第169話 まずは知ることから


 夏が近付き、雨の降る日が増えて、梅雨入りしたのだと感じ始めた頃。


「ルリ、良かったらこれを」


 そう言ってセルは、綺麗に編み込まれた紐に小さな黒い珠が付いた装飾品を差し出してきた。


「これは?」

「お守りだ。先日のクラウディオような不意をついてくる相手には効果がある。身を守るためにも、持っていて欲しい」


 お守り……!


「えと、あのっ、ありがとうございます」


 実はセルとは、ドーウェンの耳飾りの話をした日から少しだけ距離が出来ていた。

 無視したり避けたりとかはしていないけど、互いにぎこちない雰囲気になってしまっていたというか。

 あれは、セルが『何か困っているのでは?』と気を遣ってくれたのに、理由も聞かずに拒絶するようなことを言ってしまった自分が悪かった。あの時の言い方はきつかったと、今では反省している。


「お母さん以外の人から、お守りをもらったのは初めてです。ありがとうございます、セル」


 魔石のような黒い珠は、控えめだけど不思議と目を惹く美しさがあり、セルみたいだと思ってしまった。そこでハッとなる。


「もしかして、高価な品なのでは?」

「いや、それは私が作った物だ。材料も自分で採取した物だから、価値は無いに等しい」

「えっ、わざわざセルが作ってくれたんですか?」

「ああ。だから気にせず、気軽に扱って欲しい」


 シャルティエがここにいたら、『ファンの子に高く売れそう』とか言ってしまいそうだ。


 お守りと言えば、と自分の左手首を見る。

 服の袖に隠しているから人目にはつかないようになっているが、エルシアから譲られた先代勇者のお守りがある。

 獣人の男に捕まった時も、クラウディオに担がれた時も発動しなかった。何か条件があるのだろうか。それとも使用期限切れ、とか?


「そのお守りは身に着ける必要はない。持ち主に危険がせまれば、勝手に発動するようになっている」


 それを聞き、ルーリアはさっそく腰の小さなカバンに、お守りの紐を通して付けた。


「ありがとう、セル。大切にします」

「お守りなのだから、大切にしなくていい。ルリを守ることが出来れば、それだけで」


 笑顔でお礼を伝えると、セルも以前と同じように優しい目を返してくれる。それだけなのに、なぜかホッとして泣きたくなるような気持ちになった。そこでルーリアは初めて、自分が人から嫌われたくないと思っていたことに気がつく。


 セルはその後、すぐに対戦を申し込まれて観戦席を離れていった。


「ルリ様、お守りを受け取ってくださり、ありがとうございました」

「……えっ」


 セルがいなくなった直後、「出過ぎた真似とは存じますが」の前置きの後、付き添い人のラスから感謝の言葉を述べられてしまう。

 お礼を言うべきなのは、こちらの方なのに、どうして? そんなルーリアの心中を察したように、ラスは穏やかな声で話し出す。


「セル様は、とにかく人付き合いが苦手な方でして、このお守りも受け取って頂けないのではと、ずっと迷っておられました」

「人付き合いが苦手? セルが?」

「はい」


 セルが人前に出るようになったのは、つい最近のことで、それまでは他人と会話をすることも、ほとんどなかったという。


「初めの頃は、人との距離の取り方が分からないと悩んでおられました」

「……人との、距離……」


 セルは物覚えが良く、手先も器用で割と何でもこなせてしまうらしい。戦闘も調合も、すぐに教えていた者たちを抜いてしまったそうだ。

 せっかくいろいろ覚えたのだからと、人のために自分に出来ることをしようとしたセルだが、残念ながら行動が裏目に出ることの方が多かったという。

 人にいいように利用され、何か裏があるのではと疑われ。それでも困っている人を見ると放っておけない。助けた人たちから礼を言われることはあっても打ち解けることはなく、セルはいつも孤独だったそうだ。


「きっとその辺りが、リューズベルト様とお話が合われたのでしょう」

「……そう、だったんですか」


 じゃあ、この前のセルは、わたしが困っているように見えたから、ただ助けようとしてくれただけだったと……? それなのに、わたしは……。


「ルリ様さえ宜しければ、これからもセル様と親しくして頂けましたら、と」

「はい、それはもちろんです」

「ありがとう存じます。セル様は器用なように見えて、その実は、とても不器用な方ですから」


 ラスはうやうやしく一礼するとルーリアから離れ、気配を消すように壁際に控えた。


 ……そう、だったんだ。


 意外なところで、セルの裏話を聞いてしまった。

 話を聞く前と聞いた後では、セルへのイメージがガラッと変わってしまっている。セルに感じていた謎の親近感は、外の世界に出る前の自分とよく似ていたからだったのだ。


 ラスは立場が違うからか、積極的にセル自身の行動の決め手となるような助言はしない。

 気付いていることがあったとしても、フェルドラルのようにズバズバと物を言ったりはしないのだ。


 余計なお世話かも知れないけど、ルーリアは途端にセルのことが心配になってきた。

 リューズベルトはシャルティエのように、相談できる友達となっているのだろうか?

