第254話 大人の遊び


「あぁ、賭博ですか」

「とばくって、何ですか?」


 フェルドラルはすぐに何の話か分かったようだが、ルーリアにはさっぱり分からない。

 けれど『大人の』と言われたことで、好奇心が掻き立てられた。大人の。良い響きだ。


「次の対戦は誰と誰ですか?」

「次はセルと──」

「あぁ、なるほど」

「……あのー、二人とも? わたしを置いていかないでくださーい」


 何やら互いの意見が一致したらしいフェルドラルとクレイドルは、芸軍祭のしおりのトーナメント表を眺めながら、あーだこーだと話を進めている。

 フェルドラルがここまで人の話に乗るなんて珍しい。ルーリアは完全に仲間外れだった。


「しかし、オッズが低いですね」

「全くだな。もう少し上げてくれって話だ」


 ……うぅっ。何の話をしているのだろう?


 二人に無視されていじけたルーリアは、フェルドラルの髪の毛先を指でくるくる巻いていた。手が届くなら、クレイドルの髪もくるくるしてやりたいところだ。


「ルリ、お前も少し持ってるんだろ。参加しとけ」

「え? 参加?」


 やっと話に混ぜてもらえたルーリアは、パァッと顔を輝かせた。二人からトーナメント戦による賭け事の説明を簡単に受け、大人の遊びに誘われる。


「えっ!? 大人の遊びって、セルで賭け事をすることだったんですか?」

「いや、違う。次の賭けの対象が、たまたまセルだったってだけだ」

「あの者になら全額を賭けても問題ないでしょう」


 どうやら大人の遊びとは、トーナメント戦の賭け事のことだったらしい。フェルドラルは楽しそうにしているけど、正直に言えばがっかりだ。

 その後も「セルはオッズがすごく低いから、10賭けても11だ」とか「とりあえずセルに賭けておけば損はしない」とか言われた。


「あの、わたしにはよく分かりません。フェルにお任せします」


 ルーリアは自分が持っていた金を全部フェルドラルに預けた。前にリュッカたちと対戦した時に渡された分と、アーシェンから受け取った慰謝料の分だ。どちらも自分の物だという感覚は全くない。


「んふ。全額わたくしにお預けになるとおっしゃるのですね。ある意味、勝負師ですわ」

「いいのか、ルリ。自分で決めなくて」

「いいです。賭け事のことはよく分かりませんから。わたしはフェルに賭けます」

「かしこまりました。では責任を持って、お預かりいたしましょう」


 フェルドラルが芸軍祭のしおりに触れて指先を動かすと、表面に黒い穴のようなものが現れた。

 そこへジャラジャラとコインを入れ、フェルドラルは次の対戦の賭けに参加する。

 もちろん賭けるのは、セルギウスにだ。

 しおりの一番上に、賭けた出場者の名前と金額が表示された。


「えっ!?」


 見間違いでなければ金額のところに、0が8個くらいあったような気がする。フェルドラルはガインから、いったいいくら預かっているのだろう?


 そして、目の前の対戦がクラウディオの勝利で終わると、すぐに次の対戦へとスクリーンの案内は移っていった。


 次はセルギウスの番だ。

 相手は知らない獣人だった。


 ……こ、これにセルギウスで賭けている、ということですね。


 芸軍祭のトーナメント戦をちゃんと観戦するのは、これが初めてだ。ルーリアは小さくノドを鳴らし、しおりの端をギュッと握りしめた。


 セルギウスの対戦相手は日に焼けた肌に太い腕と脚で、外見だけで言うならとても強そうに見える。

 体格もセルギウスよりずっと大きいから、何も知らない人だったら、きっとこちらに賭けてしまうだろう。


 芸軍祭の間は、闘技場の通路に貼り出されていた序列順位表は外されている。だから生徒のことをよく知らない来園者たちは、自分の勘と運のみで勝負することになっていた。


 対戦する二人が舞台に上がって少し経つと、スクリーンには賭けが締め切られたことを知らせる文字が浮かび上がる。そして、どちらにどれだけの金額が賭けられているか、ひと目で分かるように数字で表示された。

