第195話 酒面に灯る火のように
理衣祭の一番の目玉となる、衣部コンテスト。
クレイドルは観戦席の端から、黒いドレスに身を包んだルーリアを見つめていた。
シンと静まり返った闘技場では、誰もが瞬きを忘れるほど、舞台の上に立つ人物に見入っている。
集中する視線の先にいるのは、漆黒の長い髪をふわりとなびかせ、満天の星を身にまとっているルーリアだ。
しなやかな指先で風を撫で、ゆっくりと一歩ずつ足を運ぶ。白い肌にまとった星空のドレスは、こぼれ落ちそうな光に煌めいていた。
長いまつ毛に縁取られた
上から見れば、夜露が光る大輪の花。
ルーリアが歩を進める度、星のような光に場が満たされる。人々からは、うっとりとした吐息が漏れていた。
コツッ……コツッ……
舞台に響く足音だけが、その存在を現実のものと思い出させる。
細い首と腕、形の良い耳を黒の宝石類が飾り、髪には黒鳥の羽根が柔らかな印象を添えていた。
どれもドレスと同じように、細やかな光の粒子を含んでいる。
ルーリアは粛々と審査員たちの前まで進み、まるで清らかな祈りを捧げるように、胸の前で両手を重ね合わせ、まつ毛を伏せた。
観戦席にいる誰もが、その祈りの手の内を覗き込もうとする。ルーリアは空に向けて伸ばした手で、そっと燐光をまとう闇色の蝶を解き放った。
幻想的な蝶を見送るルーリアの瞳には、憂いと焦がれるような切ない光が映し出されている。
クレイドルの周りでも、その光景に見とれた人々が息を呑む気配が伝わってきた。
舞い上がった黒蝶は、祈りを捧げた主を包む淡い光に姿を変え、サクラの花びらが舞い散るように舞台の上に降り注ぐ。
ふ……と、薄紅色の唇から儚い吐息が聞こえたような気がした。
花びらで照らされた道をゆっくりと歩き、誰かに呼ばれたようにルーリアは振り返る。
まるで自分が呼び止めたような、そんな錯覚を覚えた。ルーリアの艶やかな黒髪とドレスのすそが軽やかに風に舞う。
思わず手を取りたくなるような、たおやかな指先を外に向け、もう片方の手をスカートに添えてルーリアは軽く腰を落とす。
その場に引き止めたくなるような余韻を残し、宵の花はそのまま舞台の袖へと消えて行った。
時間にすれば5分ほど。
だが、その姿に魅入ってしまった者にとっては、息をするのも忘れるくらいの一瞬の出来事だった。
ワアァアアァァ────ッ!!!
静寂の後に歓声と喝采が沸き起こり、観戦席は謎のモデルの話題で溢れ返った。
「すごく綺麗~」
「まるで神聖な儀式のようだった」
「夜空に咲く花のようで素敵~」
「今の美女って、何学科の人?」
「すごいな。星の女神みたいだ」
「シルヴァ様が降臨されたのかと思った」
「あんな生徒、学園にいたか?」
「とんでもない美人だったな。あれは誰だ?」
「それにしても綺麗な人だったなぁ~」
無事にルーリアの出番が終わったのを見届けると、クレイドルはすぐに興奮冷めやらぬ闘技場を後にした。
学園からサンキシュにあるヨングの店奥に転移して、長椅子に腰を下ろす。
「…………星の女神、か」
気高く、美しく。舞台の上に立つルーリアの姿は、まさしく女神と呼ぶに相応しかった。
歩く練習に付き合い、ある程度は予想していたが、シルトたちの作品を身にまとったルーリアが、まさかこれほどとは。
審査員たちでさえ、自分の役目を忘れて
帰る前に、ひと声かけようかとも思ったが、自分が顔を出すのもどうかと考えて止めておいた。
ひどくノドが乾いていることに気付き、クレイドルは棚から酒を掴んでグラスに注いだ。
香りを楽しむこともなく、ひと息に飲み干す。
脳裏に歩く練習に付き合っていた時の情景が浮かび、思わず頭を振った。何に対してか分からないが、焦りに似た苛立ちをなぜか感じてしまう。
ふぅっ……と、長椅子に背を預け、ため息とも言えない息を漏らした。
クレイドルは自分の手に視線を落とす。
おぼつかない足取りで、それでも安心しきった顔で身体を預け、自分の手を取っていたルーリア。
あの成長した姿を見ることは、きっともうないだろう。そう思うと、激しい喪失感に胸を締めつけられた。
初めてルーリアの本来あるべき姿を目にした時、クレイドルは完全に思考を奪われてしまっていた。
目の前にいる存在が、ただ信じられなくて。
見とれて、
クレイドルはあの一瞬で、完全に心を奪われてしまっていた。
この気持ちを何て呼ぶのか知らない訳じゃない。だけど今の自分は、それを認める訳にはいかない。そんな気持ちを持つ資格など、今はあるはずもないのだから。
