第263話 気付いた気持ち


 エプロンを着けて台所に並び立つ、ハーフエルフ姿のルーリアと猫妖精ケット・シーのセフェル。


 秋に採取した木の実をたっぷり使った焼き立てのパンに、ベーコン入りのふわふわオムレツ。細かく刻んだキノコと根菜のスープ。

 セフェルと一緒に朝食を作り、店のテーブルへと運ぶ。


「にゃ! 姫様、いい香り~」


 ふわりと立ち上る湯気まで美味しそうだ。


「我らが世界の神にして創造主、テイルアーク様に祈りと感謝を捧げ、今日この糧をいただきます」


 ちょっとたどたどしいけれど、可愛らしく両手を合わせ、セフェルも食前の祈りを口にする。


「スープは熱いですから、舌をヤケドしないように気をつけてくださいね」

「にゃい」


 ほかほかのパンを手で千切り、とろりと蜂蜜をかけて、こぼれ落ちる前に噛じりつく。

 バターを載せ、じわ~っと溶けてきたところをぱくっと食べても美味しい。


 自分一人だったら、食事は魔虫の蜂蜜で済ませていたかも知れない。セフェルがいてくれて本当に良かったと思う。

 温かい朝食を食べ、食器を洗って片付けた後、仕事道具を手にしたセフェルと森の中を歩いて花畑へ向かった。


 カサカサ、カサリと、ちょっとした風で落ち葉が枝から剥がれ落ちてくる。

 紅く燃える火色、夕焼け色、黄金色。

 この季節は葉が色付き、一年の中で最も森の彩りが賑やかだ。


「この辺りのロモアの種は、もう収穫しても良さそうですね」

「にゃう、フェル様直伝の魔法で集める」


 セフェルは畑に向かって両手を広げ、風魔法でロモアの種を刈り集めていく。持ってきた小さなバケツは、麦の粒のようなロモアの種でいっぱいになった。ロモアの種を保存する時は、この外殻を付けたままにしておく方が良い。


「ミツバチの巣箱も、魔虫の蜂の巣箱も、手入れは完璧です。セフェルもすっかり一人前の蜂蜜職人ですね」

「にゃっふい! 姫様に褒められたっ」


 ぴょこんと飛び上がって喜んだセフェルは、もうそろそろミツバチの採蜜をしても大丈夫だと教えてくれる。

 シャルティエから預かって二度目となるミツバチの採蜜だが、今回は大本命のロモアの蜜だ。


 ……魔虫の蜂蜜のように、ちゃんとロモアの香りがすれば良いんですけど。


 ルーリアはミツバチの蜂蜜の出来具合が気になって仕方なかった。


「今日は道具の準備だけして、明日晴れたら採蜜しましょうか」

「にゃい!」


 自分本来の姿で、花畑や蜂蜜のことだけを考えて過ごす時間は、去年と同じことをしているだけなのに、何だかずっと遠い昔にいるようで、ひどく懐かしい気持ちにさせる。

 あの頃の自分は本当に何も知らなかったのだと、しみじみ感じてしまった。


 ……お父さんたち、大丈夫かな。


 晴れた青空に流れる、白い雲を眺める。

 神殿がどこにあるのか分からないから、ガインの真似をして、つい空を見上げてしまった。


 みんなはとっくに神殿に着いている頃だろう。

 すぐに誰かと戦うことになるのだろうか。

 ここで自分が焦ってもどうにもならないことは分かっているが、それでも込み上げてくる焦燥感は拭えなかった。


 自分に出来るのは、ここを守ることだ。

 二人がいつでも帰って来られるように、ちゃんとこの場所を守らなくちゃ。


 ……あれ?


