第265話 因縁の対面


『じゃあ、神兵のみんなに敵を見分けるための眼を与えるね』


 そんな神の声が聞こえてきたのは、ひとしきり作戦の段取りや打ち合わせが終わった後だった。

 すでに夜は明け、窓の外は明るくなっている。

 よく晴れた、穏やかな朝だ。


「……眼?」


 何でも、神敵には死の女神であるネルカジロフの口付けという印が付けられ、神からその印を見分ける『眼』を与えられることで、神兵はひと目で敵とそうでない者の区別がつけられるようになるという。

 ここにいるのはエルシア以外、神殿騎士側の者ばかりだが、神兵の神官側の方では、すでにその眼の付与が終わったらしい。


 神敵討伐のために長期にわたって地上界へ繋がる門が閉ざされることになるのだが、神殿側には地上界で行われる神敵討伐のためだと女神たちから説明があったそうだ。

 そのため、朝になって門が開いてなくても誰も不審に思うことはないという。

 門を閉じている間は裁判も休みだから、ちょっとした休暇期間だと考えている者も多いらしい。呑気なものだ。


 しかし。


『……ん? あれ?』


 いざ眼の付与をするぞ、となったところで、神から予想外のことに直面したような声が上がる。


『ねぇ、白虎。キミ、魔力はどうしたのさ?』


 その問いかけで皆の視線がガインに集中する。

 この場にいる者は、ガインが白虎の獣人であることを知っている者ばかりだ。


「…………は? 俺?」

『キミの中にあるはずの魔力がないんだけど?』


 魔力を持たない者には眼を与えることが出来ない、と神は言う。


「俺は元から魔力なんて持っていないが?」

『いやいや、そんな訳ないから。キミは神獣なんだから、魔力がないなんて有り得ないよ』

「……しんじゅう?」


 何だそれ、とガインは首を傾げる。

 神は『魔力を持たない者は初めから神兵として選んでいない』と言い切り、う~ん、と悩むような声を出す。

 その場の全員が戸惑う顔を見合わせた。


『……あ、分かった。キミ、ちょっと子供を連れて来てよ』

「はあぁぁあ!?」


 この場にいる者でも、ルーリアの存在は一部の者しか知らない。それなのに、いきなり子供の存在を神に暴露され、ガインは慌てふためいた。


「何だ、ガイン! お前、子がいたのか!?」


 初孫の誕生を、たった今知ったかのようにダジェットが喜色満面でガインに抱きつこうとする。が、ガインはそれを全力で避け、代わりにキースクリフを押しつけた。今はそれどころではない。


「いや、それは」

『もしそれが出来ないなら、キミは今回の神兵から外すけど。どうする?』

「!!……くっ」


 どうするもこうするも、この戦いに自分が参加しないという選択肢はない。

 ガインはエルシアの護衛から離れられない自分の代わりに、リューズベルトにルーリアを迎えに行くよう頼んだ。


「今は朝になったばかりだが、出来れば暗くなってからの方がいい。済まないが夕方を過ぎた頃に迎えに行ってくれないか。その時間なら、起きることもないはずだ」


 出来る限り人目につかないようにするため、キースクリフとリーフェにルーリアを運び込む部屋の準備や段取りなどを頼む。


「……気は進まないが、分かった」


 渋々リューズベルトが引き受けてくれたことで、ルーリアの神殿界入りが決定する。

 ガインへの眼の付与は後回しにして、それ以外の者へ神は眼を与えた。


 ルーリアが作ったお守りをリーフェに渡し、エルシアが使い方を説明する。

 クインハートたちの分も後で渡すように、キースクリフに頼んでおいた。



 その日の昼を少し過ぎた頃。


 ダジェットとガインに前後を守られ、エルシアは神殿へと向かう。

 騎士たちの住む区域からの移動となるが、転移装置を使うから一瞬だ。この転移装置は学園にある物と同じ仕組みとなっている。


 神殿の中では、さらに神殿騎士が前後に付き、途中からクインハートへ案内が引き継がれ、本殿にあるミンシェッドの本家の者たちが集まる広間へと通された。


「エルシア様をお連れいたしました」

「入りなさい」


 そこに待ち受けていたのは、ベリストテジアやゴズドゥールを始めとする、長年にわたり、ミンシェッド家を自分たちの思うままにしてきた老獪ろうかいたちだった。


 とは言え、長命種族のエルフなので、どの者も容姿は整っていて若者のような外見をしている。

 そんな者たちが10名ほど、豪奢ごうしゃな椅子にゆったりと身体を預け、仮面のような薄い笑みを貼りつけた顔でエルシアを迎え入れた。


「!」


 広間に入り、本家の者たちを目に映した瞬間、ほんのわずかにだが、エルシアとクインハートは息を呑んで身体を強ばらせた。

 ダジェットも眉間のシワを深めている。

 ガインはまだだが、神から眼を与えられたエルシアたちには、神敵がひと目で分かったのだろう。


 ガインとダジェットは広間の中ほどで止まるように言われ、そこに跪く。

 エルシアはゴズドゥールの隣に座り、クインハートはその後ろに控え立った。


「久しいな、ダジェット。此度のエルシアの保護、ご苦労であった」

「はっ」


 感謝の気持ちなど全く込められていない、さも当然の顔で偉そうに労いの言葉をかけたエルフの男は、感情を映さない目を細め、じっとりとガインを見据える。


「其方はどこかで……」


 神官はよほどのことがない限り、神殿騎士の顔や名前を覚えたりはしない。例え騎士団長の座にあったとしても、その期間が短かったり、顔を合わせる機会がなければ尚さらだ。


「この者はガインと申します。エルシア様が神殿から地上界へ降りられた際、その道中を護衛しておりました。前任の騎士団長を務めておりましたが、その職務よりもエルシア様の身を守ることを優先し、これまで尽くしてきた忠義者にございます」