なぜルーリアに自分が魔族であることを匂わせてしまったのか。故郷の話を、どうしてルーリアに……。今では後悔しかない。
頭に思い浮かぶのは、ルーリアが海で見せた切なげな微笑みだった。
呪いの解き方を知っていると嘘をつき、無理をして微笑んだ、あの時の顔が頭から離れない。
ルーリアのことだから、きっと心配をかけまいと思ったのだろう。……健気すぎる。
「ヨング、済まないが頼みたいことがある」
店を閉めた後のヨングに声をかけ、念のために自分の現状を確認することにした。
「隊長殿の頼みなんて、こりゃまた珍しいですねぇ。何のご用で?」
「オレに魔法か魔術、もしくは呪いなどの魔術具が使われていないか見て欲しい」
仕事や商売抜きの話でヨングを頼ったことはあまりない。ヨングは片眼鏡を掛け直し、じっと目を凝らした。
「……特に何もございませんが」
「本当か?」
「ええ、本当ですとも。いったい何をお疑いになられてるんで?」
不思議そうに尋ねるヨングに、学園に通っている間は慎重になろうと思っているだけだと伝えた。自分の気持ちを疑っているなど、言えるはずもない。
「まぁ、用心するに越したことはないと言いますからねぇ」
そう言ってヨングは見慣れない酒瓶を一本、クレイドルの前に置いた。
「これは?」
「
自分はまだ店の片付けがあると言い残し、ヨングは部屋を出て行った。
クレイドルは火酒の封を切り、置いてあった杯の中から黒の小杯を選び、酒を注ぐ。
琥珀色の酒をひと口含み、眉を寄せた。
「…………苦いな」
海の家でルーリアが差し出してきた酒は甘かった。あんな甘い酒に酔っていたら、きっと自分は自分でなくなるのだろう。そう思うと、自然と口元が緩んだ。
クレイドルは目の前のグラスにも火酒を注ぎ、指先に出した火を酒面に落とした。
揺れる小さな紅い火を瞳に映す。
きっとルーリアは自分が魔族であることを、すでに突き止めているだろう。
知ったところで普段と何も変わらず、いつも通りなのはルーリアらしいが。
口元がさらに緩みそうになるのを誤魔化すため、火酒を
自分は何をどうしたいのだろう。
やるべきことは分かっているのに、何に心が揺れているのだろう。
……ルーリアを、どうしたいのだろう。
あれから一度もリンチペックを近付けていないのに、初めて海の家に行った時、ルーリアからは土の毒の匂いがした。
どうやら隠れて何かをしているらしい。
本音を言えば、すぐにでもルーリアを止めたいが、故郷のことを思えば解毒の手掛かりが少しでも欲しい。どちらも選べず、知らないふりをすることしか出来ない。どうにも悩ましい問題だった。
そういえば、と海の家でのことを思い出す。
エルバーたちと一緒にセルも来ていたが、さすがにあの組み合わせは違和感しかなかった。
遠回しに、自分も常にルーリアを見ていると言いたかったのだろうか。
セルは正直に言えば、よく分からないヤツだ。
普段、話をすることはほとんどない。
対戦を申し込めば受けてくれるが、勝てたことは一度もない。セルは勇者であるリューズベルトと違いが分からないくらい強かった。
本気を出したリューズベルトとセルは、いったいどれほどの強さだと言うのだろう。
勇者と大差ない強さ。
あれは間違いなく人族ではないだろう。
竜人か? もしセルが魔族領の竜人であるのなら、ルーリアの側にいることにも説明がつく。狙いはやはり邪竜だろうが。
魔王がつけた護衛か、それとも他に何か思惑があるのか。場合によっては、セルは敵となるかも知れない。
今はルーリアを争いから遠ざけたいと思っているが、自分も少し前までは邪竜の力を当てにして利用しようと考えていた。
妹や故郷の者たちが助かれば、それでいいと。
……何て
今はリンチペックやデルフィニアを教えてしまったことを後悔している。ルーリアを危険なことに巻き込みたくはない。
魔族である自分がこんな甘い考えでは、この先、生き残ることは難しいだろう。そう思いながら、火酒を
こんな自分にルーリアの側にいる資格なんて、あるはずがない。
ルーリアは自分を人族ではないと言っていた。
なら、本当は?
ルーリアの本当の姿を見てみたい。
もしルーリアが魔族だったら、自分はどうしたいのだろう。もし、他の種族だったら?
自分の本当の姿を目にしても、ルーリアは今までと変わらずにいてくれるだろうか。
火酒に灯した紅く揺らめく火を見つめ、クレイドルは感傷に浸った瞳をそっと閉じた。
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