第237話 危ないすれ違い


「……えっと、2個で600エンです」

「あ、これしかないのですが」


 シュークリームの入った紙袋を渡して代金を受け取ると、ルーリアの手の平には、なぜか百万コインが一枚乗っていた。


「………………え」


 思わず、コインとエルシアの顔を交互に見てしまう。


「……あ、あの、こんな大きなお金のお釣りはないんですけど」


 念入りに準備はしていたけど、こんな客なんて想定していない。


「えっ。では、お釣りはいりません」

「…………いらないって。あの、困ります」


 本気で。


「まぁ、どうしましょう」

「…………」


 エルシアはあまり困ってもいないような顔で、おっとりと頬に手を当て首を傾げている。


 ……ほんと、どうしたらいいんでしょう?


 ルーリアはガインに向け、思いっきり助けを求める視線を飛ばした。それに気付いたガインが、すぐに近くまで寄ってくる。


「何をやっているんだ?」


 ガインはルーリアの手にあるコインに視線を落とし、「……やっぱりか」と、ものすごく残念なものを見る目で肩を竦めた。とりあえず今の状況を理解してくれたようで、深いため息が聞こえてくる。


「……済まない」

「ちゃんと見張っててくれないと本気で怖いですよ。すでに暴走気味です」


 ガインはルーリアの手の上のコインをピッタリに置き直し、シュークリームの入った紙袋を持ってエルシアを連れて行ってくれた。

 ガインに手を引かれ、もう片方の手を振りながら笑顔で去って行くエルシアに、ルーリアは引きつった微笑みしか返せない。


 ……お母さんって、ずっとあんな感じだったんでしょうか? よく今まで無事に生きてこられましたね。


 ウォルクスたちがいるから大丈夫だとは思うけど、リューズベルトの常識がどうなっているのか、ちょっとだけ不安になってしまった。


「2つ、もらえるかな?」

「あ、はい。いらっしゃいま──うえぇっ!?」


 またしても店先に立つ客を二度見して、変な声を出してトングを落としそうになった。


 ──し、神官様ッ!? と、キースクリフさん!? あ、危なッ!!


 ガインたちと入れ違うようにシュークリームを買いに来たのは、神官であるクインハートとキースクリフだった。両親以上に心臓に悪い。


 ……お、お父さんたち、見つかっていませんよね!?


 心臓がバクバクと嫌な音を立て、背筋に冷たい汗が伝う。出来るだけガインたちが去って行った方へ視線を向けないようにして、ルーリアは感情を押し殺した笑顔を貼りつけた。


「……い、いらっしゃいませ」

「や、また会ったね」


 今なら親しみを込めていると分かる目をしたキースクリフが、軽い感じで片目をパチッと閉じる。


「……あら? あなたはどこかで……」


 クインハートは頬に手をつき、ルーリアを見つめて何かを思い出すように首を傾ける。


 ……ひいぃっ!


「シュ、シュークリーム2つですねっ!」


 ルーリアは手早くシュークリームを紙袋に突っ込んだ。これは、さっさと商品を渡して帰ってもらうしかないだろう。

 今日は授業もないというのに、何でこの二人はわざわざ神殿から学園に来ているのか。


「確か、前に……」

「あのっ。今日は神官様はお休みですよね? もしかして、お二人はデートですか?」


 仲が良いですね、あははははー、なんて。

 胡散くさいほどの愛想笑いを浮かべ、クインハートが考えようとするのを全力で阻止する。思い出させてなるものか。


「そ、そう見えるかい?」


 適当に冗談を言って話を逸らそうとしただけなのに、キースクリフはほんのりと頬を染め、キリッと真面目な顔を向けてくる。


「えっと……デイト、とは?」


 どうやらクインハートの意識を逸らすことに成功したようだ。デートについてはルーリアも詳しくは知らない。シャルティエから聞いた話を知っているだけだ。


「デートは……そうですね。仲の良い男の人と女の人が、二人きりで出かけることだと聞いています」


 クインハートは『ふむふむ』といった顔で小さく頷いている。意外と素直な人らしい。


「そうですか。では、これはデイトですね。ね、キースクリフ?」


 言葉を知らなかったことを照れ笑いで隠すように、クインハートははにかんだ笑顔を浮かべた。

 それを直視したキースクリフは、胸を射抜かれたような表情で固まっている。


 ……本当にデートだったんですね。


「いやっ、あのっ」と、何とか言葉を取り繕おうとしているキースクリフは、やっぱりガインより年上には見えない。どちらかと言えば初恋をしている少年のようだ。


 ……えーと。声をかけてもいいのか迷う。


「あの、2個で600エンです」

「あ、はい。では、これを」


 クインハートが手を差し出したので、代金を受け取る。見ると自分の手の平にはコインが一枚乗っていた。


 …………うん。


 どこからどう見ても10万コインだった。


「……あの、すみません。大きなお金のお釣りは用意していないのですが」


 しっかりと準備をしたつもりでいたけど、こんな客が二度も来るなんて誰に予想が出来ようか。


「あら。このような時はどのようにするのでしょう? お釣りはなくとも構わないのですが」


 ………………何、この既視感。


「あの、それは困ります」


 割と本気で。


「まぁ、どうしましょう?」

「…………」


 ……本当に、どうしたらいいんでしょう?