 神官の前で嘘はつけない。

 ダジェットは遠回しな言い方で、騎士団長なんか誰がしても一緒だ、そんなことよりエルシアの身を守ることの方が大事だろう、というようなことをエルフの男に向かって言った。


「エルシアの側にいたのは、よもやその騎士だけではあるまいな?」


 ニヤニヤといやらしい目付きでエルシアを見ていたゴズドゥールが急に話に入ってくる。

 その表情は独占欲丸出しだ。


 その瞬間、ガインは自分でも目が吊り上がったのを感じ、俯いてグッと奥歯を噛みしめた。

 もはや笑顔など貼りつけられない。

 エルシアのためと思って耐えてはいるが、今すぐ殴り飛ばしたい気持ちを堪えるだけで身体中の血が沸騰しそうだった。


「いやいや。エルシア様に協力的な者は地上界にも多数おります。さすがは尊い種族の方でいらっしゃいますな」


 腹芸というか、ダジェットにこんな会話が出来ると思っていなかったガインは、そっちに気を逸らすことで、ゴズドゥールを視界に入れないようにした。


 ここにいるのは、エルフという種族であることを一番の誇りとしているような連中だ。

 特にゴズドゥールは分りやすく笑い声を上げ、もっと称えろ、と言わんばかりに増長した。

 バカ息子、という言葉がよく似合いそうだ。


「それにしても、エルシアが無事で本当に良かった。貴女のことを、わたしがどれほど心配したか……」


 声の雰囲気でゴズドゥールがエルシアに近付くのを感じたガインは顔を上げた。

 すると、隣の席のエルシアの髪に触れそうな位置にまで、ゴズドゥールの手が伸ばされている。


 ──触れたら雷撃で手を吹き飛ばす!


 そう思った瞬間。

 バシッと弾く音と、ボキッという硬い物が砕けたような音が同時に聞こえた。


「……ひッ、ひぎゃあぁあぁぁあ~~~ッ!!」


 直後に男の叫び声が広間に響き渡る。

 それは、エルシアに触れようとした手首があらぬ方向へ折れ、だらんと垂れ下がり、その激痛に顔を歪めたゴズドゥールの悲鳴だった。


「あら、ご存知なかったのですか? 私はフェルドラルを身に着けているのです。迂闊に近付くとケガをしますよ?」

「フェルドラルだと!?」


 本家の者たちは顔色を変え、恐れを抱いたような目でエルシアを見る。


「あのフェルドラルが主と認めたのか!?」

「まさか! 先代も、先々代も駄目だったと聞いているぞ」

「何者も受け付けないのではなかったのか!?」


 今の主はエルシアじゃなくてルーリアだけどな、とガインは心の中で娘自慢をする。

 フェルドラルのお蔭で少しだけ溜飲が下がった。

 だが、本家の者たちの表情から察するに、フェルドラルが神殿から持ち出されたことに気付いた者は一人もいなかったようだ。


 ……本当に大丈夫か、この一族。


 この神殿のどこかに今でもハンガーが御大層に飾られているかと思うと、何ともやるせない気持ちとなる。さぞかしフェルドラルもがっかりだろう。


「フェルドラルの声は認められた者にしか聞こえないそうですけれど、私の夫になろうという方に聞こえないとは思いませんでした」

「……ぅ、ぐ、ぐぅ……」


 紫色に変色した手がプラプラとする腕を押さえ、ゴズドゥールは涙目となっている。

 そこへエルシアは感情を消した冷やかな目を向け、追い打ちをかけた。


「手首が折れたくらいで奇妙な声を上げないでください。そんなもの、早く魔法で治癒すれば良いではないですか」

「わ、わたしは……」

「まさかミンシェッドの純血統で聖属性でもあるエルフの者が、地上界に暮らす子供でさえ使える治癒魔法を未だに覚えていない、なんておっしゃらないですよね?」

「エルシア、そこまでになさい」


 すっと優雅に立ち上がり、ベリストテジアはゴズドゥールの折れた手首に優しく両手を添え、治癒魔法を掛ける。


「ゴズドゥールの足りないところは貴女が補えば良いのです。代わりにゴズドゥールは貴女の足りないところを補ってくれるでしょう。夫婦とは、そういうものです」


 そんなバカ息子に補ってもらうようなことなど、エルシアには一つもない。そう叫んでやりたいところを、グッと我慢してガインはエルシアの様子を窺った。

 やはりベリストテジアへの苦手意識は強く残っているようで、お前がやれ! とは言えないようだ。


「それよりエルシア、婚姻の日取りは二日後と決まりました。少し急ではありますが、元より衣装などはそろっているのですから、何も問題はないでしょう。確認だけはしておくように」

「……はい。分かりました」


 自分の母親であるベリストテジアに逆らえない様子のエルシアを目にしたゴズドゥールは、血の色に似た紅紫の瞳を愉悦で歪ませ、この日一番の不気味な笑みを浮かべた。


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