第245話 演奏会デート―前


 闘技場の周りは午前中と比べると、人の流れが緩やかになっていた。

 本日の販売分が早々に売り切れとなり、店じまいとなった模擬店が増えてきたからだろうか。


「演奏会までは少し時間が空くな。ルリはどこか行きたい所とか見たい所とかはないのか?」


 辺りを軽く見回してクレイドルが尋ねてくる。

 ちなみに名前は投票企画の時に観戦席の人たちにもバレてしまっていたので、もう諦めた。


「う~ん。行きたい所、ですか」


 実はルーリアは芸軍祭のことをよく分かっていなかった。いろいろな模擬店があることは知っているが、どこにどんな店があるのか分からない。だから自分の行きたい所というよりは、別の意味で気になっている所の方が先に頭に浮かんできた。


「あの、良かったら料理学科の模擬店に寄ってもいいですか? ちょっとシャルティエに渡したい物があって」

「ああ、構わない。……そういや、ルリはちゃんと昼は食べたのか?」

「……あ」


 そういえば投票企画のことばかり考えていて、すっかり忘れていた。クレイドルに指摘された途端、急にお腹が空いてきた気がする。

 ルーリアが無言でお腹に手を当てると、それだけでクレイドルは察してくれた。


「演奏中に腹を鳴らす訳にはいかないからな。ついでに軽く食べていくか」

「はい」



 料理学科の模擬店は、真っ白い布で囲った天井の高い大きなテントをいくつか並べた造りだった。

 通り側にあるテントでは、屋台みたいに並んでいる調理場から食べたい料理を好きに選んで買い、空いている席に自由に座って食べるようになっている。


「ルリ、せっかくだから奥の方に行ってみないか?」

「……奥?」


 クレイドルが言うには、奥のテントは飲食店のように案内係や給仕をしてくれる人がいて、落ち着いて食事が出来るようになっているらしい。


「詳しいんですね」

「軍部には食べることが好きなヤツが多いからな。ここのことは、けっこう話題になってたぞ」


 ……うわぁぁ。


 来園者だけでなく、軍部の胃袋も満たさなければならないなんて。想像以上に料理学科の課題は過酷らしい。


「あ、音楽が流れている?」


 奥のテントに入ると、どこからともなくピアノの音色が聞こえてきた。通り側のテントと比べると少しだけ中は薄暗く、とても静かで客層も違う。上品な雰囲気に思わず背筋がピンッと伸びた。

 さすがにフードを被ったままでは場違い感が強すぎる。ルーリアはそっと顔を出した。


 執事やメイドっぽい服装の人たちが案内や給仕をしているけど、知っている顔が一人もいない。たぶん、この人たちは祭りのために雇われたのだろう。


「順にご案内いたします。二名様で宜しいでしょうか?」

「ああ」


 昼食の時間帯が過ぎたことと、トーナメント戦の午後の部が始まったことで、大混雑時は避けられたようだ。

 ルーリアたちは少しだけ並んで待つことになった。自分たちの後ろにも、待ちの行列が出来ていく。

 座って待っている間、案内係の人にシャルティエのことを尋ねてみると、このテントに手伝いに来ているようで、渡したい物があると伝えたら、すぐに調理場から呼んできてくれた。


「ル……リ、どうしたの?」


 クレイドルと大人のルーリアの姿を目にするなり、シャルティエは「ははぁん」と悪巧みを思いついたような顔でニヤリとする。


「二人はデートなんでしょ」

「はい、そうです。えっと、それで……」


 ごそごそと腰にある白いカバンから小さな魔術具の箱を取り出すと、目を見張って固まっているクレイドルとシャルティエがいた。


「……どうかしましたか?」

「う、ううん、何でもない。えぇーっと、それで?」

「料理学科のみんなが大変そうなので、回復薬を作ってきました。良かったら使ってください」

「……うん。ありがと」


 小さな箱のボタンを押して元の大きさに戻し、回復薬を取り出しながら、「意味分かってるのかな? 私、ちゃんと教えたよね?」と、シャルティエはルーリアに聞こえないような小さな声でブツブツと呟いている。


「ルリ」

「はい」


 シャルティエは満面の笑みだった。


「リア充爆発しろ」

「……えっ? りあじゅー?」

「気にしないで。一回言って見たかっただけだから」

「……はぁ」


 よく分からないけど、昔、神が流行らせた言葉らしい。好き嫌いの話をクレイドルと少しした後、シャルティエはお任せコースというメニューを勧めてくれた。何が出てくるかは、頼んでからのお楽しみらしい。

 シャルティエが調理場に戻って少し待つと、席に案内された。


「わぁ、綺麗……」


 テーブルにはワイン色の上に白の布が掛けられ、小さな蝋燭ろうそくの火がゆらゆらと揺らめき、可愛らしい花が飾られている。


 案内係の人に引いてもらった布張りの椅子は、クッションのようにふんわりしていて座り心地が良い。

 目の前にはピシッとそろえられたカトラリーのセットがあり、その形式張った雰囲気だけでルーリアは緊張した。


 すぐに給仕によって小さなグラスに薄紅色の食前酒が注がれる。それを見てクレイドルが片眉を少しだけ上げたから、取り上げられる前にルーリアはくぴっと飲んだ。


 こういう時は迷ってはいけない。

 飲んだ者勝ちだ。

 食前酒はほんのりとした酸味があり、食欲を刺激してくれた。


「なんか、お城の中での食事みたいですね」

「……城?」

「あ、物語とかの中での話ですけど」


 テーブルに布が掛けてあって、自分の前に食器を置く布が敷いてあって、スプーンやフォーク、ナイフがたくさん並んでいて……と挙げていくと、クレイドルはフッと笑った。


「さっき聞いた話だが、お任せコースってのは宮廷料理を習っているヤツが作っているらしい。ルリの言っていることも、あながち間違いではないんじゃないか?」

「えっ! きゅ、宮廷料理?」


 何か特別なマナーとかあるのだろうか?