 ルーリアはガインの時と同じように、キースクリフに『どうにかして』と、思いっきり目で訴えた。

 キースクリフはルーリアの手にあるコインを見て、ふっと柔らかく目を細める。


「クインハート様、これでは店の者を困らせてしまいます」

「まぁ、ではどのようにすれば?」

「金銭の扱いは供の者に任せれば良いのです。……きょ、今日の場合はデートですから、男性側に任せるのが正解です」

「分かりました。そのような作法があるのですね。勉強になります」


 そんな会話を店先でしないで欲しい。

 並んでくれている他の客の目が生温かく突き刺さっていることに、当の本人たちは気付いていない。

 ああ、こうやって金銭面に疎くなっていくのか、とか。いろいろ突っ込みたい気持ちはあるけれど、キースクリフが素早くコインを置き直してくれたから、シュークリームの入った紙袋を押しつけるように渡して笑顔で見送ることにした。


「ありがとうございましたー」


 二人が闘技場の方へ向かうのを、お願いだから早く行って! と見届け、ルーリアは大きく息を吐き出した。


 ……はあぁぁぁ~~~。つ、疲れた。


 人を追うような素振りはなかったから、キースクリフたちはガインたちに気付いていないのだと思う。ここに寄ったのも、たまたまだったみたいだ。


 もしかしてミンシェッド家の人たちって、みんなあんな感じで金銭感覚が緩いのだろうか?

 会うこともないだろうけど、ちょっと遠くにいる自分の血族のことが心配になった。


 さて、今見たものは忘れよう。

 気を取り直して頑張らなくちゃ。


 嬉しいことに、シュークリームはその後も順調に売れ、ルーリアは午前中の内に目標数の5百個を全て売り切ることが出来た。


 ……無事に、完売です!




「はい、確かに。お疲れ様でした」


 シュークリームの売上金をグレイスに渡し、今日の菓子学科の課題は終了となった。

 お待ちかねの自由時間だ。


 ……んんん~、解 放 感!


 演奏会にも、神から呼び出された時間までにも、少し余裕がある。それまで何をしていよう?

 そう思いながら周りを見渡すと、シャルティエが模擬店の後片付けをしていた。

 ちょうど同じくらいに課題を終えたようだ。


「シャルティエ」

「あ、ルリも終わった? やっぱりお祭りだと売れ行きが違うねー」


 シャルティエの新作のシュークリームが芸軍祭で売り出される話は、セルトタージュの常連客にも伝わっていたそうで、中には一人で何十個も買っていく客もいたらしい。さすがだ。


「ルリは初めての接客だったんでしょ? 困ったこととかなかった?」

「んー。接客というか、ちょっと困った人たちは来ましたけど、何とか大丈夫でした」

「……困った人?」


 シャルティエは詳しく話を聞きたそうにしていたけど、心配した親が様子を見に来たなんて、恥ずかしくて言える訳がない。笑って誤魔化しておいた。


「シャルティエはこの後どうするんですか?」

「私は料理学科に手伝いに行くよ。あそこの三日間は本当にきついからね」


 聞けば、料理学科の生徒は全員で一つの大きな模擬店を任され、客から注文が入ったら料理を作る、という課題を出されているらしい。

 課題はそれだけ? と思いかけたけど、すぐにその恐ろしさに気付いた。


 これだけの来園者だ。

 料理学科の生徒全員でかかっても、その食欲を満たすことは難しいだろう。学園周辺の飲食店でも、祭りの期間中はどこも混雑して行列が出来ているという。


 料理学科も販売する数に限りがあるのかと思って尋ねたら、「そんな制限、料理学科にはないよ」と、目が笑っていない笑顔でシャルティエが教えてくれた。

 住部があるから食材が尽きることもほぼなく、とにかく料理を作りまくって三日間を生き抜くことが料理学科の生徒の共通の目標らしい。……過酷すぎる。これは回復薬を差し入れしてあげた方がいいかも。


 そんな話を聞いてしまった後では、シャルティエを呑気に祭り見物に誘う気にはなれなかった。


 ……仕方ない。一人で見て回ろう。


 シャルティエと別れた後、ルーリアは菓子学科の学舎へと向かった。

 ここは祭り期間中、関係者以外は立ち入り禁止となっているため、今は誰もいない。


 学舎に入り、もう一度、教室に誰もいないことを確認して、変身の魔術具を取り出す。

 どうせこの後の呼び出しには大人の姿で行くのだ。時間になってから慌てるよりは、今から大人の姿になっていた方が都合が良い。


 食部の部紋が入ったマントを外し、服を着替えて指輪をはめる。


「これでよし、と」


 結局のところ、着替えは必要だった。

 いくら服が大人用に変化するといっても、全く同じデザインの服を着ていたら、すぐにルーリアだとバレてしまう。


「フェル、どうですか? ちゃんと変わっていますか?」

「……非常に残念ですが、大人の姿ですわ」


 フェルドラルは心底がっかりした顔でそう答えた。うん、大丈夫そうだ。


「じゃあ、フェルはわたしから離れててくださいね。一緒にいると、それだけでバレてしまいますから」

「仕方ございません。何かありましたらこちらでも動きますが、姫様は危機感が足りていらっしゃらないのですから、十分にお気をつけください」

「はい」


 顔が隠れるように上着のフードを深く被り、神からの呼び出しの集合場所となっている闘技場へ、ルーリアは向かった。


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