第170話 すぐ側にある三竦み


 土の魔物、リンチペックの入っている瓶に水を注ぎ、軽く掻き混ぜて毒液を作る。それを注意深く液体と土に分け、土は瓶に戻してしっかりとフタを閉めた。毒液の方だけを手に取る。


 農業学科の学舎の保管庫で、クレイドルは毒耐性のある植物の研究をしていた。

 いわゆる品種改良というものだ。

 午前は軍事学科の授業を受け、昼からこの研究をして、午後にはルーリアと畑に出る。

 学園のある日は、いつもその繰り返しだった。


 この時間、コルジ先生は畑での授業に出ているため、ここにはいない。保管庫の出入り口には鍵が掛けられており、完全な密室状態となっていた。鍵は先生が持っていってしまっている。

 信用してくれているからこの扱いなのか、それとも面倒くさいからこうなったのかは、あえて先生には尋ねていない。恐らく後者だと思うから。


「……今度はどうだろうな」


 持ってきた数種類の植物の葉を、水で薄めた毒液に浸ける。これは春に苗を植え、毒の耐性を上げる育て方をしてきた野菜の葉だ。見た目は普通の物と変わらない。

 液に浸けると、毒に耐えきれなかった物は、すぐに変色してしおれてしまった。


 この学園の理部には、生徒たちが開発した調合品や薬を販売している店がある。その店にある商品は、教師に申請すれば授業中に限り、いくらでも無料で使用できるという太っ腹ぶりだった。

 クレイドルはそれを利用して、リンチペックの毒に負けない野菜を作ろうと考えている。


 魔鳥の女王・エミルファントの手から故郷のマルクトを取り戻したとしても、土地に毒は残ったままとなるだろう。その土地を元のような状態に戻すためには、途方もない時間がかかるはずだ。

 その間、そんな土地でも育つ野菜を作れたら、少しは復興に役立つのでは、と考えている。

 仮に野菜に毒が残ったとしても、解毒してから食べればいい。まずは毒液に浸かっても、負けずに育つ品種を探さなくては。


「今回、残ったのは三種か」


 土地の毒に耐性があるとされている野菜でも、リンチペックの出す毒液に触れて枯れない物はなかった。今も毒液を薄めたから、何とか形が残っただけだろう。

 限界値まで薬で耐性を上げ、残った物から種を取り、また苗を育てて少しずつ改良していくしかない。薬も一度に与え過ぎてしまえば枯れる原因となる。


「ザベルという野菜は、薬にもそこそこ耐性があるんだな」


 薬で毒耐性を上げた野菜は、解毒をしても苦くなる物が多い。ザベルは元から苦味が強く、子供には不人気な野菜だった。ただ栄養価は高い。

 耐性を上げたことで、さらに苦味を増すのであれば、大人でも食用とするのは厳しいだろう。食べられなくては作っても意味はないが、どこで何の役に立つか分からない。ひとまずは育てておこうと思う。


 そんな研究をしながら、ふと先日の部活での出来事を思い出す。


『……ルリの時間も残り少ないな』


 クラウディオと対戦していた時、セルは確かにそう口にしていた。

 直接、聞こえた訳ではないが、鳥人であるクレイドルは他の者より目が良いため、遠くからでも口が読める。


 ……あれはいったい、どういう意味だったのだろう。何の時間が残り少なかったんだ?


 クレイドルは部活中、常にルーリアを監視している。そのついでに、セルのことも見ていた。


 ……セルはいったい何者なのか。


 入園式のあった、あの日。

 転びそうになったルーリアをセルが助けたのは、偶然ではないと思っている。

 それよりもっと前。軍事学科の選別の時に、ルーリアを見て驚愕の表情を浮かべているセルをクレイドルは目撃していた。一瞬のことだったが、ルーリアを見てセルが固まっていたのだ。