 賭けられた金額はどちらも同じくらいだ。

 セルギウスの相手のオッズは7倍近くあるから、その人が勝てば賭けた人たちは大儲けとなるらしい。


 軍部の教師が石舞台に鍵を差し込み、シュトラ・ヴァシーリエの準備をする。

 聞き慣れた音声が流れてくると、それに合わせて観戦席にいる観客たちからもカウントダウンの声が上がった。


『7、6、5……』


 自分が戦う訳でもないのに、ルーリアは手に汗を握るほど緊張した。


 ……あれ?


 その時、ルーリアはスクリーンに映し出されたセルギウスの表情に違和感を覚えた。

 目に光がないというか、相手を全く見ていないような気がする。


『3、2、1────始め!』


 開始の声と共に対戦相手は獣人化し、さらにひと回り大きくなった身体で、セルギウスに勢いをつけた大剣を振り下ろした。


「ッガアァアァァッ!!」


 ……は、速っ!


 初手からの全力。

 それを流れるような動きでセルギウスはかわした。

 しかし、相手の剣を避けたセルギウスは戦意がないような顔で相手の目の前に立っている。反撃のチャンスのはずなのに、剣すら抜いていなかった。

 それがかんに障ったのか、対戦相手は大きな声で何かを叫び、セルギウスに激しい攻撃を仕掛ける。


 一方的な相手の攻撃と、剣を抜こうとしないセルギウス。


「真面目に戦えー!」

「逃げてんじゃねぇぞォー!!」


 観戦席からも、そんな声が上がり始めた。


「……あいつ、何をしてるんだ?」


 クレイドルもそんな言葉を口にする。


「……あれは──」


 そう呟き、フェルドラルはセルギウスの黒剣に向けていた目を細めた。


 ……セルギウスはどうしたのだろう?