 いつだったか。小さい頃にもこんなことがあったような気がして、ルーリアはちょっとだけ懐かしい気持ちになった。



 それからルーリアとセフェルは、少し前に完成した温室の様子を見るため、バハルたちのいる解毒草の畑へと向かう。


「わぁ、中はけっこう暖かいですね」

「あの管の中を温泉の温水が絶えず流れているからな」

「冬でも晴れた日の午後には、天井にある窓を少しだけ開けて熱を逃がしてやらなきゃならなくなるんだ」


 温室の中で作業しているバハルとマーレは、なんと半袖姿だった。

 外の気温と違い、今日みたいな晴れた日はお昼を過ぎると、温室の中は初夏のような少し汗ばむ暑さになるそうだ。


「そういや、ミツバチの採蜜が終わったら、巣箱を温室の中に置くんだろ? オイラたち刺されたりしないかい?」

「温室の中じゃなくて外の小屋の中に置きますから、大丈夫です。この地域で外に置いたままにしておくと、巣箱が完全に雪に埋もれてミツバチの越冬は難しいそうなんです」


 だからと言って、温室の中で寒さを知らずに冬を過ごせば、ミツバチたちの季節の感覚が狂ってしまうらしい。

 越冬に必要な量の蜂蜜を巣に残し、あとは自然に任せるのが一番なのだそうだ。


「今日からルーリアは留守番か。寂しい時はオイラたちの所に遊びに来るといいよ」

「ありがとうございます、マーレ」

「これから何か予定はあるのか? 良かったら今から遊んで行くか?」


 ニシシッと笑うバハルは仕事をさぼる気満々のようだ。そうはさせないと、ルーリアもにっこり微笑み返す。


「これから家に帰って、明日の採蜜の準備をしようと思っています。それが終わったら、久しぶりにラピスの練習をしようかと」

「おっ、ついに楽器を買ったのか」

「へぇ。あの激甘な父親にでも買ってもらったのかい?」


 ニヤリとするマーレに、少し照れた顔のルーリアはふるりと首を振った。


「いえ、お父さんじゃなくて、ラピスは……その、もらったんです」

「あー、いつも一緒に来てたあの男からか。ルーリアはあの男のことが好きなのか?」


 バハルからストレートに尋ねられ、ルーリアの顔はさらに赤くなる。


「……分か、りません。単純に好きとか嫌いとかって言うだけなら、分かるんです。だけど……」


 ルーリアが答えに詰まって俯くと、マーレは話題を変えるような口調で問いかけてくる。


「じゃあさ、ルーリアが海で見た景色の中で、一番綺麗だと思った場面を思い浮かべてみてよ?」

「……一番、綺麗な?」


 それはやっぱり、夕日と夕焼け空だろう。

 空と海に広がる、胸を焦がすような美しい火色の世界だ。


「で、そこにルーリアがいたとする」


 自分がぽつんと一人、立っている。


「その隣にいて欲しい、手を繋いでいたいと思ったヤツが、ルーリアの好きな人って訳だ。自分の心が動かされたものを、一緒に見たいと思った相手。それが、ルーリアにとって大切で、側にいたい好きな人だってことだよ」


 ……わたしの、好きな人。


 クレイドルが微笑み、自分に手を差し伸べてくれる姿が浮かんだ。その手はとても温かく、眼差しは泣きたくなるほど優しくて。


 ……だけど、わたしは、手を伸ばせない。



「……大切だから。守りたいから、側にいられない。そう思う気持ちは、何て呼べばいいんでしょうね?」


 クレイドルに気持ちを伝えられて、やっと分かった。たぶん、ウォルクスはこんな気持ちだったのだろう。


 ──好きだからこそ、側にいられない。


 自分のせいで相手を苦しめてしまうかと思うと、怖くてその手を取れなくなる。

 好きだという気持ちだけで一緒にいれば、相手を不幸にしてしまうかも知れない。

 大切で守りたいと思う気持ちがあるからこそ、自分は側にいない方が良いと思ってしまう。


「ルーリアは何かを抱えているのか? その言い方だと、側にいると呪いにでも巻き込むように聞こえるけど?」

「側にいるだけで人を巻き込むものなら、わたしは誰とも会ったりしません。そこは安心してください。自分に掛けられた呪いが少し厄介なものなだけです」


 マーレは「うーん、呪いが掛けられてんのか」と呟き、一冊の小さなノートを取り出した。


「良かったら見てみるかい? オイラは調合とかやらないし、持ってても使うこともないからさ」

「これは?」

花の妖精メリボイアのレシピだよ。たぶん、何かの薬とかが作れるんじゃないかな? まぁ、見てもオイラにはよく分かんないんだけどね。もしかしたらルーリアの呪いを解くヒントがあるかも、なんてね」


