第249話 人狩りたちの罪


『じゃあ、流すよ。頭に直接、映像が浮かぶけど、途中で止めることは出来ないからね』


 神の注意のような声の後、ガインの目の前は一気に自分のものではない記憶に埋め尽くされた。

 知らない音と映像に、自分の感覚が呑み込まれていく。


 自分自身を真ん中に置き、巨大な映像が幾重にも環を創り、あらゆる角度から五感を囲った。

 凄惨な場面が映し出されていくのを、ただひたすら見続ける。


 ……これを、エルシアも見ているのか。


 映像はすぐに赤一色に染まっていった。

 積み重なる炎と略奪。焦げる匂い。叫び声。

 無慈悲に大人が殺され、子がさらわれて行く。

 間違いない。人狩りの映像だ。


 ここまでの映像にエルフの姿はなかった。

 人族が、人族や他種族の者を襲っている。

 焼け崩れる建物の火の粉と共に、快楽に歪んだ者たちの顔が浮かび上がった。


 ……なんて醜い。


 人が人を踏みにじって発する下卑た嘲笑。

 狂気が足の踏み場もなく広がっている。


 …………胸クソ悪いにも程がある。


 ガインはすんなりと、この者たちが神敵であると納得できた。悲鳴と煙火を暗闇に見送り、映像の景色が冷えた空気へと変わっていく。


 これは建物の中か?


 人狩りたちが、さらった者を売りさばく様子が映る。やはり女子供が多い。

 人狩りから商人へ。商人から買い手へ。

 買い手には様々な種族の者がおり、中には魔族の姿もあった。


 ──ッ!


 鼻が曲がるような腐敗臭が辺りに漂い、身体が呼吸を拒絶する。ガインは思わず息を止めた。

 家畜よりもひどい環境の中で強制的に生かされている。買われていった者たちの扱いは単純に言葉では言い表せないものばかりだった。食事もろくに与えられず、病にかかれば放置、人扱いはされていない。


 …………くそっ。


 そしてガインはある一つの映像に見覚えを感じ、それを食い入るように見つめた。


 神殿、その本殿。さらにその奥。

 神官たち、ミンシェッド家の領地だ。

 広大な森林の中に、石造りの巨大な城塞都市のような景色が広がる。


 ガインは過去に一度だけ、そこに立ち入ったことがあった。エルシアから屋敷に呼び出された時だ。


 ……この辺りは知らないな。


 豪邸とも呼べる屋敷が建ち並ぶ、領地の敷地内。映像はその豪華な建物の中ではなく、地下の方へと進んで行った。


 薄暗く湿った石造りの通路。

 明かりは蝋燭だけなのか、ひどく暗い。

 神官の屋敷の中だというのに、そこには魔術具などの明かりは一切なかった。地下だから外からの光も入らないようだ。


 ……誰か、いるのか?


