第248話 約束未満のいつか


 演奏会が終わり、表の入り口ではなく裏口へ続く階段を教えてもらい、水魔法で綺麗に洗浄した衣装をシルトたちに返し、大ホールの外へ出る。


 演奏会の終了後、年配の貴族たちから新しい演劇への問い合わせがたくさん寄せられていると、シルトたちが嬉しそうに教えてくれた。

 ほんの短い時間だったけど、衣装を使った宣伝は成功していたようだ。舞台衣装を売って欲しいという声もあったらしい。


 クレイドルは二階の貴賓席を出る時に腕の飾り紐を結び直し、見慣れた姿に戻っていた。


「その飾り紐って、どういう物なんですか?」

「ああ、これか。これは商人が商品の盗難防止をするために使う物らしい。物の形を歪めて、見た目を誤魔化す効果がある」


 これを自分に使うヤツなんていないとヨングに言われた、と言ってクレイドルは笑っていたけど、その通りだと思った。いくら正体を隠すためとは言え、自分に使いたいとは思えない。


 焦げ茶色の髪に、蜂蜜色の瞳。

 見慣れている姿と同じ色合いなのに、紐を外しただけでまるで別人のようになる。

 艶っぽいというか、色っぽいというか。

 男女問わず人をとろけさせる容姿は凶器だと思う。あまりにも神々しくて、隣にいるだけで思わずドキドキしてしまった。

 森に迷い込んできたあの少年が、まさかこんな風になるなんて。


「どうも~。最高傑作が出来たって、ウチの職人が喜んでましたよ。今時ここまで糸や革の素材に拘って依頼するお客人は珍しいですからねぇ」


 大ホールの裏口には、大きな紙袋を持ったラタリカが待ち構えていた。今日の行動を思い返せば、その袋の中身はたぶん楽器だろう。

 クレイドルは手早く中身を確認する。


「これで大丈夫だ。急がせて悪かったな」

「いえいえ。その分、弾んでもらってますから」


 ニヒッと商人の顔で白い歯を輝かせ、「またのご贔屓ひいきを~」と言ってラタリカは去って行った。


「ルリ、帰る前に少しだけ散歩しないか?」

「……散歩、ですか?」


 出来ればあまり混み合っていない所が良いと言われ、クレイドルと農業学科の畑に移動する。

 住部の学舎や畑などは一般来園者は立ち入り禁止となっている。今は畑に生徒の姿もなかった。


 んん~~っと、大きく伸びをしながらルーリアは胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。


「今日の演奏会は本当に感動しました」


 たくさんの人が同じ曲を演奏することで、あそこまで素晴らしい音楽になるとは思っていなかった。目を閉じれば、今でも楽器の音色が聞こえてきそうだ。ルーリアは改めて誘ってくれたことへの礼をクレイドルに伝えた。


「そこまで満足してもらえたなら、誘った甲斐があるな」


 懐かしむように畑の様子を眺め、近くのベンチに腰を下ろしたクレイドルはルーリアにも座るように促す。


「オレが作ってた野菜、ルリが手入れを続けてくれていたんだな」

「はい。あ、医療学科のネアリアから、ザベルって野菜を薬を作るために使いたいって話があったんですけど、いいですか?」


 あの苦い野菜か、と呟いた後、クレイドルは緩く首を傾げる。


「ネアリアって誰だ?」

「春にレイドがケガをして癒部に運び込まれた時に、わたしと一緒にいた女の人です」

「……覚えてないな。オレが作ってた野菜は毒性の強い土地でも育つように作り変えた物ばかりだから、食用には向かないと思う。全部ルリに譲ったんだから、好きに使ってくれていいぞ」


