第244話 神敵のリスト
ざわりとした気配に野鳥が飛び立つ。
学園の外れにある、深い森の中。
『
セルギウスは手早く補助魔法を掛け、見知った顔に歩み寄る。自分たちの後を追うように姿を見せた主に、ラスは
「あら、意外と早く来たのね。午後からトーナメント戦に出場すると聞いていたから、しばらくは来ないと思っていたのに」
驚いたような言葉とは裏腹に、これも想定済みである、といった笑みを浮かべ、紅い瞳の女性が振り向く。
「なぜ人前であのような真似を?」
「ふふ、人族の女に言い寄られて困っていたのでしょう?」
「……リリアローゼ。貴女は何をしようとしている? なぜ学園にいる? 祭り見物などという理由で貴女が人族の領地にまで出向くとは思えない」
訝しげな顔をしたセルギウスの問いかけに、リリアローゼは赤い唇で緩やかな弧を描いて応える。
「それはもちろん、あなたと同じよ、セルギウス。ワタクシが動くのは自領の民のためだわ」
「……フィーノマージュで何かあったのか?」
「ええ、少しね。ワタクシはただの遣いよ。ここには『あるもの』を届けに来たの」
リリアローゼは魔族領にあるフィーノマージュという領地の領主の娘だ。そんな立場の者を遣いに出せる存在など、そう多くはない。
恐らく領主である夢魔の女王の遣いだろう。
セルギウスはすぐに事の大きさに思い至った。
……用向きは神に、か。
その時、リリアローゼを見据えるセルギウスの鼻先に嫌な匂いが届く。その匂いは、暗く濃くまとわり付く。
「…………血の、匂い」
その呟きにリリアローゼは笑みを深め、瞳の中の光を落とした。
「セルギウス。あなたには関わりのないことよ。これは我らフィーノマージュの総意。夢魔の女王が下した英断なのだから」
「……女王が?」
その女王こそ、リリアローゼの母親である。
フィーノマージュは魔王の治めるキルヒライズの東側に位置し、夢魔と呼ばれる幻術に長けた美目麗しい種族が治めている。
「これから各地で神兵招集が起こるわ。魔族領内でもね。女王がそれを夢で予見されたのよ」
「!! 神兵招集だと!?」
その言葉にセルギウスは目を大きく見開いた。
他国と違い、魔族領で神兵招集という言葉を知る者は多い。特に魔王や領主に近しい者であれば、その言葉の意味を知らないはずがなかった。
「どれだけの領地が関わっている?」
「幸いにも今回は少ないわ。魔族領内では三領地ってとこかしら」
魔族領における神兵招集は、神殿の神官や騎士が受けるものとは全く違う。
まず、神の禁忌を破った者の存在を自領内に許したとして、領主にも厳しい罰が与えられる。
それに罪を犯した者だけが罰せられるのではなく、血族全てに責任が課されることが多い。中途半端に遺された者が恨みを募らせ、暴徒と化す事例が後を絶たなかったからだ。
魔族領内における神兵招集は単なる小競り合いでは済まない。同じ種族間で、血で血を洗う醜い争いとなるのだ。
その争いも問題を起こした血族の根絶が着地点となるため、領地を奪い合うよりも凄惨なものとなる。神敵と定められた者には、命乞いも降伏も決して許されない。あるのは神兵に勝って生き延びるか、死のみだ。
「……では、フィーノマージュは」
神敵となる者が自領内にいたのか。
そう視線で問うセルギウスを肯定するように、リリアローゼは声を重ねる。
「残念ながら、該当者の存在を今まで許してしまっていたことになるわ」
今まで。過去形だ。
辺りに漂う血の匂いが一層濃くなる。
『やぁ、お待たせ。さっきはボクたちの遊びに付き合わせちゃって悪かったね。で、キミの話って何かな?』
まるでタイミングを計ったように神の声が響いてきた。すぐさまリリアローゼはその場に跪き、目の前にある物に向け、掛けていた補助魔法を解除する。
『
すると、高さ50センチほどの円筒状の黒い木箱がズラッと並んで現れた。血の匂いはここから漂ってきている。
「これらは我らが領地、フィーノマージュ内にて神意に背いた者の血族、総勢56名の首でございます。どうぞ、ご検分くださいませ」
平然とした顔で、リリアローゼは木箱の中身が神敵となるはずだった者たちの首であると告げた。
『それでボクに目を
「はい。まだ、招集前でございます。領主からは『手間を省いたのだからノーカンじゃ』との伝言を預かってきております」
『はは、言うねぇ。ま、確かにまだ招集前だ』
薄く目を伏せ、神からの返事を待つリリアローゼはゴクリと唾を呑み込む。
『いいだろう。キミの言い分は聞き入れた。フィーノマージュはノーカンだ』
神からフィーノマージュで神兵招集は行わないとの言質をもぎ取り、リリアローゼは跪いたまま深く頭を垂れた。
「お聞き届け頂き、心より感謝いたします」
その場の空気が血の匂いに染まる中、リリアローゼの口元には役目を無事に果たせた安堵の笑みが浮かんでいた。
……冗談ではない。
セルギウスはそのやり取りを、爪が食い込むほど強く拳を握りしめて眺めていた。
最近では魔族領内でも目立った争いはなく、経済のようなものも各地に出来つつあった。
それなのに、そこに神兵招集を受けたらどうなるか。
神兵として招集される魔族には、神敵となった種族との死闘が義務付けられる。要は『神兵種族』対『神敵種族』の全面戦争となるのだ。
神兵に選ばれた種族は、神敵となった種族から、自領へ攻撃を受けることもある。やれば、やり返される。当然のことだ。
