第197話 瞳の中に見る闇
セルは側に来たルーリアの腕を引き寄せ、背後にある扉の方へ連れて行く。そして誰にも聞こえないように、そっと耳元に口を寄せた。
「ルリはこの扉から外に出て、着替えが済んだら傍聴席に回るといい」
「!?」
「あの二人のことは悪いようにはしない。どうか安心して任せて欲しい」
それだけ伝えるとセルは柔らかく微笑み、ルーリアを通路に押し出して扉を閉めた。
……どうして?
どうしてセルはこの姿を見て、迷わずに『ルリ』と呼んだのだろう。一度もそんなことを話したことはないのに。
閉め出された扉の前で、ルーリアはしばらく呆然としていた。しかし、すぐにシルトたちの裁判がまだ終わっていないことを思い出す。
セルは自分に任せるように言っていたけど、何をするつもりなのだろう?
焦る気持ちを抑え、周りに誰もいないことを確認してから魔法で姿を消した。元の姿に戻ったところで、服を着替えて傍聴席へと急ぐ。
すでに裁判は始まっており、今はセルが発言しているところのようだった。コーデリアたちは居心地が悪そうな顔で被告側の席に座っている。
「──そして、そこにいる者たちはこの二人の作品を壊し、審査へ参加させまいとした」
「い、いいえ、そんなこと私は」
「ダミア。今は貴女に意見を求めていません。勝手な発言は控えるように」
裁判長はダミアに注意した後、シルトたちにコンテストで使用した作品を提示するよう求めた。
原告側のテーブルの上に、持参するように言われていたドレスと装飾品が置かれる。
「見たところ、どこにも不備や破損はないようですが」
「これはすでに修繕した後の物だ」
裁判長の言葉に、セルは淡々と返す。
「分かりました。コーデリア、ダミア、エマム。それについて何か意見はありますか?」
裁判長に促され、コーデリアたちは順に口を開く。
「私は先ほどから言われているような妨害を行った覚えは一切ありません」
「私だってそうよ。同じ服を作る者として、そんなひどい真似をする訳がないじゃない。私は二人の作品に触れてなんかいないわ」
「わ、私も、です。さ、作品を壊したりなんか、してない、です」
三人はそれぞれに自分たちは作品を壊していないと話す。
どうやらこの裁判は、作品を壊されたことについて、シルトとマティーナがダミアたちを犯人として疑っている、というものらしい。
三人の意見を聞いた裁判長は小さく頷き、再びセルに視線を移した。
「三人の言葉に嘘はありません」
「……そうか。自ら罪を認めるのであれば、まだ救いようもあるというものを」
セルは裁判長を通り越し、そのさらに奥にある
「神官、そこにいるのだろう。こんな茶番は時間の無駄だ。裁判を神殿の方式に変えた上で、グライフェンの鏡の使用を求める」
法廷の中がザワリと騒がしくなり、裁判長が「静粛に」と声を上げる。
人々の視線が集まる中、
流れるような長い銀髪に、薄紫の瞳のエルフ。
クインハート・ミンシェッドだ。
まさかいるとは思っていなかった。
驚いたルーリアは被っていたフードを目深になるよう、さらに手で引っ張る。
表に出てきたクインハートは目を細め、呆れたような微笑みをセルに向けた。
「随分、身勝手な物言いですこと。この程度のことに鏡を使うと?」
「そこにいるだけでは退屈だろう。互いに時間を無駄にしなくて済む」
セルの行動は予定にはなかったようで、裁判官たちの間にも動揺する空気が流れた。
ひと呼吸置き、クインハートはセルに向けていた視線を緩める。
「……相変わらず愚直だこと。まぁ、いいでしょう」
クインハートは転移したかと思うと、すぐに何かを手にして戻ってきた。手の平サイズの手鏡のように見えるが、あれがセルの言っていたグライフェンの鏡とかいう物だろうか。
クインハートが手をかざして呪文を唱えると、手鏡は豪華な銀の縁飾りが付いた楕円形の大鏡となった。その大鏡の下には天秤のような受け皿が付いており、片皿には銀色の羽根が載っている。
セルはドレスと装飾品を手に取ると、もう片方の空いている皿の上へと載せた。
「これは物の記憶を映す鏡だ」
そう言ってセルが鏡の魔石に手をかざすと、鏡面に映像が映し出された。そこには、シルトたちが映ってる。
グライフェンの鏡は、物が持つ記憶を映像として見ることが出来る神殿の秘宝とも呼べる魔術具だと、傍聴席にいる誰かが囁いていた。
鏡に理衣祭の会場となった闘技場が映し出される。セルは祭り当日の準備室の場面で手を止めた。
そこに映っていたのは、二人の男。
ニヤニヤとした笑みを浮かべて近付いてきたかと思うと、手にしていた短剣を鏡面に向かって何度も振り下ろしていた。
この二人は確か、コンテストの時にダミアたちと一緒にいた者たちだ。
それにしても、なんて歪んだ目をしているのだろう。悪意に満ちた笑い声が聞こえてきそうな映像に、ルーリアはゾッとするような寒気を感じた。
ハッとしてシルトとマティーナに目を向けると、二人は強く手を繋ぎ、唇を噛んで映像をまっすぐに見つめていた。泣きたい気持ちを必死に堪えているのが、離れていても痛いほど伝わってくる。
こんなことは決して許されてはいけない。
「お前たちは、この二人の男をよく知っているはずだ」
セルの厳しい声音に、コーデリアとダミアは冷や汗を流す。
「……そ、それは、その二人が勝手にやったことでしょう? 私は関係ないわ」
