第238話 演奏会へのお誘い


 金色の手紙を手にしたエルシアは、かすかに震えるまつ毛をそっと伏せた。


「…………とても、楽しそうでしたね」

「……ああ」


 神から指定された闘技場に入り、観戦席の空いている席に座る。トーナメント戦に熱狂する周りと自分たちとの温度差に、ガインは空を睨んだ。


「お前のことは必ず俺が守る」

「……はい」


 ガインはエルシアの肩を抱き寄せ、奥歯をギリッと噛みしめた。



 ◇◇◇◇



 深く被ったフードから少しだけ視線を上げ、ルーリアは辺りを見回す。

 闘技場の周辺は、どこも人でいっぱいだった。


 いつものように正面の入り口から中へ入ろうと向かうも、長い行列が出来ている。

 最後尾に並んで入り口に目を向けると、前に検問のような役割をしているとフェルドラルが言っていた機械のような黒い物体から、薄い膜のような物が出ていた。


 ……わっ。何あれ?


 中に入る人たちは、全く気にしないで通り過ぎて行く。自分だけ立ち止まる訳にもいかないので、ルーリアも人の流れに合わせて通り過ぎてみた。


 これは……風の膜?


 と、その薄い膜を越えた瞬間。

 割れんばかりの大歓声が耳の奥まで響いてきた。あの薄い膜は、闘技場から音が漏れないようにするためのものだったようだ。


 す、すごい! 音が裂けてる……!!


 暴力的なまでの大音量にルーリアが目を白黒させていると、観戦席へ向かおうとする大勢の人に押されて問答無用で流されて行く。


 ……ぁぐぅっ。ギュウギュウで苦しいっ!


 ちょっとでも気を抜けば、あっという間に押し潰されてしまいそうだ。いくら手足が大人の感覚になっていても、この流れには逆らえそうにない。


「……し、死ぬかと思った」


 やっとのことで観戦席に着いたけど、そこでトーナメント戦の行われている石舞台を目にして、その光景に息を呑んだ。


「ななな、何これッ!?」


 闘技場がめちゃくちゃ広くなっている!


 外から見た時はいつも通りだったのに、今は石舞台の大きさだけでも、普段の5倍はある。ほぼ満席状態の観戦席も、いつもとは比べ物にならない座席数となっていた。

 見慣れた状態で5千席くらいだと思っていたけど、今はざっと見て10万席くらいありそうだ。とても信じられない広さである。


 シュークリームの販売をしていた時に、闘技場の中にどんどん人が入って行くのは横目で見ていたけど、まさかこんなことになっていたなんて。

 観戦席は三層に分かれ、それぞれにテーブルと椅子があり、飲食は自由となっているようだった。模擬店や近隣の店から買ってきた食べ物や飲み物を手にした人が多い。


 そして何と言っても驚きなのは、舞台と観戦席の間の空中に、空間を切り取ったような巨大なスクリーンがいくつも浮かび、戦闘場面の映像がどこからでもよく見えるように大きく映し出されていることだ。

 誰と誰がどんな風に戦っているのか、見せ場や攻撃の瞬間などが解説付きで、ゆっくりと流れている映像もある。


「…………こ、これが、トーナメント戦」


 神の本気がそこにはあった。

 しばらく呆然としていたけど、空いている席を探して座る。すると目の前に、20センチ×30センチくらいの四角い光が浮かび上がってきた。


「わゎっ。何、これ?」


 向こう側が透けて見えるのに、手で持って触ることが出来る。そこには『芸軍祭のしおり』と文字が浮かび上がっていた。


「……しおりって何だろう?」


 周りの人たちは当たり前の顔でしおりを手にしている。見よう見真似でしおりに触れると、今日のこれからの催し物についての案内が現れた。


「えぇっと……なになに」


 午前の部のトーナメント戦が終わったら、昼に美男美女コンテストの選出者が舞台に華麗に登場! と。


「…………え? 舞台に、登場……?」


 ルーリアは目の前の大きな石舞台を見つめ、それからゆっくりと観戦席に視線を移した。


 ……え? ここに、立つの? わたしが?


