第236話 前夜祭
「ただい──!?」
ガインはルーリアを目にするなり、息を呑んで目を見開いた。「……な!?」と口を開いたまま、完全に固まって動かなくなっている。
「……お父さん? ルーリアですけど」
恐る恐る声をかけてみても反応はない。
心配になって目の前でひらひらと手を振っていると、急にその手をガシッと掴まれてしまった。
剣呑な金色の目でギロリと睨まれ、思わず「ひぃっ!」と小さく悲鳴が出る。
「………………ルーリア……なのか……」
絞るようにかすれた声を出したガインは、その存在を確かめるように掴んでいる手を見つめ、ルーリアの頭にそっと手を乗せ、触れるとすぐに腕を下ろした。
「…………」
気持ちがまとまらない表情で力が抜けたようにその場に腰を落とし、ガインは座り込んで両手で頭を抱えるように目元を覆った。
「……あの、お父さん?」
「まぁ、ガイン。そんな所で泣いたら、ルーリアに笑われますよ」
エルシアが二階から下りてきて、座ったままのガインにクスクスと微笑む。
「えっ、お父さん、泣いているんですか!?」
「……泣いてない。少し驚いただけだ」
ムスッと不機嫌そうな声で返され、慌てて驚かせてしまったことを謝っておく。一瞬だけ、本当に泣いているのかと思ったことは内緒だ。それだけガインの沈黙は長く、呼吸も深かった。
「これは魔術具の効果です。正しく時が流れていれば、これが本来のルーリアの姿であったと言えるでしょう」
「……本来の。……そうか」
遠い先を見つめるように、二人の目が細められる。その瞳には、柔らかな光が揺らいでいるように見えた。
「……これがルーリアのあるべき姿か。魔術具抜きで早く会いたいものだな」
そう口にしたガインは、今まで見たこともないような切なそうな微笑みを浮かべていた。
◇◇◇◇
そしてついに迎えた芸軍祭の初日、前夜祭。
学園生活の中で最も大きな祭りの幕開けであり、今日から三日間は一般人も来園する。
闘技場の周辺には職人系や製造系の模擬店がズラリと並び、食部は食べ物、理部と癒部は調合品や薬、住部は食材や木材、創部は装備品や家具類、衣部は衣服や装飾品、芸部は絵画や美術品など、と販売品の種類は盛りだくさんだ。
ルーリアたち菓子学科の生徒は、自分で作った菓子を自らの手で販売することになっている。
今日の販売目標数は、一人当たり5百個だ。
自分の菓子が売り切れれば、あとは自由時間となるため、みんな気合いが入っている。
ルーリアも午後から大ホールで行われる予定の演奏会をずっと楽しみにしていたため張り切っていた。
……早く売り切れるように頑張らないと!
チラリと様子を窺うと、シャルティエは接客に慣れているからか、誰よりも余裕顔だ。
知らない人に何かを売るなんて初めてのことだから、ルーリアは緊張と不安に包まれていた。
立っているだけで足が震えてきそうで、落ち着きなくそわそわとしてしまう。
……うぅっ。き、緊張する。
シュークリームの販売価格は1個300エン。
値段はそれぞれ違っていて、モップル先生やグレイスと話し合って決めている。
この値段の設定を初めて耳にした時、魔虫の蜂蜜や家にある酒の値段が頭をよぎり、ルーリアは顔から表情が抜け落ちた。
「ルリはシュークリームをいくらくらいで販売しようと考えていますか?」
「えっと、2~3万エンくらいでしょうか?」
「……えっ」
そこからグレイスに世の中の相場というものについて教えてもらい、ガインやユヒムに対して、今なら躊躇わずに極大魔法の詠唱が出来るかも、と思ってしまったことは記憶に新しい。
「シュークリームの準備よし。道具よし、お釣りよし。紙袋よし、服装よし。うん、大丈夫」
さっきから何度も同じ確認をしているが、時間が経つほどドキドキしてくる。
模擬店は接客と販売を一人で体験させる目的があるから、フェルドラルは少し離れた所に控えている。今日はどこにも出番なしだ。
そういえば、みんなはどこで祭りに参加しているのだろう? 軍部の人たちはずっと闘技場にいるのだろうか?
祭りの準備期間に入ってから、みんなとはほとんど会っていない。調理室で黙々とシュークリームを焼き続けていたから、仕方のないことだけど。
今日の自分の予定としては、模擬店と午後の演奏会。その二つが絶対に外せないものだ。
あ、あと、投票企画への呼び出しもあった。
強制参加と言われると、ものすごく行きたくなくなるから、頭の片隅に追いやってしまっていた。いけない、いけない。
それを考えると、出来れば午前中にシュークリームを売り切ってしまいたいところだ。
……うーん。神様からの呼び出しの投票企画って、具体的に何をさせられるんでしょう?
