第264話 夜の来訪者


 何者かにノドを掴まれ、声が出せない。

 セフェルはフェルドラルから学んだ無詠唱魔法を使おうとしたが、それも発動しない。

 それでもルーリアを守ろうと、セフェルは必死にもがいてジタバタした。


 しかし、爪を出して相手を引っ掻こうとしても、なぜか油が水を弾くように見えない何かに阻まれる。するんと滑り、虚しく空を切るだけだ。

 ルーリアの部屋に直接転移してくる者はいないと、セフェルはフェルドラルから聞いていた。


 ──だ、誰にゃッ!?


 その正体を突き止めようと、魔法陣から現れた人影に目を向け、セフェルは息を呑む。


 闇色の人影の中に、金色の光が二つ浮かんでいた。


 自分を見下ろす金色の瞳は全てを凍りつかせるように冷たく、影で出来た身体は研ぎ澄まされた刃のように見える。

 少し動いただけで瞬時に首が切り落とされるような、そんなゾッとする光景が頭をよぎった。


「!!」


 その時、魔法陣からもう一つの人影が現れ、セフェルはどう足掻いても自分一人では敵わないと悟る。


「手荒な真似は止せ」

「は。失礼いたしました」


 あとから現れた人影が、先に現れた人影を叱りつける。すると、セフェルを掴んでいた手が緩み、ぼふっとベッドの上に落とされた。


 ──生命に代えても姫様を守らなきゃ!


 すぐさまセフェルは二つの人影に向かい、フェルドラルから預かっていた魔術具を発動させた。

 幾重にも吹き荒れる風の刃が二つの人影に迫る。


「あぁ、やはり彼女は用心していたようですね」


 金色の瞳の人影はそう呟き、攻撃されることを知っていたかのように悠然と手の平を風に向けた。

 まるで手品のように風の刃を次々と手の平に吸い込み、金色の瞳は不敵にも唇の端を上げる。

 極上の美酒でも口にしたように細められた金色の瞳を、セフェルはただ呆然と見つめていた。


小域睡眠モース・モウズ


 少し申し訳なさそうな声で、あとから現れた人影が呪文を唱える。それを耳にしたのを最後に、あえなくセフェルは深い眠りへと落ちていった。



「……ふむ。この建物内には、この部屋の中以外に誰もいないようですね」


 パチンとクロムディアスが指を鳴らすと、自分たちを覆っていた闇魔法が掻き消える。

 すっかり日が落ちて暗くなったルーリアの部屋の中に、セルギウスと人型のクロムディアスの姿が浮かび上がった。


「では、すぐに従属契約を行ってしま──」


 そう言ってクロムディアスが眠っているルーリアに歩み寄ろうとした、その時。

 この建物に近付く大きな風の動きと音があった。


 それに気付いたセルギウスは、自身とクロムディアスの姿を魔法で消す。気配を断ち、息を潜め、部屋の奥に身を隠して様子を窺った。


 大きな風は軽く山小屋を軋ませ、カタカタと小刻みに窓を揺らす。

 大きな羽ばたき音が何度か聞こえた後、チリリンと軽やかなベルの音が下の方から響いてきた。

 建物内に何者かが一人で入ってきたようだ。


 ……この気配は、まさか!?


 確信に近い心当たりにセルギウスが目を見張る中、迷うことなくこの部屋に向かってきた人物は、ノックもなしに大きく扉を開け放った。


 ──やはり、リューズベルトか!