 ぶわっと汗が吹き出し、一気に顔が引きつった。


 む、無理無理無理無理無理無理~~!!

 いやああァァァ~~~!!

 だ、誰か、嘘だと言ってくださいぃ!!


 もしかして神の投票企画とは、長時間、人前に出るような催しなのだろうか。


「……そっ、それだと、演奏会は!?」


 一番大切なことを忘れてはいけない。

 急いで芸軍祭のしおりに目を通すと、演奏会の時間は投票企画よりもずっと後の方だった。

 これなら十分に間に合いそうだ。


「…………よ、良かったぁ……」


 演奏会にはちゃんと行けそうでホッとする。

 もう、それだけが心の救いだった。


 この後の予定の確認が終わったところで、投票企画のことは早々に諦める。石舞台を使った催しのようだから、午後の部のトーナメント戦が始まるまでには終わるのだろう。

 ルーリアは呼び出しの集合時間まで、大人しくトーナメント戦を観ることにした。


「あ、これ。先のトーナメント戦の結果?」


 しおりには、すでに終わっている対戦の結果も載っていた。


 ……えーと。


 リューズベルトとクレイドルの対戦は終わっているようだ。二人とも勝っている。ナキスルビアも勝ち進んでいた。

 午後の部にはウォルクスとセルギウスが出るらしい。この名前の横にある数字は何だろう?

『オッズ』と書いてある。知らない言葉だ。


 軍部のみんなも頑張っているなぁ、なんて思ってしおりを眺めていると、隣の席にストンと座る人がいた。


「……何してるんだ? その姿は……?」

「えっ?」


 やや小声の聞き慣れた声に顔を上げると、隣の席に座ったのはクレイドルだった。

 いろいろ質問したいのを堪えているような顔で、クレイドルはトントンとテーブルを指で二回鳴らす。何かの合図っぽい。……音?


外界音断カーシャ・エイク


 小声で呪文を唱え、音断の魔法を2席分だけの狭い範囲で掛ける。


「ここには神様に呼ばれて来ました。これだけたくさんの人がいるのに、よくわたしだって分かりましたね」


 フードを被って顔を隠しているし、匂いだって香水を付けて誤魔化している。服装もいつもと全然違うし、それに大人の姿だ。何で分かったのだろう? 集合時間まで誰にもバレない自信があったのに。


