第10章・初夏と梅雨空

第155話 予想外の身バレ


 休日明けの、光の日。

 今日からまた、学園での一週間が始まる。


 家から転移してきたルーリアが学園の正門に向かおうとすると、フェルドラルが動きを止めるように手で制した。


「……?」


 何事かと思って前を見ると、一人の人物がルーリアたちを待ち構えるように立っている。

 ビシッと背筋を伸ばした、体格の良い男性だ。


「おはようございます、ルリ嬢。大切なお話がございますので、付いて来て頂けると助かります」


 言葉遣いは丁寧だが、その声音は拒むことを許さないといった口調だった。

 フェルドラルは問答無用で男性を排除しようと足を踏み出そうとする。が、今度はルーリアがフェルドラルの服のすそを引き、その動きを制した。


「姫様?」

「フェル、この人とは前に一度会っています」


 フェルドラルは全く覚えていないようだが、ルーリアはしっかりと覚えていた。

 この男性は、前にユヒムの屋敷で見たダイアラン国王の使者だ。あの時は互いに名乗りもせず、軽く会釈をしただけだったけど、いったい何の用だというのだろう。


 というより、男性の表情から察するに、菓子学科に通うルリが蜂蜜屋の娘──ルーリアであるとバレているのは明らかだった。

 用件は分からないけれど、ここは大人しく従っておいた方が良さそうだ。


 男性の案内で向かった先は、大ホール。

 特別な行事でもない限り、普段は芸部の一部の生徒しか使用していないという。今は人払いをしているから、一般の生徒は誰もいないそうだ。


 ……何それ、すごく怖いんですけど。


 これだけ大きな建物の中が静まり返っていると、逆に変な息苦しさがある。自分たちの音しかしない空間で、ルーリアは緊張に包まれていた。


 階段を上り、二階へと向かう。

 この辺りは一般生徒は立ち入り禁止となっているそうで、門番と同じ服装の人たちが所々に立っていた。何かを厳重に守っているような、そんな雰囲気がある。


 ルーリアはフェルドラルと共に、二階奥にある一室に通された。内装が豪華で、貴族の屋敷や城の中のような造りだ。置いてある調度品なども、高価な物だとひと目で分かった。


「ルリ嬢を、お連れいたしました」


 ルーリアたちを案内してきた男性が、深くこうべを垂れる。すると部屋の奥から「ご苦労さま」と、若い男性の声が聞こえてきた。


「こちらが出歩けないせいで、朝からお呼び立てしてしまい申し訳ありません」


 その部屋にいたのは、とても穏やかな笑みを浮かべた一人の青年だった。

 淡い色合いの金の髪はクセがあり、青年を少年と錯覚させるような柔らかさがある。蒼とも青とも言える瞳は、森を流れる澄んだ水のような色だった。上級貴族のような身なりからして、身分のある人物なのだろう。


「初めまして、ルリ。私はこの国の第三王子、リヴェリオ・ダイアランです」

「…………え、」


 まさかの王族の自己紹介にルーリアは固まった。丁寧な仕草の挨拶を、ただ呆然と見つめる。あまりに現実味のない存在に、驚くのを通り越して頭が冷えた。


「私は政部の生徒として政治学科に在籍しているのですが、そのお顔を拝見するに、ご存知ではなかったようですね」


 いたずらが成功したように柔らかく微笑み、リヴェリオはルーリアに座るよう促した。ここまで案内してきた男性が、上品な革張りの椅子を素早く引く。


「……っあ、あの。王族の方が、わたしなんかに何のご用でしょうか?」


 名指しされているから人違いではないだろう。

 観念して椅子に座ったルーリアは、さっそくリヴェリオに用件を尋ねた。蜂蜜の商談なら、ガインかユヒムに丸投げするつもりだ。


「私は今回、国の代表としてルリにお願いしたいことがありまして」

「……わたしにお願い、ですか?」

「はい」


 リヴェリオはルーリアの前に一枚の契約書を差し出した。


「この国に害を成すつもりはない、という意思表明をルリにして頂きたいのです」

「……害を……?」


 リヴェリオは表情を引きしめて頷く。

 それに合わせて、案内してきた男性も口を開いた。


「先週行われたシュトラ・ヴァシーリエにおいて、我々はルリ嬢が6属性の魔力の持ち主であることを確認いたしました」


 ダイアランでは、地上界で使用可能な6属性、全ての魔力を持っている人族の女性のことを『魔女』として扱うらしい。

 その存在を国内で確認した場合、例外なくこのような契約書を交わすことにしているという。

 その内容は、もし国内で問題を起こした場合、或いは起こしそうなことをした場合。ダイアランの王族が行う国外追放の魔術を大人しく受け入れる、というものであった。


「もちろん強制ではありません。あくまで、お願いといった形です」


 後ろからフェルドラルの不機嫌な声で「話になりませんわ」と、ボソッと聞こえてきて焦る。

 歴代の勇者パーティにいた魔法使いの女性たちも、6属性の魔力を持つ者は、この契約を交わしていたそうだ。というか、エルシアもエーシャの時は『黒魔女』と呼ばれていた。きっと、この契約を交わしていたのだろう。


