第255話 黒剣からの進言
「……なぜいる?」
学園を出て、魔族領のティスフェルにあるドラグネスト城の自室に転移したセルギウスは、そう口にして思わず目を瞬く。
「失礼ね。せっかく帰りを待っててあげたのに」
そう言ってリリアローゼは頬杖をつき、天蓋付きの豪華なベッドの上に無遠慮に寝そべっていた。
「夢魔がこれほどしつこい種族だとは知らなかった」
軽くため息をつきながら眉間を押さえ、まさか、あれからずっとこの部屋にいた訳ではあるまいな、とセルギウスはリリアローゼを見据える。
とりあえず、ちゃんと衣服を身に着けていることに安堵の息が漏れた。
自室の守りを
「今度は何の用だ?」
「今回はあなたに届け物を渡しに来たの。ワタクシはただの遣いよ」
……リリアローゼが遣い。
「夢魔の女王からか」
「そうよ。あなたの大切な存在について、ですって」
赤い唇に含みを持たせた笑みを浮かべ、リリアローゼは一通の手紙を差し出してきた。
夢で先のことを予見する女王からの手紙だ。
……大切な存在。
警戒しながら受け取り、さっそく目を通すと手紙には短くこうあった。
『邪竜の前にて魔に属さぬ者は、ことごとく
──魔に属した者しか残らない!?
説明を求めるように視線を上げたが、「手紙の内容についてなら、ワタクシは何も知らないわ」と、リリアローゼから先に断りを入れられてしまう。
……ルリを、魔族に!?
セルギウスは再び、女王の手紙に視線を落とした。今さら女王の予見を疑うつもりはない。
素直に受け取るのであれば、このまま邪竜を誕生させれば、ルーリアは消えるということだろう。
「ふふっ」
自分がいることも忘れ、悩む姿を見せるセルギウスにリリアローゼは笑みをこぼす。
無表情を常とする者が、その仮面を外す様はいつ見ても面白い。セルギウスの狼狽える顔を見て満足したリリアローゼはベッドから下りた。
「では、ワタクシは用が済んだから帰るわ」
まだ動揺が隠せない目をしていたが、それでもセルギウスは毅然とした態度でリリアローゼを見送る。
「手紙を届けてくれて感謝する。ありがとう」
「あれだけ言われても礼を尽くすのね。魔族らしくないあなたのそういう頑固なところ、嫌いじゃないわ」
それだけ言い残し、リリアローゼは転移してその場を去った。
……魔に属さぬ者は消える。
ルーリアを助けるためには魔力の属性を魔に変える必要があるということだろう。だが、セルギウスの知る方法は魔王にしか出来ないものだ。そのためにはルーリアを魔王に会わせなければならない。
……危険すぎる。
セルギウスは現在の魔王がどういった人物なのか詳しくは知らない。知っているのは幻獣族であり、キルムラッド・べイグナーという名であるということだけだ。
魔族にとって邪竜の
仮に魔王が手を貸してくれたとしても、他種族の者が魔族になるには大きなリスクがある。下手をすれば、それが原因で生命を落としてしまう可能性もあるのだ。
そんな危険な賭けをルーリアにさせる訳にはいかない。今までが運良く生き延びて来られただけだと言われてしまえばそれまでだが、失敗すればその全てが無かったことになってしまう。
……私はどうすれば。
何かもっと確実な方法はないか。
ルーリアの最善を思い、考えにふけるセルギウスの前に一つの人影が現れる。
「我が主、お考え中のところ失礼いたします。発言の許可をいただいても宜しいでしょうか?」
人型になることも、クロムディアスの方から話しかけてくることも普段は滅多にない。
「お前から話しかけてくるのは珍しいな。何だ?」
セルギウスが手にする女王からの手紙に確認するような視線を向けた後、クロムディアスは口元に緩く弧を描く。
「差し出がましいかと思いましたが、お悩みのご様子でしたので。その手紙の内容でしたら、あの方を魔族にせずとも、魔に属した状態とすれば宜しいのではないでしょうか?」
ルーリアを魔族にする方法を考えようとしていたセルギウスは、クロムディアスの言葉に軽く目を瞬かせた。この魔剣が持ち主の心中を読むことには、もうだいぶ慣れてきている。
「……魔に属した状態?」
「必ずしも魔族とする必要はないものかと」
「それは……魔族にならずとも魔に属する方法があるということか?」
少なくともセルギウスはその方法を知らない。
話を持ちかけてきたということは、クロムディアスはその方法を知っているということだ。セルギウスは期待に満ちた目をクロムディアスに向けた。
「何か知っているのなら教えて欲しい」
「お望みとあらば。ワタシの古い知り合いが使用していたものになるのですが、従属契約という方法がございます」
従属。その言葉にセルギウスは眉をひそめた。
「……従属契約は確か、人を売買する商人やその買い手が使うものだったか」
力ずくで人を縛りつけて自由を奪い、無理やり従わせるための契約だ。その言葉に良い印象などない。
今回、神敵の討伐へ向かうに当たり、ラスチャーにはフェアロフローとラベラムのことを調べさせていた。神兵招集の原因となった人狩りでも、従属契約が使用されていたと聞く。
