第227話 向き合う謝罪


 リューズベルトが心から誰かを信頼することは、しばらく難しいだろう。ずっと側にいたエルシアでさえ、この状態なのだから。そう思い、ルーリアはそっと息を吐いた。


「……ルーリア。私は……」


 一番に伝えたかったリューズベルトの気持ちには、どうやら気付いてもらえたみたいだ。


「お母さんがリューズベルトのためと思って真実を話さないでいたのだとしても、本人が望んでいなければ、それはただの意地悪です。もちろん、中には隠した方がいいこともあると思いますけど。でも、大切な家族のことだったら、知っているのにどうして教えてくれないんだろうって、不安になりますよね?」


 周りを恨みもせず、リューズベルトは今まで本当によく我慢していたと思う。少しくらい素直じゃなくても、それは当然だろう。


「お母さん、わたしは明日、リューズベルトに全てを話そうと思っています。知っているのに黙っているのは、もう嫌なんです」


 これ以上、リューズベルトが悩んで苦しむ姿は見たくない。ルーリアがそう伝えると、エルシアは目を伏せ、一度深く考え込んだ後、静かに口を開いた。


「……リューズベルトには私が直接話します。私が、話さなければいけないと思います」


 胸の前でギュッと手を握りしめ、エルシアは決意を秘めた蒼い瞳をまっすぐルーリアに向けた。


「分かりました。それなら明日の午後、ユヒムさんの屋敷で待っていてください。授業が終わったら、すぐに迎えに行きます」

「ええ、分かりました。……リューズベルトの所へ、連れて行ってください」



 そして、次の日。


 授業が終わったルーリアは、クレイドルに今日は部活に参加しないで帰ると伝え、作っていた料理を渡して、すぐに学園を後にした。

 本当はセルギウスに助けてくれたお礼を伝えたかったけど、時間がないから後回しとなっている。


「お待たせしました。では、行きましょう」

「ええ、お願いします」


 ユヒムの屋敷でエルシアと合流し、リューズベルトの待つ寄宿舎へと向かう。

 人族の姿ではあるけれど、ダイアグラムの街をエルシアと一緒に歩いているだけで、ルーリアにとっては夢のようだった。

 だけど、道案内をフェルドラルに任せた、その道中。ずっとエルシアは、とても暗い顔をしていた。


「……リューズベルトは、さぞかし私を恨んでいることでしょうね」


 昨日、ルーリアがいなくなってしまったら、と例えた話が、エルシアの心には深く突き刺さってしまったらしい。自分であれば絶対に許すことは出来ない、とひどく落ち込んでいる。


「リューズベルトが恨んでいるかどうかなんて、本人に聞いてみなければ分かりません。お母さんの前で、リューズベルトはいつもどんな感じだったんですか?」


 やっぱり無愛想で口数が少なかったですか? と尋ねると、エルシアは淡く微笑んで、ゆるりと首を振った。


「いいえ。リューズベルトは素直で良い子でした。心が優しくて、たまに泣いたりして。正義感が強いためか、いつも人のことばかり考えていて。ちょっと傷つきやすいところが心配でしたけど」

「………………え」


 泣く!? 傷つきやすい? 誰のこと?


「……それ、本当にリューズベルトですか?」

「ええ、もちろんです。どうかしたのですか?」

「……い、いえ。別に、何も」


 うっそだあぁ~~~!?

 と、全力で叫びたい。


 ……へぇ。お母さんの前では良い子なんだ。

 ふ、ふぅーん。そうなんだ。……へぇ。


 この話は自分が聞いても良かったのだろうか。

 人のことなのに、こっちまで恥ずかしくなってくる。そんなことを心配している内に、寄宿舎の前に辿り着いた。非常に顔を合わせ辛い。


「ここです。鍵は開けておくって言っていましたから、そのまま入れると思います」

「……分かりました」


 意を決した顔でドアノブに手をかけ、エルシアは深呼吸する。カチャリと開けて中へ入るエルシアに続き、ルーリアも玄関に並び立った。

 フェルドラルは外で扉の前に立ち、誰も中に入らないように見張ってくれている。


「リューズベルト、ルリです。お母さんを連れて来ました」


 奥に向かって声をかけると、ガタタッ、ガンッ! と、何やら慌てて立ち上がろうとしてテーブルか椅子にぶつかったような音が聞こえてきた。


「何の音でしょう?」

「さあ?」


 思わずエルシアと顔を見合わせる。

 その直後、リューズベルトがものすごい速さで玄関まで走ってきて、ルーリアの手首をガシッと掴み、エルシアに向けて引きつった笑みを浮かべた。


「ッエ、エーシャ! 少しだけここで待っててもらってもいいだろうか? ちょっとだけ先に、ルリと話がある!」


 上ずった声でそう口にするリューズベルトは、いつもの仏頂面はどこへ行ったのか、胡散くさいほどの爽やかな笑顔を浮かべていた。その違和感は尋常ではない。ゾワッと鳥肌が立った。