ティスフェルの竜人族が神兵に選ばれる可能性は高い。神が戦力として上位の種族を選ぶのは必然だからだ。
セルギウスがティスフェルの中で受け持つ地域は、マルクトの川向かいにあるため、一部はリンチペックの毒に侵されている。そんな疲弊し切った土地が神敵に攻撃されたら、耐えられるはずがない。
……もうたくさんだ。
間もなく邪竜が誕生するというのに。
目の前に力があり、手が届く場所にあるというのに果てしなく遠くに感じる。
魔王が邪竜を手に入れれば、各領地の些細な争いなど、すぐに収められるのに。
……また、間に合わないのか。
数年前もセルギウスは見ていることしか出来なかった。隣の領地が他領の者に攻め落とされ、毒に侵されて行く様を。その毒の影響で目の前の土地が痩せ細り、苦渋の思いで人々が離れていく様を。
リリアローゼは三領地と言った。
夢魔族の治めるフィーノマージュが除外されたとしても、あと二領地に神敵が存在する。
神から死の宣告を受ける者たちは、文字通り死に物狂いで抵抗するだろう。これ以上、魔族領内で無駄な血は流したくない。
「リリアローゼ。残りの二領地はどこだ? 頼む。教えて欲しい」
「……あなたでも人を頼ることがあるのね」
セルギウスから何かを乞われたことがないリリアローゼは軽く目を瞬いた。
「私では知り得ないことだ。頼む。もし、神敵となる者たちの数が分かるのなら、それも──」
『それを知って、キミはどうするんだい?』
まだいたのか、とセルギウスは思った。
神の声は興味津々といった様子だ。
セルギウスにはその声が、箱庭の中に放った蟻を上から覗き、甘い餌をどこに置こうか楽しんでいる声に聞こえた。
「……どうにかしなければ、と思っている。魔族領に争いはもういらない」
『それじゃ答えとしては不十分だ。具体的に何をどうしたいんだい?』
なぜそんな質問をしてくる?
これは……何か試されているのか?
「……私が、神兵に志願する。その代わり、招集前に行動を起こさせて欲しい。神敵となる者を、招集がかかる前に狩らせて欲しい。大きな争いとなる前に、それを未然に防ぎたい」
セルギウスは言葉に迷いながらも、自分の望みを口にした。すでにフィーノマージュという前例がある。
『へぇ。まさか、キミ一人だけで収めようって言うのかい?』
驚いているのか、楽しんでいるのか、呆れているのか、馬鹿にしているのか。神から返ってきたのは、どうとでも受け取れる声だった。
セルギウスには挑発のように聞こえている。
自惚れた発言だと思われているなら心外だ。
どこの誰が協力してくれると言うのだ。
「……協力者はいない。私一人だ」
『まぁ、言っても今回の魔族領の対象者はそんなに多くない。強い相手もいないから、キミ一人でも狩り取るのは可能だろうね』
セルギウスの腕に金色の羽の小鳥が飛んできて止まった。
『入園式での借りを返すよ』
小鳥は一枚の紙に姿を変え、セルギウスはその中に目を通していく。
「……全部で213名。対象地はフェアロフローとラベラムか」
……この数で多くないと言うのか。
魔鳥族の治めるフェアロフローと、
どちらもそこまで大きな領地ではないのが、せめてもの慰めか。
『目印として対象者には「死の女神の口付け」が付いている。神兵となった者には、ひと目で分かるようになっているよ。今渡したリストも対象者がいなくなれば、名前が消えるようになっている。期日は五日だ。それを過ぎたら、キミ以外の神兵が派遣されると思ってね』
……五日。
「了承した」
神の声の気配が消えると、リリアローゼはセルギウスに聞こえるようにため息をついた。
「あなたって本当に魔族? 二領地分を一人でだなんて。どうしてあんな馬鹿な申し出をしたの?」
「犠牲は少ない方がいい」
「あなたがどうしてもって頼むのなら、手伝ってあげなくもないわよ?」
「いや。フィーノマージュを対象から外してもらえただけで十分だ。気持ちだけもらっておく。……ありがとう」
魔族領では力ある者が下の者を統べる。
リリアローゼは礼を言うセルギウスに驚き、理解に苦しむ顔を見せた。
「あなた、強いのでしょう? だったら力ずくで従わせてみなさいよ。戦力が必要なんでしょう?」
こんな感情をぶつけるような話し方は、普段のリリアローゼならしない。いつもなら余裕を貼りつけた顔で、他者を傍観しているところだ。
セルギウスの理解不能な言動を見ていると、なぜか激しい虚しさのような感覚に襲われ、苛立ちが募る。自分が失くしてしまった何かをセルギウスは持っているような、そんな焦りを感じてしまう。
「私がそれを好まないのは貴女も知っているだろう。それに、人には礼を尽くすものだ」
セルギウスの言っていることは分かる。
だけど、それでも、リリアローゼにはそれが認められなかった。
「狭い檻の中で、隙あらば互いを殺し合うように辛うじて生かされている魔族のワタクシたちに、今さら他者への礼など。そこに何の意味があると言うの?」
リリアローゼの燃えるような紅い瞳を、セルギウスは深緑色の瞳で静かに見返す。
「私はその檻を壊したいと思っている。いや、壊すと決めた。魔族でも礼を尽くすのが……人に感謝するのが当たり前になる日が来るようにと願っている」
セルギウスは神敵のリストを胸にしまうと、覚悟を決めた暗い瞳でその場を後にした。
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