と、頬に手をついて考えていると。
ドドンッ!! と、正門の方から大きな音が響き、見上げると赤い光の花火が三発上がっていた。
芸軍祭開始の合図だ。
「うおおおぉぉぉ!!」と、学園中から興奮した声が雄叫びのように上がる。そんな周りの雰囲気に釣られ、ルーリアのテンションも否が応でも上がっていった。
ひときわ大きな声が上がっている闘技場では今日から三日間、軍部によるトーナメント戦が行われる。
芸軍祭の催し物の中ではこれが一番人気だそうで、シュトラ・ヴァシーリエによる賭けでは毎年、莫大な金が動くという。
生徒同士の勝負で賭け事って、よく考えたらめちゃくちゃな話だと思う。神が主催者だから文句の出しようもないらしいけど。
実はこのトーナメント戦、自分も参加者として候補に上がっていたらしい。しつこく『ルリを出場させろ』と言ってきた軍部の教師陣に対し、グレイスは、
「ルリは食部の生徒です。どうしてもと言うのなら、軍部の序列上位者三名と交換いたしましょう。そちらは生徒がたくさんいるのですから、そのくらいが妥当ですよね?」
と、凄みを利かせた笑顔で跳ね除けてくれたという。……本当に助かった。
でも序列の上位三名って今は確か、リューズベルト、セルギウス、エグゼリオだったはず。
……あの三人が作ったお菓子。
想像はつかないけど、怖い物見たさでちょっと食べてみたいと思った。
放課後一緒にいたメンバーで参加が決まっているのは、リューズベルト、セルギウス、ウォルクス、クレイドル、ナキスルビアだ。
時間があったら応援に行ってみたいけど、そんな時間があるだろうか。
そんなことを考えている内に、一般来園者たちが、続々と闘技場の周辺になだれ込んできた。
……わわわ、すごい! というか危ない!
中には全速力で走ってきて、周りには一切目もくれず、闘技場に一直線に駆け込んでいく人もいる。トーナメント戦をより良い席で見るための場所取りがあるらしい。
それにしても、人がどんどん増えていく。
ひょっとして創食祭並に人がいたりして?
──10分後──
予想外でした。芸軍祭を舐めてました。
まさか、こんなに人が来るなんて。
どこに道があるのか分からないくらい、あっという間に人で闘技場の周辺が埋め尽くされていく。
「すいませーん。シュークリーム3つ」
「こっちは2つだ!」
「1個ちょうだい」
「は、はいっ。順番に伺いますっ!」
人が押し寄せてきたのと同時に模擬店も一気に忙しくなった。
「すみませんっ、一列に並んでください。次の方、どうぞ」
「5個くれ」
「はい、ありがとうございます!」
周りの音に掻き消されないように、自然と声が大きくなる。注文された数のシュークリームを紙袋に入れ、金を受け取り客に商品を渡す。
ただそれだけのことなのに、目まぐるしく動きながら、ルーリアは言葉にならない感動を噛みしめていた。
自分の作った物を並んでまで買ってくれる人がいる。そしてそれを目の前で美味しそうに食べてくれている。
何か……何か、すごく嬉しい!
シャルティエが幼い頃からずっと変わらずに菓子職人を目指してきたのは、きっとこういった経験をしてきたからなのだと全身で感じた。大変だけど、とっても楽しい!
自分の作った物を必要としてくれる人たちと直接触れ合えたことで、自分の存在がたくさんの人たちに認められたような気がして、とても嬉しくなった。
「2つください」
「はいっ……てぇっ! ふえぇっ!?」
店先に立つ客を二度見して、変な声で叫んで、手にしていたトングを落としそうになる。
おおお、お母さんっ!?
な、何でここにいるのっ!?
「うふふ、様子を見に来ました。驚きましたか?」
何と、店先に立っていたのは人族に変身した色違いのエルシアだった。エーシャのような黒目黒髪ではなく、髪は薄紫色で瞳の色は濃紫色だ。自由すぎるにも程がある。
ノド元まで出かかっていた叫び声をどうにか呑み込み、接客に集中した。自分を自分で褒めてあげたい。
「ど、どうしてここに? 大丈夫なんですか?」
まさか一人ではないだろうと思い、平静を装ってシュークリームを紙袋に入れながら、さり気なく周りに視線を向ける。
少し離れた所に色違いのガインを見つけ、ルーリアはホッと息をついた。良かった。一人ではなかった。なんて心臓に悪い両親なのだろう。
周りを警戒しながらエルシアを見守るガインは、髪色が緑で瞳の色が黒だった。
いったい、あと何色あるのか。
「……あの、二人は何をしているんですか?」
「前にあなたが話していたデイト?というものをしています」
…………デート、ですか!? こんな時に?
ああ、そういえば。と、キースクリフの話を内緒にしていたことを思い出す。
それにしても……と、チラッと目を向けると、ガインはバツが悪そうな顔をしてルーリアから目を逸らした。
そんな顔をするくらいなら、ちゃんと説得するか、身体を張って止めるくらいはして欲しいとルーリアは思う。
視線を戻すと、エルシアは瞳をキラキラさせて周りの様子を珍しそうに眺めていた。
きっとこの顔で『学園に行ってみたい!』と、必死にお願いしたのだろう。最近は家にこもりっ放しだったから、ガインも断り切れなかった、と。
……お父さんがここまでお母さんに弱かったなんて。
いつ神官や神殿の騎士に会ってもおかしくないような場所でデートをする両親にかける言葉は何も思い浮かばなかった。
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