 パチリと片目を閉じ、ニッと笑ったマーレは、その笑顔に黒さを足す。


「ちなみにこのレシピは借金のカタにいただいたもんだけど」


 ……借金のカタ。


 見た目は子供のように可愛いのに、妖精同士の付き合いはけっこうシビアなようだ。


「えっと、じゃ、じゃあ、お言葉に甘えてお借りします。学園からも休み中の課題をもらっているから、すぐには返せないかも知れないですけど……」

「ああ、いーよいーよ、ゆっくりで。それ、欲しくなったら、あとから買い取ってもらっても構わないくらいだし」

「……? 買い取り?」


 中を見た後で買い取る意味が分からないと思いつつも、ルーリアはマーレからノートを受け取り、お礼を伝えて家に帰った。



 家に着いてからはセフェルと採蜜の準備をして、お昼ご飯を食べ、ラピスの練習をする。


 ……このラピス、すごい。


 海の家でマーレから借りていたラピスよりも、自分の手にピッタリだ。クレイドルからもらったラピスは驚くほど手に馴染む。

 大人の姿で採寸したから子供の姿では手が届かないかも、と心配していたが、全然そんなことはなかった。

 自分の手のクセなどをよく知っていないと、こうはならないだろうと思うと、何度も手に触れられた時のことが思い出されて、急に恥ずかしくなってくる。


 ……れ、練習、練習。


 柔らかな音色が、シンとした山小屋に響く。

 ラピスの練習が終わった後は、グレイスから借りた資料に載っているレシピを書き写した。


 人族の料理に限らないレシピも載っていて、まず食材を理解するところから苦労する。

 空を飛んで逃げる果物とか、生で食べると自分の身体が何倍にも大きくなってしまうキノコとか。料理しようとすると悲鳴を上げる野菜、さばき方を間違えると弾ける魚。


 ……食べるのも、ちょっと勇気がいる感じですね、これ。


 そしてその後、ユヒムが訪ねてきて、春に開店を予定しているシュークリーム店の話や、学園であった話などをしていたら、あっという間に眠る時間となった。


「じゃあ、そろそろ眠ります。ユヒムさん、今日はありがとうございました」

「じゃ、オレも帰るよ。おやすみ、ルーリアちゃん」

「はい、おやすみなさい」


 ユヒムが転移するのを見送り、自分も部屋に戻って身体を洗い、着替えてベッドに入る。

 セフェルは定位置の足元に飛び乗り、自分が眠る場所のシワを丁寧に伸ばしていた。


 去年までの一人で過ごしていた時とは違い、ずっと時間が過ぎるのが早い。

 ガインたちからは特に何の連絡もなかった。


 ……きっと無事ですよね。


 フェルドラルがいなくてちょっとだけ広く感じるベッドに毛布を被って丸まった。




 ルーリアが眠りに就き、しばらく経った頃。

 胸にあるペンダントが淡い緑光を放った。

 森の木漏れ日の中にいるような光がルーリアの部屋の中に広がる。


「…………にゃ?」


 決して眩しい光ではなかったが、そのほのかな光でセフェルは目を覚ました。


「にゃにゃ、にゃッ!?」


 驚いて飛び起きたセフェルが警戒した丸い目をペンダントに向けていると、ペンダントの魔石から魔法陣が広がり、そこから人影が現れた。


「にゃがっ!?」


 その人影から伸びた手は、現れるなりセフェルのノドを乱暴に掴み、声を出せないように即座に封じた。


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