第226話 放っておけない悩み


「……これは、オレがまだ小さかった頃に、父さんが作ってくれた物だ」


 リューズベルトは自分の手首に澄んだ青い瞳を向け、「このお守りは誰にでも作れる物ではない」と言って、切なそうに微笑んだ。


「これはどういった物なんですか? わたしにはよく分からなくて……」


 お守りとは聞いているけど、身に着けていて効果が表れたことは一度もない。それなりに危険な目には遭っていると思うのだけど。


「これは身に着けた者が『自分を守りたい』と強く願った時に発動する」

「……願う?」

「ああ。強く願えば、それだけ威力も強化される。そういった物だ」

「自分を、守ろうと……」


 じゃあ、今まで何も反応がなかったのは、自分を守ろうと思っていなかったから?

 あれだけみんなから言われて自分を大切にしてきたつもりなのに。


 お前は自分を守ろうとしていない。

 そうはっきりと言われた気がした。


「ルリは、これをどこで手に入れたんだ?」


 自分から寄宿舎まで訪ねてきたことで、少しはリューズベルトの疑心が薄れているように感じられた。まっすぐに見据えられた目は、これから話すことを真剣に聞こうとしてくれているのが分かる。

 ここから先は自分の独断で話すことだが、リューズベルトには必要なことだ。今回はよく考えた上で、両親の言いつけを破る決意をした。


「これは、ある人から譲り受けました。その人は先代の勇者様と縁があって、身の危険を感じるような所へ行った時、このお守りを戴いたそうです」

「それが、どうしてルリの手に? お守りを人に贈ったり譲ったりするのは、普通、身内や親しい間柄ですることだろう?」

「その、先代の勇者様からお守りを受け取った人が、わたしのお母さんだったからです」

「!?……ルリの、母親?」


 その言葉で、リューズベルトはハッと目を見張り、何かと比べるようにルーリアの顔をじっくりと見た。

 そして気付いたけど認めたくないような、驚いて戸惑っているような、そんな顔をする。

 ごくりと、リューズベルトはノドを上下させた。


「……もしかして、ルリの母親は……」


 そこから先がなかなか言い出せないリューズベルトの言葉を、ルーリアは後押しする。


「リューズベルトが、よく知っている人です」


 ガタンッと音を立ててソファーから立ち上がり、何度か見たことのある冷たい目で、リューズベルトはルーリアを見下ろした。

 エーシャか、と。小さく声がこぼれる。


「じゃあ、オレの思い込みじゃなくて、本当に騙していたのか?」

「騙してはいません。言いたくても言えなかったのです」


 自分を見下ろす青い瞳を見上げ、ルーリアは息を整える。


「それが、わたしが学園に通う時の約束でしたから。人を騙すということは、そうしてまで得たいものが、そこにあるからすることです。わたしがリューズベルトを騙して何が得られると言うのですか? リューズベルトに嫌われて、信用を失って。何も残らないではないですか。『騙す』なんて言葉、軽々しく使わないでください。わたしはその言葉が大嫌いです」


 人に疑われるのは、とても悲しいことだ。

 騙しているだなんて、言われるのも言うのも、とても虚しくて辛い。


「人を騙して得るものなんて、何の価値もありません。大切なものを失うだけです。自分であれば、きっと後悔しか残らないでしょう。そんな思いをしてまで人を騙すなんて、わたしはしたくありません」


 リューズベルトは自分とは違い、今までたくさんの人たちと交流をしてきたはずだ。その中で、騙されたこともあったのかも知れない。

 けれど、自分が話すことに嘘はない。

 それを信じてもらいたくて、言葉を尽くした。


 家族との約束を破ってしまったという後ろめたさは、自分の中だけの問題だ。リューズベルトに抱いているのは、本当のことを話すことで何を思い、どう変わってしまうのかという責任の重さだ。それを考えると、とても怖い。


 しばらく考え込んでいたリューズベルトは、付き添い人であるフェルドラルに視線を向け、それからルーリアをじっと見つめた。


「……それなら、それを話したルリは学園を辞めなければいけなくなるのか?」

「それは、わたしには分かりません。リューズベルトの方がわたしよりも長い時間、お母さんと一緒にいたんです。お母さんがどう考えるか、わたしよりも分かるでしょう?」


 皮肉が込められたその言葉に、リューズベルトは眉をひそめた。この気持ちは長い間、誰にも言わずに、ずっと心の奥底にしまっていたものだ。突然向けられても、リューズベルトは困るだけだろう。それでも、信用してもらうためには話すしかない。


「……オレは8年間、ルリから母親を奪っていたのか」

「…………」


 何も言葉を返さずにいるとリューズベルトはそれを肯定と受け取り、深く長い息を吐いてソファーに腰を落とした。


 ルーリアからして見れば、エルシアに育てられたリューズベルトは、ユヒム以上に弟みたいなものだ。弟に母親を取られても、自分の方が姉なのだからと、ずっとずっと我慢してきた。残念ながら、見た目の成長具合は完全に負けているけど。


