとうなの。分からないことがあったら、またいつでも聞きに来ればいいの」



 ◇◇◇◇



 それから一週間ほど経ち、もう少しでリストにあった補助魔法を全て教え終わりそうになった頃。


 午前の菓子学科の授業後、教室では誰も帰ろうとせずに、いつもと違う雰囲気でワイワイと話し込んでいる日があった。

 どことなく、みんな少し浮かれているようだ。


「ねぇ、シャルティエ。みんなの様子がいつもと違うような気がするんですけど、何か知っていますか?」

「え? 何って、明日は野外学習の日だよ? 同じ班の人同士で打ち合わせしてるに決まってるじゃない」

「……野外学習?」


 当たり前のような顔で返されたけど、何の話か分からない。ルーリアが首を傾げると、シャルティエは「あ」と言って口元を押さえた。


「ごめん、うっかり伝え忘れてた。野外学習のことはルリの休み中に説明があったんだよ。明日はお弁当を持って遠出して、一日中、学園の外で果物を採取するの。ちなみに、ルリは私とマリアーデとエイナの班だよ」

「えっ、学園の外!?」


 ルーリアは思わずフェルドラルに視線を向ける。ガインたちがいない中、勝手に学園の外へ出ても良いのだろうか?


「……姫様が遠出ですか。シャルティエ、詳しく聞かせてもらえますか?」

「あ、はい。えっとー……」


 シャルティエの説明によると、野外学習の場所はダイアランの沖合にあるチィリーナ島。

 これは毎年恒例となっている冬の授業で、チィリーナの実を採取することが目的らしい。

 自分たちの手で採取した果物を次の日の授業で使い、神のレシピを応用した菓子を作るまでが今回の課題となっている。


「チィリーナの実って確か、創食祭の前日にシャルティエと作ったお菓子に使った丸い赤い実のことですよね?」

「うん、そうだよ。よく覚えてたね」


 小粒で食べやすく、甘酸っぱくて美味しかったから覚えていた。あの時、シャルティエは採取するのが難しい果物だと言っていたような気がするけど……?


「あ、そうそう。菓子学科の生徒一人に対して、軍事学科の生徒が二人ずつ護衛に付いてくれるんだって。なんでも序列上位の人たちが来てくれるらしいよ。すごいよね」


 今まで生徒がケガをしたことはないそうだが、チィリーナ島には小さな魔物が出るらしい。

 護衛が付くのはそのためだ。


「なるほど。それは心強いですね」


 まぁ、それでしたら、とフェルドラルのお許しも出たので、ルーリアは帰ってから作るお弁当を何にしようか、ウキウキと考え始めた。


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