 セルが無茶をしそうになった時、止めてくれる家族や身近な人たちはいるのだろうか?


 そこまで考えて、はたと気付く。

 今まで自分の方から、セル自身のことを尋ねたことがあっただろうか。これまでは、『貴方に全く興味はありません』といった態度だったのではないだろうか、と。

 その証拠に、自分はセルのことを何も知らない。何気に薄情な自分に気付き、落ち込んだ。



「……ルリの身に着けているお守りは、母親が作った物だったのだな。随分と強力な物だ。それだけ、ルリを大切に思っているのだろうな」


 対戦から戻ってきたセルは、遠慮気味に話しかけてきた。


「えっ、見ただけで分かるんですか?」

「ああ。そういうものが、少しだけ分かる。……済まない、勝手に見られたように感じたなら、」


 そう答えながら、セルが距離を置こうとしている気配が感じられた。その表情がどこか寂しげに見え、ルーリアはつい口を滑らせてしまう。


「いえ、これは、お母さんが作った物ではなくて。お母さんがある人からもらった物を、わたしに譲ってくれたんです」


 先代勇者のお守りのことは、誰にも話すつもりはなかったのに。慌てて呼び止めようとして、ついうっかり、お守りを身に着けていると自白してしまった。幸いなことに、セル以外には聞こえていないようだ。


「そうか。良い親なのだな」

「はい。わたしにとって、お母さんは憧れです。もちろん、お父さんもですけど。いつも人のために一生懸命で。そんな二人に憧れて、わたしもいつか人の役に立ちたいなって思ってて」

「憧れ、か」


 温かいものに触れたように、セルは表情を和らげる。自分が聞いてもいいのか分からないけど、ルーリアは思いきって尋ねてみた。


「セルのお父さんとお母さんは、どんな人なんですか?」

「……私の両親も、どちらかと言えば人の役に立ちたいと願う性格であったな」


 遠くを見るように目を細め、セルは過去形の答えを返す。その意味を聞き返すことも出来ず、ルーリアは言葉を詰まらせた。


「……両親は、今はもういない。記憶にある姿を思い出し、私もそうあろうと努力をしているつもりだが、これがなかなか上手くいかない」


 そう言って、セルは淡く微笑んだ。

 深い森色の瞳で優しく話す姿に、思わず胸の奥が切なくなる。


「……セルは、一人ぼっちなんですか?」

「いや、周りには常にそれなりにいるが」

「えっ、と、家族は……」

「ああ、そちらの話か。血の繋がった者はいない」

「……そう、ですか」


 こうして人の話を聞く度に、思い知る。

 自分は家族に恵まれているのだと。


 森から外の世界に出るまでは、外に出られない自分は、もしかしたら不幸なんじゃないか、なんて甘えたことを考えていた時期もあった。

 でも、それがどんなに大切に守られたものだったのか、今なら身に沁みてよく分かる。


 親のいない人が当たり前のようにたくさんいて。親がいても、家の都合で金と引き換えにされてしまったりして。

 この世界は自分が思っているよりも、ずっと残酷なのかも知れない。


「……あの、良かったら、セルの話も聞かせてください。もし困っていることがあるのなら、わたしもセルの力になりたいです」

「!……ルリが、私の……?」


 セルは目を見開き、驚きの表情でルーリアを呆然と見つめていた。普段、セルはあまり表情を崩さない。どうしてそんな顔をしているのか、気になってしまった。


「あの、何もそんなに驚くことじゃないと思うんですけど?」

「……いや、しかし。私の力に、と言ってくれる者がいるとは……」


 その言葉で、セルは驚いているのではなく、信じられないと思っているのだと気付く。


「あ、自分で何でも出来るから、他の人の力は必要ないってことですか?」

「いや、そういう訳では……」

「まぁ、わたしでは大して役には立たないかも知れませんけど」


 自分で言って、しょんぼりしてしまう。

 よくよく考えれば、まだ外の世界のことを何も知らないのだ。いたら、逆に足を引っ張ってしまうかも知れない。


「……っ、その……。私の、力になりたいと言ってくれたのは、ルリが初めてだ。……嬉しく、思う」


 セルはひどく困った顔になり、かすかに頬を染めるという貴重な表情を見せてくれた。

 それに普段の淡々とした話し方とは違う、感情を抑えているような声を出している。見ているこっちが照れてしまうくらい、何だか初々しかった。


「わたしが、初めて……」


 さっき、周りにはそれなりに人がいると言っていたような……? それなのに、今まで誰もセルに手を貸そうとしなかった、ということだろうか?


「ありがとう、ルリ」

「い、いいえ」


 セルは何をしている人なのだろう。

 人族なのだろうか? どこの国の人なのか。

 何のために学園に通っているのだろう。


 興味を持ち始めると、疑問が後から後から湧いてくる。でも、急に質問攻めにする訳にはいかないから、ルーリアはちょっとずつ、セルのことを知っていこうと思った。


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