 蝋燭の明かりが揺らめき、そこに人影のようなものが重なる。


『──ッ!! エルシア!?』


 その人影の正体を目にし、ガインは叫んだ。


『どうしてエルシアがこんな所に!?』


 地下の鉄格子に閉ざされた牢屋のような場所に、鈍い光を反射する鎖に繋がれたエルシアがいる。


『これは何だ!? どういうことだ!? いつの映像だ!?』


 疑問が一気に溢れ出る。

 首と手足を鎖で繋がれているエルシアには、身体中に傷と赤黒いアザがあり、所々の皮膚が裂け、その姿は見ているだけで痛々しかった。


『これは……拷問の痕、か……?』


 一瞬で頭が真っ白になった。

 誰に向ければいいのか分からない怒りで、頭がどうにかなってしまいそうだ。


 ──カツッ、カツッ、カツッ


 そこへ石段を下り、石造りの通路に足音を響かせ、近付いてくる一人分の気配があった。


 薄い金色の肩までの髪。

 青白い顔に、冷淡そうな紅紫の瞳。

 体力の無さそうな細身の男のエルフ。


 薄く歪んだ笑みを浮かべ、その男は鉄格子の鍵を開けると、ゆっくりとその中へ入って行った。


「…………ひ……ッ」


 男の姿を目にした途端、エルシアは怯え切った顔で呼吸を乱し、全身を恐怖で引きつらせる。

 男の靴を舐めるように足元に縋りつき、泣いて命乞いをした。


 どうか、お慈悲を。何でも言うことを聞きます。逆らいません。だから生命ばかりは。


 ガインはそれだけで、このエルフの男に殺意が沸いた。そして、そこから目にした光景は……。



 ────────。


 それは、ガインの理性を焼き切るのに十分だった。

 自分の中にある怒りを全てを叩きつけてもきっと足りない。思いつく限りの残虐性が込み上げ、爪と牙を突き立てろと訴えてくる。


 ──自分は今、どんな顔をしているだろう。


 突き抜けた怒りは頭をひどく冷静にする。

 さらにガインは、あることに気付いた。

 この映像は一つではない。


 ──これは!? どういうことだ!?


 エルシアが何人もいる。

 何度も何度も何度も、この惨状が繰り返されている。だが、その度に何かが違う。違和感がある。

 そして、ただ見ていることしか出来ないガインの目の前で、エルシアは何度も息を引き取っていた。


 例えこれが本人ではないとしても、繰り返されるエルシアの凄惨な最期が頭の中を埋め尽くす。

 ガインの心の中は激しい感情が渦巻き、壊れそうなほど掻き乱されていた。



「──ッ…………」


 人狩りたちの罪を視認したガインたちは、投げ出されるように現実へと意識を引き戻される。

 すぐに身体を起こし、濡れた獣が水を飛ばすように強く頭を振ったが、鈍く重い感覚が残されていた。


 ここは現実か、それとも、まだあの悪夢は続いているのか。


 ──そうだ、エルシアは!?


 その姿が目に映るのと同時に、ガインは隣にいたエルシアを強く抱き締めた。


 ちゃんといる! エルシアはここにいる!


 だがエルシアは震える手で口を押さえ、意識をここではないどこかへ向けたまま、見開いた瞳から涙を溢れさせていた。


「…………今のは何だ? あれはいったい何なんだ!?」


 声を荒らげるつもりはなかったが、怒りを抑え切れないガインは知らず知らずの内に怒鳴り声を上げていた。

 もし今、自分の腕の中にエルシアがいなかったら、間違いなく神殿に、映像で見たミンシェッド家の屋敷に強襲をかけていただろう。


 ガインの怒りに任せた声を聞いたエルシアはビクッと小さく肩を震わせ、か細い声でそれに答えた。


「……あの者たちは、私の身代わりです。私が神殿から逃げたせいで、罪のないあの者たちが私の代わりに……。あのような、むごい……ッ」


 エルシアは床に崩れ落ち、そのまま身体を小さく丸め、むせび泣いた。「自分が逃げたせいで」と、後悔と己を罵る言葉を吐きながら、握った手を何度も床に叩きつける。


「落ち着け、エルシア。大丈夫だ。今は大丈夫だから」


 何が大丈夫なのか、ガインにも分からない。

 ただ色が変わっても打ち続けられる手を放っておけず、強引にエルシアを抱えて椅子に座った。

 下手な慰めは心に傷を増やすだけに思え、髪に伸ばしかけた手を止め、ガインはその手をそっと背中に回した。エルシアはしばらくの間ガインの胸に顔をうずめ、肩を震わせ泣いていた。