 そこに現れたのは、白銀の鎧に身を包んだ臨戦態勢のリューズベルトだった。

 軍事学科の授業でも見せたことのない重装備に、セルギウスは思わず身構える。


 なぜここにリューズベルトがいるのか。

 セルギウスは思わぬ人物の登場に激しく動揺した。ルーリアとリューズベルトにどんな繋がりがあるのか、その背景が全く見えない。


 例え見た目が幼くとも、女性の寝室に男が無断で入るような真似はどうなのか。もしかして、そのような振る舞いが親から許されている仲なのだろうか。

 眠っているルーリアの部屋に何の躊躇いもなく入ってきたリューズベルトを見て、セルギウスは思わず足を踏み出しかけたが、クロムディアスにそっと止められた。


「…………はぁ」


 ルーリアの眠る姿に視線を落とし、リューズベルトは小さくため息をつく。

 その顔には「何でオレが」と書いてあるのだが、背を向けているため、その表情はセルギウスには見えていない。


 リューズベルトはルーリアの小さな身体を胸の前に抱きかかえ、部屋の外へと出て行ってしまった。

 そのまま階段を下り、さらに外へ出て、大きな風と共にその場を去る。


 一瞬とまでは言わないが、わずかな時間の出来事にセルギウスとクロムディアスは苦い顔となった。

 すぐにペンダントを通してルーリアの所在を探ったが、その気配はフツリと途切れ、分からなくなっている。

 さすがに聖竜の動きまでは追えないか、と深く長いため息をつき、その場に残されたセルギウスは悔しさに奥歯を噛みしめた。


「……ルリの守りを甘く見ていた」


 まさかリューズベルトが、この場の守りを任されていたとは。


 付き添い人の仕業か、それとも親か。

 いつ自分の行動が相手に察知されたのか、その要因にさえ気付けなかった。


「相手の方が上手うわてだった。自分には魔眼があるからと油断していた」


 ルーリアの周囲に魔術具などの防衛対策があったとしても、自分なら見抜けるだろうと心のどこかで慢心していた。

 こうなると、セルギウスには焦りが生じてくる。


 ここにはもう戻らないのだろうか。

 目の前にあった好機を、自分はみすみす逃してしまったのだろうか。

 このままではルーリアは魔に属することなく、邪竜の誕生を迎えてしまう。


 ……そうなってしまったら、ルリは──。


 後悔してもし切れないほどの絶望感を抱え、セルギウスは転移して魔族領へと戻った。




 一方その頃、リューズベルトは眠っているルーリアを連れ、聖竜で神殿へと向かっていた。


「絶対に起きないと分かっていても、気持ちの良いものではないな」


 ルーリアを神殿へ連れて行くことは、神殿から離れられないガインから頼まれて仕方なくしていることなのだが、クレイドルのことを考えると、とても憂鬱な気分となる。


 自分がルーリアを迎えに行かなければ、予定通りに神敵討伐を始めることが出来ないと言われてしまえば、リューズベルトには拒否することも迷うことも出来なかった。



 ◇◇◇◇



 神敵討伐のため、ガインたちが神殿へと向かった当日。まだ暗い夜明け前。


 通常であれば夜間は閉じている地上界と神殿を繋ぐ門が、神によって一箇所だけ開けられていた。


 どの門にも門兵などはおらず、無人だ。

 この時間帯に誰もいないのは門ではいつもの光景であり、門の開閉は神の領分であるため、その間の守りは不要とされていた。


 その唯一開いている門からガインたちは神殿の界層へと入り、手筈通りにキースクリフと合流する。気配を消すためのあらゆる補助魔法を掛け、キースクリフの屋敷へと移動した。


「ダジェットはもう来ているのか?」

「うん、来てるよ。ガインが遅いって、文句言ってた」

「ふざけろ。こっちは予定通り行動している」


 相も変わらぬ傍若無人な育ての親に、いない方が良かったんじゃないかと、ガインはため息が出る。

 ダジェットは根本的なところで間違ったことは言わないし、頼りになる強さなのは確かなのだが、思ったままに行動するところがあるから、今回のような共闘作戦の時は不安の種となる。


「久しぶりにガインに会えるからって、テンション高めだった」

「…………もう帰ってもいいか?」

「駄目に決まってるじゃん。しっかり親孝行してくればいいじゃんか」

「俺を殺す気か」


 今は学園で軍部の教師主任を務めているらしいが、よく暴走していないものだと感心する。

 ガインは幼い頃、加減を知らないライオンの獣人であるダジェットに何度も殺されかけた。

 きっと共に働く教師の中に優秀な者がいるのだろう。むしろそっちを寄越して欲しかったと、心の中で不満を漏らす。


「ダジェットと知り合いなのか?」


 親孝行という単語が聞こえたからか、リューズベルトがひどく困惑したような顔をこちらへ向けてくる。


「ダジェットは神殿の元騎士団長で、俺の育ての親だ。血の繋がりはない」

「……そう、なのか」


 一気に同情するような目に変わったリューズベルトを見て、やりたい放題なのは今も昔も変わらないか、とガインは腹をくくった。


「ガインンン──ッ!!」


 キースクリフに案内されて部屋に入り、顔を見るなり飛び蹴りをかましてくるダジェットをかわして、ガインは椅子に座る。


「ダジェット、時間がない。話しながらなら腕の一本くらいは貸してやる」

「ほおぉ、相変わらず生意気だな。元気そうで何よりだ」


 ダンッと激しい音を立て、ニィッと笑みを浮かべたダジェットが右肘をテーブルにつき、大きな手を差し出してくる。

 ガインも同じように右肘をついて手を差し出し、ダジェットとガッチリと組んだ。

 そこへキースクリフがそっと手を重ねる。


「頼むからテーブルは壊さないでくれよ。んじゃ、始め!」


 ぐぬぬ……っと、突然始まった腕相撲に、エルシアとリューズベルトはぽかんとする。

 こうしておかないとダジェットがうるさくて話にならないと、こそっとキースクリフは説明した。


「では、今回の作戦の最終確認をさせていただきますので、エルシア様と勇者様はこちらにおかけください」


 キースクリフの妹だと軽く紹介されたリーフェが、テキパキとその場をまとめていく。

 リーフェは神兵に選ばれており、ガインとは昔からの顔馴染みであった。


「まずは、それぞれの役割とその分担について確認させていただきます」


 全くの無関係者はすでに地上界へと逃がされているが、ミンシェッド家の者たちと神殿騎士たち、そこに付随する使用人や下働きの者たちは未だにこの界層に留まっている。

 それらの者たちを神敵とそれ以外に分けるため、ガインたちは一芝居打つことになっていた。


 ひと言で言えば、エルシアの神殿への帰還。


 神殿を抜け出したエルシアを保護し、ずっと見守ってきたダジェットが、地上界はもう飽きたと言われて連れ帰るという筋書きだ。

 ミンシェッド家にはその旨の報告がすでに届けられており、エルシアが戻り次第、神官長のベリストテジアに呼び集められた者たちの前で、神官長の息子であるゴズドゥールとの婚姻を執り行う予定らしい。


 その時、こちら側の神官や神殿騎士たちには神敵ではない者たちを抑えてもらい、リューズベルトには神敵の側にいる無関係な者たちを巻き込まないように助け出してもらう手筈となっている。


 エルシアがミンシェッド家に戻り、ゴズドゥールの隣に婚姻予定者として並び立つ話の説明の時、ガインはダジェットの右手を強く叩きつけ、テーブルを真っ二つに破壊した。


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