第228話 これまでとこれから
「エーシャ、オレは誰も恨んではいない」
感情を押し込めたリューズベルトの声は、とても落ち着いた穏やかなものだった。
「あれだけ皆が
軽く伏せられたリューズベルトの目には、そうやって自分に言い聞かせてきたという思いがにじみ出ていた。
「エーシャ、これだけは教えて欲しい。父さんは最期まで人を信じていたのだろうか?」
切実な願いが込められた澄んだ青い瞳は、望む答えは一つであると強く訴えている。
エルシアは柔らかく目を細めて頷いた。
「ええ。オズヴァルト様は人を信じたからこそ、貴方を私たちに託されたのです。いついかなる時も、ご自身の信念をまっすぐに貫かれていましたよ」
その答えを聞いたリューズベルトは心の底からホッとしたように息を吐き、「……そうか」と、聞こえないくらい小さな声で呟いた。
肩の力が抜け、穏やかな顔になっているのが分かる。リューズベルトはルーリアに視線を向けた。
「……その、あの時は済まなかった。人の悪意に晒されるなんて今さらなのに、感情を抑えられなくて、ルリにはひどいことをしてしまった。本当に済まない」
驚くほど素直に頭を下げるリューズベルトに、ルーリアの頬が引きつった。
保健室でのことは誰にも話していない。
その様子を目にしたエルシアが「娘にひどいことを……? 何をしたのですか?」と、怖い笑顔を向け、リューズベルトが真っ青な顔で小さく息を呑むのが見えた。
お願いだから勇者を威圧しないで欲しい。
「わ、わたしは大丈夫です。もう気にしないでください。その代わり、今度セルに会った時はちゃんと謝ってくださいね」
「わ、分かった。約束する」
はい、この話は終了~! と、ルーリアはエルシアにみんなが帰ってくるまでのおおよその時間を伝え、本題に入るように促した。
コホン、とエルシアが咳払いをする。
「……では、リューズベルト。長い間、待たせてしまってごめんなさい。貴方のお父様、オズヴァルト様の話をしますね。……ルリ」
「はい」
エルシアの目配せを受け、ルーリアは席を立つ。ここから先は二人だけの方がいい。これは昨日、エルシアと話をして決めていたことだ。リューズベルトの素直になれる場所がエルシアの前だけだと言うのなら、ルーリアはいない方がいい。
「では、わたしは外にいます。もし時間になってもお話が続くようでしたら、先に帰っていますね」
「ええ、分かりました」
静かに語り出すエルシアの声を背に、ルーリアは寄宿舎の外へ出た。
「…………」
リューズベルトがこれから知るのは、父親が自分を助けるために生命の選択をした話だ。
息子を救う手段として、自分の生命を犠牲にした悲しい父親の愛の物語。
それを知った時、リューズベルトは自分を責めるだろうか。自分の存在を許せるだろうか。自分に刃を向けたりしないだろうか。
そんな思いが、次々と積もっていく。
まるで真冬の雪原のように、ひどく寒くて胸が痛い。
「……姫様まで泣かれる必要はないのですよ」
扉を背にして俯いていると、フェルドラルから声をかけられる。言われるまで、自分の目から涙がこぼれていることに気付かなかった。
「……リューズベルトは大丈夫でしょうか」
「保護者が付いているのです。心ごと、しっかり見ていると思いますわ」
ルーリアは寄宿舎の扉の前で膝を抱えて座り、そこに顔をうずめてエルシアの話が終わるのを待った。
◇◇◇◇
「ルリ……」
そっと扉を開いて声をかけられ、ルーリアは顔を上げる。エルシアが出てくると、使った茶器を下げるため、入れ替わるようにフェルドラルが中に入った。
「お母さん。……リューズベルトは?」
エルシアの目元が少しだけ赤い。
きっと一緒に泣いたのだろう。
「今は落ち着いています。ですが、今日はもう誰にも会いたくないそうです」
「……そうですか」
リューズベルトを部屋まで連れて行き、癒しの魔法と加護を掛けてきたと聞いて息をつく。
心までは、魔法では癒せない。
暗くなる頃には、ウォルクスたちも学園から帰ってくる。たぶん今日は、リューズベルトが部屋から出てくることはないだろう。
「姫様、お待たせいたしました」
「フェル、ありがとうございます」
「では、詳しい話は帰ってからにしましょう」
「はい」
謹慎は、あと一日ある。
短い休みだけど、リューズベルトの心が少しでも回復することを祈りながら、ルーリアは家へと転移して帰った。