「……ルリは……どこまで知っているんだ?」


 リューズベルトはその問いかけに、複雑な心情を重ねた。


「どこまで、が何を指しているのか分かりません。分かったとしても、今はこれ以上、何も言えません」


 今はまだ、リューズベルトの父親については何も言えない。

 その答えはリューズベルトにとっては聞き慣れたものだったようで、口端を噛んで表情を曇らせた。これでは今までと何も変わらない、そう言いたげな暗い顔をして。


「……けれどわたしは、リューズベルトの悩みを何とかしたいと、ずっと考えていました」


 続きがあると思っていなかったリューズベルトが、わずかに顔を上げる。


「リューズベルト、一日だけ時間をください。お母さんと話をしてきます。また明日、この時間にここに来ますから。……わたしはリューズベルトの本心に向き合いたいんです」

「…………明日か。分かった」


 自分の手首にあるお守りを見つめ、リューズベルトは小さく頷いた。



 ◇◇◇◇



 家に帰り着いたルーリアは、ガインの部屋にいたエルシアに声をかけた。いつもだったら部活をしている時間だから、ガインはまだ外にいるようだ。


「お母さん、ただいま帰りました。リューズベルトのことで大切な話があります」

「あら、お帰りなさい、ルーリア。何のお話でしょう?」


 のんびりと頬に手を当て、首を傾けるエルシアを連れ、一階のテーブルへと場を移す。


「今日の帰りですけど、勇者パーティの寄宿舎に寄ってリューズベルトに会ってきました」


 園則違反をしたことで謹慎処分を受けていることは、今朝、一緒に話を聞いていたからエルシアも知っている。


「ガインからは友人とケンカをしていたと聞きましたけど、そのお話ですか? もしかして、保護者として私が学園に呼ばれているのですか?」

「違います」


 自分も学園に行ってみたいと目を輝かせたエルシアは、即座に否定されて「まぁ、残念」と、肩を落とした。


「話はリューズベルトが今、悩んでいることについてです」

「リューズベルトの悩み、ですか?」

「はい。お母さん、どうしてリューズベルトに自分のお父さんのことを教えてあげないんですか?」

「ルーリア、それは前にも話したでしょう? 先代の勇者様が、そう望まれたのです」

「それは聞いています。けど、リューズベルトはそのことで、ずっと悩んで苦しんでいるんですよ? お母さんはそれを誰よりも近くで見てきたはずです。どうして何もしてあげないんですか?」


 人を助ける勇者の手伝いをしてきたエルシアが、どうしてその勇者を助けてあげないのか。ルーリアには、それが不満だった。


「リューズベルトがいろいろと悩んでいることは、私も知っています。ですが先代の勇者様は、息子に自分の最期を伝えないようにと願われていたのです」


 時が経てばリューズベルトも落ち着く、そう言って話を切り上げようとするエルシアに、ルーリアは大きく首を振って見せた。


「お母さん。先代の勇者様はもういらっしゃいません。今いるのは、リューズベルトなんです。わたしはお母さんに、昔の約束よりも今のリューズベルトを大切にして欲しいんです。今苦しんでいるのは、リューズベルトなんですよ?」


 親を責めるような言い方はしたくないけれど、どうしても強い口調になってしまう。

 もし両親に何かが起こり、急にいなくなってしまったら、自分もきっと真実を求め、今のリューズベルトと同じ気持ちになると思うから。


「……ルーリア。私にはよく分かりません。親と呼べる存在が、私にはありませんでしたから。親の過去に拘るリューズベルトの気持ちが、よく分からないのです」


 沈んだ表情でそう口にするエルシアは、ルーリアの目には、どこか迷子の子供のように映った。

 勇者としてリューズベルトが自分の信念を貫くためには、同じ勇者であった父親の最期を知ることは、とても大切なことなのだと思う。

 人を信じて亡くなったのか、人を恨んで亡くなったのか。それを知るだけでも、本人にはとても大きなことだろう。


「今の自分には父親がいないという事実だけでは、リューズベルトには足りないのでしょうか?」


 このエルシアの戸惑いは、自分にも責任があるとルーリアは感じた。

 エルシアが勇者パーティに参加していた時、ルーリアは感情を表に出さないように、ずっと我慢していたのだ。


 寂しい、置いて行かないで、連れて行って、離れないで、ずっと側にいて、自分だけの母親でいて。全部、自分の心の中に閉じ込め、必死に隠してきた。言ったら足を引っ張ると、迷惑になると知っていたから。

 自分に出来る限り、精一杯の笑顔を作り、良い子を演じていたのだ。感情も声も涙も、全て押し隠して。


 そんな我が子を見ていれば、子は親がいなくても平気なのだと、そう思われても仕方がないだろう。ルーリアが我慢を重ねて子供らしい部分を封じていたせいで、エルシアはそれに気付くことが出来なかった。


 だから、どうすればいいかなんて、すぐに分かった。


「それは簡単なことです。お母さん、逆に考えてみてください」

「……逆?」

「もしわたしが急にいなくなったとして、お母さんは全く気にしないでいられますか? 忘れるように言われて、すぐに忘れることが出来ますか? いなくなった理由を知っていそうな人たちが口裏を合わせたように何も教えてくれなかったら、お母さんはどんな気持ちになりますか?」


 これが、リューズベルトの現状だ。


「自分だけ本当のことを知らなくて、必死に教えて欲しいと頼んでも、周りの誰もが知らないふりをして。そんな毎日を送ることになったら、お母さんはどう思いますか?」

「!! それは……!」


 エルシアはザッと顔色を青ざめさせ、震える手で口元を押さえた。


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