 何となくだが、ルーリアにはセルギウスが黒剣を抜くことを躊躇っているように見えた。

 ルーリアに分かる反撃のタイミングでも、セルギウスは剣を抜こうとしない。

 無意識のように相手の攻撃を避けるだけで、黒剣ディアスに触れようともしていなかった。


「やる気が無いなら、さっさと負けちまえー!!」

「引っ込めー! 腰抜けめ!!」


 相手の攻撃をかわすだけで反撃に移ろうとしないセルギウスに、焦れた観客たちは罵声を浴びせる。

 そんなひどい声に負けて欲しくないと思ったルーリアは、ムッとして大きな声を上げた。


「セル! 負けないで!!」


 するとその時、一瞬だけ、セルギウスと目が合ったような気がした。

 これだけたくさんの観戦席があって、ここは舞台からも離れている。だからきっと自分の気のせいだと思っていたのだが。


「今のは聞こえたな」


 そう言ってクレイドルはニッと口の端を上げた。


「えっ、まさか。今のが届いたんですか?」

「まぁ、見てろって」


 次の瞬間。

 セルギウスは目にも止まらない速さで剣を抜き、相手の攻撃を綺麗にかわして、その懐に深く黒剣を沈めていた。

 ほんの一瞬の出来事に、観戦席はシンと静まり返る。対戦相手は淡い光の粒となり、崩れるように消えていった。


 そして、その直後。


「ぐあぁあぁぁ──ッ!!」

「少しは期待してたのにいぃ~~!!」

「金返せぇえェ──っ!」


 賭けに負けたと思われる人たちの嘆きが闘技場中にこだまする。

 そんな中、ルーリアの隣ではクレイドルとフェルドラルが、さっさと次の賭けに参加しようとしていた。


 ……大人の遊びって、ちょっと薄情かも。


 セルギウスの強さを知っているから二人ともこの反応なんだろうけど、それでもちょっとくらいは心配してあげてもいいと思う。

 これは悪い大人の見本だとルーリアは思った。


「もしかしてレイドは、ずっと賭け事をしていたんですか?」


 ジトッとした目を向けると、少しだけ慌てたようにクレイドルは弁明する。


「さすがにずっとじゃないぞ。参加したのは確実なものだけだ。オレ自身がトーナメント戦の出場者で賭けの対象でもあるからな」

「その割には、昨日も今日もここで会ったような気がするんですけど?」

「いや、オレが見ていたのはトーナメント戦じゃなくて……」

「レイド、お前は顔くらい隠したらどうだ」


 突然、ため息混じりの声が聞こえ、ルーリアとクレイドルはそろって振り向く。

 そこには、たった今対戦を終えたばかりのセルギウスがフードを深く被り、呆れた顔で立っていた。


「お前が出場者だと分かり、賭けに外れた者たちから難癖でもつけられたら、困るのは一緒にいるルリになる」

「! そこまで気が回らなかった。済まない」


 首に巻いていたマントをフード付きの形に変え、クレイドルは慌てて被る。


「あの、セルもトーナメント戦を観に来たんですか?」

「いや。私はこの後、用がある。少し外に出なければならない」

「そういや、闘技場に来たのもさっきの対戦の直前だったな。今日はもう一戦あるんだぞ? 次はクラウディオとだろ。どこに行くんだ?」


 クレイドルの質問にセルギウスは少しだけ困ったように微笑んだ。


「……大丈夫だ。次の対戦までには戻る」


 今日は2回戦目となる15対戦と、3回戦目の7対戦がある。今セルギウスが出ていたのが2回戦目だから、二人ともこの後に3回戦目が控えていた。

 3回戦に出場しないのは、序列1位のリューズベルトだけだ。


「あ、そういえば」


 ちょうど良いと思い、ルーリアは二人にも四日後からしばらくの間、学園を休むことを伝えた。


「親がいない間、学園を休むのか? それもいつまでか分からないって、大丈夫なのか?」

「たぶん、そんなに長くはならないと思います。フェルがいない間は家で大人しくしていると、お父さんたちと約束したんです」


 クレイドルは「付き添いがいなくても学園に来ることは出来るだろう」と、納得していないような顔をしていた。

 セルギウスは何かを考え込んだ後、確認するように口を開く。


「……ルリは家に残るのだな?」

「はい。残念ながら、わたしはお留守番です」


 ルーリアの返事を聞き、セルギウスは少しだけホッとしたような表情を見せた。

 その瞬間を見逃さなかったルーリアは、ハッとする。


 ……今のは?


 もしかして、セルギウスは何か知っているのだろうか。リューズベルトみたいに、どこかで神兵招集に関わっているのでは? そんな疑問が頭に浮かんだ。

 でも、さすがに考え過ぎかとも思う。

 そんなに身近な者ばかりが神からの招集を受けるなんてことはないだろう。


 セルギウスはクレイドルと少しだけ言葉を交わし、すぐに闘技場を後にした。



「じゃあ、わたしもそろそろ帰ります。この後の対戦、頑張ってください」


 賭け事をしながら少しだけトーナメント戦を観た後、ルーリアも帰る時間となった。

 本当は残ってクレイドルを応援したかったけど、残念ながらそうもいかない。


「次の対戦に勝てたら、その次はランティスだな」

「ランティスは強いですよ」

「ああ、知っている。ルリは気をつけて帰れよ」

「はい。じゃあ、また明日」

「ああ、また明日」


 クレイドルと別れ、闘技場を出たところでフェルドラルがルーリアに革袋を差し出した。


「姫様。お預かりしていた物をお返しいたします」


 そう言って渡されたのは、たったあれだけの短い時間で預けた時の約7倍となった金だった。


「う、うそ……っ」


 模擬店で販売体験をした今なら、この異常性が分かる。シュークリームに換算したら、いったい何個分になることか。


 またしても真っ当ではない方法で金を手に入れてしまい、自分に大人の遊びはまだ早すぎると、ルーリアは痛感したのだった。


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