 食べ方が変だったらどうしよう。

 そんなことを考えている内に前菜が運ばれてきた。


「ふあぁぁ、か、可愛いっ!」


 料理を見た瞬間、不安に思っていた気持ちは見事に吹き飛んだ。ミニ野菜と言われる種類の野菜が丸ごと料理されて並んでいる姿が、ものすごく可愛い。


「ちっちゃい、可愛い!」


 他にも、花びらで作られたミニケーキ(サラダ)とか、小さな魚が泳いでいるような池(ゼリー寄せ)とか、ちっちゃなカゴに盛られた果物 (キッシュ)とか。見た目の細工が可愛いのに食べたら美味しくて、しかも想像と味が違うから、とにかくびっくりだ。


 ルーリアが「可愛い」を連発して語彙力を失っている様子を、クレイドルは楽しそうに眺めていた。

 前菜が終わると、焼きたてのパンをカゴに入れたシャルティエが現れる。


「前菜はどうだった?」

「何ですか、あれ。すごかったですよ!」

「ふふん、そうでしょう。私も一緒に作ったんだよ」

「ええぇ、そのレシピを教えて欲しいです」

「ルリなら教わらなくても作れるでしょ」


 ぽいぽいぽいと、これまたお勧めのパンを皿に載せ終わると、シャルティエは「ごゆっくり」と言って去って行った。すぐにスープが運ばれてくる。


「あ、これ。コルテのポタージュですね。甘くて美味しい」

「通り側のテントでは焼きコルテを売っていたな。香ばしく焼いたのを丸かじりするのもいいが、ここまで丁寧に煮込まれていたら、こっちの方が味が濃厚な気がする」


 黄色いポタージュに少しだけ生クリームがかけられている。とろとろなポタージュは、パンに付けても美味しかった。


 その次は魚料理で、大きな白身魚を一匹まるっと使った大皿料理だ。それをテーブルまで運んできて、料理人が欲しい分だけを盛り付けてくれる。

 外側はパリッと焼けていて、ナイフを入れると薄く虹色に輝く肉厚な白身が、ぷりっと現れる。フォークを刺したところからは、透明な旨味がじわ~っと湯気と共ににじみ出てきていた。見ただけで脂が乗っていると分かる。


「ん~……。ホロホロと柔らかくて美味しい」


 しっとりとした魚の身は塩加減も絶妙だった。

 付け合わせのキノコは食感もソースも美味しい。コリコリしてて、噛めば噛むほど旨味が溢れてくる。

 クレイドルが無言で食べている時は、本当にその味を気に入っている時だ。この魚料理は後で絶対に教えてもらおうと心のメモに書き込んだ。


 デザートと思われる柑橘系のさっぱりとしたシャーベットが出てきたから、これで終わりかな、と思っていたら肉料理が運ばれてきた。どうやら口直しだったらしい。


「もう肉料理にはだいぶ慣れたみたいだな」

「はい、お蔭様で。……でも、まだまだなんです」

「まだまだ?」

「お父さん、お腹の中身も好きみたいで」

「あぁ~、内臓系か。苦手な物は仕方ないからな。無理に頑張ろうとしなくてもいいと思うぞ」


 その台詞に、ついクスッとしてしまった。


「どうした?」

「いえ、お父さんからも全く同じことを言われたんです」

「……そうか」


 ちょっと照れたような顔をして、クレイドルは仔牛の骨付リブロースのステーキを食べ終える。

 事前にシャルティエと話をしていたからか、二人とも肉料理の量は少なめだった。魚料理を食べ終えた時点で、すでにお腹が落ち着いていたから、その心遣いが嬉しい。


 最後にクレイドルにはチーズとお酒が、ルーリアにはデザートと紅茶が出てきた。デザートの担当は、もちろんシャルティエだ。

 元々メニューにあったのかどうか分からないけど、旬の果物で作ったタルトが出てきた。


「んんん~~。幸せです」


 甘いタルトを頬張り、とびっきりの笑顔となったルーリアをクレイドルは優しく微笑んで見つめる。その視線に気付いたルーリアは、思わず顔が赤くなった。


「……ご、ごめんなさい。一人で騒いでて、うるさいですよね」


 マナーのこととか、すっかり忘れていた。

 そのことについて謝ると、


「姿勢は良いし、フォークやナイフだってきちんと使えている。食べ方も綺麗だし、何より料理を美味そうに食べている。十分だろ」


 そう言ってクレイドルは柔らかく口元を緩めた。そこまで見られていると思っていなかったルーリアは、さらに耳まで赤くなる。

 食事が終わったので、会計のための席札を手にしようとすると、クレイドルにサッと取り上げられてしまった。ルーリアに支払わせる気はないらしい。


「あの、自分の分は自分で払います」

「ルリ、これはデートなんだろ? だったら男に任せておけばいい」

「えぇっ!?」


 そういえば、キースクリフも『男性側に任せるのが正解』と言っていた。全然納得いかないけど、これは常識なのだろうか。


 クレイドルが札を渡して一人で支払いをしようとしても、係にはちっとも変な顔はされなかった。周りの誰も不思議とすら思っていないようだ。


「……あの、ご馳走様でした」

「ルリには世話になってばかりだからな。これくらい何てことない」


 満足そうな顔で店を後にするクレイドルに付いて行きながら、部活の時に倍返しにしてやる! と、ルーリアは密かに決意したのだった。


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