「あれは変身の魔術具で見た目をエルシア様そっくりに変えられた、身売りされた人たちだね」


 キースクリフは淡々とした声で、映像に映っていた複数のエルシアの正体について述べた。


「……変身」

「神殿の魔術具の一つだよ。前にガインが拘束された枷と一緒で、神殿の中でだけ使用が許されている物だ。使用場所も牢の中だけと決まっているような物なんだけどね」


 その変身の魔術具は、本来は罪人に使われる物で、加害者に被害者と同じ姿を取らせることで反省を促す物らしい。

 しかし、その神殿の魔術具が勝手に持ち出され、個人的に使用されていたことになる。


「まさかこんな使い方をされていたなんてね」


 キースクリフはあの映像を理解していた。

 人狩りから買った者を変身の魔術具でエルシアの姿に変え、そして──。


「……あれがエルシアの婚姻予定にあった者か?」


 もうすでに結論は出ていたが、確認のためクインハートに尋ねる。同じ映像を見ていたクインハートは血の気の引いた顔をしていたが、質問には小さく頷いて応えた。


「……そうです。あれがゴズドゥール様……いえ、ゴズドゥールです。エルシア様の元婚姻予定者であり、現神官長であるベリストテジアの一人息子でもあります」


 ……やはりか。あんなヤツが、エルシアが神殿から出る決意をした元凶の一つだったとは。


「恐らくですが、ゴズドゥールは長年エルシア様に劣等感を募らせてきたのでしょう。実際のところ、ゴズドゥールにはさしたる能力もありません。魔法もスキルも、神官としての力量でさえも。全てにおいて、エルシア様の足元にも及ばないのですから」


 そう話すクインハートの目には何の感情もなく、今まで神官長の息子として辛うじて払ってきた敬意が地に落ちたのだと見て取れた。


「仮にも神官である者が、抵抗できない弱者を虐げることで己の虚栄心を満たしていたというのであれば、それはもはや万死に値します。そのことを知りながら、それを今まで隠してきた神官長も同罪です」


 クインハートはしっかりとした口調で、血族の長たる者たちの罪を言葉という形で表した。

 その言葉を耳にして、わずかに顔を上げたエルシアの背中をガインは強く支える。


 ……この綺麗な瞳を悲しみで曇らせた、あのエルフだけは俺の獲物だ。他の誰にも譲らない。


 今この場にいる誰に、どんな罪があるのかは分からない。きっと自分にもあるのだろう。

 だけどガインはあの日、エルシアを神殿から連れ出したことは後悔していない。そのために犠牲になった、たくさんの生命があったとしても、ガインは悔やんでいなかった。


 ……罪はあるだろう。


 ガインは暗い感情を抑え、出来るだけ穏やかに声を出した。


「……エルシア。泣いても過去は消えない。変えられない。お前はこれからどうしたい? 俺は何があってもお前の傍にいると、あの日誓った。何があってもお前を守り抜くと心に誓ったんだ。お前が望む所に俺も付いて行こう。俺がお前の盾となり、何者であっても斬り裂く刃となろう」


 エルシアは涙に濡れた蒼い瞳で、ガインをまっすぐに見つめた。


「……私はもう、逃げません。ちゃんと全てと向き合い、そして終わらせたいのです。……ガイン。こんな私でも、傍にいてくれますか?」


 ああ、どうしたらこの気持ちを余すことなく伝えることが出来るだろう。エルシアを選んで良かったと、心から思える。誇れる。


「問うまでもない。ずっと傍にいさせてくれ」




 その後、神からの説明があり、ガインたちに与えられた神兵招集までの準備期間は五日間となった。その間に身辺整理を行い、神殿へ乗り込む手筈となる。


 今回の討伐対象者は、全部で71名。

 その内、エルフは15名。その他は獣人や人族など様々で、騎士もいる。

 もちろん、それ以外にも軽い罪を犯した者たちはいるが、今回はあくまで人狩りに直接関わった者だけが討伐対象だ。他は後から普通に罪を裁くことになるだろう。

 ミンシェッド家の最大派閥の頂点となる現神官長のベリストテジアと、その息子であるゴズドゥールも討伐対象となっている。


 こちらの戦力はガインたち四人と、キースクリフが選んだ神殿騎士が若干名。

 そして神は今回の神兵招集について、こう締めくくった。


『あ、そうそう。言い忘れるところだった。今回は勇者とダジェットも呼んでるからね』


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