「そ、そうよ。私たちもこうやって巻き込まれた被害者で……」
コーデリアたちが絞り出すように言い訳をしていると、原告側の扉がそっと開き、物音を立てないようにラスが入ってきた。
「大変お待たせいたしました、セル様」
「随分かかったな」
「申し訳ございません。生かして、となりますと少々加減が難しく」
「まぁ、いい。出せ」
「は、かしこまりました」
周りには聞こえないように、二、三言交わし、セルはラスから丸めて
それを持ってコーデリアたちの前まで歩いて行き、テーブルの上に放り投げるように置く。
「見ろ」
有無を言わせないセルの威圧的な視線に、コーデリアとダミアは紙に手を伸ばした。
恐る恐る、
「「!!」」
見た瞬間に目を見開き、二人は顔色を変えた。
裁判官たちは何が起こっているのか説明を求めたいような顔をしていたが、セルはコーデリアたちを睨みつけたままだ。
「ダミア、コーデリア。どうしましたか?」
震える手で紙を持ち、真っ青な顔で声も出せずにいたコーデリアたちは、裁判長に呼びかけられると腰を抜かしたように、その場に崩れ落ちた。
「……?」
エマムは紙を覗き見てもキョトンとした顔をしている。それを確認したセルは、コーデリアとダミアにだけ冷たい視線を落とした。
「では改めて問おう。自分たちは無関係だと、今でもそう言いきれるか?」
怯えた目でセルを見上げたコーデリアとダミアは、力なく首を振る。
「……っい、いいえ。私が、頼みました」
命乞いでもするように、ダミアは自分の罪を白状する。知り合いの男たちに金を渡し、シルトたちの作品を壊すように頼んだのは自分だと。
セルが視線を向けると、コーデリアは一気にやつれたような顔となり、そろそろと口を開いた。
「私は、どうしてもコンテストで勝ちたかった。だから計画を知っていて、ダミアを止めなかったわ」
二人が罪を認める言葉を口にすると、セルは裁判長に視線を移した。
「以上だ。この者たちの処遇はそちらに任せる」
「わ、分かりました。ご協力、感謝いたします」
セルはテーブルの上からコーデリアたちに見せた紙を拾い上げ、それを手の内で握り潰すように焼き尽くした。
無感情に映るセルの冷たい横顔と、その瞳に揺らめく黒い焔。その姿はいつものセルとは違って見えて、ルーリアは戸惑いと顔を隠すように、フードを深く被り直した。
裁判が終わると、セルはすぐにシルトたちを連れて見物人たちが帰った後の傍聴席にやって来た。
「今回の裁判だが、事前に何の断りも入れずに話を進めてしまい、本当に申し訳なかった」
セルが謝罪の言葉を口にすると、シルトたちはとんでもないと慌てる。
「いいえっ。私たちだけじゃ何も出来なかっただろうし、犯人だって分からないままだったと思うから。本当に助かりました」
「私の作品が『犯人はこいつらだ~』って、自分で声を上げたみたいで嬉しかったです。ありがとうございました」
二人が頭を下げると、セルは礼には及ばないと表情を和らげる。
「ところで、実行犯の人たちは……?」
「あの者たちにも相当の罪を償わせる。すでに捕らえてあるから心配はいらない」
それなら良かった、とホッとした顔でシルトとマティーナは微笑んだ。
「……では、私はこれで失礼する」
セルは一瞬だけ何か言いたそうな表情をルーリアに向けたが、フードを深く被って俯いている姿を目にしただけで、顔を見ることもなくその場を後にした。
ルーリアたちも法廷を出て、シルトたちの工房に場所を移す。
「っはぁ~~っ。緊張したー」
「私も~。間近で見ると、セルって本当に綺麗な顔をしてるよね~」
「ほんと、それ。髪なんかもサラッサラ!」
工房に着くまで硬い表情をしていたから、裁判で気疲れしたのだろうと心配していたのに、二人は側にいたセルに緊張していただけだった。
「すっごい肌が綺麗でびっくりした!」
「何か香水でも付けてるのかなぁ? 良い匂いがしてたよ~」
そんな話で盛り上がった後、二人はルーリアに向き直った。
「ルリ、今日は本当にありがとう。いつもルリには助けられてばかりだね」
「うんうん。本当にありがとう~、ルリ」
「えっ、いえ。わたしは何も……?」
「セルに助っ人をお願いしてくれたのって、ルリなんでしょ?」
「えっ」
「セルが言ってたよ~。ルリは争いを好まないけど、目の前で人が傷つくのはもっと嫌うはずだって」
「セルが……?」
二回目の裁判が始まる前、二人は少しだけセルと話をしたそうだ。それで『ルリに頼まれて来てくれたに違いない』と思ったらしい。
セルは確かに今回、二人を助けてくれた。
自分のことも、大人の姿でもこの姿でも、いつもと変わらずに接してくれて。
……でも、裁判中のセルは少し怖かった。
普段とは雰囲気が違っていて、強い口調で、冷たい目をしていて。
セルはあまり表情を変えないけど、いつもは優しい目をしているのに。柔らかくて綺麗な深緑の瞳が、今日はいつもと違って見えた。
まるで底の見えない闇のような。
……初めて、セルを怖いと思った。
どこが? と聞かれても、たぶん正確には答えられない。何となく。直感とか本能とか。
自分の中の何かが、そう感じた気がした。
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