 元々、土地の毒で困っている地域をどうにかしたいと思って作った野菜だから、とクレイドルは遠くを見つめた。

 少しだけしんみりとした雰囲気となり、言葉を探しているルーリアに気付いたクレイドルは話題を変える。


「ルリはラピス以外の楽器をほとんど知らなかっただろうから、他にもやりたい楽器が出てきたんじゃないか?」

「う~ん、確かにいろいろありましたけど、わたしは思いっきりラピスの練習をしたくなりました」


 もっと自分もいろんな曲を覚えて弾けるようになりたい。上手になって誰かと一緒に演奏をしてみたい。そんな希望を興奮気味に話すと、クレイドルはクッと吹き出した。


「ルリは本当に素直だな。そんなお前にこれをやるよ」

「……えっ、これって……」


 クレイドルはルーリアの目の前にラタリカから受け取った大きな紙袋を置いた。


「ちゃんと練習しろよ」

「えぇっ!?」


 紙袋の中にあるのは言うまでもなく楽器のケースで、もちろんラピスの物だった。

 柔らかな手触りの深緑色の革製のケースには、金属で出来た金色の飾りが付いている。飾りはつるつたの葉の形で、とても繊細で可愛らしい物だった。

 戸惑った顔で目を瞬くルーリアに、クレイドルは「開けてみろ」と、小さく頷く。


 緊張した手でパチンパチンと金具の留め具を外し、ルーリアはそっとケースを開けた。


 ……わぁぁ。


 ケースの中には楽器を傷つけないように、光沢のある柔らかな緑色の生地が敷き詰められ、そこに白色のラピスが丁寧に収められている。

 ラピス本体には淡緑色と金色の部品が使われ、それと同じ色でラピス本体に植物の模様が描かれている。一緒に収められている白い弓にも同じ模様が描かれていた。

 紙袋の下の方には、手入れのための道具も一式そろえて入れられている。


「…………これ……」


 どうしたらいいのか分からず、ルーリアは呆然とラピスを見つめた。こんな高価そうな物をもらってもいいのだろうか。


「ルリはオレの最大の悩みを片付けてくれた。これはその礼だ。この程度じゃ全然足りないだろうが、良かったらもらってくれ」

「……わたしがもらってもいいんですか?」

「ああ、もちろんだ。オレは誰よりもルリに感謝している」


 クレイドルの悩みを片付けた。

 その言葉をルーリアは素直に喜ぶことが出来なかった。まだ、何も終わっていない。

 いや、たぶん、まだ始まってすらいない。

 それなのに、これを受け取ってしまっていいのだろうか。


 ラタリカは素材に拘ったと言っていたから、恐らく前から頼んで作ってもらっていたのだろう。とても丁寧に作られているのが分かる。

 まだ何も終わっていないけど、感謝の気持ちだと言われれば、無下に断ることも出来なかった。

 もし自分が感謝の気持ちを表そうとして断られてしまったら、きっと悲しい気持ちになると思うから。


「ありがとうございます。いつかレイドと一緒に演奏が出来るように、いっぱい練習しますね」

「ああ、頑張ってオレを越えてくれ」

「そ、それはまた難題を……」


 ルーリアは頬を引きつらせた。

 クレイドルは演奏会にいたラピス奏者よりもずっと上手だ。聴き比べてみて、初めてその事実に気付いた。セルギウスも上手だったが、何というか音の重みや奥行きが違う。

 本気で練習しても追いつける気がしなかった。


「いつか、一緒に弾けるといいな」

「はい」


 本当はとても嬉しいのに、飛び跳ねて喜びたいくらいなのに、何でこんなに不安な気持ちになるのだろう。

 ラピスの入ったケースを大切そうに抱え、ルーリアはじわじわと感じる胸騒ぎに気付かないふりをした。



 ◇◇◇◇



 裁判学科の学舎である法廷の奥にある、教師用の別館。芸軍祭の喧騒も届かない、森の木々に囲まれた静かな一室。

 洗練された家具がそろえられたその室内には、窓からこぼれ落ちる木漏れ日が揺らめき、午後のひと時を優しく包み込んでいた。


 茶を注ぐ音と茶葉のほのかな香りが室内を満たしていく。手ずから淹れた四人分の茶をそれぞれの前に配り、クインハートは椅子に座り直した。


「で、何でお前はエルシアの寝所に行ったんだ? わざとだろ。わざとだよなァ?」

「だーかーらァ! 見回りだったって何度も言っているだろ!」


 若い頃、自分がいくら遊びに誘っても全く女に興味を示さなかったガインが、ここまで嫉妬深くなっているとは。

 ここに案内してから繰り返される同じやり取りに、キースクリフはうんざりとした顔となっていた。


『あー。キミたちは元気だねー』


 そんな気持ちでいたせいか、突然、響いてきた神の声もキースクリフには少し引いているように聞こえた。


「!!」


 神の声に反応したエルシアとクインハートが、椅子の上でサッと姿勢を正す。それに釣られるように、ガインとキースクリフも大人しく口を噤んだ。


「……あの、神様。私たちが学園に呼ばれた理由は何でしょうか?」


 エルシアが代表するように、おずおずと口を開く。しかし、ガインは空気を読まなかった。


「俺たちがどこにいても神には関係ないってことか? あの場所に呼び出し状を送ることが出来たのは神だからか?」


 敬意の欠片もないガインの物言いに他の三人は凍りつく。エルシアの顔色は蒼白となった。


「ガ、ガイン!? か、神様に対して何て口の聞き方を……!」

「神は敬われるよりも本音を好むって聞いたぞ。それに全部お見通しなら、どんなに言葉を飾っても意味なんてないだろ」


 それはそうかも知れないけど、敬いや畏れが欠片も残っていないのはどうなのか。さすがのエルシアも、これには全身の血の気が引いた。


『あはは。まぁ、別にいいよ。ボクは気にしないし、キミなら許そう』


 神の声は、虎がガオーと鳴こうがニャーと鳴こうが、どっちでもいいと思っているような口ぶりだ。


『さて、ここからは本題だよ。真面目に聞いてね。キミたちには、神殿にいる禁忌を犯した者たちの討伐を依頼したいと思っている』


 討伐。捕縛でも逮捕でもなく、討伐。

 その言葉に、全員が表情を引き締める。


『それでその犯した罪だけど、これは口で説明するより直接見てもらった方が早いよね』


 その神の言葉にガインはいち早く反応した。


「ちょっと待ってくれ。それはエルシアたちが見ても大丈夫なものなのか?」


 人狩りの映像なんて、ろくなものではないはずだ。それを見てエルシアたちは耐えられるのか。


 それぐらいのことに耐えられないようでは神官などとても務まりはしないのだが、ガインは裁判に関わったことがないため、エルシアたちはそういった場面を見たことがないものだと思い込んでいた。


『それを決めるのはボクじゃない。見るか見ないかだけは本人に選ばせてあげるよ』


 ガインはエルシアの顔を真剣に見つめ、首を横に振った。止めておけ、と。

 しかし、エルシアは頷かなかった。


「見ます」

「私も見ます」


 二人の強い意志が込められた瞳に、ガインもキースクリフもそれを支えると心に決めた。


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