「わたしは契約をしても構いません」

「そうですか、ありがとうございます」


 快いルーリアの返事を聞き、リヴェリオはホッとしたように微笑んだ。


「……それで、あの。出来れば学園では、わたしの家のことは……」


 蜂蜜屋のことを内緒にして欲しいと暗に伝えると、リヴェリオはふんわりと微笑む。


「私が知っているのは、貴女が菓子学科のルリであるということだけです。それ以外のことは何も知りません」

「あ、ありがとうございます」


 契約書を手にしたリヴェリオは、ルリの身辺に関する情報を学園内では漏らさないと書き足してくれた。

 この契約書は学園の入学申し込み書と同じで、本人が書いた文字であれば偽名でも構わないそうだ。遠慮なく、ルリと書かせてもらう。


「こちらの契約を交わして頂いたお礼という訳ではありませんが、国内にいる間、ルリのことは出来る限り保護させて頂きます」

「えっ、い、いいですよ、そんな。そっとしておいてもらえた方が嬉しいです」

「では、何か他に望みはありますか?」


 うーん。急にそんなことを言われても……。


「今は特に思いつきません」

「そうですか、分かりました。では何かありましたら、気軽に声をかけてください」

「……は、はい」


 きっと、そんな日は来ないと思う。

 笑顔のリヴェリオに見送られ、ルーリアは大ホールを後にした。逃げ去るように菓子学科の学舎へ向かう。


 ……あ、朝から心臓に悪かった。


 入園式の時に王族がいるようなことは聞いていたけど、まさか生徒として通っているなんて思ってもいなかった。

 フェルドラルは契約そのものに不満を漏らしていたけど、問題を起こさなければいいだけだ。と、ルーリアは忘れることにした。


「6属性の魔力持ちの人って、そんなに珍しいんでしょうか?」

「さあ。百年に一人、などと言って騒いではいるようですが、人族の中での話ですので」

「男の人の場合は何て呼んでいるんですか?」

「基本的に、人族の男に6属性持ちはいませんわ」

「えっ、そうなんですか?」

「それこそ千年に一人と言われているそうですが、確か昔は大賢者と呼ばれていたような気がいたしますわ」


 フェルドラルの記憶にも曖昧にしか残っていないということは、きっとかなり珍しい存在なのだろう。シャルティエが言っていた、三毛猫の男の子みたいなものだろうか。



 気を取り直して、菓子学科の授業。

 この日は、ふわっふわなシフォンケーキを作った。

 ルーリアが作ったのは、紅茶の茶葉入りの物と蜂蜜漬けにした柑橘類を使った物の二種類だ。


 今日から美味しさを追究するだけでなく、手早く大量に作る練習も兼ねるようになった。

 これは将来、店を開こうと考えている生徒が多いためだそうだ。なので出来上がった物も、自然と大人数分となっている。


「けっこういっぱいありますね」

「そうだね。私は配る当てがあるから困らないけど、ルリはどうするの?」

「んー……」


 作った物は、基本的に生徒が持って帰ることになっている。家に持って帰る分を差し引いても、けっこう余った。


「それならルリ、それを持って放課後の部活に来たらどう? みんな喜ぶと思うわよ」


 どうしようか悩んでいると、ナキスルビアが助言をくれた。部活には他の学部の生徒たちもいるという。ルーリアが行っても問題ないそうだ。


「分かりました。放課後、闘技場に行ってみます」


 少し迷ったけど、ルーリアはシフォンケーキを切り分け、生クリームを添えてタイムボックスに詰めた。


 その後の料理学科では、惣菜料理を習う。

 今日からは班ごとの活動となり、それぞれが目指す料理の種類によって、作る物も分けられることになった。ルーリアが選んだのは軽食だ。

 ここでも作る量が増えたため、タイムボックスの中はいっぱいになった。


 そして、農業学科の授業。

 今日は先日植えた野菜苗に支柱を立てていく。

 支柱を立てることで、蔓を伸ばしたり、大きな実をつける野菜の生長を助けることが出来るようになる。

 それに強い風に吹かれた時でも茎や枝が折れにくくなるし、風通しと陽当たりが良くなるから、病気や害虫の予防にも良いのだ。


「こんな感じでいいかな」


 それが終わったら、今度は置き肥だ。

 野菜苗から少し離れた土の上に、理部の薬学学科で作られた団子状の肥料を置いていく。

 こうしておくと雨などの水と一緒に少しずつ、肥料から養分が与えられるそうだ。


「終わったか?」

「はい。こっちは大丈夫です」


 様子を見に来てくれたレイドは、すんと鼻をひくつかせ、空を見上げた。


「……雨が来るな」


 今日は朝からずっと曇っていた。

 レイドが口にして少しも経たない内に、ぽつぽつと雨が降り出す。しとしとと細く降る雨は、畑の土を濃い色に染めていった。

 ルーリアとレイドは大きな樹の下に駆け込んだ。


「全部、終わった後で良かったですね」

「ああ。ルリは濡れていないか? 春と言っても、濡れたままだと風邪をひくからな」

「はい、大丈夫です。心配してくれてありがとうございます」


 ルーリアがマントに付いた雨粒を手で払っていると、レイドはそろっと窺うように周りを見回した。フェルドラルはどこか違う場所で雨宿りをしているのか、姿は見当たらない。

 意を決した顔で、レイドは自分の懐に手を伸ばした。


「ルリ。渡したい物が、あるんだが」

「……渡したい物? わたしにですか?」


 ルーリアがキョトンとした顔で見上げると、レイドは少し照れたような顔をしていた。


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