改めてお茶を淹れ、店のテーブルで話を聞く。
エルシアがスキルの神の眼を使って見たところ、リューズベルトの心には『大きな鎖と鍵』が掛けられたという。
父親の最期を知った時、その原因が自分にあると分かったリューズベルトは、自身に刃を向けるイメージを強く持ったそうだ。
でも、刃が突き刺さる直前で、リューズベルトは凍ったようにピクリとも動けなくなったらしい。どんなに自分を責めたくても、それをしてしまえば、父親の命懸けの選択を無駄にしてしまうことになる。それに気付いたリューズベルトには、自分を傷つけることは不可能となった。
その瞬間、心には『鎖と鍵』が呪いのように掛けられたのだという。
『鎖』は、父親の犠牲を無駄にしないように、自分の感情を縛りつけるため。
『鍵』は、父親から受け継いだ勇者という責任から、決して逃れないように心を閉じ込めるため。
「…………ひどい……」
話を聞いている内に、つい声がこぼれていた。
それと同時に、勇者というものを誤解していた自分に気付く。
……勇者。勇気ある者。
周囲から尊敬や憧れの目を向けられ、悪人や魔物を退治して困っている人を助ける正義の味方。
完全無欠で悩みなんて欠片もない。
勇者とはそういう存在なのだと、幼い頃から疑うこともなく信じていた。勇者は『特別な存在』なのだと。
だけど、現実は違っていた。
勇者だって生身で生きている一人の人なのだ。
悩むことだってある。くじける時だってある。
どうしてそんな簡単なことに今まで気付けなかったのだろう。
「どうしてリューズベルトだけ、そんなに苦しまないといけないのでしょう? リューズベルトが勇者になって良かったと感じたことは、今までにあったのでしょうか? 不敬かも知れませんが、神様に文句の一つも言いたくならなかったのでしょうか?」
輝かしいだけじゃない勇者を知って、祈らずにはいられない。
……ああ、神様。せめてこの先のリューズベルトに、たくさんの幸せを用意してあげてもらえないでしょうか、と。
それから、二日後。
謹慎が解け、学園に顔を出したリューズベルトは、人が変わったようにすっきりとした顔をしていた。
「セル、この前は済まなかった。謹慎処分を覚悟してまで、オレを止めようとしてくれてありがとう」
ルーリアとの約束を守り、みんなの前で躊躇うことなく頭を下げるリューズベルトに、周りは動きを止めて固まった。
「…………いや、気に、しないでくれ」
セルギウスでも引いたくらいだ。
エルバーは衝撃のあまり、リューズベルトを偽物呼ばわりして対戦を申し込み、綺麗に返り討ちに遭っていた。それはいいとして。
「エグゼリオを見かけたら教えてくれ。ヤツはオレの気が済むまで、何度でも殺す」
リューズベルトは素直というより、本音を漏らすようになっていた。しかも悪い方向に、だだ漏れである。
「……あの、リューズベルト。だ、大丈夫ですか? その、いろいろと」
勇者なのに、とか、いろんな意味で。
ちらりと見上げると、リューズベルトは爽やかに口の端を上げた。
「ルリ。オレはもう父さんの影を追うのは止めることにした。これからはオレのやりたいようにやる」
何かが吹っ切れた様子のリューズベルトは宣言通り、学園でも魔物討伐の任務でも、のびのびと活動をするようになった。
最近では商人たちの所属する商業ギルドとの関わりを深め、勇者支援国との関係を改めようとしているという。これにはユヒムとアーシェンが絡んでいるらしい。
すぐさま女生徒たちの間では、『爽やかな笑顔の勇者様』として人気が急上昇することとなった。
中身がより魔王に近付いたというのに解せぬ、部活の時の女子の声援が三割増でうざい、とはエルバーの言葉である。
軍事学科の授業や部活の対戦では、人族グループを中心に遠慮なく相手を叩き潰すようになったことから、二つ名の『剣聖』ではなく、『天災』と陰で呼ばれるようになっていった。
手加減を放棄したリューズベルトは誰にも止められないから、放っておいて通り過ぎるのを待つしかない天の災いと化しているらしい。
…………天災。
何もそんなところでエルシアの異名を受け継がなくても、とルーリアはため息をつく。
自分がしたことではないけど、ちょっとだけ周りの人に申し訳ない気持ちになった。
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