 もしかして、これがエルシアの前での姿なのだろうか? ルーリアは胡乱な目でリューズベルトを見上げた。


「久しぶりですね、リューズベルト。元気そうで安心しました。私はここで待っていますから、話が済んだら呼んでください」

「あ、ああ。済まない。すぐに済ませる」


 にっこり微笑むエルシアに貼りつけたような笑顔を返し、リューズベルトはすぐさまルーリアだけを奥のリビングへと連れて行った。

 そして玄関の方を気にしながら、なぜか小声で怒鳴り出す。


「ルリ! 何でエーシャが一緒なんだ!?」


 そんな話は聞いていない、心の準備が何も出来ていない。そう言われ、そういえばリューズベルトには一緒に行くことを何も知らせていなかったことに気がついた。この場合、先に連絡を入れないといけなかったらしい。


「……あの、ごめんなさい」


 リューズベルトはまだ文句を言い足りない顔だったが、ルーリアのしょんぼりと項垂れた姿に、それ以上言うのを止め、握っていた拳を開いてそっと息を吐いた。


「それで、どうしてエーシャがここに?」


 ルーリアはエルシアが付いて来ることになった経緯をリューズベルトに話して聞かせた。


「お母さんは自分の口で、リューズベルトに先代勇者様のことを話したいと考えているようです」

「……エーシャが自分から話すと言ったのか。何で今さら……」


 エルシアがまだパーティにいた頃、どんなに食い下がって尋ねても、自分の父親については何も教えてもらえなかった。リューズベルトの顔には、そんな複雑な心境が表れている。


「お母さんも、ずっと気にはしていたそうです。ただ、先代の勇者様との約束があって、言いたくても言えずにいたみたいで」

「…………父さんと……」


 そう呟いたリューズベルトは、玄関に向けた青い瞳を戸惑いで揺らしていた。


「長い話になるかも知れません。みんなが帰ってくるまでには済ませたいので、お母さんを呼んできますね」

「……あぁ。頼む」


 リューズベルトが落ち着いたところで、エルシアをリビングに呼び、三人でテーブルに着いた。

 家から持ってきたお茶を淹れ、エルシアの隣に座ったルーリアは、出て行くように言われるまで聞き役に徹することにする。


「リューズベルト、元気そうで良かった。ルリから話は聞いていたのですが、以前とは違う雰囲気の話ばかりでしたので、心配していたのですよ」

「……いや、それは……」


 ものすごく話しにくそうな顔をしたリューズベルトにジロリと睨まれた。お前、何を話した!? と、尖った目が語っている。

 そんな顔をされても知りません、嘘はついていないし、いつも無愛想なリューズベルトが悪いんですよ。と、笑顔を返しておく。


「娘から貴方が深く悩んでいると聞いて、私は決心いたしました。リューズベルト、貴方に本当のことを……貴方が眠っていた間のオズヴァルト様のことを、話そうと思います」


 父親の名前をはっきりと出されたことで、リューズベルトは驚きとも衝撃ともつかない目を見張る。かすかに震える口元をグッと結び、リューズベルトは静かにエルシアを見据えた。


「……エーシャ。一つだけ聞かせて欲しい。どうして今になって父さんのことを話そうと思ったんだ?」


 自分がどれほど求めても、ずっと真実を隠してきたのに。偶然とも言える娘からのたったひと言で、どうして今さら行動を起こそうとしたのか。過ぎ去った時間の全てを詰め込んだように、リューズベルトは切なさだけを集めて青い瞳を揺らした。

 その瞳には、抑えようとしても抑え切れない想いが映っている。怒りも、呆れも、嘆きも、悲しみも、憤りも、疑いも、寂しさも。

 それらの想いを全て抱え、胸を突くような切ない眼差しでリューズベルトはエルシアを見つめた。


「リューズベルト……」


 エルシアはきつく目を閉じ、そして再び目を開けると、視線を逸らさずに穏やかな口調で話し始める。


「私には、親と呼べる存在がありませんでした。だから、父親がいなくなった貴方の気持ちに気付くことが出来ませんでした」


 エルシアは自分の生い立ちについて語り、親としての経験はあっても、子として過ごした時間がなく、自分の考えが未熟であったことをリューズベルトに詫びた。


「昨日、娘に言われて初めて気付きました。もし自分が、ある日突然いなくなったとして、周りの者から知り得る情報を隠されたら、どう思うのかと。その気持ちと、今、リューズベルトが抱えている悩みは同じなのだと」


 リューズベルトの視線がほんの一瞬だけ、自分に向けられたのをルーリアは感じた。


「娘がいなくなったら、私は全てを投げ出してでも探すでしょう。もしそこで事情を知りながら隠匿いんとくしようとする者がいれば、私は自分自身を抑えることが出来るとは思えません」


 きっと力ずくで聞き出そうとするだろう。

 それをリューズベルトに置き換えるのであれば、自分が殺されていたとしても決して文句は言えない、とエルシアは遠い目をする。


「そこで私は初めて気付いたのです。自分は間違っていたのだと。リューズベルトがそれを求めていると知りながら、ずっと黙っていたのです。謝罪するだけで済む話とは考えていません」


 自分のしてきたことを認め、エルシアは長いまつ毛を伏せた。


「謝罪と償いは別です。……リューズベルト。本当にごめんなさい。私は貴方に恨まれても仕方がないことを、ひどいことをずっとしてきました。貴方をどれだけ傷つけてきたか……」


 悔いて俯く瞳から、涙の粒が落とされる。

 リューズベルトはエルシアの言葉を聞きながら、膝の上に置いた手を白くなるほど強く握りしめていた。感情を押し込めるように目を細め、口の端を噛んで。その姿が感情を欠片も表に出すまいと、必死に我慢しているようにルーリアには見えた。


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