 セルは間違いなく、ルーリアのことを何か知っている。知った上で、側にいるのだ。


 それに、ルーリアだけではない。

 自分もセルから見られている感覚がある。

 直に目が合った訳ではないから、これは直感だが。こちらが気にしているように、向こうもこちらを気にしているような感じがある。

 ルーリアや付き添い人であるフェルがそのことに気付いているかは分からないが、妙な三竦さんすくみになっているのは事実だ。


 ルーリアに対して、セルから敵意は感じられない。どちらかと言えば、守ろうとしているように感じる。だとしたら、もしかしたらセルは──……。


「…………やっぱり開かないか」


 保管庫の扉に手をかけてみたが、内側からは開きそうになかった。

 何にしても今は下手に動けない。

 とりあえずクレイドルは、コルジ先生が自分の存在を忘れていないことを願った。



 ◇◇◇◇



 放課後となり、いつも通りの部活の時間。

 ドルミナから聞いた話を元に、ルーリアは出来るだけ料理が周りの人たちに見えないよう、紙で包んで持てるようにしたり、器を深い物に変えたりと工夫をしていた。

 味見をしてもらっているだけなのに、変にレイドたちが恨まれてしまったら申し訳ない。


「おチビちゃん、今日はなぁにぃ~?」

「今日は夏野菜とベーコンのキッシュ、小鮎の唐揚げ、それから蒸し鶏の香菜包みです。甘い物は果物のゼリー寄せがありますよ」

「わぁ~、今日もまた美味しそぉ~」

「ルリが作る物は、見た目も本当に綺麗ね」


 リュッカたちに褒められ、ちょっと照れる。


「あ~、でもキッシュかぁ~」

「? もしかして苦手でしたか?」

「違うのよ、ルリ。ちょっと嫌なことを思い出しちゃって」


 ナキスルビアが話してくれたのは、少し前に遠方から魔物の討伐依頼が入った時のこと。

 行った先で食事をすることとなり、店に入って料理を頼んだのだが、出てきた物がとにかくひどかったらしい。

 焼かれた肉は噛みきれないほど硬く、特にキッシュはほとんど味がなく、具材の肉の臭みが強すぎて腐っているんじゃないかと疑うほどだったという。


「思い出しただけでぇ、オエッてなるぅ~」

「ロリちゃんの料理はそんなことないと思うけどさ。その店じゃ、キッシュの底がベチャッとしてて生焼けっぽかったんだよ」

「あれぇ、本気でまずかったよねぇ~」

「そんなことがあったんですか」


 今日習ったキッシュには、卵と生クリームとチーズが使われている。ベーコンもだけど、ほとんどが畜産班で作られている食材だから、味で失敗することはないと思う。

 作り方は割と簡単で、ベーコンや野菜などの具材を炒め、パイ生地で作った型に卵液と一緒に流し込み、オーブンで20~30分焼けば完成となる。焼きあがったキッシュは三角に切り分け、手で持って食べやすいように紙で包んでおいた。


「あっ、すっごい美味しい~」

「ロリちゃんのはサクサクしてて美味いっ! 美味すぎる! あの店のキッシュと比べたら天界の味だよ!」

「パイ生地だけを先に10分くらい焼いて、その後で具材とかを流せば、生焼けにはならないみたいですよ」


 パイは何重にも生地が重なっているから、フォークで穴を開けておくと、焼いてる時に生地が膨らんで形が崩れるのを防いでくれる。この時、金属で出来た渦巻き状の重しを底部に載せておくと、綺麗な形に焼き上がるのだ。


「ルリは肉にもだいぶ慣れてきたようだな」

「はい。あ、でも、動物の姿からさばくのは、まだちょっと怖くて……」


 レイドが重ねてくれた深皿を水魔法で洗い、カゴの中に片付ける。


「焦る必要はないだろ。ゆっくりやればいいさ」

「はい。……あの、今日はどうでしたか?」

「ルリの作る料理は、どこか懐かしい味がする。今日の料理もとても美味かった。ありがとう」

「……い、いえ」


 レイドに美味しいと言ってもらえると、それだけでとても嬉しい気持ちになる。


「そういえば……」


 みんなの食事の様子を見ていて、実は前から少しだけ気になっていたことがある。


「みんなはお祈りをしないんですね」

「お祈り? 何だ、それは?」


 ルーリアの呟きに、レイドが軽く首をひねる。


「食事をする前に神様に感謝の気持ちを捧げるものです。知らないですか?」


 みんなの反応は『さぁ?』と薄い。

 そんな中、リューズベルトが「ああ」と、思い出したような声を出した。


「ルリは神殿務めの者が身近にいるのか?」

「し、神殿っ!?」


 予想もしていなかった単語に、心臓が一気に跳ね上がる。どうして神殿なんて言葉がリューズベルトから!? そんなルーリアの焦りを余所に、リューズベルトは続ける。


「ルリが言っているのは、神殿の者が食事の際に口にするものではないか?」

「そういや、リューズベルトは神殿の中で何度か寝泊まりをしたことがあったな」


 ウォルクスたちは神殿の中までは付いて行かず、外門近くの宿屋で待機していたらしい。


「神殿には、その場ならではの風習が多い。ルリの言うお祈りとやらも、その一つなんだろう」

「へぇ、そんなのがあるのか。ルリはよく知ってたな」

「……あ、え、っと……」


 レイドが軽く投げかけてきた声にも、ルーリアは戸惑いしか返せない。まさかあのお祈りが、神殿だけのものだったなんて……!


 ガインもエルシアも神殿育ちだ。

 ユヒムもアーシェンも父親は元・神殿騎士。

 一緒に食事をした時でも普通に口にしていたから、みんな当たり前に言うものだと思っていた。

 どうりでシャルティエから一度も聞いたことがなかったはずだ、と今さらながら一人で納得する。


 そんな風に考えていると、急にルーリアの身体の周りに黒い螺旋状の風が広がった。


「は、わわっ!?」


 その直後、何かを強く弾くような、バシィッ! と激しい音がする。見れば、この黒風はセルからもらったお守りから出ていた。


「ってぇなぁ~……」


 聞き覚えのある声に振り向くと、そこには少し赤くなった右手をさするクラウディオの姿があった。


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