「すぐに分かったぞ。神に呼ばれたって、まさか……」

「この後の投票企画に強制参加です。呼び出されちゃいました」


 どうにも逃げようがないと、がっかりした顔でため息をついて見せる。その途端、クレイドルは表情を硬くして眉を寄せた。


「それでずっと薬を飲み続けているのか? 舞台の上ではどうするんだ? そんなに長くは持たないだろう? 一人なのか? 付き添いはどうした?」


 心配してくれているのは分かるけど、次々と飛び出す質問にルーリアは目を丸くした。

 慌ててクレイドルに指輪を見せる。


「あの薬じゃないです。これで……」

「……薬の乱用じゃないんだな」


 魔術具の効果だと分かると、クレイドルはホッとして表情を和らげた。身体に影響が残らない海の家と同じ感覚で薬を飲み過ぎているのでは、と心配させてしまったようだ。


「この姿でフェルと一緒にいる訳にはいかないので、今は離れてはいます。たぶん、わたしが見える位置にはいると思いますけど」

「そうか。企画では名前を呼ばれたりしないのか? その姿がルリだと周りに知れたら後々面倒だろ?」

「そこは行ってみないと分かりません。菓子学科では、この姿がわたしだと気付いている人もいるみたいですから、もう半分諦めています」


 金色の呼び出し状を調理室で受け取ったことで神にとどめを刺された、という事実は胸の奥にしまっておく。


「これからが少し心配だな。まぁでも、呼び出されている時点で運営本部にはバレてそうだけどな」

「はい。あ、そういえば、トーナメント戦の初戦突破おめでとうございます。……それに、何か久しぶりですね。レイドとこうやって話をするのって。みんなは元気ですか?」

「ああ、特に変わりはないぞ。……ルリは、その……企画の呼び出しの後は、何か予定はあるのか?」


 ちょっと照れたような言いにくそうな顔で、視線を逸らしながらクレイドルが尋ねる。

 それに気付かず、ルーリアは真剣な顔で大きく頷いた。


「はい。大有りです!」


 グッと両手を握り、気合いを入れて答えるルーリアを見て、クレイドルは少し残念そうに声を落とす。


「……そうか。時間があるなら、と思ったんだが、予定があるなら仕方ないな」

「……? どうかしたんですか?」


 いつもとちょっとだけ雰囲気が違う、落ち込んだようなクレイドルに不安になる。もし大切な用事があるのなら、演奏会は他の日に回しても構わない。

 クレイドルは「気にしないでくれ」と言ったけど、気になったからしつこく聞いてみた。


「……いや、その。ルリは、夏にラピスの練習を頑張っていただろ。だから音楽に興味があるのかと思って、演奏会に誘おうかと思っていたんだ」


 そう言ってクレイドルは視線を石舞台の方へ向け、決まりが悪そうに軽く頭を掻いた。


「え。あの、わたしも演奏会に行くつもりですけど」

「ルリの予定ってそれか。……誰かと行くのか?」


 何かを探るように表情を硬くするクレイドルに、ルーリアはぶんぶんと首を振って返す。


「いいえ。一人です」


 はぁっと、安心したように小さく息を吐いたクレイドルは、まっすぐにルーリアを見つめた。


「それなら一緒に行くか? チケットは一枚無駄になるが」

「…………チケット?」


 なに、それ?


「……お前、その顔。もしかしてチケットを持っていないのか?」

「えっと……何ですか、それ?」


 何となく予想はつくけれど、念のために聞いてみる。


「チケットは演奏会の会場に入るための許可証のような物だ。数に限りがある。それがなければ、会場に行っても中には入れてもらえないぞ」

「えぇえぇぇっ!?」


 愕然とするルーリアにクレイドルは説明する。

 音楽学科の生徒であれば、一人辺り二枚の招待チケットがもらえるらしい。だいたいの人はそれで家族を招待するそうだ。

 それ以外のチケットは当日販売のみで、祭りの開始と同時にすぐに売り切れたという。


「……レ、レイドは、チケットを持っているんですか?」


 今にも泣き出しそうな顔で声を震わせるルーリアに苦笑いを向け、クレイドルは上着のポケットから演奏会のチケットを二枚取り出した。


「音楽学科のヤツとたまたま話すことがあって、招待チケットを譲ってもらった」

「………………っ」


 ルーリアはすぐに観戦席の椅子から下り、床に膝を突いてクレイドルの足にガシッとしがみついた。


「お願いします! 一枚譲ってくださいっ!」

「おまっ!? 自分が今どんな姿か忘れているだろ!? 子供の姿じゃないんだぞ!」


 クレイドルは慌てて周りを見回した後、すぐにルーリアを席に座らせた。


「そういうのは勘弁してくれ。お願いじゃなくて脅しにしか見えないからな」

「……だって。チケットなんて物があるなんて知りませんでした。ずっと、ずっと楽しみにしていたんですよ」


 自分の情報不足に涙目で項垂れていると、クレイドルはチケットを一枚、ルーリアの手の平にそっと乗せた。


「元からルリを誘うつもりだったんだ。無駄にならなくて良かった」

「……あ、ありがとうございますっ。……すごく嬉しいです」


 チケットを大切そうに両手で包み、ルーリアは満面の笑みを浮かべた。その様子にクレイドルも柔らかく目を細める。


「じゃあ、投票企画が終わった頃に迎えに行く。闘技場にいてくれ」

「はい、分かりました」


 この後のことを考えると気が重くなるけど、それが終わった後の楽しみが出来た。


 ……あ、これってデートの約束になるんでしょうか?


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