「ワタシの知るものは調合の助手をさせるため、主に妖精相手に使われていたものとなります。少々古いものですが、神が自ら創られた契約ですので強力で確実です」
「……神が?」
それを聞き、セルギウスの眉間のシワが深くなる。怨むというほどではないが、セルギウスが神のことを良く思っていないことはクロムディアスも知っていた。
「しかし、その契約だけで魔に属したことになるのか?」
「はい。神の創られた契約は強力です。契約主が魔族であれば、それは魔に属することと同じ意味を持ちます」
「……そうか」
方法はそれで良いとしても、問題は誰がその契約をルーリアと結ぶかにある。弱者では駄目だ。途中で契約が切れたら意味がない。魔族の中でも出来るだけ強者でなければ。
セルギウスは考え込んだ。
ここには少しでも神敵の討伐に向かうつもりで戻ってきたのだが、そのことはすでに頭にはない。
「あの、非常に申し上げにくいのですが、契約主は我が主と決まっております」
「…………は?」
申し訳なさそうに告げるクロムディアスに、セルギウスは固まった表情を向けた。
本人にはとても言えないが、クロムディアスは時々見せるセルギウスのこういった表情を好んでいる。口元が緩みそうになるのを堪えながら言葉を続けた。
「ワタシが契約の媒体となるのです。その主でなければ契約は結べません」
「……それは変えようがないのか?」
「はい。それ以外の方法となると、あの方には危険なものばかりになるかと」
長い沈黙の後、セルギウスは深く息を吐く。
「……お前の言う従属契約であれば、ルリに危険はないのだな? それと、後々契約を解くことは可能か?」
「契約自体は危険なものではございません。契約の解除も可能ではありますが、ワタシはその方法を知りません」
その答えにセルギウスは表情を曇らせる。
「契約に伴う危険と、解除方法を知っている者に心当たりは?」
「従属した者が契約主の命に従わない場合、身体的な苦痛を伴うことになります。解除方法を知る者については、ワタシはお伝えすることが出来ません」
「私が何も命じなければ、ルリは普段通りの生活が送れるということか。解除方法は……あの付き添い人が知っているということか?」
「良いご判断かと」
胸に手を当てるクロムディアスをセルギウスは肯定の意味で見て取る。
「それなら付き添い人に気付かれて、すぐに契約が解かれてしまうのではないか?」
「そこはご心配なく。あの方はすでに妖精と従属契約を交わされているようです。なので、そちらにまぎれさせていただこうかと。気付かれることは、ほぼないでしょう」
ここまで自信があるということは、契約すること自体に問題はないのだろう。
「契約に必要な条件はそろっているのか?」
「ワタシは以前、あの方の魔力をいただいておりますので、契約自体は結びやすいと思います。強いて言うのであれば、契約の際、あの方の意識がない状態の方が助かるということと、契約を行う場をどこにするか、といったところでしょうか」
……ルリの意識と契約の場か。
どちらも難題であった。
正直に理由を話してしまえれば楽だが、クレイドルの話を聞く限りでは邪竜のことを伝える訳にはいかない。
それに契約をするなら人目につかない所でなければならないが、どうやってその場に来てもらおう。付き添い人も邪魔だ。
「それでしたら、四日後以降のお一人となられる機会を利用されては如何でしょうか?」
「そういえば、両親と付き添い人が共に不在になると言っていたな」
恐らく、どこかの神兵招集に駆り出されるのだろう。
……ルリ一人ならどうにかなるか。
夜ならば起きることもいないだろう。
無断で契約を結ぶことに思うところはあるが、生命には代えられない。
「お前は以前、ルリの住まう森へ行ったことがあったのだったな」
あれは昨年の冬だったか。
ローギスヘルムからクロムディアスを渡され、少し経った頃。マルクトの現状を確認に行かせたら、人族の領地である隣国で自分の記憶にあるものと同じ景色を見たと報告を受けた。
その時はその話を信じていなかったが、後にクロムディアスが自分に対して冗談も虚言も口にしないことを知り、考えさせられた覚えがある。
「あれから森の結界は強化されたようですので、外から侵入するのは難しいかと。ご自身の魔力を込めた物をお渡しになり、それを媒体として転移すれば宜しいのではないでしょうか」
……魔力を込めた物か。
今なら親や付き添い人がいない間の備えとしてお守りを渡しても、そこまで不自然ではないと思う。受け取ってもらえる保証はどこにもないが、他に方法も思いつかない。
「予定変更だ。討伐は止めて、今から魔石を取りに行く」
「かしこまりました」
……時間はないが、ルリの身を守ることの方が大事だ。
セルギウスはお守り用の魔石を手に入れるため、自領内にある北の海へと向かった。
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